第五章 ジュビリアムの街

 目的地が見え、三人の足取りは一気に軽くなった。


「どんな街なんだろうね?」


「良い所だったら良いですねー」


 アレンとカノンはまだ見ぬ街に期待を膨らませる。


「大丈夫だと思うぜ、良い街だって話だし。豪華な宿屋や宝石を使ったアクセサリーの店が並ぶ華やかな街だって聞いてる。ミネの村の件も解決したし、これからもっと良くなるだろうさ」


「へえ……そうなのかい?」


「お兄ちゃん詳しいのね」


 ジークの言葉に、アレンとカノンは振り返る。


 ジークはそんな二人の反応に思わず呆れてしまう。


 ジークはクルティの町とミネの村の住民に、既にジュビリアムの街の話を聞いていたのだ。


「おいおい、お前達はこれから自分達が訪れる街の情報も集めてないのか……?」


 それを言われると、アレンはギクリとする。


 全く以てその通りだ。


 旅慣れしていないとは言え、情報収集は基本中の基本だ。


「あ、いや……色々と必死で……」


 そう言い訳するも、迂闊だった自覚はあるからアレンはシュンとしてしまう。


 それを見たカノンが、フォローに入る。


「ほら、あの鉱山の魔物との戦闘とか、色々ありましたしね!」


「まあ、それもそうか。ミネの村では本当に大変だったしな」


 カノンの言葉に納得し、ジークも頷く。


「あとは、村の皆さんの声にお応えしたり、休み無しって感じでしたもんね!」 


 カノンの言う通り、アレンはミネの村で住民達に称えられて、引っ張りダコになっていた。


 それを思い出し、ジークは苦笑する。


 アレンは律儀にも住民達一人ひとりに丁寧に対応していた。


 そりゃ休みなしにもなるよな……。


 その律義さがアレンの良いところでもあるんだろうが、と心の中で呟く。


「そんな事よりほらー! もう街は目の前ですよ? 早く行きましょう!」


 そう言うとカノンは無邪気に走り出す。


「あ、待ってよカノン!」


「ハハ、全く……」


 二人も、それを追って駆け出した。






 三人が街の入口まで来ると、若い女性が立っていた。


 ここは様々な人物が宝石を買いに訪れるから、それを歓迎する挨拶をしているようだった。


「ようこそ、いらっしゃいませ! ここは、ジュビリアムの街です!」


 元気良く笑顔で挨拶をしてくれる女性。


 それだけでも華やかな印象を与えるのに、街の中を見ると更に華やかな光景が広がっていた。


 豪華な噴水。


 活気に溢れる市場。


 大きな建物。


 小さな村に住んでいた三人には、全てが大きく、輝いて見えた。


「わあ……」


「凄い活気だな……」


 思わず声を漏らすアレンとジーク。


 カノンも知らない景色にはしゃいでいる。


「綺麗な街ですね、勇者様!」


「ゆ、勇者様!?」


 カノンの言葉を聞き、女性が驚きよく通る声を上げる。


 ミネの村からアレン達より早く情報が街に届いていたのだろう。


 その声を聴き、住民達が一斉にこちらを振り返る。


「勇者様だって!?」


「あのミネの村の魔物を倒した勇者様か!」


「間違いない、我らの救世主、勇者様だ!!」


 住民達が次々と集まって来て、アレンをあっという間に取り囲んでしまう。


「わあ、凄い歓声……」


「勇者って、凄いな。人気者だ……」


 ジークとカノンは取り残され、驚いた表情でそれを見つめている。


 勇者が来たと知り、町長とその娘もやって来た。


「よく来てくださいました、勇者様! ミネの村の件は、本当にありがとうございました!」


「おかげで私達は救われました、本当にありがとうございます!」


「いえ、そんな……困っている人を放っておくなんてできませんから」


「おお、さすが勇者様……」


「お優しいのですね、勇者様!」


「いえ、そんな事……」


 褒められ照れ臭そうにアレンは頬を掻く。


「お礼にぜひお宿をご用意させてください!」


「このジュビリアム一の宿をご用意致しますわ!」


「ささ、こちらに!」


「え、ちょ……!」


 町長と娘はそのままアレンの背中を押して宿へと連れて行こうとしてしまう。


 アレンは予想以上の歓迎に、戸惑いながら案内される。


 そんなアレンの様子を見て、苦笑しながらジークとカノンもついて行くのだった。


「勇者様、こちらのお宿になりますぞ」


「!?」


 町長の指した宿屋を見てアレンは目を丸くする。


 それは、宿屋というより貴族の住まう豪邸だった。


 ようやく追い付いて合流したジークとカノンもポカンと口を開けている。


「如何でしょう? お気に入り頂けたでしょうか?」


「は、はい……凄く、立派なお宿ですね……」


「噂には聞いていたが……すげぇ……」


「綺麗!」


「お気に入り頂けたようで幸いですわ!」


 しかし、三人にある不安が過る。


 宿泊料である。


 ジュビリアムの街は宝石を購入するようなお金持ちをターゲットにしている店が多い。


 それを知らなくても、この宿が高い事は考えずとも分かるだろう。


 ジークはすぐさま所持金の確認を始める。


 カノンはこっそり貯めていたへそくりの確認をする。


 そしてアレンは、恐る恐る町長に尋ねた。


「これだけ立派という事は、宿泊代って……」


 断る覚悟を決めつつ返答を待つと、町長の口からとんでもない言葉が飛び出した。


「ああ、勿論タダでございます」


「……えぇっ!?」


 三人は同時に声を上げる。


 タダ、タダ、タダ……


 三人の頭の中にエコーのように響き続けるこの二文字。


「た……タダで泊まって良いんですか!? こんな豪邸に!!?」


 アレンが思わず聞き返す。


 それを見ながら町長と娘は


「救世主の勇者様からお金をもらうなんてできませんよ」


と笑う。


「いや、でも……」


 想定外過ぎる事態に、アレンは目を回す。


 するとジークとカノンはアレンの耳に口を寄せこっそり伝える。


「勇者様、ここはお言葉に甘えましょう!」


「そうそう、これから道具や武器も揃えなきゃいけないし……な?」


 アレンは申し訳なく思いながらも、二人の言うことも最もだと首を縦に振ることに決めた。


「じゃあ、お言葉に甘えて……ありがとうございます」


「いえ。ではお部屋は一〇三ですので、ごゆっくりどうぞ」


「ありがとうございます」


 アレンは町長から部屋の鍵を受け取る。


 そのときには、カノンの姿はどこかに消えていた。


「あれ、カノンは?」


「え? あれ、さっきまでここに居たんだが……」


 アレンとジークが見回すと、


「ありましたよ、一〇三号室!」


とカノンが宿屋の入口からこちらを覗いている。


 町長が部屋番号を言ったその瞬間には部屋を探しに宿屋の中に入っていたのだ。


「速っ!?」


「ふふ、野宿嫌がってたもんね、カノン」


 二人はカノンに連れられ部屋へと向かう。


 そして、鍵を開け、中に入ると……


「わあ……!」


「おお……!」


「すごーい! ひろーい!!」


 外観に負けず劣らず豪華な作りになっていた。


 フカフカの豪華なベッドが三つ並び、花瓶には美しい花。


 壁には腕利きの画家が描いたのであろう、美しい娘の肖像画が飾られている。


 絨毯は、王族が歩くような真っ赤なものだ。


「予想以上だな……」


「本当にタダで良かったのかな?」


 部屋を見回しながら思わず呟く二人。


 カノンは、はしゃいで部屋の中を走り回っている。


 そして、大きな窓から外を見て声を上げる。


「わあ! 二人共見て! 街の様子が見えますよ!!」


「あ、本当だね」


 アレンはそれを見て窓を開けてみる。


 すると、街の活気溢れる声が聴こえてくる。


 クルティの町も賑やかだったが、それより人も店も多く、一層賑やかだ。


 静かな村で暮らしていた三人にとって、それはやはり新鮮な光景だった。


「賑やかですね、色んなお店があって……」


 カノンは目を輝かせて言う。


 カノンはずっと、こう言った賑やかな所謂『都会』に憧れ続けていたのだ。


「あ、そうだ! 皆で街を観光しませんか!?」


 手をパンッと合わせ、名案だと言うようにカノンは笑う。


「良いね、行こうよ!」


 アレンも楽しそうだと相乗りする。


 しかし、ジークだけは首を横に振った。


「俺はパス」


「えっ?」


「お兄ちゃん、どうして?」


「俺、うるさい所苦手なんだよな」


 アレンはそれを聞いて、そうだったっけと残念そうにする。


「だから……二人で行って来いよ。俺は、そうだな……街の外に出てるよ」


 ジークはそう言うとそのまま部屋を出て行ってしまった。


「あ、行ってらっしゃい! ……ジークも一緒に来れたら良かったのにね」


 ジークの背中を見送って、アレンは寂しそうに呟いた。


 カノンはそんなアレンを見て、兄の自分勝手な行動に頬を膨らませた。


「本当ですね! 全く、お兄ちゃんも人付き合い悪いなあ」


「まあ、嫌いなら仕方ないよ。無理について来てもらうのも悪いしね。二人で行こうか」


「はい!」


 あれが好きな女の子に対する態度か、あのバカ兄。


 カノンは知っていたのだ。


 ジークが実は、幼い頃からアレンに好意を寄せていた事に。


 アレンは鈍感で全く気付かないし、ジークもなかなか行動に出ない。


 隙あらば二人を近付けようと頑張っているが、本人があんな態度じゃどうにもならない。


 そっちがその気なら、もう知らないんだからね! お兄ちゃんのバーカ!


 そう心の中では悪態をつきながらも、勇者様に罪は無いと笑顔で返事をする。


 そして、カノンはある計画を実行に移す事を決意した。


「あのー、勇者様。今日くらい女の子としてお出かけしてみませんか?」


「……え?」


 勇者になると決まってから、アレンはずっと男装を貫いている。


 けれど、クルティの町でドレスに見惚れていたように、本当は女の子らしいところもある。


 無理をしているのではないかとカノンは心配していたのだ。


 こんな華やかな街に来れたのだから。アレンは女じゃないだの煩くする祖父も居ないのだから。


 今日くらい無理せず本当の自分を曝け出しても良いかと思ったのだ。


 ……あと、兄に女の子らしい勇者様を見せてあげたら少しは関係も進むかなと思っていたが、この際そんな事知ったものか。


「ずっと男のフリをして疲れてるかと思って! ただでさえ命懸けで戦ってらっしゃるのに、ずっと自分を偽り続けるなんて……」


 カノンの予想外の提案に、アレンはポカンとしてしまう。


 しかし、カノンの思いを聞くと、嬉しいような困ったような、複雑な表情をした。


 思いやりは有難いけれど、それはできぬ事だと思っていたからだ。


「カノン、ありがとう。でも、僕は平気だし……」


「私が平気じゃないんです!!」


 アレンの声を遮りカノンが声を上げる。


「健気に運命に縛られ続ける勇者様を見ていると、胸が締め付けられるんですよ!! と、言う事で! 勇者様に拒否権はありませんよ! 絶対に女の子になってもらいます!!」


 まるで演劇役者のように大袈裟にポーズを取りながらカノンは言う。


 勇者様にはこれくらい強引にいかないと。


 それがカノンの持論だった。


「いやいや! そもそも女の子の服なんて持って来ていないし、バレたらまずいよ……」


 カノンはフッと口角を上げる。


 言うと思いましたよ、勇者様。


「こっそり抜け出すんですよ! それに、お洋服ならこちらに」


「えっ?」


 首を傾げるアレンを余所に、カノンは道具入れの中を漁り始める。


「えっと……あ、あった! じゃーん! こちらを着て変装すれば問題ないですよ!」


「あ、このドレス……」


 カノンが取り出したのは可愛らしいドレスだった。


 アレンにはそのドレスに見覚えがある。


「そう、勇者様がクルティの町で見とれていたドレスです! お兄ちゃんがこっそり勇者様にと買ってたんですよ」


「え、ジークが?」


「はい!」


 ジークもカノンと同じく、アレンが無理をしているのではないかと心配していたらしい。


 だから、いつか着る事ができるようにと、こっそりアレンの為に買っていたのだ。


 まさか、着る日がこんなに早く訪れるなんて思ってもみなかっただろうが。 


「ジーク……ありがとう」


 アレンは嬉しそうに目を細め、呟いた。


 ジークが、そんな風に自分の事を気に掛けていてくれた事が有難くて嬉しかった。


「全く、勇者様のドレス姿見せてあげようと思ったのに……馬鹿だなあ、お兄ちゃん」


 思わずカノンは呟く。


 こんなに可愛らしい勇者様を見られないなんて、可哀想。


 でもあんな態度だったんだから、自業自得よね。


「何か言ったかい?」


「!」


 アレンに声を掛けられ肩が跳ねる。


 声を掛けた本人は不思議そうに首を傾げている。


「な、何でもないですよ、アハハ……」


 カノンは誤魔化すように笑うが、アレンは相変わらず不思議そうに首を傾げている。


 慌てて話を逸らそうとカノンはアレンの服に手を掛けた。


「さ、さ! 早く着替えちゃいましょう!」


 そのままアレンの服を脱がしに掛かる。


「わっ!? ま、待ってカノン! 自分で脱げるから! ちょ、ま……やめてー!」


 アレンが先程の事を気にできなくなったところ、カノンの話を逸らす作戦は一応成功したようだった。






「うーん……やっぱり変じゃないかな?」


「よくお似合いですって!」


 アレンとカノンはこっそり宿を抜け出して、ジュビリアムの街を歩いていた。


 ドレスを纏い、カノンに髪をセットしてもらったアレンは、勇者と言われなければ分からぬ程別人に変身していた。


 街の人々には、可愛らしい少女二人が歩いているようにしか見えないだろう。


 しかしアレンは、少し不安気だった。


 十年も女の格好をしていないものだから、自分には似合わないと思っているのだ。


「でも……こんな大きなリボン、僕には似合わないよ」


 カノンが着けてくれたリボンにそっと触れながら言う。


 するとカノンは


「可愛いですってば! それとも、私のヘアスタイルセンスが信じられませんか?」


とアレンの顔を覗き込む。


「い、いや! そう言う訳では……!」


 カノンはオシャレが好きで、よく可愛い服を欲しがったり、新しい髪型の研究をしていたのはアレンもよく知っている。


 そんなカノンのセンスを信じられない訳が無い。


「ふふ、じゃあ自信持ってください! ね?」


「……うん!」


 カノンが笑うとアレンもつられて笑った。


「えへへ……! あ、見てください! 美味しそうなお菓子屋さんがありますよ!」


 カノンはそう言うとお菓子屋に駆け出す。


「あ、待ってよ!」


 アレンも、年相応の笑顔でそれを追いかけた。


 二人は飲み物や食べ物を買って食べ歩いたりしながら街を行く。


 途中、武器屋に寄ろうとしたアレンをカノンが引き留めたり、可愛い小猫と戯れてみたり。


 この華やかな街の中では、アレンもカノンも魔王を倒す旅の途中だと言う事を忘れてはしゃいでいた。


「ここのお店の葡萄ジュース美味しいですね!」


「うん、そうだね」


 緊張も解け、アレンが素の姿に戻ってきた時、カノンはある話題を持ち出した。


「そういえば……勇者様って、お兄ちゃんの事はどう思ってるんですか?」


 実は気持ちがすれ違っているだけだったりして、と淡い期待をしてみるカノン。


 まあ、それはなくとも少しでも今後の役に立てばと思った。


「えっ? 突然だね……」


 アレンはキョトンとするも、少し考えてから答える。


「ジークの事は良い仲間だと思っているよ。強いし、尊敬もしてる」


「そ、そうなんですか……」


 勇者様の方にはその気は全く無さそうね。


 カノンは兄が気の毒に思えて、思わず笑みが引き攣ってしまった。


 アレンはそれを見て不思議そうに首を傾げている。


「いらっしゃいませー、いらっしゃいませー。綺麗な宝石がいっぱいありますよ? 如何ですか? 貴方を守る厄除けの宝石、運を引き付ける強運の宝石、貴方の恋をお助けする縁結びの宝石、色々ありますよー」


 そこに、女性の高くよく通る声が響く。


 見ると、綺麗な金髪をポニーテールにした女性が、人々に呼び掛けている。 どうやらすぐそこの宝石屋の客引きのようだった。


「縁結び……!」


 これを聞き逃すカノンではない。


 ちょっとした験担ぎにしかならないとしても、これで勇者様とお兄ちゃんの距離が縮まれば……!


「勇者様、あの宝石屋さんに寄りましょう!」


「え、カノン!?」


 カノンはアレンの手を引きその女性の元は向かう。


 アレンも手を引かれながら着いて行く。


 こちらにやって来た二人に気付き、女性は優しく微笑む。


「あらあらいらっしゃいませー、どのような宝石をお探しかしら?」


カノンはアレンの手を握ったまま女性に尋ねる。


「ゆうしゃさ……じゃなかった。こちらのお姉さまに似合う縁結びの宝石ってありませんか?」


「え、縁結び?」


 アレンは思わずポカンとする。


 しかしそんなアレンを余所に、カノンと女性は話を進める。


「あらあら、気になる人でも居るのかしら?」


「えっ、いや、ぼく、じゃなくて私は……」


「そうなんですよ!」


「え、ちょ、カノン?」


「何か可愛いのありませんか?」


「ねえ待って?」


 アレンが口を挟もうとするもカノンは何処吹く風。


 女性も気付いているのか気付いていないのか、どんどん話を進めていく。


「ではこちらの指輪は如何でしょうか? 想い人へと気持ちを伝え、絆を結ぶと言われております」


 それはシルバーのリングに、鮮やかな緑色をした宝石ついている指輪だった。


 様々な個所に細工が施され、とても美しく立派だ。


 その輝きに、思わず目が眩んでしまいそうだった。


 アレンはそれに目を丸くする。


 とても綺麗で美しいけれど、これが自分に似合うとは思えなかった。


「わ、私にこんな素敵なの、似合わないですよ……!」


 思わず首を横に振るアレン。


 けれど女性は優しく微笑みながら


「いえいえ、とってもお似合いになると思います」


と勧める。


「そうです、よく似合うと思います!」


 カノンも女性と同じようにアレンに勧める。


「そ、そうかな……?」


 二人に似合うと言われ、アレンは頬を掻く。


 そして、折角の機会だし、と指輪を買う事を決めた。


「じゃあ、買います」


「お買い上げ、ありがとうございます! こちら、五千ジェールになります」


 ジェールと言うのはお金の単位だ。


 森で魔物を沢山倒したからお金はそれなりに貯まってはいるが、指輪一つに五千ジェールは……


「うー……なかなかのお値段……」


 財布の中身を見ながらカノンは思わず呟く。


 すると女性はそれを聞き、考える。


「ですが……そうですね。折角なので、千ジェールに値引きしますよ」


「えぇ!?」


 思わずアレンとカノンは声を上げる。


 五千ジェールが五分の一の千ジェールに……


 半額以下だなんて。


 想定外の値引きに、思わず焦ってしまう。


 そんな二人を見て、女性はフフッと優雅に笑う。


「貴女の恋の成就をお祈りして、ですよ」


 その女性は美しい顔で、更に美しい笑顔で言う。


 しかし、その直後、女性は静かな声で小さく呟いた。


「そして、貴女の滅びを祈って、ね」


「!」


 アレンの耳は、賑やかな街の音の中からその小さな声を拾った。


 何を言っていたのかまでは聞き取れなかったが、背筋が凍るような、そんな恐ろしい声だったのは分かった。


 しかし、その声に気付き女性の方を見ると、女性は相変わらず綺麗な笑みを浮かべているだけだった。


「あの、何か……?」


「? どうか致しましたか?」


 アレンが訊いても女性は笑顔で首を傾げるだけだ。


 ……気のせいだろうか。


 アレンは違和感を感じながらもそれを飲み込んだ。


「いえ、何も……」


「では、千ジェールになります!」


「あ、はい……」


 アレンは女性に千ジェールを払う。


 きっと気にする程の事でもないのだろう。


 そう自分に言い聞かせ、気にしないように店を去る。


「毎度、ありがとうございましたー!」


 女性は二人の背中が見えなくなるまで見送る。


 そして、二人が見えなくなると、怪しい笑みを浮かべてまた呟いた。


「その指輪を買った事、後悔させてあげるわ……」






「お得な買い物しちゃいましたね!」


「うん。本当に良かったのかな?」


「良いんじゃないですか? あちらから値切ってくれたんですし!」


 アレンとカノンは買った指輪を見ながら歩いていた。


 指輪は、見れば見るほど美しく輝いて見えた。


 特に宝石の鮮やかさには、目を見張るものがある。


「ほら、付けてみてくださいよ!」


「うん!」


 カノンに言われ、アレンは指に指輪を嵌める。


 ちゃんと確認した訳でもなかったのに、指輪はアレンの指にぴったりだった。


 身に付けて見ると、更にその輝きは増して見える。


「わあ、やっぱりよくお似合いです!」


「えへへ、そうかな?」


 アレンとカノンは指輪を見ながらキャッキャッとはしゃぐ。


 そんな二人を、睨み付ける一つの影。


「あの女が身に着けてるのって、絶対高価な物だよな……特にあの指輪、一体いくらするんだよ……金恵んで欲しいぜ、くそぅ」


 その影は、街の路地裏で生活しているホームレスだった。


 このジュビリアムの街は、ここ数年で一気に繁栄した。


 しかし、繁栄の波に乗れなかった者は落ちぶれ、華やかな街の陰で貧しく苦しい生活を強いられている。


 それが、誰も目を向けようとしない、この街の現実だった。


 彼にはアレンとカノンがとても輝いて見えた。


 特に、あの指輪。


 絢爛豪華な輝きに、妬ましさすら覚える。


「ウフフ、羨ましいの?」


「ん?」


 誰かの声で彼は振り返る。


 するとそこには怪しい笑みを浮かべたあの女性が立っていた。


「豪華な物を身に付けはしゃぐ女共。なのに自分は食べる物も、着る物も、住む所も無い……羨ましいわよね……?」


 女性がそう言って笑うと、右手の甲の宝石が輝き始める。


 彼は緑の光に目が離せなくなった。






「そろそろ宿屋に帰りましょうか」


「そうだね。ジークも宿屋に戻ってるかも知れないし」


 その頃二人は宿屋に戻ろうとしていた。


 来た道を戻ろうと振り返る二人。


 しかし、突然強い殺気を感じたアレンは咄嗟に地を蹴り飛び退く。


 その次の瞬間、アレンが居た所に剣が振り下ろされ、地に突き刺さった。


「きゃあ!?」


 隣に居たカノンもそれに驚き、慌ててアレンに駆け寄る。


「大丈夫かい、カノン!?」


「は、はい!」


 平和な街に突然振り下ろされた刃。


 それは、たちまち人々をパニックに陥らせる。


「キャー!!」


「何だ!? 何が起きたんだ!!」


「助けてー!」


 悲鳴が響き、逃げ出す人も居れば何事か見ようと近寄って来る人も居る。


 街は騒然とした。


「一体何なんですか!」


 カノンは剣を振り下ろした人物を振り返り叫ぶ。


 アレンもカノンを庇うように立ち、その人物を見据えた。


「羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい……」


「えっ……!?」


「な、何? この人……」


 剣を振り下ろした人物は、あのホームレスの男だった。


 ブツブツ羨ましいと呟きながらアレン達を睨み付ける。


 その目は、正気な人間のものでは無かった。


 妬みや恨み、そのような感情が込められ、闇に染まっている。


 アレンとカノンは、その目を見て思わず顔を顰めた。


 その妬みや恨みが、自分達に向けられているのは明白だったからだ。


 二人の背筋を、冷たい刃を当てられたような寒気が走る。


 嫌な予感がする。


 そして、その予感は当たってしまった。


「そんな豪華な指輪なんかして! そんな綺麗な服を着て! 金なんて腐る程持ってるんだろう!? 寄越しやがれ!!」


 男はアレンとカノンにまた剣を振り下ろす。


 二人は慌ててそれを躱す。


「カノン、君は周りの人と安全な所に逃げて!」


 アレンはカノンに叫ぶ。


 しかし、カノンはアレンの身が心配でそれを躊躇う。


「で、でも!」


「僕は大丈夫だよ。それよりも、街の人達を頼む!」


 アレンはカノンを安心させようと笑って見せる。


「っ……はい!」


 カノンは、やはり心配に思いつつもその笑顔を信じて街の人々を導き始めた。


「皆さん、こちらへ避難してください! 巻き込まれますよ!!」


 カノンの誘導に従い、街の人々は避難して行く。


「……よし」


 アレンはそれを見て安心する。


 だが、自分の身の危険が消えた訳では無い。


 持っている武器は護身用の短剣のみ。


 今逃げても、きっと追いかけて来るだろう。


 そうなると、逃げた先に居る人々を危険に晒してしまう。


 ここで、自分が何とかするしか無かった。


「うおらぁっ!!」


「くっ……!」


 男が振り下ろした剣を身を翻し躱す。


 しかし、普段とは勝手が違い体のバランスを崩しかける。


 普段は動きやすい服装にブーツを履いているが、今はドレスにヒール。


 予想以上の動きにくさに、苦戦するアレン。


 いつものように身軽に動き回る事が出来ず、少しずつ追い詰められていく。


「どりゃあ!!」


「っ!?」


 男の剣がドレスのスカートを斬り裂いた。


 確実に躱したつもりになっていたアレンは、その衝撃に、思わずよろける。


 自分の為にとドレスを買ってくれたジークの顔がふと頭を過った。


「ドレスが……!」


「斬り刻んでやる! 妬ましい、妬ましい!!」


 ドレスだけならず、アレンの全てを斬り刻もうとでも言うのか、男は攻撃の手を止めない。


 アレンも必死に応戦するが、思ったように戦えない。


「でりゃあ!!」


「あっ!?」


 アレンの短剣が男の剣に弾かれ宙に舞う。


 そして、二人から離れた所に落ちる。


 完全に、丸腰になってしまったアレン。


「まずい……!」


 短剣を拾おうとその場から一度離脱しようするが、男はそれを許してはくれなかった。


「おらあ!!」


「きゃあぁ!!」


 意識が逸れた瞬間、男の剣がアレンを斬りつける。


 それをもろに喰らったアレンの軽い身体は、その衝撃で飛ばされ、そして地面に叩き付けられた。


「ガハッ! ぐ、ぅ……!!」


 大ダメージを受けたアレンは地に伏せ痛みに呻く。


 男はそんなアレンに一歩ずつ近付いて来る。


「金目の物寄越せ……羨ましい、くれ……くれ……」


「っ……!」


 アレンは何とか起き上がり、逃げようとする。


 しかし。


「痛ッ!? あ、足が……!」


 アレンの右足首は、真っ赤に腫れ上がっていた。


 痛くて立ち上がることが出来ない。


 先程斬り付けられた衝撃で挫いたか、地面に叩き付けられた時に捻ったのか。


 しかし、そんな事を気にしている場合では無かった。


 男はアレンに近付き、その手首を強く掴む。


「くれよ、なあ?」


「ヒッ……!?」


 痛みも相俟ってか、アレンは強い恐怖感に襲われた。


 殺されるより、もっと惨い事をされる気がしてならない。


 身体中を悪寒が駆け回る。


 息が上手く出来ず、男が大きく見える。


「嫌ッ!! 触らないで!!」


 手を振り払おうとするが傷が痛んで力が出ない。


 痛い程の力で握られた手首が軋む。


 男はアレンを舐め回すように見る。


 斬り裂かれたドレスから覗く白い脚。


 綺麗に整い、金に輝く髪。


 大きな青い瞳。


「なんだ、お前自身も金になりそうじゃないか……この際、お前の全て俺の物にしてやろうか……」


 男は厭らしくニヤニヤと笑う。


 アレンはもう声も出なかった。


 体の震えが止まらない。


 恐ろしくて、力が入らない。


「誰か……助け、て……」


 声にならない声がポツリと零れた。


 次の瞬間。


 ザシュッ、と肉を斬り裂く音が響く。


「……え……?」


 その音に、顔を上げるアレン。


 自分の手首を掴む力が無くなる。


 男は血を流しながらバタリと倒れた。


 そして、


「アレン、大丈夫か!?」


「じ、ジーク!!」


 聞き馴染みのある、あの声。


 男を斬り裂いたのは、ジークだった。


 街の外から帰って来た時に騒ぎを知り、駆け付けたのだ。


 アレンは強張った体から力が抜けるのを感じた。


 息苦しさも、ジークの顔を見たら消えていく。


「酷い怪我……」


 ジークはアレンの傷を見て眉間に皺を寄せる。


 しかし、アレンは痛みを堪え心配させまいと笑う。


「平気だよ、これくらい……」


「……」


 ジークはそれを見てそっと傷に触れる。


 そうされるとアレンは思わず痛みに声を漏らした。


「痛っ……!」


「平気じゃないだろう!」


 思わず叱りつけるように声を上げるジーク。


 それでもアレンは平気だと言い張る。


 しかし、そんなアレンの言葉を否定するように、傷口からは血が溢れ続けている。


「全くお前は……!」


 ジークは呆れたように言うとポーチから布を取り出し簡単に止血する。


 そして、ヒョイとアレンを抱き上げてしまう。


「わっ……!?」


 思わず驚くアレン。


 こんなボロボロじゃなければ、きっとお姫様を抱き上げる王子様のような図になっていたのだろう。


「ほら、カノンに診せに行くぞ。」


 そう言うとジークはアレンを抱き上げたまま歩き始めた。


「ちょ、ちょっと! ジーク! 自分で歩けるから! ジーク!!」


「だーめーだ! 全く、お前はいつも無茶をして……!」


 アレンを叱りつけながら、ジークは宿屋へと戻って行った。






――……


 街の路地裏、建物の陰。


 そんな一部始終を見つめていた女性。


「……また失敗、か」


 彼女は静かに呟く。


 そして怪しげに、口角を上げた。


「でも、良いもの見つけちゃった……フフフ」






「大丈夫か、アレン? もう、痛くないか?」


「大丈夫だよ。さっきカノンに治してもらったし……それに、ジークが助けてくれたから。ありがとう」


「ああ……」


 ジークに部屋に運ばれてから、カノンの治癒魔法でアレンは全快した。


 斬り付けられた傷は癒え、挫いた足も、もう痛まない。


 その後カノンは町長の呼び出しに応え出て行ってしまい、今部屋にはアレンとジークの二人だけ。


「あのさ、ドレス、着てくれてありがとうな」


「そんな、折角買ってくれたのに、ボロボロにしちゃって、ごめんね……」


「いや……」


「……」


「……」


 普段とは違った相手のあの格好のせいなのか。


 お姫様のように抱き上げられ救われたせいなのか。


 それとも別の何かか。


 何故か二人の口数は減り、部屋を沈黙が包む。


 その沈黙が気まずくて、アレンが口を開く。


「ジーク、あのさ」


 と、次の瞬間。


「勇者様、お兄ちゃん! 聞いてください!!」


 遮るように、突然扉が勢いよく開く。


 そして、扉を開けたカノンの元気過ぎる声が部屋に響いた。


「えっ?」


「ん?」


 ――……。


「ぼ、僕達のための宴!?」


 カノンの話にアレンは思わず声を上げる。


「そうなんですよ、町長さんが開いてくれてるそうでして!」


 カノン曰く、ミネの村、そしてこのジュビリアムの街を救った勇者を称え、魔王を無事倒せるよう健闘を祈って宴を開催するそうなのだ。


 宴や祭りが好きなカノンは目をキラキラさせながら話す。


 参加したくて仕方ないのだろう。


「ここは勇者様も参加しましょう、ね?」


「で、でも……」


 予想以上の歓迎に、思わず戸惑うアレン。


 すると、ジークがそっと口を開く。


「良いんじゃないか? 参加しようぜ」


「え……?」


 思わずキョトンとジークを見るアレン。


 するとジークはそれを見て苦笑する。


「アレン、どうしたんだよそんな顔して」


「い、いや、ジークはこういう賑やかなの苦手だって言ってたから……」


「まあ、たまには良いかと思ってな。ほら、この街を出たら、命懸けの旅の再開なんだ。楽しめるときに楽しんどかないとな」


 ジークの言葉に強く頷くカノン。


 アレンはそんな二人を見て少し考えてから、首を縦に振った。


「それもそうだね。参加しようか」


「やったー!! 早速行きましょう、もう始まってるそうですよ!」


 はしゃいで駆けて行くカノンに、それを見て微笑んでいるアレン。


 そんな微笑ましい二人に対し、ジークだけは、何故だか難しい顔をする。


「……ジーク? どうかしたのかい?」


「!」


 アレンに声を掛けられジークはハッとする。


 ジークの様子がおかしい事にアレンは気付いていた。


 それが何故かまでは分からなかったが、心配に思っていたのだ。


 しかしジークは


「何でもない、気にしないでくれ」


と言ってそのまま部屋を出て行ってしまう。


「うん、分かった……」


 気になるけれど、無理に聞き出すのもジークが嫌がらせるだけだろう。


 アレンはそう思い、それ以上の追及はせず、追って部屋を出た。


 ……部屋に、静寂だけが置き去りになった。






 アレンとジークが宿屋から出てみると、いつの間に用意したのか様々な色のランプが、日も落ちて暗くなり始めている街をカラフルに彩り照らしていた。


 楽器を演奏している者、歌を歌う者、踊る者、話す者、食す者、笑う者……


 様々な人々の音で、街は溢れかえっている。


「わあ、さっきよりもっと賑やかになってるよ!」


「本当、凄い賑わってるな……」


 その賑やかさに、アレンとジークは驚き声を漏らす。


 そんな二人を見て酒を嗜んでいた男性は、大きな声を上げた。


「勇者様だ! 勇者様がいらしたぞ!!」


 すると、それを聴いた他の人々がアレンに近付いて来る。


 そして、あっと言う間にアレンを取り囲んでしまった。


 沢山の人に囲まれ身動きが取れなくなり、困ったような顔をするアレン。


 アレンの隣から弾き出されてしまったジークは、それを見て思わず苦笑する。


「ささ、勇者様こちらへ! 皆が待っています!」


 人々はアレンを取り囲んだまま移動しようとする。


 アレンはジークの事を気にしてその名前を呼ぶが、ジークは


「ハハ、人気者だなぁ……ほら、行って来い!」


と笑って手を振った。


「え、えぇ……!?」


 気の抜けた声を出しながら、アレンは人々に連れて行かれる。


 取り残されたジークはそれをぼんやりと見つめる。


「……本当、人気者だな……」


 小さく、寂しげに言葉を漏らすと、ジークはその場を後にする。


「! ジーク……」


 その背中を見つけたアレンは、ジークを心配に思うも人々に阻まれ、それを呼び止めることは出来なかった。






「勇者様がそんなに偉いのかよ……」


 街の外れ、宴の賑やかな音も遠く聞こえ、薄暗い場所で、ジークは小さく呟いた。


 ミネの村で感じた違和感、だんだん大きく膨らみ続けた醜い感情。


 抑え付け、隠していた思い。


 誰に言うでもなく、口からポツリと零れた。


「あらあら、燻っている嫉妬心を持っているのね……」


「っ!?」


 すぐ後ろから聞こえた声に、思わず肩が跳ねる。


 誰も居ないと思っていたのに。


 慌てて後ろを振り返るジーク。


「フフ、ごきげんよう。付き人様」


 すると、そこには笑みを浮かべたあのポニーテールの女性が立っていた。


「お前は……?」


 驚き早鐘を鳴らしている鼓動を抑え付けながら、ジークは声を絞り出し尋ねる。


 そんな動揺するジークとは裏腹に、落ち着いた声で女性は笑う。


「街にある宝石屋で働いている者です。看板娘なんですよ」


 女性はスカートの裾を摘み、可憐に礼をする。


 ジークはそれを見るとすぐにそっぽを向く。


 女性に恨みがあるわけでも、嫌っているわけでもないのだが、優しく接する余裕は今のジークには無いようだった。


「そうか。……良いのか? お前は勇者様と話さなくて」


「……何か悩み事を抱えているのね」


 心配するような、けれど何処か裏のありそうな表情で女性はジークの顔を覗き込む。


「っ、何でもない……!」


 ジークは顔を見られるのが嫌でまた顔を逸らす。


 しかし、女性は特にそれを気にする様子もなく、顔を逸らしたジークに言葉を投げかける。


「大方、勇者様に嫉妬している……ってところかしら?」


「っ……!?」


 完全に正鵠を得た言葉に、ジークは思わず目を見開き、顔を上げる。


 心の内を読まれたような、居心地の悪さを感じた。


 そんなジークの様子を見て、女性はクスリと笑い、続ける。


「ミネの村で大猿の魔物を倒してから、このジュビリアムの街に来るまで、称えられているのは勇者様ばかり。その事に不満を感じているように見えるけど?」


「そんな事……だって、アレンは勇者で、勇者って言うのは、魔王を倒す存在だから、称えられて当たり前で……」


 ……気持ちが悪い。


 ジークは不快感に冷や汗をかきながら反論する。


 それは、自らに言い聞かせているようにも聞こえた。


 しかし、そんなジークに追い打ちを掛けるように女性は言葉を投げかける。


「でも、あの大猿の魔物を倒したのは、さっき危険な目に遭っていた勇者様を救ったのは、貴方じゃない」


「!? お前、どうしてそれを……!?」


 ミネの村にはこんな女居なかった筈だ。


 このジュビリアムの街で働いているのなら、この女がミネの村の魔物を倒した現場を見られた筈ない。


 しかも、あの時、ドレスを着たアレンを助けた時に周りに人は居なかった筈だ。


 全て、ただの宝石屋の女が知る事が出来る訳が無い事だ。


 なのに……この女は何故か知っている。


 ジークは、女性に強い脅威を感じた。


 そんなジークの表情を見て、女性は口角を上げる。


「赦せないよねぇ? 納得いかないよねぇ? おかしいよねぇ?」


 女性の言葉は、ジークの心を追い詰めていく。


 ジークは動揺し、だんだん混乱していく。


「何、言ってやがる……!」


 声が、手が、足が、瞳が、そして心が、大きく震える。


 しかし、やはり女性は容赦はしない。


 更に、言葉でジークを追い込んでいく。


「貴方は勇者に嫉妬している。年下のくせに、女のくせに、俺より弱いくせに、何故アイツばかりがちやほやされる……ってね」


「違う! そんな事……」


 声を荒げ反論を試みるジーク。


 しかし、女性はそれを遮りまた言葉を投げる。


「違わないわ! 貴方は勇者に嫉妬している! 劣等感を感じている。妬んでいる。……憎んでいる」


「っ、やめろ! 違う!! そんな事思っていない!!」


 ジークは最早悲鳴のような声を上げた。


 頭を抱え、苦しみ蹲る。


 それを見て女性はニタリと口角を上げた。


「我慢しなくて良いじゃない! 抑え込まなくても良いじゃない! 全て、曝け出せば良いじゃない!!」


 まるで演劇の舞台のように、大袈裟で芝居じみた口調で叫ぶ。


 その声の気迫に、ジークは蹲り震える事しか出来ない。


「うるさい、黙れよ……!」


 今にも泣きだしそうな声で抗う。


 それも、無駄な足掻きだったが。


「なら、自分の心の声を聞いてみたらどう?」


 女性はそう言うと右手の甲に光る宝石を掲げる。


 すると、その宝石は輝き、光を放ち始めた。


 それは、強力な闇の魔力が放つ光だった。


「っ!? な、何だこの宝石……!?」


 ジークは光に驚き、顔を上げる。


 すると、話している訳でもないのに、ジークの声が響いた。


『どうしてアイツばかりが……何故? あんな奴より、俺の方が……』


「なっ……!?」


 自分の口からでは無く、直接脳内に響いたような自分の声。


 それに驚き、ジークは言葉を失う。


 そんな様子を見た女性は、頼んでもいないのに解説し始める。


「この宝石は本心を暴き、曝し出す力を持つのよ。さあ、魅せてみなさいよ! 貴方の心を! その素晴らしい、嫉妬の心を!!」


 女性の言葉が響き、消え、その場は静寂に包まれる。


 そして、暫くしてから、ポツリポツリと、ジークが言葉を零し始めた。


「……確かに、思ってた……どうして、アイツが勇者なのかって。どうして、勇者ってだけで、皆にちやほやされて、持て囃されてるのかって。一人じゃ、何も出来ないくせに。……俺の方が、よっぽど……」


 ジークはそこで言葉を止めた。


 女性は静かに、しかし確信を突くように、言った。


「……勇者に向いてる?」


 女性の言葉に、ジークは枷が外れたように立ち上がり、声を上げる。


「ああ、そうさ!! あんな奴、俺やカノンが居なけりゃ何にも出来ないじゃないか!! それなのに、アイツは、平然と勇者面かましやがって!!」


 そのジークの言葉に、女性はニヤリと悪意の籠った笑みを浮かべた。


「だったら、なれば良いじゃない! あの勇者の子孫を倒して、貴方が! 新しい勇者に!!」


 ジークはその女性の言葉に目を丸くする。


「アレンを……勇者を倒して、俺が……?」


「……フフッ」


 ジークの言葉に頷くように、女性は笑う。


「あぁ……そうか。なんだ、簡単な事じゃないか。最初から、そうすれば良かったんだ。アレンを……勇者を倒して、俺が新しい勇者になる!!」




「……」


 その頃、アレンは色とりどりの光に照らされながら空を見つめていた。


「勇者様、空ばかり見てどうしたんですか?」


 宴の席に出された豪華な料理を食べながら、カノンが話しかける。


 アレンはチラリとカノンを見ると、また空に視線を戻し、言った。


「空が、曇ってきたから。……明日は雨が降りそうだな、って」


 アレンが見つめる空は、厚い雲が月や星々を隠し、闇に包まれていた。






宴から一夜が明け、アレンは激しい雨音で目を覚ました。


 強い雨が窓を叩き、雷が灰色の雲を駆け巡り、空気を震わせる。


 ……やっぱり雨、降ったんだ。


 そんな事を思いながら、重い瞼を擦る。


 すると、隣のベッドにジークが居ない事に気付いた。


 昨晩も、もう自分がベッドに入った後の遅い時間に帰って来ていた。


 どうしたんだろう?


 まだ寝惚けてぼんやりする頭で考える。


 目を覚まそうとテーブルに置いてある水を飲もうとした時、メモが置いてあることに気付いた。


『アレンへ 街の北の外れで待ってる ジーク』


 確かに、メモにはジークの字でそう書いてあった。


「一体、どうしたんだろう……?」


 ジークの様子がおかしかった事に、関係あるのだろうか?


 何となく、胸騒ぎがする。


 嫌な感覚に、思わず顔を顰める。


 身支度を整えると、そのメモを握り締め街の北の外れへと駆けて行った。


 雨が降っているのもあってか、あの賑やかさは何処へやら、街の人々の姿は殆ど見つけられなかった。


 街の中心から離れれば離れるほど人は更に減っていき、ジークが呼び出した場所には全く人の姿は無い。


 ジークは、独りで雨に打たれて立っていた。


 濡れて額に貼り付く前髪を拭い、アレンはジークに近付くと、その背に恐る恐る声を掛ける。


「……ジーク、どうしたんだい? こんな雨の中、呼び出したりして」


 アレンの声にゆっくりとジークは振り返る。


「ん? ああ……ちょっとな」


 薄く、不気味な笑みを浮かべるジーク。


 アレンはその表情に一瞬眉を顰めた。


 ジークは、そんなアレンを余所に話し始める。


「アレン、お前は良いよな。勇者様勇者様~なんてちやほやされて。羨ましいぜ。ああ、羨ましい」


「えっ……?」


 予想もしていなかったジークの言葉に、アレンは気の抜けたような声を漏らす。


 ジークは言葉を続ける。


「だが、俺達はただの付き人。どれだけ危険を冒し、お前を守っても、ただの付き人だ。日の目を浴びることはない」


 その言葉の棘に、アレンは胸にチクリと痛みを感じる。


 ねえ、どうしてそんな事を言うの?


「じ、ジーク? 何を言って……」


 問い掛けようとするも、ジークはそれを遮り話し続ける。


「でさ。俺、思い付いちまったんだ。お前が消えれば、俺が勇者になれるんじゃないか……ってな」


「っ!?」


 アレンはその言葉に息を呑む。


 近くで雷が落ちた。


 視界が真っ白に染まり、あまりの轟音に一瞬音が消えたような錯覚に陥る。


 雨音が戻って来ると同時に、アレンは眩暈を感じる。


 踏み止まり、震える声を絞り出す。


「じ、ジーク? 何を、言って……?」


 戸惑うアレンの様子に、ジークは不機嫌そうな表情をした。


「だからよぉ! お前が消えれば俺が勇者になれんじゃねえかって言ってんだ。どうせこれから先の街の奴らが、お前の顔知ってる訳じゃねえし。それに、お前みたいな弱い奴が勇者になるより、俺が勇者になる方が皆嬉しいだろう?」


「っ……!」


 ジークの言葉に、アレンは思わず言葉を詰まらせた。


 確かに、自分はまだまだ未熟で、出来るならもっと強い人がなるべきなのだろう。


 その自覚はあった、分かっていた。


 ……けれど、自分が勇者にならなければいけない――血の運命には逆らえない。


 それが、アレンにとっての現実だった。


 それを、大切な仲間に否定され、アレンの心は大きく揺れ動いた。


 ジークはそんなアレンの様子を見て嘲笑する。


「ほら、反論出来なくなった」


 アレンは、揺れ動く心を無理矢理抑え付け、声を上げる。


「だ、だが! 僕は正式な勇者の血を引く者だ!! 僕が」


「血に囚われている時点で時代遅れなんだよ!! いい加減イライラしてんだよ、こんなシステムに!!」


 ジークの言葉に気圧されるアレン。


 他の誰かに自分の存在を否定されても、大丈夫だと思っていた。


 仕方ない事だと、言い聞かせていた。


 けれど、仲間に、親友に……ジークに、こんな風に思われていたなんて。


 アレンは胸を締め付けられる不快感に上手く息が出来なかった。


「っ、ジーク……!」


 苦しさを堪え、名前を呼ぶが、それはジークの心には響かなかった。


 ただの音の並びとして、ただ耳を通り過ぎるだけ。


 ジークは冷酷にも、剣を抜く。


「だからよ、アレン……お前を、殺す!」


「っ!!」


 刃を向けられればまず自らも刃を構えよ。


 訓練で身に付いた動きが無意識に行われ、アレンも剣を構える。


 仲間同士で剣を交える事になってしまった二人。


 心苦しそうにするアレンに対し、ジークは容赦なく剣を振り下ろす。


 アレンは剣で受け止めるが、ジークの大振りの剣の重さで若干後ずさる。


 ジークは躊躇無くアレンに攻撃を仕掛け続ける。


 アレンはそれを躱し、受け止める。


 ジークの攻撃を剣で受け止め、鍔迫り合いの形になると、アレンは叫んだ。


「やめるんだジーク! こんなのおかしい!!」


 しかし、ジークはそれに対しこう返した。


「ああ、おかしいさ! お前だけがこんなに称えられる世界がな!!」


「ぅ……!」


 その言葉と力に圧倒され、アレンの腕から力が抜ける。


 マズい……!


 アレンは慌てて剣を受け流しそこから離れる。


 ジークはそんなアレンに休む間も与えず攻撃を仕掛ける。


 アレンの方が素早さなら勝っている。


 大振りのジークの剣を躱す事は出来ぬ事ではないが、動揺からかいつものように上手く動けない。


 ジークが剣を振り上げた。


 それを受け止めようとアレンは剣を構える。


 しかしジークは、上から振り下ろされる剣を警戒してがら空きになったアレンの腹を思い切り蹴り飛ばした。


「ガハッ……!?」


 予想外の攻撃に、アレンは呻く。


 衝撃で、膝から崩れ落ちる。


 が、アレンは咳込みながらもすぐに立ち上がる。


「へえ……しっかり入ったのにな、もう立ち上がれるのか。それなりに強くはなってるんじゃないか?」


 見下し嗤うジーク。


「くっ、ジーク……!」


 アレンは悲痛に顔顰めながらジークを見つめる。


 ジークは、そんなアレンの表情を見て高笑いする。


「っははは!! 良い顔してるじゃねえか! 痛みと絶望に歪んだ顔!! よくお似合いだぜ、『アイリス』……」


「なっ……」


 ジークの言葉に、アレンは目を見開き凍り付く。


 『アイリス』。


 過去の、本当の、自分の名前。


 幼い頃、決別した弱い自分の名前。


 その名前で呼ばれ、アレンの胸は何か忌まわしいものに締め付けられるように軋む。


 その様子にジークは嗤い、追い打ちを掛ける。


「元々病弱で、体の弱い女のお前が勇者になるなんて無理だったんだよ! 有り得ねえんだよ!! 勇者の子孫だ? そんなの関係ねえ! 弱いお前が魔王に勝てると本気で思ってんのか? 俺達が居なかったら、何も出来ない癖に!!」


「くっ……!?」


 アレンの中で、何かが壊れ始めた。


「違う、違う……! 僕は……私は……!!」


 頭の中がぐちゃぐちゃで、言葉も支離滅裂になる。


 息が乱れ、視界が、世界が歪む。


 混乱し、狼狽するアレンに、ジークはトドメと言わんばかりに言葉を突き刺す。


「それに、勇者になりたくないって、めそめそ泣いてたじゃねえかよ。……ほら、諦めちまえよ。譲っちまえよ。逃げちまえよ! なあ……『アイリス』?」


 それは、傷よりもアレンに痛みを与える物だった。


 アレンは、自分の心を締め付ける物に耐え切れず、叫んだ。


「その名で、私を……呼ぶなああああああぁぁああッ!!!!」


 その声に呼応するように、アレンを中心に強い風が吹き荒んだ。


 風はジークの体を巻き上げる。


「ぐはッ……! っ、魔法!?」


 思いもしなかった事態に、ジークは焦る。


 アレンは力強く、叫ぶ。


「僕はアレンだ、勇者アレンなんだ!! アイリスの名は……もう捨てた!!」


 それは、必死に、自分に言い聞かせるような、切実な叫びだった。


 風は、昂るアレンの感情に応え、吹き荒れる。


 感情による魔力の暴走。


 アレンは、自分の意思で風を、魔力を制御出来ていない。


 幼い子供が悲しい事があると泣く事を我慢出来ないように。


 強い怒りを感じた時、冷静になれないように。


 風はアレンの心の内のままに荒れ狂う。


「こんな強い風、見た事ないぞ……!」


 暴走する風は、ジークも初めて見る程の力だった。


 思わず顔を青くするジーク。


 アレンは、荒ぶる感情のままに、詠唱し始める。


「風の精霊シルフよ、我に力を与え給え……!! 『ブレイヴテンペスト』!!」


 アレンが叫ぶと、強力な風――嵐がジークに襲い掛かる。


 魔力の暴走により、アレンは今まで使えなかった上位の風魔法を発動させてしまった。


 ジークは先程よりも更に大きく巻き上げられ、地面に落下した。


 身体が砕け散りそうな痛みに顔を歪める。


 風の刃で皮膚が切れ、雨に混じって血が滲んだ。


 立ち上がろうにも、痛みが引くまで上手く動けそうになかった。


 そんな痛みに悶えるジークを見て頭が冷えたのか、アレンは大きく息を吐き、一歩ずつジークに近付く。


 ジークは痛みを堪え顔を上げる。


 見上げたアレンの表情は、悲しみを湛えているような、慈悲に満ちた女神のような、優しくも何処か悲しげなものだった。


 ジークはそれを睨み付け、吐き捨てるように言う。


「……なんだよ、さっさと攻撃したらどうだ? 俺は、お前の敵なんだぞ。お前を、殺そうとしてるんだぞ」


 アレンはその言葉に首を横に振る。


「違う! ジークは敵なんかじゃない!」


 その言葉にジークは言葉を失う。


「もうやめようよ。やっぱり僕は、勇者としての運命からは逃れられないし、君も勇者にはなれない。そういう……運命なんだよ。それに、僕は君をこれ以上傷付けられないよ……」


 優しく、アレンは語りかける。


 ジークはアレンをじっと見つめている。


 アレンはそんなジークに精一杯の笑顔で、手を差し伸べる。


「ほら、宿に戻ろう? カノンもきっと待ってるし。手を貸すよ」


「優しんだな、お前は……」


 そんなアレンにジークは目を細める。


 その様子にアレンもホッとしたような表情を浮かべた。


 しかし。


「……だが、」


 それは一瞬の出来事だった。


 肉を斬り裂く、音。


 服を真っ赤に染め滴る、血液。


 腹部に鋭い、痛み。


「えっ……」


 アレンは目を見開いた。


 ジークの剣が、アレンの腹部を貫いていたのだ。


「それはお前の甘さで弱点だよ、アレン」


 ジークはニタリと口元を歪めた。


 そしてアレンから、その刃を引き抜く。


 アレンは膝から崩れ落ちる。


「っ、ガ……!」


 腹を押さえ痛みに悶えるアレン。


 ジークは立ち上がりそれを見下し声を上げ嗤う。


「っ、ははははは!! 馬鹿だなあ、アレン! 本当に馬鹿だ!! 普通あんなところで敵に手を差し伸べるか? 甘過ぎるだろう!! はははっ!!!」


「ぐっ、あ……ジーク……」


 痛みで視界が歪む。


 音が消えていく。


 だんだん意識が遠ざかる。


「はは、アレン。痛いだろう? 苦しいだろう? すぐ楽にしてやるよ……それに、勇者としての運命からも逃げさせてやる。……嬉しいだろう?」


 アレンは答える事が出来ない。


 口からは呻き声しか出なかった。


「まあ、魔王は俺が倒してやるからさ、安心してくれよ?」


 苦しそうに喘ぎ呻くアレンに、剣を振り翳すジーク。


 そんな二人に近付く一つの人影が。


「勇者様とお兄ちゃん、何処に行ったのかしら……?」


 その人影は、二人を探しに来たカノンだった。


 部屋に二人の姿が無かった為、心配して探しに来たのだ。


 そんなカノンは、自分の目を疑う光景を目にした。


 自分の兄が、倒れた大切な仲間に、想い人に、剣を振り翳していたのだ。


「お兄ちゃん……!?」


 カノンは目を見開く。


 そして、考える間もなく走り出していた。


 どうして、勇者様に剣を……!?


「じゃあ……おやすみ」


 剣を振り下ろそうとするジーク。


 苦しそうに目を閉じるアレン。


 その二人の間に、カノンは駆け込み、割って入った。


「お兄ちゃんやめて!!」


「!?」


 ジークは驚き、慌てて剣の軌道を変える。


 剣はカノンの腕を軽く掠り、すぐ傍に振り下ろされた。


 しかし、カノンは怯む様子もなく凛とした表情で兄を見つめている。


「か……カノ、ン……?」


 アレンは殆どもう見えていない目でカノンを見上げる。


 カノンはその声に振り返ると息を呑む。


 遠目から見て認識したものより、アレンの傷が深いものだと分かったからだ。


「勇者様!? 酷い怪我……! 大丈夫です、すぐ治します!!」


 カノンはすぐさま治癒魔法を発動させた。


 ジークは予想もしていなかったカノンの介入に唖然としていたが、それを見てハッとして声を上げる。


「カノン退け!! 俺はコイツを」


「お兄ちゃんしっかりしてよ!!」


 ジークの声量を遥かに超える大きく通る声でカノンはそれを遮る。


「お兄ちゃんずっと言ってたじゃない! 俺が絶対に守るんだって、傷付けないって! なのに、なのに!!」


 カノンは喉が切れて裂けそうな程の声でジークに訴える。


「っ……!!」


 ジークはその言葉に目を見開く。


 俺が……守る……






 それは、十年前。


 村が魔王軍に襲撃され、両親を失い、勇者として戦う運命を強いられた少女。


 心に深い傷を刻まれ、更に計り知れない程の大役を強いられ、隠れて泣いていた。


 そんな彼女を見つけた時の話だった。


 少年は、皆寝静まった夜、なんとなく眠れなくて散歩に出掛けた。


 すると、焼け落ちた村の墓地の方から聞き覚えのある少女の、啜り泣く声が聞こえた。


 行ってみると、思った通り、少女はそこで泣いていた。


 両親の墓を前に、独りぼっちで。


 少年が近付き、その名を呼ぶと、少女は膝から崩れた。


「嫌だよ、私、勇者なんてなりたくない!!」


「っ……」


 少年は、胸が締め付けられるのを感じた。


 月の光で少女の頬を伝う涙がキラキラと光る。


 少女は続けた。


「パパもママも、魔王の仲間に殺されちゃった……私も、殺されちゃうんだ! 嫌、死にたくない! 嫌だよ、嫌……!!」


 誰でも死は恐ろしいものだろう。


 だが彼女は、目の前で、自分に一番近しい母親を殺されている。


 父親も、少女とその母親を守ろうとして、殺された。


 そして、彼女自身も、その尊い命を奪われかけた。


 死への恐怖は、人より強いものとなっていた。


 少年は、無意識にそんな彼女の手を握る。


 そして、力強く告げた。


「絶対に死なない!!」


「えっ……?」


 少女は涙で濡れた顔を上げる。


 少年は、そんな少女を勇気づけるように、一生懸命言葉を紡ぐ。


「俺が守るよ、絶対に傷付けないし死なせない!!」


「絶対……?」


 少女はぽつりと零れたような声で少年に問いかける。


 すると少年は、こくりと頷く。


「絶対!! 絶対に守る!! だからさ……頑張って魔王を倒そうぜ? 世界を、救おう?」


 少女の瞳から、また大粒の涙が零れる。


 しかし、少女の表情は和らいでいた。


 少女はそっと少年の手を握り返す。


「……うん、約束だよ。ジーク」


「うん、約束だ。アイリス」






 ――俺が守る。


 ジークの中で幼い頃の自分の声が響く。


 すると、胸の辺りに圧迫されるような苦しさを感じて思わず呻き声を漏らす。


「じ、ジーク……?」


 カノンの治癒魔法ですっかり回復したアレンは、突然呻きだしたジークに驚き顔を上げる。


 カノンは動けるようになったアレンを見てホッと息を吐く。


 そして、ジークに向かって叫ぶ。


「お兄ちゃんしっかりして! いつものお兄ちゃんに戻って!!」


 その言葉に、ジークは苦しみだす。


「う、うぅ……!!」


 ジークが胸元を押さえて唸ると、ジークの体から真っ黒なスライム状の何かが溢れだした。


 それは地面に落ちると、地面に黒い染みを作り、やがて消えていく。


 アレンとカノンはその黒い物体から嫌な感覚を感じた。


「これ……まさか、闇魔法?」


 カノンが震える声で呟く。


 闇魔法。


 魔王が生み出した、魔物のみが使える禁断の魔法。


 人間や精霊に、これを使える者は居ない。


 そんな、闇の魔力がジークの体から溢れ出ている。


 これは、ジークが魔物に魔法を掛けられていた事を表していた。


「ジーク!!」


 アレンはジークに寄ろうとする。


 しかし、


「アレン、来るな!!」


 ジークが叫び、アレンは足を止め、思わず後ずさる。


「くそっ、来るな! 違う!! 俺は、殺したくなんて!! 俺は、アイツが……!!」


 頭を抱え、何かに抗うように言葉を放ち続けるジーク。


 きっと、掛けられた闇魔法と戦っているのだろう。


 暫く、何かを追い払うように言うと、闇の魔力が一気にジークから溢れ出た。


 まるで濁流のように、その場に流れだし、そして消えていく。


 ジークはその衝撃に大きな悲鳴を上げた。


 そして……


「うあ、ぁっ……」


 全ての魔力が放出され、消失するとジークはパタリと音を立てて倒れた。


「ジーク!!」


「お兄ちゃん!!」


 カノンとアレンはジークに駆け寄る。


「ジーク、しっかりしてくれ! ジーク!!」


 アレンはジークの体を抱き起し、ゆすり起こそうとする。


 しかし、聞こえてきたのは望んでいるジークの声ではなく、何処かで聴いた女性の声だった。


「あーら。折角良い感じだったのに……失敗しちゃった」


「っ!?」


 アレンとカノンは辺りを見回す。


 しかしその声の主は見当たらない。


「誰だ、何処に居る!?」


 アレンが声を上げるとその声はクスクスと笑う。


「私はここよ、勇者様?」


 カノンは顔を上げると、上を指差し言った。


「勇者様! 建物の屋根の上に、女の人が!!」


「!」


 カノンの呼びかけでアレンも顔を上げる。


 屋根の上に、黒いパラソルを広げた女性が立っている。


 金の髪をポニーテールに結った、見覚えのある女性が。


「あの人は……!」


 カノンは目を丸くする。


 アレンはその人物を鋭く睨み付けた。


「宝石屋の……!」


 女性――宝石屋の看板娘は、それを見てまたフフッと笑う。


 そして高らかに名乗った。


「あれは仮の姿。私は魔王直属七天皇の一人、『嫉妬のエンヴィー』よ!」


「魔王直属七天皇、だって……!?」


 アレンは思わず復唱する。


 コイツがジークに闇魔法を掛けたという事は簡単に予想がつく。


「貴女、お兄ちゃんに何をしたの!?」


 怒りを含んだ声で、カノンは叫ぶ。


 すると宝石屋の看板娘――嫉妬のエンヴィーは、また笑って言った。


「簡単な話。コイツの中にある嫉妬の心を使って、ちょっと洗脳しただけよ。そのまま勇者を殺してもらって……なんて考えていたけど、失敗ね」


 その言葉にカノンは指をさし怒鳴る。


「人の心を操るなんて、酷いわ!」


「敵なんですもの、酷いも何も無いんじゃないかしら?」


 エンヴィーはカノンの言葉を鼻で笑う。


 カノンは怒りを隠しきれず、普段の笑顔からは考えられないような表情をしている。


「さて、失敗したならもう用は無いし……さっさと帰りましょうかね」


 エンヴィーはそう言って踵を返し去ろうとする。


「待て!!」


 アレンは追おうとしたが、


「うっ……」


「!」


 ジークが目を覚まし、それをやめた。


 アレンにとって、エンヴィーを追いたい思いより、ジークを心配に思う気持ちの方が強かった。


「お兄ちゃん!」


「ジーク、大丈夫?」


「あ、ああ……俺は、一体……?」


 ジークは状況が呑み込めていないのか、アレンの腕の中でぼんやり周りを見回している。


 カノンはそんな兄の様子を見て、静かに説明し始める。


「お兄ちゃん、魔王の手下に魔法で心を操られていたのよ」


 アレンも頷くと、一緒に説明し始める。


「嫉妬の心を使って、洗脳する能力を持っていたようで、それで……」


 そこでアレンは言葉を止めてしまった。


 自分で言葉にして、気付いてしまったからだ。


 あの魔物は、エンヴィーは嫉妬の心を使う。


 つまり、大かれ少かれジークは自分に嫉妬していた事になる。


 今まで様子がおかしかったのも、そのせいじゃ……


 そう思うとなんだか怖くて、これ以上は説明出来なかった。


「アレン……ごめん、すまなかった!!」


 ジークはそこまで聞いて、もう分かったようだった。


 アレンに向き合い、頭を下げる。


「そうか、アイツの仕業だったんだ……ずっとお前の事、妬ましいとか、そんな事しか考えられなくて……それで……酷い事も言ったよな、蹴ったのも剣で刺したのも、痛かったよな……ごめん、本当にごめん……!!」


「ジーク……」


 アレンは気付いた。


 ジークが微かに震えていることに。


 けれど、目から零れているのは、涙なのか、雨の滴なのか、それはよく分からなかった。


「約束したのに、絶対に傷付けないって、俺が守るって……なのに俺が、こんな事して……付き人失格だな……」


 アレンは緩く首を横に振る。


 そして、力無く言うジークの肩に優しく手を置き、問い掛けた。


「……ジークは、僕に嫉妬しているかい? 僕が勇者だって事に……」


「……」


 ジークは黙り込んでしまう。


 アレンを襲ったのは、あの女の闇魔法とやらが原因だったのだろう。


 だが、アレンに醜い嫉妬をしていたのは真実だった。


 それを告げるのは、怖かった。


 それでもアレンは、静かに、優しく語りかける。


「ジーク、教えてくれ」


 アレンの声に、ジークは口を開いた。


 もう、ここでコイツに見捨てられても、仕方ない。


 それだけの事を、してしまった。


 なら、正直な気持ちを、本当の思いを、伝えたかった。


「……ああ、少しは、な。だけど、お前だって勇者になりたくてなった訳じゃない。勇者の子孫ってだけで、こんな風に本当の自分を隠して、必死に演じて戦って……お前が勇者になりたくないって、怖いって、隠れて泣いていたの、思い出したんだ。お前だって辛いのに、俺は……ごめん」


「……そっか」


 ジークの言葉を聞き、ジークの思いを知り、アレンは俯いてしまった。


 嫉妬されるのは当たり前だと思う。


 こんな自分が勇者なのだから。


 でも、それでも自分の事を思ってくれていたのが、嬉しくて、申し訳なかった。


 どう言葉を返せば良いのか、迷っていた時、その思考を遮断するようにジークが声を上げた。


「だが!!」


「えっ……」


 驚いて思わず肩が跳ねるアレン。


 そんなアレンの肩を、今度はジークが掴み言った。


「だが、これだけは覚えていてくれ! 確かに、こんな事思ってしまったけど! 俺はお前を支え、守りたい!!」


「じ、ジーク……」


 アレンはその言葉に感動して声を漏らす。


 ジークはその肩を離さない。


 ここまで話してしまったんだ、もう全て洗いざらい話してしまおう。


 自分の想いを。


「あと、俺はお前が! す、す……!!」


「!?」


 カノンは予想外の兄のに言動に思わず鞭打ちしそうな程の勢いで振り向いた。


 ここで言うか!?


 あ、いやでもあんな事があった今だからこそか!


 とうとう来たこの瞬間に、カノンは胸を高鳴らせる。


 一方アレンは首を傾げている。


「す、す……!!」


「す……?」


 何やってるの早く言いなさいよこの馬鹿兄!


 焦る気持ちを抑え見つめるカノン。


 しかし。


「す……すまない、忘れてくれ!!」


「え?」


「ええええええええ!!?」


 ジークの一言でアレンはきょとんとし、カノンは思わず声を上げる。


 ジークはそんな二人の反応に居辛くなって、その場から駆け出す。


「忘れた忘れた!! ほら宿屋まで帰るぞ! 皆びしょ濡れじゃないか!!」


「ちょ、ちょっと、ジーク!?」


 アレンはジークを追って駆け出す。


「ったく、お兄ちゃんのヘタレ……!」


 カノンはそんな二人を見送って溜息を吐く。


 しかし、いつもの三人に戻れたような気がして、内心ホッとしていた。


「っと、捕まえた!」


 アレンがジークに追い付きその背中に飛び付く。


 ジークは慌てて転びそうになるのを踏む留まり、アレンをおんぶするような体勢になる。


「っハハ、捕まった」


「ふふっ……!」


 無邪気に笑いあう二人。


 先程まで剣を交えていたなんて、信じられない程和気藹々としている。


 そんな二人を、日の光が照らす。


「あ、雨上がったね」


「ああ……」


 雲が晴れ、覗く青空を二人で見上げる。


 雲の隙間から光が降り、幻想的な雰囲気を醸し出していて。


 それは、今まで見たどんな空より美しく見えた。


「あのさ、アレン」


 空を見上げながらジークはアレンに声を掛ける。


 アレンはジークに視線を移す。


 ジークもアレンに視線を移し、言った。


「こんな俺だけど、これからも、付き人やって良いかな?」


 アレンはその申し出に、頷いた。


 嬉しくて、自然と笑顔になる。


「勿論だよ! これからも、よろしくお願いします」


 その笑顔に、ジークもつられて笑った。


「ああ! ……ありがとう」


 空には、美しい虹が架かっていた。






――……


「失敗したの?」


 ジュビリアムの街のすぐ側にある森の中。


 一人の女性が声を掛けた。


 声を掛けられたのは、先程アレン達の前から姿を消したエンヴィーだ。


「ええ、失敗よ」


 エンヴィーは無愛想にその女性を睨み付けて告げる。


 女性はその態度に苦笑し、肩を竦める。


「折角協力したのに、その反応は無いんじゃない?」


 その言葉にエンヴィーは一層不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。


「煩いわね……その体、気に入ったんでしょ? 文句言わないで」


「ふふ、まあね……」


 女性は豊かな自分の胸を艶めかしく指でなぞる。


 その谷間には、エンヴィーが右手の甲に飾っているのとよく似た、ピンク色の宝石が光っている。


「まさか、あの宝石屋に看板娘が居たなんて……知らなかったわ。しかも、こんなとびっきり美人の、ね」


 よく見ると女性の頬は紅潮し、恍惚の笑みを浮かべている。


 エンヴィーはその様子を見て、苛々した様子で舌打ちする。


 雨が上がったのを見てパラソルを閉じた。


「私は一度帰るわ。魔王様に報告しなければ。アンタは引き続き勇者を狙うなり、好きにすれば?」


 そう言い捨て、エンヴィーは女性の横をすり抜け歩き出す。


 するとエンヴィーの目の前に黒く輝く魔法陣が展開する。


 そのまま歩を進め、エンヴィーは魔法陣の中へと消えていく。


 彼女の姿が完全に消えると、魔法陣は消えていった。


 女性はそれを見送る。


「まだまだ若いわねぇ……まあ良いわ。さて、私は……どうしましょうかね?」




 魔王直属七天皇……。


 宿屋でアレンは難しい顔をしていた。


 濡れたままで街を発つのは、体が冷え体調を崩す可能性がある。


 なので町長に頼み、もう一日ジュビリアムの街で滞在する事になったのだ。


「おい、アレン。どうしたんだ? そんな顔して」


 テーブルを挟み、ジークがアレンの向かいに座る。


「あー、あのね。魔王直属七天皇の事を考えてたんだ」


「まおーちょくぞ……何だそれ?」


 アレンの言葉にジークは首を傾げる。


 そういえばあの時ジークは気絶してたっけ。


 アレンはそう思い、ジークに説明し始める。


 ジークに闇魔法を掛け、操っていたのは嫉妬のエンヴィーという魔物だったという事。


 そのエンヴィーは、魔王直属七天皇の一人だと名乗った事。


「成程な……」


 話を聞いてジークも考え始める。


「魔王直属って言うくらいだから、多分力の強い魔物なんだろうな」


「人間の心を操るくらいだからね……」


 しかし、アレンが考えていたのは、そういう事ではなかった。


 魔王直属七天皇……まさか。


 アレンには、その言葉に覚えがあった。


 長く複雑な言葉なのに、すぐに復唱できたのはその為だ。


 自然と眉間に皺が寄る。


 思い出したくもない記憶が、脳内でドアをノックする。


 嫌だ、出て来ないで。


 アレンはそのドアを抑え付ける。


「……アレン、大丈夫か?」


「!」


 ジークが呼び掛けると、アレンはハッとする。


「大丈夫か? 顔色悪いぞ」


 ジークは心配そうにアレンの顔を覗き込んでいる。


 荷物の整理をしていたカノンも、アレンの様子に心配になりこちらを見つめている。


「あ、うん……ごめん、大丈夫」


 アレンは申し訳なさそうに俯く。


 安心させまいと笑おうとするも、上手く笑えない。


 そんな顔を見せたら、更に心配させると思ったのだ。


 そんなアレンの頭をジークが撫でる。


「無理すんな、抱え込まなくて良いんだぞ」


 ジークの言葉に、アレンは息を呑む。


 その優しさが、嬉しかった。


「うん……ありがと」


 顔を上げ、アレンはジークに笑いかけた。


 今度は、上手く笑えた。

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