第83話 新しい生活の始まり


「そうですか、彼が戻ってきましたか――」

ニデリックが静かにつぶやいた。


「はい。王立大学への復帰届が昨日提出されました。院長、今後彼をどのようにされるおつもりですか?」

ネインリヒはニデリックに質問した。


「そうですねぇ。どうしましょうか? ネインリヒ君ならどうされますか?」

ニデリックは少し意地の悪い質問で返す。

 キール・ヴァイスと国家魔術院の「契約」に関しては、そもそもネインリヒの提言によるものだった。

 ネインリヒにしてみれば、この先はどうするつもりか考えているのだろうねという念押しに聞こえるのも無理はない。


「あ、いえ、申し訳ございません。私としては取り敢えずはこのまま様子を見る方向でとしか考えておりませんでした――」

 ネインリヒの目的はキールを監視下に置くことであった。その点から言えば、これまでより近い場所で目の届く範囲にいてくれるだけでだいぶんとやりやすくなる。


「まあ、そうでしょうね――。実際、彼が戻ってくれたことで、しばらくの間は目の届く範囲にいてくれるでしょうから、それだけでも充分意味はあるのでしょうが……。今後の彼の行動には警戒が必要ですね。「契約」といっても口約束と大して変わりません。まずは、国家魔術院の一員として働く意思があるのか、そこを確認する必要があるでしょうね――」

 ニデリックは実際、キールを信用していないわけではない。しかし、まだ若い学生の彼にとってこれから自身の周りで起きる様々なことがきっかけとなって、どのような方向に育っていくのか、それは全くの未知数なのだ。

 ミリアが「かすがい」となって踏みとどまらせてくれればよいが、若い男女の関係など、少しの行き違いでもろく崩れ去ってしまうことは世の常だ。


 キールは間違いなく1万人、いや10万人に一人という逸材だ。錬成「4」魔術師など、現在の世界で明らかになっているのはたったの4人なのだ。


 『氷結の魔術師』ニデリック・ヴァン・ヴュルスト。

 『火炎の魔術師』ゲラード・カイゼンブルグ。

 『疾風の魔術師』リシャール・キースワイズ。

 

 そして、キール・ヴァイス。


 この中で、クラス「高度」の魔術師はニデリックただ一人で、あとの二人はクラス「上位」にとどまっている。


 キールのクラスが何なのか次第ではあるが、ネインリヒの目撃情報からすると、クラス「上位」であることはほぼ間違いない。しかし、もし、あの事件がキールの仕業だったとしたら、それ以上のクラスを持っていても不思議ではないのだ。

 あの時に感知した術式の痕跡。

 あれはまさしくニデリックも知らない術式の発動痕跡だった。どのような効果を生み出す術式かもわからないままだ。

 もし仮にキールが「高度」クラスだったとしたら、素質という面ではニデリックと肩を並べることになる。


(いや、もしかするとそれ以上――。だとすれば、国防レベルの脅威となる。やはり慎重にキールとの関係を構築しなければなるまい)

 ニデリックはキールがおそらくこのメストリーデにいるだろうあと3年の間に、なんとしてもキールの性質まで把握し、正しく導いてやらねばならないと心に秘めていた。


「まあいいでしょう。ネインリヒ君からもよく声をかけてあげてください。私も気を配ることにしますよ。もう、知らない間柄でもないのでね」

そう言ってニデリックはネインリヒに笑みを向ける。

 その笑みの奥に秘められた思いが何なのか、この時のネインリヒには推し量ることができなかった。



******



 それから約半月後のことだった。


 アステリッド・コルティーレは王立書庫の玄関にいた。

 先程まで王立大学の入学試験を受けていたのだ。


 魔術師教育学院の方は、2月の初めに卒業式を終えている。その後、アステリッドは一旦実家のあるケルン領へ戻っていたが、昨日から入学試験を受けるために上京してきていたのだ。


 キールから前もって話を聞いていたアステリッドは、入試が終わった日に、キールと再会することを約束していた。

 キールとミリア、そしておそらくクリストファーも、大学の授業を受けた後に、王立書庫に寄って集まっているだろうと聞いていたのだ。


 入学試験が実施される日は、大学は休校になるため、キールだけが王立書庫にアステリッドに会いに行くという事になっていた。

 しかし結局蓋を開けてみれば――。


 アステリッドが王立書庫の玄関で表を行き交う人を眺めていると、やがて、見慣れた顔を見つけた。

 キールだ。

 アステリッドは久しぶりの再会に胸躍ったが、すぐ隣にいる美少女と美青年にすぐに気が付く。


(あ、ああ、一人じゃないんだ――)

あとの二人との再会が嬉しくないわけではない。どちらも夏休みに出会ってひと時を過ごした懐かしい顔だ。

 しかし、本当はやはり、二人きりで会いたかったというのが本音のところだろう。


 アステリッドに気が付いてキールが手を振ると、アステリッドはそれに応えた。

 できる限り精いっぱいの笑顔を作って。 


 

 


 

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