第54話 壁に耳あり、障子に目あり


 ミヒャエル・グリューネワルトは、カインズベルク大図書館の玄関が見えるカフェのテラス席に腰を掛け、コヒル茶をすすっていた。


 ミリア・ハインツフェルトとその従者クリストファー・ダン・ヴェラーニがそこで、別の二人の男女とともに4人で時間を過ごしているの知ってからすでに1週間は過ぎている。


 その間ほぼ毎日、夕刻前にここに集合し、夕飯前に出てきてはネール横丁で夕食を食べて屋敷に戻るという生活を続けている。


 学校の夏季休暇終了までには、本国メストリルへ戻るはずだから、そうしていられるのも長くてもあと5日程度までだろう。

 ヘラルドカッツからメストリルまでは馬車で7日ほどかかる距離だからだ。


(しかし、毎日毎日、大図書館で何をやってるんだか――)

ミヒャエルはそんな風には考えない。


 それは彼の仕事ではないからだ。

 それを考えるのは「主人」であり、自分のやるべきことは「どこに行ったか誰と会ったか何をしていたか」を見たままに正確に報告することだ、と彼は考えている。


 しかし、ただ見て待っているという作業はそれ相応の忍耐力を必要とする仕事で、誰にでもできることではない、これは一種の「特性」だと、彼は自負している。


(まあ救いなのは、ここのコヒル茶が私好みの味だということだ。これがなければさすがにつらい仕事になるところだった――)


 そんなことを考えて、またカップを口に運ぼうとした矢先、ミリアとクリストファーの姿が大図書館の玄関から出てくるのを見つけた。


 残念だが、もう一杯はないようだ。

 ミヒャエルは、カップに少し残ったコヒル茶を一気に喉へ流し込み、店を出た。


 

 ミヒャエルの「主人」はネインリヒ・ヒューランだ。メストリル国家魔術院院長秘書官筆頭だ。つまり、ニデリック院長の「懐刀ふところがたな」というわけだ。

 今回彼から受けた「職務」は、夏季休暇中のミリア・ハインツフェルトの行動を監視することだった。

 もちろん理由など教えてくれないし、聞きもしない。さっきも言ったが、そんなことはミヒャエルの「仕事」にはどうでもよいことだからだ。

 しかし、ミリアについてはよく知っている。幼いころからその才覚を見出され、国家魔術院に保護され英才教育を受けてきた、若き天才、次世代のホープだ。そして、伯爵令嬢でもある彼女は、まさしく将来、国家の未来を支える人材の一人となるであろう。

 そのミリアを監視するなど、ちょっと首を突っ込みたくはない案件な気がしているのも事実だ。

 しかし、これも「仕事」だ。

 「仕事」を完遂することに対して彼は、一定の「矜持」を持っている。


――どんな仕事もきっちりとやり遂げる。私情はそこには挟まない。



 しかし、結局それ以上の収穫はなかった。ミリアの監視が仕事である以上、ミリアがこの街を去ればそれを追ってメストリルへ戻るしかない。

 結局は会っていた相手が「ミリアと同年代の男」と「魔術師教育学院の学生の少女」という事しかわからなかった。ミリアから目を放してよい状況であればもうすこし二人の詳細について調べることもできたろうが、それについては諦めるしかないだろう。


 だいたいの予定通り、ミリアとクリストファーは夏季休暇が終わる1週間ほど前に帰途についた。

 ミヒャエルもその後を追って帰還した。



 帰ったミヒャエルはそのことをネインリヒに伝えた。

 一つ聞かれたのは、ミリアとクリストファーの関係についてだったが、道中もそれまでもずっと見ていたが、男女のそういう関係ではないように見えるという風に伝えた。もしかしたら、クリストファーの方からミリアに対する気持ちはあるかもしれないが、逆はないように見えると言っておいた。むしろ、カインズベルクで出会った男の方にミリアの気持ちは向いているのではないかと思えると答えた。


 なるほど――。帰ってきたところ悪いが、もう一度ヘラルドカッツへ戻ってくれ、その男とその女学生について調べてほしい、とネインリヒはミヒャエルに伝えた。


 ミヒャエルは「新しい仕事」を獲得したことに満足していた。


 

 

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