第2話 スライム令嬢は公爵邸で働く

 わたしはロバート様の邸宅に連れて行かれて驚いた。

 すごく大きな屋敷なのだ。

 ラウンドハート家の邸宅の十倍くらいありそう。


 門をくぐってしばらく歩き、屋敷の中に入った。

 中では執事と侍女が待ち構えていた。

「おかえりなさいませ、旦那様」

 執事の初老の男性にロバート様が指図する。

「保護してきた女性だ。風呂に入れてから着替えさせろ。食事も摂らせておけ」

「かしこまりました」

 執事と侍女が恭しく礼をする。


 私は簡単に自己紹介してから、案内してくれる侍女について行った。

「私はこのミッターマイヤー公爵家の侍女のマールです。お世話させていただきますね」

「私はサーラ・ミュゼ・ラウンドハートです。ラウンドハート伯爵家の長女です」

 私は言いにくそうに切り出した。

「そ、それであの……ラウンドハート家からは逃げ出してきたので戻れないんです。なんでもしますからこのお屋敷で雇ってもらえないでしょうか?」

 マールは頬に手を当てて少し考えた。

「それは旦那様に相談してみましょう」

「はい。よろしくお願いします」


 豪華な客間に通された。

 すぐに服を脱がされて、お風呂に入れてもらえる。

 貴族令嬢らしくお世話をしてもらうなんて実母が死んでからは初めてだった。

「サーラ様はすごくすべすべした綺麗なお肌をしていますね」

 マールが石鹸で泡を立てて体を洗ってくれる。

「生まれつきお肌が艶々なんです」

「それはとても羨ましいです」


 大きな湯船に浸かって体を温める。

 身体だけでなく心もぽかぽかと暖かくなってくる。

 この公爵家の人達は皆優しい人ばかりのようだった。

(やっぱり私、運がいいのかしら……)


 お風呂から上がると、着替えが用意されていた。

 貴族令嬢が着るような室内着のワンピースだった。

「元の服はあまりに見窄らしいので処分させてもらいました」

 マールが硬い声で言ったので、頷いた。

「既製品ですが、伯爵令嬢にふさわしいドレスも用意させてもらいました」

「ありがとうございます」

「お礼などいらないのですよ。サーラ様は伯爵令嬢で、ミッターマイヤー公爵家のお客様なのですから」


 鏡台の前に座って軽くお化粧もしてもらった。

 下地になる白粉を塗って、眉毛も描いてもらう。

 上気したように血色が良く見えるチークも塗って健康的になった。

 ブラウンのアイシャドウで目元が綺麗に見えるようになる。

 ピンクベージュのリップも塗ってもらった。

「まぁ、サーラ様は素顔がよろしいですからお化粧すると美しいですわ」

「……」


 私も鏡を見てびっくりしていた。

 長年、お化粧なんてしたことがなかったので、自分の顔がこんなに良くなるなんて思ってなかったのだ。

「これが私……まるでお姫様みたいだわ」

 私が思わず呟くと、マールがにっこり笑った。

「次はお食事ですわ。旦那様が一緒にお召し上がりになりたいそうです。食堂に行きましょう」


 食堂は広い部屋だった。

 大きなテーブルが置いてある。

 サーラが先に席について待っていると、ロバート様が後から来て対面の席についた。

 料理は白いパンと鶏肉を焼いたもの、それと塩漬けのニシンだった。

 野菜はわずかしかない。

 飲み物はビールとエールが用意されていた。

 貴族の食事としては普通のものである。


 地下室に押し込められてネグレクトされていたので、人間らしい食事は久しぶりである。

 淑女らしくお上品にしながらも、バクバクと食べてしまった。

 貴族の食事は食べきれないほどの量が出されるので、いくらでも食べられる。

 鶏肉をナイフで切って口に入れる。

 肉汁が口内に広がった。

(クックドル鳥の胸肉だわ。塩コショウが効いて香ばしくて美味しい)


 白いパンをちぎって頬張った。

 小麦粉で作った白いパンは貴族でしか食べられないものである。

 平民はライ麦で作った黒いパンを食べているのだ。

 平民が自宅でパンを焼くことは禁止されていて、お金を払って領主の屋敷の釜を借りて焼くことになっているのである。

 肉や魚も狩猟するには領主にお金を払わなければならない。


 脳裏に十歳の頃に死んだ実母の姿が浮かんだ。

(お母様が教育してくださったから、今も、伯爵令嬢として恥ずかしくない振る舞いがなんとか出来ているのね。ありがとうございます、お母様……)


 食事が済むとロバート様と話をすることになった。

「サーラは俺が怖くないのか?」

 ロバート様は私をじっと見てくる。

「俺の黒髪と黒瞳と褐色の肌は悪魔の象徴と言われている。子供の頃から迫害されてきて、実力でのし上がるまでは、殺されかけたこともある」

 私は息苦しさを感じながら口を開いた。

「私もラウンドハート伯爵家で虐待されていました。十歳のときに実母が死んでからは食事も満足に与えられませんでした。それで逃げ出したんです」


「そんなことだろうと思った……。俺たちは似た者同士かもしれないな……」

 ロバート様は侍女が淹れてくれたカモミールティーを飲みながら呟くように言った。

「それで、そういう事情なのでラウンドハート家には戻りたくないんです。このお屋敷に置いてくれないでしょうか?」

 私は胸の前で手を合わせて懇願した。

 図々しいお願いかも知れないが、雰囲気的に断られないような気がしたのだ。


「いいだろう。ずっとこの屋敷にいてくれていい」

 ロバート様は優しい顔をしていた。

「ありがとうございます!」

「君のような美しい令嬢がいてくれれば、この屋敷も華やぐだろう」

「えっ?」

 不意打ちで言われた私は、顔が真っ赤になるのを感じた。

 椅子から立ち上がって部屋から出ていくロバート様も照れているように感じられた。


 私の部屋として与えられた客間に戻ってネグリジェに着替えていた。

「眠ったら人化の術が切れてスライムボディに戻ってしまうから、明日の朝は侍女よりも早起きして人化の術をかけ直さないといけないわ」

 自分に言い聞かせてからベッドに入って眠りに落ちるのだった。


幸いスライム令嬢であることがバレることなく、一週間くらい過ごしていた。

ロバート様は普通の令嬢のように読書や刺繍をして過ごせばいいと言ってくださったけど、仕事をしないのは申し訳ない気がして、使用人に混じって働いていた。

スライムの能力はかなり役に立った。

邸内の掃除をするときは吸着のスキルでゴミを吸い取って、床や壁を綺麗にした。

洗濯をするときは石鹸を吸収してバブルを噴射して衣服を洗った。

料理長に料理のやり方も教えてもらえることになった。


「マールさん。私、信じられないくらい幸せだわ」

 私がアールグレイを飲みながら言うと、マールは微笑んだ。

「理不尽に今までが不遇だったのですから、これからもっと幸せになればいいんですよ」

「はい!」

 私はその言葉が嬉しくて勢いよく返事をしてしまった。

「それに、旦那様がお屋敷に女性を連れてくるのは初めてなんです。すごく優しそうな目でサーラ様の方を見ているし、察しが付きますわ。女っ気のなかった旦那様にもそういう女性が現れたんだって」

「えっ?」

「このお屋敷の人間は皆、そういう目でサーラ様のことを見ていますよ」

「えっ……えっ?」

 私は顔を赤くして目をパチクリした。

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