3話

 数時間後、体力を回復した華月の背に乗って、桔梗たちは世界樹の麓にやって来た。

 成龍と比べても遥かに大きい彼女の背中には第一、第二小隊が全員乗っても余裕があるほどで、本来ならば馬で陸路を行く予定であった第四小隊まで乗ることが出来た。


「華月様のお陰で助かりました。兄さんの扱う複製魔法はどんなものでも複製してしまう。人数は多いに越したことはありません」


 ユタが華月の背から飛び降りながら言った。

 それに対して、全員の顔が強張る。

 ホロの扱う『複製』の魔法は彼が触れたもの全てを複製してしまう、厄介な魔法であったのだ。

 味方であれば心強いが、敵に回ればこうも厄介なものだとは思ってもみなかった。

 辺りをぴりぴりとした緊張感が包んでいく。

 最初にそれに気が付いたのは、人型に姿を変えた華月だった。

 次いで、ぴくり、と桜花の尖った耳が僅かに反応する。


「二時の方向から多数の魔力を感知!!」

『来ますッ!』


 華月と桜花の声が二重奏となって騎士たちの耳に響く。


「第一小隊、出るぞ!!」


 うおおお、と雄叫びを上げ、青色の波がまだ見ぬ敵の方へと突っ込んでいった。

 桔梗は回復部隊である第四小隊を守るべく、自分の隊に円陣を命じて、慎重に彼らの後へ続いた。

 世界樹の根はその一つ一つが大木と言っても分からないほど太く立派であった。

 その根を囲うように新たな目が芽吹き、たった一本の大木の麓に居るはずであるのに、まるで森にでも居るかのような錯覚を覚える。


――キィイン。


 前方で金属のぶつかり合う音が響いた。

 シアンの隊が多数の面の男と戦っている。

 それはラディカータの森で桜花を襲ったあの男たちと同じく、動物の面を着けていた。

 犬と猿は勿論、雉や狼、狐も居る。

 面の数は全部で五種類。だが、その数は圧倒的に多い。


「兄さんの魔法だわ」


 ユタがナイフの柄を握る手に力を込めながら言った。


「複製を斬っては駄目よ! 本体オリジナルを攻撃しなければ、無限に増えてしまうわ!」

「分かっているっ!」


 シアンの怒号が辺りに響いた。

 桔梗は斜め後ろに控えていた桜花とシャムに視線を遣った。

 彼らは桔梗の視線に気が付くと、首を傾げながら近付いてくる。


「華月様の周りに結界を張ったでしょう? あれと同じ要領で敵を囲んでほしいの。そのあとは、私とユタさんで何とかするから」

「分かりました。行こう、桜花!」

「ええ!」


 シャムは桜花を抱えると、あっという間に木を登って、戦禍の中心に辿り着いた。

 二人は互いの手を握り、ゆっくりと瞼を閉じる。

 ぱあ、と桜花の身体を淡い桜色が包んだ。

 シャムの右手に浮かぶ桜色の龍を模った刺青も連動するように輝きを帯びる。


『桜火の盟約を以て命じる。古の木々よ、我が声に応え、その花を咲かせよ――八重結界展開・《八重の護り》!』


 少年と少女の声が溶け合って、反響する。

 世界樹の魔力が彼らの声に反応して、根から噴き出したかと思うと、それはあっという間に桜色へと変化した。

 ふわり、と仄かに甘い花の香りが辺りを満たす。

 八本の桜が、戦場を覆った。


「桔梗さん!!」


 シャムの声が届くより早く、桔梗は動いた。

 ユタも彼女と同じように、ナイフを手に走り出す。

 二人は互いに視線を合わせると、一糸乱れぬ呼吸で敵を斬り倒していった。


「久々に見たな。アイツらの『巴舞ともえまい』」

「何ですか、それ?」


 シャムと桜花の周りに集まる敵を吹き飛ばしながら、シアンは笑った。


「まあ、見ていれば分かる」


 シアンの笑顔の意味が分からないまま、シャムは彼女たちに視線を戻した。

 よく見れば、桔梗もユタも瞼を閉じているようであった。

 その状態で敵を斬っているのか、と瞬きを落としたシャムに、桜花が口を開く。


「……思い出した! どこかで見たことがあると思っていたら、あれは龍に伝わる鼓舞の一種だわ。人間が踊るとああいう風になるのね」


 どこか懐かしそうな、優しい表情でそれを見つめる桜花に、シャムは胸の辺りがぽかぽかと温かい気持ちになったような気がした。


「龍の踊りは違うの?」

「ええ。私たちはアレを一人で踊るのよ。空中で円を描きながら急降下して、敵を穿つの。ほら、見て。桔梗様たちも二人で円を描いているでしょう?」


 桜花の横顔から、再び桔梗たちに視線を戻す。

 そう言われてみれば、なるほど確かにくるくると互いに円を描くように踊っていた。


「あれが『巴舞』の名の由来よ。巴、とは円や太極図を意味する言葉だから」


 戦いの最中であると言うのに、誰もが二人の舞に見惚れていた。

 二人は円を描くように進みながら、時には互いの背後に居る敵を斬った。そうかと思えば桔梗がユタの手を取り彼女を宙に放り投げ、ユタがナイフを放つ。

 敵が分裂しても、それより早く桔梗が次の標的を狙う。

 増えることなく煙と化したそれは、二人の演舞をより美しいものへと変えていく。

 彼女の刃は華月の鱗から造られた特注品だ。『破壊』の魔力を込められた武器の前ではホロの魔法も意味を成さない。

 どれくらい、それを繰り返していただろうか。

 やがて円の中心、シャムと桜花の元に辿り着いた二人は額に汗を一つも浮かべておらず、シャムは驚きのあまり、口を開いたまま固まった。


「それじゃあ、ユタさん。お願いします」

「ええ。任せて」


 ユタは手にしていたナイフをスカートの隙間から覗くガーターに収めると掌をゆっくりと合わせた。

 それを見たシアンがギョッとした顔になって、通信機に向かって叫ぶ。


「雹が飛ぶ!! 全員盾で頭を守れ! 盾のない奴はシャムと桜花の周りに集まるんだ!!」


 急げ、と言う声と、ユタが呪文を紡ぎ始めたのはほぼ同時であった。


「祖は麗しの聖水。紡ぐは氷海の調べ――《氷槍の嵐アイシクル・レイン》」


 ゴウッと、一陣の風が吹いた。

 次いで、どこからともなく出現した無数の氷の槍が敵を捉える。


「食らえ!!」


 普段は温厚なユタから放たれた声だとは到底思えないような低い声が、敵に向かって槍を落とす。


――ビュンッ!


 宛ら夜空を割く彗星のように、それは敵を穿った。

 パリン、パリン、とあちらこちらで面の割れる音が弾ける。

 そして、氷の槍はオリジナルの男たちの身体を貫いた。

 赤黒い血が、世界樹の根を汚す。


「さあ、兄さんの居場所を吐いてもらうわよ?」


 一人だけわざと急所を外した男の胸倉を掴んで、ユタが笑う。

 その顔は、兄であるホロにそっくり――双子なので、似ているのは当然である――だった。


「それには及ばないよ、ユタ」


 くふっ。


 独特な笑い声が、シンと静まり返った森の中でやけに大きく響いた。

 白い装束に身を包んだホロが世界樹の根の上に立っている。

 その顔は愉悦に染まっていた。


「兄さん!」


 ユタが今にもそちらに走り出しそうになるのをシアンが目で制する。


「ホロ」


 静かだが怒りに満ちた声でシアンがホロの名を呼んだ。

 ホロは微笑を浮かべ、心底嬉しそうに笑い声を上げると、軽く根を蹴って地面に着地した。


「君のそんな顔を見るのは、レオン君の入隊試験以来だねぇ」

「黙れ」


 シアンが言葉を放ったと同時にホロへ突っ込む。

 銃剣は綺麗な弧を描くも、ホロがその刃に触れることはなかった。

 ひらり、と軽やかな動きでシアンの攻撃を躱したホロが肩を竦める。


「どうして、そんなに怒っているんだい? 僕が桔梗ちゃんに傷をつけたから? それとも、君を騙していたからかな? どちらにしろ、君たちにはここで死んでもらわないといけないし……。困ったなぁ」


 実に困った、と顔を破顔させながら、ホロが懐からチャクラムを取り出す。


「全部に決まってんだろ、クソ野郎」


 深い海のような青が苛烈に光を反射させる。

 ずっと向けられてみたかった視線が、焦がれた青い殺気が自分に向けられている。

 ホロはぞくり、と背筋を這う悪寒に身震いした。

 顔だけは笑顔のまま、手に持ったチャクラムを二倍、三倍と数を増やしていく。


「先に謝っておくよ! 一方的な攻撃になってしまうからねっ!!」


――ヒュン!


 空に無数のチャクラムが舞った。

 宛ら、流星のように意思を持ったそれが次々に騎士を狙って降下してくる。


「桜花!!」

「はい!!」


 桔梗の声に、桜花は両手を合わせる音でそれに応えた。

 ぱぁん、と小気味良い音が、鳥の高い鳴き声のように劈くチャクラムの唸りの中に反響する。

 すっかり慣れた様子で八重の護りを展開し、味方の援護に努める桜花とシャムの様子を視認すると、桔梗は交戦中のシアンとホロの方へ駆け出した。

 その斜め後ろをユタがナイフを構え、付いてくる。


「殿下」


 固くなった声に、その呼称を使われるのは二度目だった。


「兄は――ホロは私が仕留めます。だから、どうかシアンと共に先へお進みください」

「でも……」

「行ってください。これはネイヴェスの総意です」


 ユタはそう言うと、ポーチから小さな水晶を取り出した。

 華月がシアンに渡した宝珠と形状がよく似ているそれに、桔梗が走りながら目を細める。


「古の大戦において、旭日様を封じるために使ったと言われている水晶の一つです。微力ではあると思いますが、使ってください」


 そっと渡された水晶を受け取り、桔梗は唇を噛んだ。

 自分にもっと力があったなら、ホロは旭日の手に落ちなかったかもしれない。

 こんな風にホロとユタが争わなくても良かったかもしれないのに。

 いくつもの可能性が浮かんでは消え、桔梗を蝕んでいく。

 そんな彼女を宥めるように頭の中で華月の声が木霊した。


『桔梗、落ち着いて。貴女は何も悪くはない。全ては妾が旭日を封じ損ねたことが原因です。だからどうか自分を責めるのはお止しなさい』


 責められるべきは妾なのですから。

 華月の言葉に、桔梗はぐるぐると胸中を支配していた靄が晴れたような気がした。


「ごめんなさい、ユタ。辛い役目を貴女に任せて行く私を許してね」

「……ネイヴェスの名に懸けて、一族の汚点を排除致します」


 ユタは静かに笑った。

 その顔は、霊王宮を去る時に彼女が見せた表情と酷似していた。


「ご武運を」


 右手の拳を左手で覆う。

 東の国における、最高礼を桔梗に捧げると、ユタは加速した。

 深緑が彼女を守るようにその色を透過させる。


 シアンがホロに向かって銃剣を振りかぶった。

 ホロはにやり、と笑うと己が身に触れ、自身を分身させる。


「くっ! この!」


 ズアッと当たり損ねた刀身を苦し紛れに横へと薙ぐ。

 剣背の部分が分裂した方のホロに当たるが、それは数を増やしただけで、結果として彼にダメージを与えることは叶わなかった。

 ふと、視界の端に赤が煌いた。

 それは最初、ホロの分身であるとシアンは思っていたが、グングンと彼らに近付いてく赤に、柄を握る手に力を込める。


 距離、五メートル。

 三。

 一。

 ゼロ!!


 深緑を纏ったユタが飛び出すのと同時にシアンは再びホロに銃剣を振り下ろした。


「ニドルナ!」


 今度は絶対に外すわけにはいかない。

 銃剣からニドルナを呼び出す。

 彼女は眩い閃光でホロの視界を奪った。

 その隙に、シアンとユタが三人に増えたホロの間合いに入り込む。


――ザシュッ。


 肉を断つ音がやけに大きく、耳にこびり付いた。

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