魔法使いは夜を飛ぶ

永多真澄

魔法使いは夜を飛ぶ

 桜色をした光が目も前を塗りつぶした時、「あ、死んだな」と僕は、いっそ清々しいほどすっぱり諦めて意識を過去に投げた。


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 「ウィッチ」に昇格した日のことは、いまも鮮明に思い出せる。十年の普通兵科アプレンティスを乗り越え、ようやく認められた感慨は一入ひとしおだった。

 とはいえウィッチのみで構成された部隊首都防衛防空師団へ配置換えになったのはいいが、配属当初は卵野郎ルーキーと呼ばれものだった。何しろ周りは歴戦のウィッチばかりで、その中で僕がヒヨコ以下なのは事実だった。不格好に伸びた鼻っ面を叩き折られるのは、やはり必要だったのだ。ウィッチとしての初任務で、先任のミゲルが死んだ。酒を飲むと殊更やかましい男だったが、腕前は確かだったのに。それでも死んだ。

 当時は神国との戦争が激しさを増した時期で、前線は遥か遠方だというのに首都近傍まで爆撃騎が来る。夜寝る間もないほど僕たちは緊急出動スクランブルで夜空に出た。


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 空を飛ぶのは好きだ。夜闇を劈き林立し、月影すら照らす摩天楼を縫うように飛ぶと、得も言われぬ感情が滾る。それは快感だった。しかしそれには常に死闘デッド・ファイトが付随していて、生死の境界は乱気流にかき乱されて曖昧だった。

 このころ戦線は急速に我国の境界線を呑み込み、神国の浸透部隊との都市戦闘も珍しくはなくなっていた。


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「敵の女と情を交わす裏切り者がいる」


 そういう噂が部隊に流れ始めた頃、僕は隊長を除けば最先任となっていた。この隊に配属されてから3年余りが過ぎていて、我国と神国の境界線は日ごとに引き直されるような膠着状態に突入していた。

 噂は疑心暗鬼を呼び、隊内の不和が表面化したのと、軍上層部から隊長の動向を探るよう密命を受けたのは凡そ同時期だった。

 隊内不和は、補充要因の新米ハスフィーが些細な連携ミスから落命したことで頂点ピークに達し、ついに暴力沙汰に発展した。僕が部下の一発を貰うだけで治められたのは不幸中の幸いだったが、根深く打ち込まれた楔は、もはや無視できぬほどに傷口を広げていた。

 結論から言うと、隊長が敵兵と情を交わしていたのは事実だった。しかし密告者スパイは別にいて、それが同期のエリスだったことに、僕は失意を禁じえなかった。死の間際、彼女は神国の理想を朗々と語ったが、結局僕が引導を渡した。

 隊長はどうなったかというと、件の女とともに何処いずこかに消えた。その際僕も少々手助けしたのは墓までもっていくが、彼も腕のいいウィッチだ。闇に溶けるのはお手の物だろう。

 かくして僕は隊長となった。


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『緊急、緊急。首都北西より神国爆撃騎兵隊が接近。爆撃騎10。直掩に軽戦騎が20及び僧侶5。迎撃に上がれ』


 その警報サイレンが鳴り響いたのは、僕が隊長職を引き継いで1年経った頃、つまり今夜だった。僕は食べかけの即席麺をゴミ箱に叩き込み、発着場へと走った。


「隊長、全員揃っています」


 副隊長のレヴに返礼して、発着場に整列した部下を見回す。

 まだ配属されて日の浅い新米のベル、狙撃に関しては一目置かれるベーター、近接戦闘の鬼トージロ、戦闘機動アクロバットのシエル、そして副隊長にして万能にこなすオールマイティレヴ。ベルを除けば、みな一様にベテランと呼べる戦歴のウィッチだ。気負いのない面構えをしている。


「敵の内訳は放送の通りだ。とはいえ、戦況には常に気を配れよ。では発進」


 僕の手短な号令に隊員たちは敬礼をして、月も星もない夜空に飛び立っていく。光の無い夜空は、底なしの水面のようだ。

 では、行こう。僕は黒々とした外套を夜風にはためかせ、吸い込まれるように空へと登って行った。


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 神国におけるウィッチ、ソーサラーの存在を感知できなかったのは致命的だった。僧侶ヒーラーに偽装したソーサラーを見抜けなかった観測員は事実、部隊が半壊する原因を作ったのだから言い逃れようもない。生き残ったら観測員を半殺しにしてやる。そんな理不尽な野望を抱いていなければ、とうに心が折れるような状況だった。

 リヴが死んだのが大きい。いや、生きてはいるが虫の息だ。戦力的には負債でしかない。ともかく、開幕の光線照射で隊を分断させられたのが全ての終わりの始まりだった。一瞬でも混乱し、統率を欠いた部隊は分断された先で軽戦騎にたかられて各個撃破寸前という事態に、戦端が切られてからおよそ2分後には陥っていた。

 トージロとシエルは遠距離からチクチクと牽制されるのが邪魔で本領を発揮できないし、ベーターはこうも接近されては並みのウィッチでしかない。半身をふっ飛ばされたリヴは言うに及ばず、新兵のベルは混乱の極致といった有様だった。


「ベル、リヴを基地まで運べ。君が居たところで役には立たないから、増援を呼んできてくれると助かる」


 僕は迂闊に寄ってきた軽戦騎を一刀のもとに切り捨てて、担いでいたリヴをベルに投げ渡した。


「退路は僕が確保する。爆撃騎を都市に入れるのはダメだってことは、君ならわかるはずだ。いけ」


 纏わりついてくる軽戦騎や後方から牽制してくるソーサラーはあくまで支援であって、本命は10騎の爆撃騎だ。あの規模ならば、十分首都を火の海にできる。それはいけない。

 ベルは逡巡をやめ、敬礼をして最大速度で戦域を離脱した。新人と言え、彼もウィッチだ。

 あとは僕の頑張り次第か。


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 桜色をした光が目も前を塗りつぶした時、「あ、死んだな」と僕は、いっそ清々しいほどすっぱり諦めた。

 これはどうしようもない。奇跡でも起きなければ無理だな、とむしろ笑いが零れる。ベルは基地にたどり着けたろうか。


 しかし、痛みは一向にやってこない。果たしてこれは如何なことか。もしくは痛みなど感じる間もなく死んだか? まだ死んだことが無いので、実感を感じられずに戸惑う。


「ようマーク、危ないところだったな」


 不意に声がして、僕はそちらを向いた。なるほど、周囲の時間が止まっている。こんな芸当をやってのけるのは、ウィッチの更に上、「ウィザード」をおいて他にはない。


「フィリッペ、君か」


「ああ。首都防衛第1戦隊、現刻をもって貴様らを援護する」


「心強い」


 どうやら、僕はまた命を拾ったようだった。ウィザードらが煌びやかな光の尾を引いて、優雅さをすら感じさせる戦闘機動マニューバで敵に向かっていくのを、僕はただ美しいと思った。

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