第27話:赤根さんはわかってる

♡ ♡ ♡

 

 私は帰宅して、浴衣を脱いだ。

 そしてシャワーを浴び、部屋着のショートパンツとTシャツに着替え、ベッドの端に腰掛けた。


 さっき聞いた話を思い返す。


 ──ガタニ君は飼い猫のあかねが大好き。

 ──学校で『俺は茜が大好きだー』って叫んだ。


 ということは。


 ……ということは。


 ということは!!



 私が以前聞いたガタニ君の言葉は、『赤根が大好き』……じゃなくて『茜が大好き』だったってこと。


 つまり。


 つまり、つまり、つまりっ!!


 私は今までとんでもない勘違いをしてたってことだ!!


 だぁぁぁぁぁっっっ!!!!


 てっきりガタニ君は私を好きだと思い込んで、彼とした数々の会話!

 思い返したら恥ずかしすぎるっ!


 そりゃあ、なかなか告白してくれないわけだ。

 当たり前だ。


 彼は私のことを好きでもなんでもなかったんだから。

 単なる私の勘違い。空回り。ドン・キホーテの戦い。


 これから私は……いったいどうしたらいいんだろう。


 ううん、簡単なことだ。


 前に唯香と話をしたとおりだ。

 もしもガタニ君が私を好きじゃなかったら諦めたらいいだけ。


 ただそれだけの話。

 別に私は元々彼を好きでもなんでもないんだからね。うん、簡単なことだよ。


 別に私は彼を……好きでもなんでもない……。

 好きでもなんでも…………。



 いやもう遅い。

 そんな段階はとっくに越えていることは、自分自身が充分わかってる。痛いほどわかってる。



 私は。



 ガタニ君が──



 好きだ。





 大好きだ。

 大好きで大好きでたまらない。


 彼と一緒にいたら楽しいし、彼と会えない時は寂しいし、彼の顔を見たら温かな気持ちになる。



 これが、恋、という感情。

 ガタニ君のおかげで、生まれて初めて知った感情。



 好きだ、好きだ、大好きだ!

 死ぬほど好きだ。

 だから簡単に気持ちの整理なんてつかない。


 涙が溢れて止まらない。

 どうしたらいいか……わからない。

 


 翌朝、登校したら数寄屋君が声をかけてきた。


「赤根さんおはよう。昨日はありがとう」

「おはよー!」


 私は涙があふれそうな感情を押し殺して、努めて明るく答えた。


「楽しかったな。な、大和」


 数寄屋君が、横にいるガタニ君の肩を叩く。


「あ、うん。そうだね」


 ガタニ君の笑顔。

 昨日まで何度も何度も見た笑顔。


 でも私を好きなんだと思って見ていた彼の笑顔と、そうじゃないとわかって見る笑顔は、なぜか全然違うものに見える。


 なんでだろう。

 胸が痛い。彼の顔を見るのがつらい。


 朝のホームルームのチャイムが鳴った。

 みんなが自分の席に戻っていく。


 私はすっとガタニ君に近づいて、耳元で囁いた。


「今日はお弁当ないから、校舎裏には行かない。食堂なんだ」


 みんなの前ではいつもどおり明るく振る舞っている。

 だけど昼休みにガタニ君と二人きりで長い時間、何を話したらいいのかわからない。

 態度も不自然になりそうで怖い。

 もしかしたら泣き出しそうなのが怖い。


 だからあえてお弁当を持ってこなかった。


 あと二日登校したら夏休みになる。

 つまり今日と明日、食堂でお昼を食べればいい。

 そうすれば明後日は終業式だ。


 夏休みという長い時間を置いたら、きっとガタニ君への気持ちは薄れて、普通に喋れるようになってるはず。


 だからあと二日。

 あと二日だけの辛抱だ。



 翌日。終業式まであと一日。

 今日も食堂に行って、一人寂しくお昼ご飯を食べた。

 最近はずっとガタニ君と二人でお昼を食べていた。楽しかったし美味しかった。

 一人で食べるご飯が砂を噛むように味気ないものだなんて、生まれて初めて実感した。


 休み時間もできるだけガタニ君と関わらないように気をつけた。

 胸がズキズキ痛むけど、それをなんとか押し殺して我慢して関わらないようにした。


 そしてようやく一日の授業が終わり、急いで教室を後にする。

 ガタニ君と少し目が合ったけど、気まずくて目をそらしてしまった。


 ごめんなさいガタニ君。

 もしかしたら傷つけてるかもしれない。


 明日は終業式だし、あと一日だけこんな態度でいるのを許してね。


 下校路を駅に向かって早足で歩いてたら、不意に背後から声が聞こえた。


「くるみん!」

「あ、唯香」

「どうしたん? なにかあった?」

「別にー なにもないよ」

「なるほど。なにかあったわけだ」

「だからなにもないって言ってるじゃん。人の話聞いてる?」

「私の目はごまかせないから」


 真剣な目で言われた。

 ぎくりとした。


 さすが唯香だ。

 学校ではいつもどおり明るく振る舞ってたし、他の誰にも気づかれてないと思う。

 だけど唯香だけは私の態度の微妙な変化に気づいてたみたいだ。

 

「くるみん。カフェ行こ!」


 唯香は私の手を握り、ぐいと引っ張る。


「あ……うん」


 唯香の有無を言わせぬ誘いに、私は思わず頷いていた。



「で、なにがあったのかな?」


 唯香にも言わないでおこうと思ってたのに。

 カフェでテーブルの向こう側から私に向けた彼女の笑顔は、すべてを包み込むような優しさに満ちている。


 そんな顔で見つめられたら、思わず本当のことを話してしまう。


 私は夏祭りでのできごと、そして昨日今日と彼と話していないことを唯香に打ち明けた。


「なるほどね。……で、くるみんはどうしたいの?」

「どうしたいって……ガタニ君が私を好きでもなんでもないのなら、これ以上なにもすることはないよ。色々やったけど、もう作戦は終わり」

「ふぅーん……」


 注文したラテアートが運ばれてきた。

 うん、いつものうさぎの被り物をした可愛い男の子。

 ガタニ君と似てる……


 なんか目がうるうるしてきた。

 なんでだろ。


「くるみん泣いてるじゃん」

「泣いてなんかない。目から汗が出てるだけ」

「なにその使い古されたセリフ」

「うっさい」


 唯香は私を心配してくれてる。

 それはわかってるんだけど、つっけんどんな返事するしか余裕がない。


「ガタニ君がくるみんを好きなのが誤解だったとしてもいいじゃん。くるみんが彼を好きなら、今度はくるみんから告ればいい」

「別に……彼を好きとかないし」

「ガタニ君に恋してるくせに」

「してない。だって私は『恋を知らない女』なんだから」

「んもう、この頑固者!」

「頑固とかじゃないし」


 唯香が「はぁ〜っ」とため息ついて肩をすくめた。

 でも私は、どうしたらいいかわからなくて、恋心を唯香にも言う気がしない。


「くるみんはホントにそれでいいの? このままじゃお互いに気まずい感じで、疎遠になっちゃうよ。ガタニ君って自分から積極的に絡んでくるタイプじゃないし」

「それは……わかってる」

「あのさくるみん。そんな切ない顔して、なにが『恋してない』よ。あたしにも本心を言えないの? あたし達ってそんな関係? あたしは少しでもくるみんの力になりたいって思ってる」


 ──あ。


 今度は唯香が目に涙を浮かべてる。

 私、唯香に悲しい思いをさせちゃった。


「ごめん唯香。泣かないで」

「泣いてない。目から汗が出てるだけ」

「……え? なにその使い古されたセリフは?」

「最初に言ったのはくるみんでしょ」

「あ、そうだね。あはは」

「そうだよ、ははは」


 ふざけて私を励まそうとしてくれてる。

 ホントにありがとう唯香。

 なのに本心を隠そうとしてごめん。


「んもう、唯香には敵わないなぁ。ホントのこと言うよ。うん、私はガタニ君のことが好き」

「そっか。前から知ってた」

「でも私が自分ではっきりわかったのは、ガタニ君の言葉を私が勘違いしてるってわかった後なんだ。彼が私を好きでもないってわかって初めて、自分が彼を大好きだってわかるなんて。……バカだね私」


 なぜか唯香はじっと私を見つめてる。


「えっと……あのさくるみん。あんたはまだ勘違いしてるようだけど」

「なにが?」

「ガタニ君がくるみんじゃなくて飼い猫を好きだったってのはわかったけど。それは最初の話であって、今は彼、くるみんのこと好きでしょ」

「あやや、そんなことないって!」

「なんで?」

「だって全然好きだって感じが出てないもん。告白だってしてくれなかったし」

「それは彼が、そういう気持ちを表に出すのが苦手なだけでしょ」

「そっかなぁ……」


 唯香はそう言うけど、私には不安しかない。


「じゃ、確かめてみたらいいじゃん。明日はガタニ君を避けないで、ちゃんと話してごらんよ」

「ん……やっぱいいよ」

「なんでよ?」

「ん〜、なんででも」


 ちゃんと確かめて、もしもガタニ君がやっぱり私を好きじゃなかったら。

 それを考えたら、怖くて怖くて確かめるなんてできない。


「でもくるみん。明日に確かめなきゃ、夏休みに入っちゃうよ」

「わかってる。それでいいの」


 いや、それいいんだ。

 ガタニ君と顔を合わせない方が気まずくなくていい。


「まあくるみんがそう言うなら仕方ないけど……」


 唯香は微妙な笑顔を浮かべていた。

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