隣の君に恋をした。

さつきふたば

前編・君との出会い

 この春彼は高校へ進学した。

 中学時代は……、正直思い出したく無い嫌な事だらけで。

 せめて高校に進学したら、普通の高校生として静かに暮らそう……。



「ねぇ、倉米くらまいくん何部に入るの?」


「スポーツは得意? それとも芸術の方が向いてるかな?」



 そう考えていた倉米くらまい暁羽あきはの目論みは入学早々打ち砕かれてしまった。

 ただ机に座っているだけだ。

 自分の机に座り、黒板を眺めているだけだと言うのに。入学してからずっとひっきりなしに女生徒が代わる代わる彼に話に来る。


 鬱陶しい……、そうは思えど内心などお首にも出さず。

 問われるまま、問い詰められるまま無難な返答をしてしまうのが彼の悪い所だった。



「部活かぁ……、まだ考えてないな。スポーツは苦手じゃないけど、出来れば音楽系の部に入りたいかな。音楽は聴くのも演奏るのも好きだから」



 問われた答えとしてはほぼ満点に近かった。

 女生徒の問いを否定するでも無く、肯定するでも無く。自分の色を出しながらも本心は心の中に止めておく。

 当たり障り無い人との付き合いを重ねて来た彼にとっては無難な答えではあったが。

 この場ではそれが殊更女子達の興味を煽る事になる。



演奏るだって、バンドマンぽい!」


「ギターとかそう言うのやってるの? それともボーカル?」



 少々適当に格好をつけて話を終わらせようとした事が裏目に出てしまった。

 暁羽の言葉に彼の机を囲んでいた女子達は色めき立ち。矢継ぎ早に次の質問を投げ掛けて来る。



「一応ギター……かな。子供の頃から親の影響でギター弾いてて、中学の時同級生に誘われて一時バンドは組んでた……」



 しまった、と後悔した時には既に遅すぎた。

 何の躊躇も無く問われたものだから、思わずバカ正直に話過ぎた。



「キャーー! バンドやってたの!」


「似合う似合う、そのルックスだもんね」



 嫌、バンドを組む組まないにルックスは関係無くないか?

 音楽が好きなら誰だってバンドやるだろうし。似合うか似合わないかで一々判断されてたら世のバンドマン何て殆ど居なくなるだろ?


 女子達の言葉にそんな違和感を感じながらも突っ込め無いのが彼の性分であり。

 口を滑らせた事によって俄然女子達の興味が暁羽に注がれてしまった。


 面倒臭い事になってしまった……。正直目立ちたくは無い。

 目立ってしまえば又中学の頃のようになってしまうから……。

 それだけはどうしても避けたかった。


 腫れ物のように扱われ、阻害され、ひそひそ声で陰口を叩かれる。

 あんなのはもう、二度と味わいたくない。



「ねぇ……、ごめんあんた達うるさいわ。バイト明けで疲れてるから静かにしてくれない?」



 この場を穏便に、そして彼女等の興味を削ぐ事が出来る妙案は無いものか……。

 そう暁羽が考えあぐねていると、彼の席の隣から唐突にそんな言葉が発せられた。



「あ、緋瀬あかせさん……。ごめんなさい、そう言えば倉米くんの隣って緋瀬さんだったね……」



 暁羽の隣、女子生徒から緋瀬と呼ばれた少女の言葉を聞くと。暁羽の回りを囲んでいた少女達は途端に萎縮してしまった。


 緋瀬……、初めて聞く名だ。

 入学して一週間近く経つが、暁羽は自分の隣に座っている生徒の名を知らなかった……。

 それどころか、どんな人間が座っているのかその顔すら気にして見た事が無く。

 緋瀬と呼ばれた少女の言葉に、その少女にバツが悪そうに答える女子生徒につられるように視線を移すと。


 そこには、驚く程ボサボサの髪で、全くと言って良い程セットなどせず。

 顔の半分近くを長い黒髪で覆った、失礼ながら一見すると薄気味の悪い少女が酷く疲れた目で此方を見ているでは無いか。


 左目は髪の毛で覆い隠され、右目だけが髪の間を縫うように露になっている。

 子供の頃に見た古いホラー映画に出てくる幽霊のような出で立ちだった。


 嫌、幽霊のようなと言うより、出会う場所が暗がりならば間違いなく幽霊と認識する事間違いない少女がそこに居た。

 何て地味……、嫌怖い……、いやいや無精な子なんだ。


 逆の意味では凄まじいインパクトがあるこんな子が隣にいたのに、何故自分は今まで気付かなかったんだ?

 そう呆れてしまうくらい強烈な見た目の少女がそこに居た。



「友子、行こ。緋瀬さんの睡眠の邪魔したら悪いから……」


「そ、そうね……」



 緋瀬と呼ばれた少女に苦情を言われると、先程まで暁羽を質問責めにしていた少女は申し訳なさそうにそう漏らし。そそくさとその場から去っていった。

 驚く程もあっさりとその場から居なくなった少女達。


 うざがられてる……、と言う訳では無さそうだが。この緋瀬と呼ばれた女子には敬遠される何かがあるのか……。

 少女達の態度の変化に思わずそんな勘繰りを暁羽は入れてしまったが。



「あ、ありがとう……。君のお陰で質問責めから解放されたよ」



 理由はどうあれ、今訪れた静寂は間違いなく隣の彼女のお陰であり。

 言い方は悪いが二人を追い払ってくれた緋瀬と呼ばれた少女に暁羽は礼の言葉を述べた。



「別に、私が眠かったから追い払っただけよ。礼を言われる程の事じゃないし」



 暁羽の礼を聞くと少女はぶっきらぼうにそう漏らし。暁羽には一度も視線を向ける事は無く、恐らくはそれまでと同じように机に突っ伏して再び眠り始めた。



「あんたも大変ね。そんなに目立ちたくないなら、自分からはっきり構わないでくれって言った方が良いわよ?」



 会話は終わった。そう思った次の瞬間、緋瀬は突っ伏したままポツリとそう漏らした。

 目立ちたくない……、どうして彼女が自分の内心を知っているのか?


 緋瀬の確信を突く言葉に思わず頭に浮かんだ疑問を問い掛けそうになったが。



「スゥー……スゥー……」



 暁羽が問い掛けを言葉にするよりも早く、緋瀬の気持ち良さそうな寝息が聞こえてきてしまった為暁羽は問い掛けの言葉を飲み込んだ。


 変な子だな……。

 暁羽が抱いた彼女への第一印象はそんなものであり。

 現時点では彼女への感情などその程度の物だった。


 そんな暁羽が彼女――、緋瀬あかせ水鳥みどりに興味を抱くのにはさして時間は要らなかった。

 そう暁羽はこの少し後、彼女に恋をする事になる。






 暁羽は人知れず震えていた。

 どうして今まで気付かなかったのか?

 己の注意力の無さに、何よりも周りの余りの無関心さに震える事しか出来なかった。



「スゥー……スゥー……」



 彼は何に驚愕し震えているのか?

 それは隣の席の女子、緋瀬水鳥の授業態度にだ。


 朝、女子生徒の質問責めから彼女に救われ。こんな子が隣の席に居たんだとその時になって彼女の事を初めて認識し。

 一体どんな子何だと一日彼女の動向を横目で観察していたのだが。

 緋瀬水鳥は驚く事に、休憩中は元より授業中もずっと眠り続けていたのだ。


 トイレに立つ事も無く、昼御飯を食べる事も無く。

 一日中覚醒を忘れたように眠っている。


 嫌、もう起きるだろう……。

 流石に昼御飯くらい食べるだろう……。

 そう思い、ずっと彼女を観察していたが。暁羽の予測は見事に裏切られ、学校で過ごす一日全て見事に睡眠を取っていた。


 恐ろしい……、何が恐ろしいかって教師ですらそんな不真面目な授業態度の緋瀬水鳥を諌める事も無く。

 それがさも当たり前の光景……、まるで空気のように見過ごされ教師も他の生徒も彼女の眠りを容認しているかのようだった。


 震えが止まらなかった。注意して見ればこれ程目立つ生徒他には居ないからだ。

 何故入学から結構な日数が経っていると言うのに、こんなにも目立つ生徒の存在に気付けなかったのか。

 自分の注意力の無さにも震えが止まらなかった。



「んん……ふぁー。もう放課後? 今日も良く寝たわ」



 終業のホームルームが終わり、他の生徒が部活やら帰宅に向かい。

 教室内の生徒がほぼ居なくなったタイミングを見計らったように緋瀬水鳥は覚醒し。

 大きな欠伸をかいた後そう漏らした。


 そりゃ寝ただろうよ!

 何せ、朝一から放課後まで一度も起きずに眠り続けてたんだ!

 もう、完全な睡眠だよこれは!


 さも当然とばかりに目を覚まし、悪びれた様子もなくそう漏らした彼女に暁羽は心の中で全力で突っ込みを入れた。

 入れずにはいられなかった。



「ん? 何あんたまだ居たの? 早く帰りなさいよ、帰宅部なんでしょ? 時間がもったいないわよ」



 そんな暁羽の内心など知る由も無い少女は、殆ど生徒の居なくなった教室で引き吊った顔の暁羽がまだ自分の席に鎮座しているのを見ると。

 あっけらかんとそう言い放ち、彼女のとんでもない一日のサイクルに驚愕し微動だに出来ない暁羽を尻目に。そそくさと身支度を済ませ帰宅していった。


 な、何なんだあいつ……。

 妙な捨て台詞を吐いてさっさと帰りやがった……。


 俺が帰宅部って何で知ってるんだ?

 嫌々、それよりも一切悪びれた様子の無いあの態度は何なんだ?


 何もかもが不可解だった。

 あいつも、周囲も、常識と言う言葉を忘れてしまったかのように。

 今の暁羽には理解など出来る訳も無く。


 彼女も、他の生徒も皆下校してしまった寂しい教室にただ一人取り残され。

 ただただ、呆然と緋瀬水鳥が消えて行った教室のドアを見つめる事しか出来なかった。


 影が薄いようで、気にしてみれば誰よりも目立った存在。異質とすら感じられる。

 何かに秀でているようには見えないのに、地味で、協調性など確実に持ち合わせてはいないだろうに。


 普通の生活を送っていればまず間違いなく交わる事は無い、率先して関わろうとも思わないだろうに。

 何故だかこの時の暁羽の中には彼女への好奇心が湧いて来ていた。


 この時点で暁羽が知る彼女の情報は緋瀬と言う名字だけ。

 その他は何一つ知り得ないと言うのに、もう少しだけ彼女を観察してみたいと考えるようになっていた。


 観察の結果暁羽が得る情報に彼は度肝を抜かれる訳だが。

 この時の彼にそんな未来など予想出来る筈も無かった。


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