帰国

「アメリカまで行くとなると準備が大変だったんじゃないですか?パスポートも必要ですし、未成年だと渡航同意書も……」

空港へ向かう道中で先生にそう尋ねられた。わたしは正直に話したけれど、確かにみんなはどうやって用意したのだろうか。

「学校の行事で必要なんだって言ったら書いてくれました。」

「うちは既に先生のことを話してるので、すぐに許可してもらえました。」

ことりと有間くんが続けてそう答える。

「嘘ついて書いてもらうのは問題があるのでは?それに家を留守にするのだって長くなりますよね?」

「ああ、友達の家に泊まるって言ってきました。」

あっけらかんとしてそう答えることりに先生は頭を抱えている。もう叱る言葉も出てこないと言いたげな表情だ。

「あれ、有間くんは正直に話したんですよね?だったらご両親からの資金援助とか……」

しばらくして魂を取り戻した先生が一筋の希望を見つけたような表情で有間くんを見つめた。

「行きの分は借りられましたが、それ以上は無理だと言われてしまって。みんなが先生に集るって話をしていたので便乗しようかな、と。」

「便乗しようかなって……私だってお金ないですよ。」

先生が何かを言っているが、みんなで無視を決め込む。それからしばらく経った頃、

「新作のゲームを買って休み中にやりこもうと思っていたのに……」

「本をたくさん買って読みまくる予定が……」

と後ろからわたしたちを呪うようなか細い声が聞こえ始めた。気のせいかな?気のせいだといいな……


 先生を匿ってくれていたという人達に挨拶をして、チケットを購入する列に並ぼうとしたその時、空港の空気が一瞬でピリッとしたものに変わった。何かが起きる。そう感じて思わず目を閉じてしまう。

「あ!先生が……」

ことりの声を聞いて目を開けると黒いサングラスをかけた男に羽交い締めにされて動けなくなっている先生の姿が見えた。有間くんと奏多くんが先生を救おうと果敢に立ち向かっているが、体格の差からすぐに抑え込まれてしまう。

「命が惜しければ、こいつのことは諦めろ。」

流暢な日本語でそう言ってから男は先生を連れて去っていった。

「どうする?諦めて帰る?」

嘲笑を浮かべながら有間くんが聞く。

「先生を諦めるなんて、そんなことするわけないじゃん!」

ことりがそう答える。それはみんな同じ考えだろう。なぜなら

「先生がいないとチケット代払えないもん……」

「金があれば帰るのか?」

後ろから野太い声が聞こえてみんなで一斉に振り返る。

「そんなわけないじゃん。先生を助けるために遥々アメリカまで来たんだし。先生なしじゃ学校がつまらないもんね。絶対に先生は日本に連れて帰る。」

ことりがそう言い切ると、男は

「そうか……」

とだけ呟いて去っていった。

「今の人、敵かな?」

「でも何もしてこなかったよ。」

しばらくみんなで首を傾げていたが、有間くんが

「とりあえず自分が誰かに狙われていてもおかしくないってことは分かっておいた方がいいね。」

その言葉にみんなでこくんと頷く。

「さて、先生の救出に向いますか。」

「おー!」

思い切り拳を突き上げた横でみんなは黙っているが、気にしない。これくらいの勢いは必要なはず。


「GPSはこの辺りを示しているけど、先生はどこにいるんだろう。」

周囲にそれらしき建物はなく、民家が並んでいるばかりだ。立ち並ぶ民家……その風景を見てわたしはひとつの可能性に思い当たる。

「地下とか?」

「どこかに入口があるのかも。手分けして探そう。」

有間くんの言葉を合図に四方八方へ散らばる。

 わたしは民家の周りをうろついて怪しまれるのも嫌なので丘に登って全体を眺めることにした。

「きれい……」

わたしたちが到着した頃から降り始めた雪が少しずつ積もって針葉樹を白く覆っている。周りの景色を見渡しながら歩き出したそのとき、ガクッと膝の力が抜ける感覚があって気づいたら丘のてっぺんから下に向かって転がり落ちていた。

「痛たたたた……」

身体中のあちこちが痛い。腰やら頭やらを擦りながら体を起こすと、目の前に大きな穴があって、その中に奥まで続く階段が見えた。もしかしてここが入口なんじゃ……丘の上まで戻って、みんなに電話をかける。

「入口、見つけたかもしれない。」


 5分たった頃にはみんな集まっていたが、有間くんだけがやってこない。何度も電話をかけるが、誰がかけても、一向に出る気配がない。

「攫われたとか、ないよね?」

ことりの言葉に、奏多くんが顔を青くした。

「そういえば、10分前くらいかな?寿人が誰かと言い争うような声を聞いたんだよなぁ。探しても見つからないし、1分くらいですぐ終わったから大丈夫かと思ったけど、もしかして……」

今度はわたしたちが顔を青くする番だ。

「どうしよう。有間くんがいないとどうしていいか分からないよ……」

ゆりがか細い声でつぶやく。

「とりあえず、行くしかないよね。その入口ってところに。このまま引き返す訳にはいかないよ。」

みんなを鼓舞しようと大きな声で言ったつもりだったけれど、わたしの声は震えていた。怖いけど、やるしかないんだ。足がすくんで今にも崩れそうになるが、負ける訳にはいかないんだ。有間くんにも、先生にも、今までたくさん助けてもらったから。

「こっち。」

きっとバレているのだろうけれど、緊張を悟られないようにみんなに背を向けて歩み出す。みんなの足音だけ聞いて、振り返らずに。振り返ると、もう頑張れない気がしたから。

「僕が先頭で行くよ!」

いざ階段を降りようとしたその時、奏多くんに声をかけられる。

「じゃあ……手、繋がない?」

わたしは暗い場所が極端に怖い。ただでさえ有間くんが攫われたという恐怖で泣きそうなのに、暗いところに入らなければならないとなるとさらにだ。

「いいよ。」

本当は抱きつきたいくらい怖いし、なんなら胎児みたいにお腹に入れてほしいとも思うが、お腹に入るのは無理だし、抱きつきでもしたら後ろからゆりとことりに冷やかされるのが目に見えている。

「少し湿ってるから気をつけて。」

後方のふたりに声をかけながらゆっくり降りていく。

 階段を右へ左へ曲がりながら降りていくと重厚な扉が現れた。

「開けるよ?」

奏多くんの言葉に無言で頷く。

 思い切り押してみるが、開かない。引いてみても、開かない。もう一度みんなで全体重をかけるが、開かない。やっぱりそう簡単には開かないか。鍵のようなものはないし、何か特殊な仕掛けがあるのだろうか。

「あ、暗証番号みたいなのがあるよ。」

ゆりが指さす方を見ると、たしかに暗証番号を入力するような装置がある。

「どうしよう。」

「番号も分からないし、誰か人が来るのを待つしかないかな。」

「それはリスクが大きすぎない?」

などと口々に言い合う。

「しっ!中から声が……」

誰かが話しているような気がして、ガヤガヤと話すみんなを止める。

「……noisy……」

もしかして、うるさいって言ってる?

 隠れる間もなく扉が開かれ、中から出てきた男性とばっちり目が合う。終わった……と思ったそのとき、呆気に取られる男性の横をすり抜けてことりが中に入っていった。

「みんな、今しかない!」

一か八かで、わたしも後に続く。ゆりと奏多くんも後からやってきた。とりあえず隠れるところを探そうと、勢いよくみんなで走り出す。あぁ、1年ぶりだなぁ。隠れながら先生を探すの。今回は有間くんのことも探すわけだけど。

 外観の自然そのままっていう雰囲気とは打って変わって、中は白い壁に白い床、その空間を照らす蛍光灯しかないという無機質な空間になっている。

「まゆ、こっち。」

ことりが階段の横の小さなスペースから顔を出す。

「はやく。」

ことりに腕を引っ張られて奥に引きずりこまれる。その拍子に思い切り頭を打ったが、声を出すわけにはいかない。黙って痛みに耐える。

 しばらくするとゆりと奏多くんもやってきた。幸い誰にも気づかれていないみたい。

「まずは先生と寿人を探さないといけないよね。」

奏多くんの言葉にみんなで頷く。

「で、肝心なのがどうやって探すかなんだけど……」

その言葉を待ってました!飛行機の中でずっとスマホとにらめっこしていたわたししか覚えていないであろう、あの存在。

「GPSがあるのです!」

スマホを右手に掲げて言う。忘れてた!まると思ってゆ、ありがとう!といった称賛の声が浴びせられると思っていたのだが、実際に返ってきたのは

「うん、そうだよね。」

「バレるといけないから静かに。」

という冷淡なセリフだった。あれ?みんな気づいてたの?

 GPSで調べると先生は西側――って言われるとわたしは全く分からないのだけれど、どうやら入口から見て斜め右の方向にいるらしい。

「人がいないから今のうち。行こう。」

奏多くんが立ち上がり、わたしもそれに続く。真っ直ぐいったり、右に曲がったり、左に曲がったり。人と出会わないように気をつけながら進むが、人影は全然見当たらない。余裕で探せるんじゃないかと油断してみんなで並んで歩き始めた頃、後方からガシャンという音が聞こえた。後ろを振り返ると今まではなかった壁が現れ、通って来た道が塞がれていた。もう一度前を向けばいかにも強そうな装備をした人達がひとり、ふたり……もしかしてこれは、背水の陣ってやつ?

「こうなったら、行くしかないよね。」

そう言いながらことりが折り畳み傘を取り出す。一体何をするつもりなのだろう。バシッという音を立てて柄を伸ばすと、ことりはふたりに斬りかかった。刃物じゃないから斬りかかるというと語弊があるのかもしれないが。襲いかかったことりに、負けることなんかなかろうと言いたげにふたりが掴みかかりに行こうとするが、次の瞬間には倒れこんでいた。ことりががむしゃらに襲いかかっただけと思ってしまったのだろう。かわいそうに。あまり力が強そうには見えないが、ことりは剣道部であり大会でもかなりの成績を残している。相手が悪かったね、心の中でそう話しかけながらその場を後にする。

「この角を曲がれば着くはず……」

しばらく駆け回り、たまに敵が現れて、ことりが撃退して、を繰り返しながら進んでいくとついに、先生がいるであろう場所にたどり着いた。ドアの前にいた守衛をことりがあっさり倒し、中に突入する。中にも5人警備がいてこちらに襲いかかってきたが、ことりはこれも一瞬で倒す。

「先生……」

声をかけながら奥へ進むと先生が青白い顔をして倒れていた。

「大丈夫ですか!?」

そう尋ねると、

「もう、何も食べたくない……」

とか細い声で言ってからトイレの中へと去っていった。一体何をさせられていたのだろう。


「食べても食べても、まだ食べ物を提供される生活でした。拒絶しても強引に食べさせられる。」

少し顔色が戻った……とは言ってもまだ土色をしている先生がそう言った。

「全てを吐き出してから感覚がしっかりしてる気がするんですよね。地に足が着いているというか。」

もしかして……みんなで期待を込めて先生を見つめる。

「哀れみの目ですか?そんなの入りませんよ。」

と言う先生にゆりが静かにこう言った。

「先生、横になってみてください。」

「え?横に?」

渋々といった表情で先生が床に寝そべると、先生の体はもう、浮かなかった。先生は驚いた表情をしてひょっとこみたいになっている。

「浮かなくなっている……」

やっと、それだけ口に出すと、またペタンと床に身を委ねた。

「ところで、有間くんは?」

周囲を見回すが、一向に姿が見つからない。

「え?有間くんも一緒じゃないんですか?」

先生も起き上がり、有間くんを探す。みんなで部屋の中を探して回るが有間くんが見つかることはない。

「他の部屋を探そう。」

みんなで部屋を出ようとしたその時、行く手をさっきことりが倒した人達に阻まれる。この数じゃことりでも敵いそうにない……もう、ダメだ。目を閉じたそのとき、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「みんな無事だったか?」

有間くん?どうしてここに……そう考えている間に有間くんは敵から奪ってきたという謎の液体をかけて彼らを撃退していた。目やら口やらを押さえてもがき苦しんでいるが、一体何が入っているのだろうか。

「今のうちに行こう!」

走っていく有間くんに続いて出口へ急ぐ。ほぼ全員があの部屋に集結していたのだろうか、怖いほどに誰とも会わないで出口までたどり着いた。

「有間くん、どこに行ってたの?」

「あぁ……」

有間くんが言うことによると、あれに至るまでに壮大なストーリーが展開されていたということだ。まず敵に捕まって部屋に閉じ込められる。その後こっそり抜け出すも、失敗。2回失敗して諦めかけた頃に、成功したらしい。そして襲いかかってきた敵が持っていたバケツを奪い去ってわたしたちのところに来たのだとか。

 とにかく、みんなが無事でよかった。わたしはただ、自分の表情がほぐれていくのを感じていた。

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