第111話 組織の掟


 ジルベルトは結構多忙な毎日を過ごしていた。

 昼間は大学に通い(潜りだが)、経営戦略などというものや、経済学というものなどを勉強していた。

 まああまり役には立たないだろうが。


 そうして、夕方にはルイの娼館へ戻る。

 そこで、いわゆる「相談役」というのをやっている。ルイの経営の相談というのももちろんだが、なによりも主たる仕事は、トラブルの処理だ。


 先日、貴族家のバカ息子ネスレウトとアーニャの一件を片付けて以来、この手の揉め事を治めて回るのが彼の役割となっている。


 「片付ける」と言っても、「それなりの交渉」を行うだけのことだから、ジルベルトにとってはそれほど難しい仕事ではない。

 貴族家というのは面子というものを重んじる輩が多い。その点をうまくつけば、男女の秘め事に関わる問題の解決など難しくもない。

 ただ、これをルイ自らがやってしまうといろいろと都合が悪いこともある。ヤツには「表」の顔をしっかりと勤めてもらわねばならない。ジルベルトはあくまでも、「スポンサー」として「店」の評判を貶めるような行為は慎んでもらおうと、交渉するだけだ。


「お判りいただければ、それでよいのです。あなた様もこんな場所でスマートに遊べないというような噂が立っては、今後何かと下に見られることになりかねませんよ? やはり、娼館と言うのはあくまでも、紳士の社交場です。そのような場所で働く女郎じょろうに入れあげて、家名をけがすことになれば、お仲間たちに付け入るすきを与えることになりかねませんからね――」


「わ、わかった。もう、アイツのことは諦める。だから、口外はしないでくれ――」


 今夜も一つ、仕事が片付いた。


「ありがとうございます。どうぞまたお運びください。次はまた違う女の子をご紹介いたしますので――」


「ああ、そうしよう。今後はあくまでも「遊び」という事を忘れないようにする」


「それがよろしゅうございます。当店といたしましても、あなた様のご来店をご遠慮いただく方向では考えておりませんので。どうぞ、また、お気軽にいらしてください」


 そう言うとジルベルトはその屋敷をあとにした。

 夜は更けていて、辺りはさすがに暗い。

 貴族屋敷群をあとにすれば、しばらくは暗い道を歩くことになる。


「おい、ルド。おまえ、どこまでついてくる気だよ?」

ジルベルトは背中から感じる人の気配に気づいて立ち止まると、振り返らずにそう言った。


「ふ、ふふふ、久しぶりね、ジル。あたしが何をしに来たか、もうわかってるでしょ?」


「おりゃあ、まだ身をかためる気はねえんだがな――。押しかけ女房なら遠慮しとくぜ?」


「はん、なに言ってんのよ。今さらそんなことあるわけないじゃない。さあ、覚悟しなさい、あたしが送ってあげるわ、出来る限り、苦しめてね!」

言うなり背後から殺気が溢れてくる。ルドはジルベルトに向かって、石の礫を無数に発射した。


 ズバババババッ!


 と、連続で風を切る音が響くが、その場所にはすでにジルベルトの姿はない。


「おいおい、お前、本当に殺す気だったろ? 元カレに対してひどい仕打ちだなぁ」

そう言葉を投げるジルベルトは、すでに数メートル先に移動している。


「何が元カレよ! 人のことをもてあそんでおいて、今さらどの口がそれを言う!」

ルドは一気に間合いを詰めると、手のひらから炎を発現させ、ジルベルトの腹に打ち付けた。はずだった――。

 しかし炎はその場でかき消された。

 手首から先がびしょびしょに濡れている。

「あっぶねえなぁ。火を使うときは水を用意してからって、小さいころに習わなかったのかよ?」


 ジルベルトがそう言葉を吐いた瞬間に、ルドはその右手首に「熱さ」を感じた。慌てて、間合いを取る。危なかった、「凍結」の魔法を発動していたのだ。放っておけば右手が腐り落ちるところだ。急いで離れたため、完全に凍結されるまでには至らなかったが、右手は酷い凍傷にかかった可能性がある。


「くぅっ。お、おまえ、いつの間に!?」


「ルドよお、俺はもう前の俺じゃねぇぜ? たぶんお前ごときでは俺を殺せねえよ? 諦めて退いてくれねぇか?」


 そうだ、明らかにルドの知っている、ジルベルトではない。あいつはあんな戦い方はしなかった。打撃主体の接近戦術がアイツのスタイルだったはずだ。それは、ついこの間までそうだったのだ。そう、あの「キール」とかいう魔術師との戦闘の時もそうだった。


「ルド、もうめよう、このままじゃ俺ぁお前を殺すしかなくなっちまう」


「そ、組織の任務は絶対だ! それはお前もわかってるだろう!」


「だからよお、その組織とかいうのめねえか? 俺ぁちょっと今、面白い生き方ってのを見つけたんだよ。俺ぁ組織を抜ける。そう、書状も送っておいた。だから、もう組織には迷惑は掛からねぇ。お前も抜けろ、俺と一緒に、新しい生き方を探さねぇか?」


「そ、そんな戯言たわごと、あたしは信じないよ!」


「大丈夫だ、お前は俺が守る、誓う。俺と一緒に来い――」


「お前の誓いなんて――」



『案外、当てになるものだよ? ――』


 ルドの背後からいきなり人の気配が現れた。それは本当に突然のことだった。

 

「大丈夫、彼はは破らない。彼の言葉を信じてやってはくれないかな?」


 暗闇から現れたそいつの顔には見覚えがある。そうだ、あの、特選魔術師――。

「キール・ヴァイス!?」


「あれ? 初めましてじゃなかったのかな? どこかで出会ったっけ?」


「ああ、随分前から俺に張り付いていたから、あんたとの決闘も一部始終見てたと思うぜ?」

ジルベルトが両手を広げて見せた。


「な、何故お前がここに!?」

ルドは状況がよく呑み込めていない。


「ん? ああ、コイツジルベルトが珍しく頭を下げて頼むもんだからさ。これも、乗り掛かった舟、というやつかな」

キールはそう言うと、ルドに向かって温かく微笑んだ。

 

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