第78話 アステリッドの進路


 1月も半ばを過ぎた。


 アステリッドとキールは相変わらずの毎日を過ごしている。

 魔術書の解読の方は相変わらずの牛歩だ。

 しかし、この作業はこういうものだと割り切って進めるしかない。毎日1行という程度であったとしても、確実に進んでいることには違いないのだ。


 アステリッドの目的は自分の前世の記憶に関してだが、結局それはキールの魔術書の解読を進めることでいつか達成されるはずのものだ。

 なにより、「一番の目的」はほぼのだから何も文句はなかった。


 ところが最近少し、苛立ちや不安が沸いてくることがある。

 大学受験の日が近づいているからだった。

 アステリッドはキールは今後どうするのか、それが知りたかった。それによって自身の進路を決定しようと考えていたからだ。


「あの――。キールさんはこれから――」

そこまで言ってから言葉が続かない。


「ん? どうしたの?」


「あ、いえ、なんでもないです――」


 などというやり取りがここ数日の間に何度かあった。



 そんな時だった。


「アステリッドは進路はどうするの? やっぱりカインズベルクのどちらかの大学へ進むのかい?」


 アステリッドが何度もチャレンジしてためらっていた質問を、事も無げにさらりと言ってのけたキールに、少し苛立った。

 ああ、この人はやっぱり私程の想いを持ってはいないのだなと改めて突き付けられた思いがしたのだ。


「どうして、そんなことを聞くんです? 別に私がどこにいてもあまりキールさんには関係ないことでしょう?」

言ってしまってから少し後悔した。聞きたかったことを聞ける折角のチャンスを棒に振ってしまうかもしれないという事に気付くのが少し遅れたからだ。


「あ、ああ――」


(あ、ちがうの、そこでやめないで――)


「――でも、関係ないことはないよ。アステリッドとはこれからも一緒に研究を続けたいと思ってるんだ。だから、アステリッドの進路に合わせて、僕もどうしようか考えていたんだよ」


(え? でも、それってやっぱりずるいですよ――。目的は研究を続けたいってところで、私と一緒にいたいってところじゃないってことだもの――)


「僕は、メストリルへ戻るか、カインズベルクの大学に編入するかどっちでもそれほど変わらない。やることは一緒だからね。でも、君は違う。君は貴族だ。いずれはメストリルへ戻らなければならない。そして、一度戻ったらおそらく次に国を離れるのは容易なことじゃないと思うんだ」


 確かに言う通りだ。奨学金は魔術士教育学院への通学に対してなされるものであって、その先はない。ここで大学へ入学するとなると結構高額な入学金と授業料を払うことになる。

 メストリルへ戻ればその心配は幾らか軽減される。アステリッドはすでにメストリルの国家魔術院に登録されている魔術師だ。王立大学への入学金や授業料は国家魔術院による特別控除が利用できる。そのため、田舎貴族のアステリッドであっても特に問題なく通えるのだ。

 しかし、キールが言った通り、それは今後のアステリッドの進路が確定するという事を意味することになる。

 王立大学を卒業後は国家魔術院へ参入し、国政に携わることになるのだ。


「じつは――。今とても迷っています。メストリルへ戻れば家にもそれほど負担を掛けず、私の卒業後も安泰です。でも、それだと、メストリルから離れられなくなるかもしれません。私はもう少し外の世界が見てみたいんです――」


「なるほどね――。それは難しいところだね――」

キールはそこでややためを作った。

「でもねアステリッド、メストリルへ戻ったからと言って二度と外へ出られないというわけではないと思うんだよ。実際、国家魔術院のネインリヒさんやおそらく諜報員の人達なんかは世界中を渡り歩いている場合もある。そういう立場だからこそ見える景色というのもあるのかもしれないよ?」


「え?」


「つまりは考え方によるものだと思うんだ――」

キールはそこから以下のように続けた。


 確かに自由に何にも縛られることなく好きに生きることができる僕みたいな平民に、君たち貴族は「気ままで自由」だと言うのかもしれないけど、平民はすべて自分で稼がなきゃならない。

 君は今学校に行って図書館に来て、帰るという毎日を送っている。それができるのは君が貴族だからだ。貴族は領地から徴収した税で生きている。自分の手足を使って物を作ったり、作業をしたりして生活費を稼がなくていい。

 僕たち平民では考えられない恩恵だと言える。

 だからこそ貴族たちには領地の安寧を一番に考えて行動することを平民たちは望む。それが故の自由出国権なんだ。いい領主の元には人民が集う。それはそこが住みやすい場所だからだ。

 ここ、ヘラルドカッツのカインズベルクも初めはそれほど大きな街じゃなかったと聞いている。でも、今ではこんなに大きな都市になった。それはここが何かにつけて住みやすいからなんだ、だから人が集まってくるんだよ――。


 アステリッドはキールの言いたいことが少し呑み込めていなかった。キールはいったい何を言いたいのだろう?


「少し話がれちゃったね。つまりは、君には君しかできないことがあるんじゃないか? ってことなんだよ。それは僕ではできないし、ミリアやクリストファーでもできない。君だからこそできることだ。それは君の出自を含めてアステリッド・コルティーレでなければできないことだよ?」


 なんとなく言いたいことが伝わってくる。

 つまりはどこにいても「自分らしくあれ」ということを言いたいのだろう――。


 アステリッドの心は決まった。

 そうだ私は貴族だったのだ。田舎貴族で小さい領地であってもそこには税を納めてくれる人民が住んでいる。そうして私はそのおかげでここにいるのだ。


 やはり、いつかは返さなくてはならない。与えてくれた本人に返すことができなくとも、その子や孫に返せばいい。そうしてまた私の子孫にも返してくれるのだ。


「私、メストリルへ戻ります」

そう言ったアステリッドの目にもう迷いの色はなかった。



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