3話

 シアンを先頭に一行が村役場から出ると、外は暮色に染まり、冷たい風が頬を撫でていった。このラディカータ村は、東の国と中央の国の国境にあるためか、日が沈むと東の国の山々から雪の匂いを纏った冷たい風が辺りに充満する。

スン、と何かを懐かしむように桔梗は肺一杯に空気を吸い込んで、騎士団が駐在している宿屋へと足を向けた。


「シャム!」


 宿屋に着いて早々、サパンが声を荒げる。

 床板が抜けるのではないかと思うほど大きな足音を立てて彼が歩を進めた先では、昼間の少年が驚きに表情を染め、サパンのことを凝視していた。


「じ、じいちゃ――!?」


 少年が言葉を発するより先に、サパンの拳が彼の頭に炸裂する。それを見た桔梗とシアンがお互いに目を合わせて、肩を竦ませた。


「サパン殿……」

「すみません、騎士殿。一発だけしつけですので、ご容赦を」


 その一発が偉く強烈だったらしい。頭を押さえたまま、その場に蹲り、動かなくなってしまった少年に桔梗が声を掛ける。


「大丈夫?」

「だ、大丈夫です」


 サパンの手がにゅっと伸びて、頭を押さえたままの少年の首根っこを掴んだ。今度は勢い良く後頭部を叩いて、無理やりお辞儀させる体勢にする。


「孫の失礼をお許しください。これはシャムと言います。一族の中でも一、二を競う足の持ち主でしてな。いても立ってもいられなかったのでしょう」


 シャムの頭を押さえ無理やり頭を下げさせながら、サパンが自らも頭を下げる。それに笑いを零すと桔梗は自分たちも自己紹介をしていないことに遅れて気が付いた。


「聖騎士団本部所属第二小隊隊長、桔梗少佐であります。こちらは上官のシアン・ウェルテクス大佐です」

「よろしくお願いいたします」

「それで、その。話は戻りますが……」


 温和な笑みを浮かべていたサパンの顔が曇る。桔梗とシアンも思わず口を一文字に結んだ。


「シャム、どこまでお話したんだ? あのこともきちんと報告したのだろうな?」

「あのことって?」


 眉根を寄せるシャムにサパンは厳しい口調で言った。


「我らの祠守に住まう者のことだ」

「だって、それは……ッ」

「そんなことだろうと思っていたが。お前があの豚男めに話した所為で、こんなことになったんだぞ」


 豚男と称されたのは恐らく村長であろう。笑いそうになるのを必死に堪え、桔梗はサパンの目を見て言った。


「どういうことです? 村長からもシャム君からも祠守の守り人について詳しく聞いていません」

「守り人についてはこやつが言った通りです。私が言っているのは祠守の中に住む者のことなのですよ」

「?」


 訳が分からない。祠守に選ばれる木は樹齢千年を超えるものが多いと聞くが、中に人が入って生活ができるほどの広さはないはずだ。それに先ほどから聞く話だと守り人とは別に祠守と同調している者がいるように聞こえた。


「守り人というのは祠守の番をする人ですよね? それは合っていますか?」


 桔梗の問いにサパンが頷く。


「はい。祠守に選ばれ、毎晩祠守と森の番を務める者のことを我らはそう呼びます」

「なら、中に住む者とは何なのです? 人が中に住むほどの大きさの祠守を私たちは見たことがありません」


 首を傾げながら言う桔梗にサパンはグッと喉を詰まらせた。押し黙ってしまった祖父の代わりにシャムが答える。


「僕たちの森の祠守は世界樹に次ぐ大きさと言われるほど大きなものなんです。実際に見てもらえば、僕たちの言っていることが分かると思います」

「……分かりました。これから準備をするので、少しだけお時間を頂いても構いませんか?」

「承知しました」


 シャムとサパンが左手に右手の拳を当てるお辞儀をする。――東の国で、敬意を示す際にされるお辞儀だった。

 桔梗はそれに軽く会釈を返すと、シアンを連れて部下たちと移動の準備を始めた。

 元々密輸犯を捕まえる為に第一、第二小隊合同でやって来たので人数は多い。そのことを踏まえてか指揮権限を持つシアンがそれぞれの副隊長と班長に指令を出す。


「各副隊長と一班は、密輸犯共を持って本部に帰れ。二班の連中は俺たちと森の調査をして本部に戻ることとする。三班はここに残って村長と役場の動きを見張ってくれ」


 了解と部下たちの声が揃う。

 真剣な眼差しで部下たちを見るシアンを桔梗は横目で盗み見た。

 襟元まで伸ばした銀の髪が夕焼けを反射させて淡く輝き、海に似た青の眼がスッと細められる。真面目な顔をしていれば見られないこともないのだが、如何せん性格が問題であった。


「……五分で仕度しろ。一分、一秒でも過ぎたら晩飯は全部俺の胃の中だ」

「ちょ、大佐!? 何、言っているんですか! そんなこと言う上官初めて見ましたよ!」

「うるせえな。偶にはこういう風に締めておいた方が良いんだよ」

「うわッ! 横暴だ。理不尽だ。パワハラだあ!」

「おら、どうした! 突っ立ってないでさっさと準備しろ!」


 シアンの楽しげな声音とは反対に部下たちからはぎゃーと悲痛な叫び声が上がった。慌てたように駈け出して行く彼らの背を見ながら桔梗が呟く。


「どう思いますか、あの村長」

「さあな。もともと今回の依頼も割り込んできたくらいだから、ろくな奴ではないと思ってはいたが」

「大当たりでしたね」


 肩を竦めたシアンだが、その目は熱い焔を揺らしていた。


「絞めます?」

「当たり前だろうが。帰ってきたら三分、いや十秒で鎮めてやる」

「わあ、こわーい」


 わざとらしく声を上げた桔梗に無言でデコピンを入れる。

 そして、本当に五分以内で用意を済ませた部下たちに拍手を贈ってやった。



◇ ◇ ◇


 シャムとサパンの先導に従い、桔梗たちは馬でも通れる道から森に向かうことになった。彼らはまるで猿のように枝を器用に移動して、時折地面に降りてきて桔梗たちに道を伝えてくれた。


「凄いですね~。騎士団の中にも森の民出身の人は居ますけど、こんなに身軽な森の民は初めて見ました」

「ああ、俺もだ。馬と同等の速度で枝の上を渡る奴なんて早々居ないぞ」


 二人して感心しながら彼らに付いて行く。やがて、足回りに違和感を覚え、桔梗が眉間に皺を寄せた。シアンも同じような表情を浮かべて辺りの様子を警戒し始める。


「……生き物の気配がしません」

「おまけに、聞いた話より木々の枯れが進行しているようだ」


 この辺りの木々は土地柄の影響で冬に強い種のはずだ。本来なら青々とした葉を惜しみなく茂らせても良い時期なのに、枝についている葉はどれもこれも抜け落ちる寸前で茶色く濁っていた。

 いつの間に枝から降りて来たのか、サパンとシャムが悲しそうな顔で木々に額を当てていた。サパンが幹に縋ったまま、ずるずるとその場に崩れ落ちていく。鼻を啜る音に、桔梗は思わずそっと彼から目を逸らした。


「ここからは僕が案内します。すみませんが、じいちゃんを……」

「分かったわ。――私と大佐で奥に入ってくる。サパン殿を警護しつつ、周辺の調査をしておいて」


 部下たちにそう告げると桔梗は馬から降りた。シアンが不思議そうな顔をするのに、地面を指差す。


「ここから先、馬は向いていないみたいです」

「……なるほど。分かった、徒歩で行こう」


 ブーツが沈むのを僅かに感じながら、桔梗とシアンはシャムの後ろをゆっくり付いて行った。


「ここです」


 数分歩いた先でシャムは立ち止まった。

 そこには立派な巨木が天へと向かってえ立っている。

 小さな家と比べても大差ない立派なそれに、桔梗は瞬きを落とす。


「確かに、これなら人が住んでいてもおかしくないわね」


 桔梗が木に手を触れながらに言う。シャムも頷いた。


「ここに人は住んでいません。住んでいるのは違うもの。が祀られているんです」


 え、と桔梗とシアンの声が重なる。二人が固まっているのを余所にシャムが額を木の幹に預けた。


「……桜花おうか


 耳を澄まさなければ聞こえないほどの小さな声で、シャムが幹に呼びかける。

 すると、幹が淡い光を帯びた。中心部分が左右に開き、人が通れるほどの大きさの割れ目が出現する。驚いて目を見張る桔梗たちに笑いかけて、シャムが割れ目から幹の中へと入っていく。

 慌てて後を追えば、とても木の中とは思えないほど広い空間が広がっていた。


フレイム


 ふっと桔梗が呪文と一緒に左手へ息を吹きかけると、掌に小さな炎が灯った。少しだけ明るくなった木の内部を見て、桔梗とシアンは絶句する。


「とても木の中だと思えんな。立派な建造物だろ、これは……」

「ここは根っこの部分になります。地下神殿みたいなものだと思ってください」

「へえ……」


 シアンとシャムの会話を背に聞きながら、桔梗は天井に視線を移した。

そこに描かれた白と黒の龍の壁画に暫く身動きすることも忘れ、視界を奪われる。


「桔梗?」

「え、あ、はい! 何ですか?」


 振り返ると呆れた顔で先を行くシアンと目が合う。駆け足でそれに追いつくと、軽い拳骨が降ってきた。


「灯り担当がぼけっとするな。馬鹿」

「すみません」


 むくれながら謝れば、二発目が飛んできそうな気配がして桔梗は身構える。だが、予想していた二発目は飛んでこず、代わりにシアンの息を飲む音が聞こえてきた。

 彼の視線を辿って、桔梗も口を開けて固まった。

 重厚な金で造られた巨大な扉が眼前を覆い尽くす。これでもかと思うほどに、ちりばめられた彫刻が金の輝きと相まって神秘的な美しさを放っていた。


「凄い……」


 圧巻されて素直に感想を述べる桔梗たちとは対照的に、シャムが顔色悪く扉に駆け寄った。

 褐色の手が扉に重ねられる。

 ぐい、と引かれた扉はしかし、一向に開く気配がない。

近くにあった燭台に掌の炎を移すと桔梗たちも扉の前へ駆け寄った。


「桜花!! 開けて!! 桜花!!」


 ドンドン、と力任せに扉を殴ったり、引いたりを繰り返すがピクリともしない。見かねたシアンが引手に手をかけた。

 彼は聖騎士団屈指のパワータイプだ。グッと力を込め、額に青筋を浮かべながら扉を引っ張った。


「クソッ! 何だこの扉、ビクともしないぞ!」

「た、大佐の馬鹿力でも開かないなんて……!」

「馬鹿は余計だ。馬鹿は」


 肩で息をするシアンに軽口を叩くが、桔梗も内心驚きを隠せないでいた。大型の魔物でさえ軽々と背負い投げるシアンの腕力でビクともしないとなると、他に開ける方法が思いつかない。

 黙ったまま扉を見つめるシャムに桔梗が聞いた。


「……サパン殿が言っていたのは、これのこと?」


 扉の周辺だけ劣化が激しくなっている。床も壁もいつ崩れてもおかしくはない状態だった。

 黄金の扉は無事だったが、扉から枯れた長いツタが天井まで伸び、外まで達しているように見えた。恐らくツタから枯れが伝染したのであろうことが推測できる。

 シアンも同じことを思ったのか、ツタと天井の間で視線を行き来させていた。


「はい……。この奥に原因があるじゃないかって俺とじいちゃんは思っています」

「桜花、って?」

「俺の友達が、この奥に居るんです。もうずっと出てこなくて……。それから森が枯れ始めたから」


 何か関係があるんじゃないかと思って、と続けながらシャムの顔が段々と暗くなる。


「話しかけても応えてくれないし、どうしたらいいか分からなくなって俺……。守り人の兄ちゃんに言ってしまったんです。祠守の様子がおかしいって」


「その時、守り人の様子は変わりなかったのよね」

「はい。少なくとも、俺がこのことを言うまでは元気でした」


 益々分からないと桔梗は首を傾げた。完全に守備範囲外である。やはり別の隊を要請した方が良いように思えた。


「体調が悪くなったのは二日後です。急に高熱を出して苦しみ始めて……。今日でもう十日目になります」

「十日も? 解熱剤は効かなかったのか?」

「何を試しても駄目でした。仕方なく、村長さんに事情を話すことにしたんですけど……」


 結果はご存じの通り。見事追い返された訳である。だが、村長の毛嫌いっぷりは尋常なものではなかったと桔梗たちは思った。


「じいちゃんが赤い服の騎士を見つけろって。それで赤鬼を連れてこいと言っているんだと思いました」

「私を? でもどうして……」

「東出身の方なら、人でない者とでも話ができるからと」


 桔梗は目を細めてそういうことかと納得した。あの時、サパンが一瞬だけ自分を射抜くように見つめてきたのは東の国出身者であることを確認したのだ。東の国の出身者は総じて『刀』と呼ばれる武器を扱うことに長けている。その証拠に桔梗の武器も小太刀二刀であった。シアンの武器は銃剣。恐らくサパンの方も『赤鬼』が男だと思っていたのだろう。


「……となると、この中に居る君のお友達は人間じゃないのね」


 シャムがゆっくり頷く。桔梗はシアンと顔を見合わせるとゆっくり扉へと歩みを寄せた。

 そっと静かに掌を扉に重ねる。


「開けて」


 息を吐き出すのと同時に言葉を紡ぐ。凛とした声が扉に反響して、音を変えた。

 リィン、と鈴の音が桔梗の耳に木霊する。シアンやシャムにも聞こえたのか二人共真剣な表情で扉を見ていた。


『誰……』


 震えた声で言葉が返ってくる。


「私は桔梗。シャムに頼まれて、木々が枯れている原因を直しに来たの」

『それは、私が……』

「あなたが原因かもしれないというのは何となく分かっているわ。けれどこの中に入れてもらえないと詳しく調べられないでしょう? だから、ね」


 開けて、と桔梗がもう一度言えば、少しだけ間を置いて分かったと了承してくれた。


「中に入れてくれるみたいです」


 桔梗が笑いながらに言えば、また鈴の音が強張る。


『ただし貴女だけ。シャムともう一人はだめよ』

「え、」


 桔梗が疑問に思う間もなく、黄金の扉が僅かに開いた。細い人形のように彼女の身体がふわりと浮いて引きずり込まれる。


「桔梗!!」


 シアンが手を伸ばす。

 だが、無残にも扉は再び固く閉ざされてしまった。

 クソと宙をった掌を握りしめて扉を叩くが、金属の反響音が広間に空しく響いただけであった。

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