第11話 爆弾彼女

 桜がポツポツと衣替えを始めた。先輩と付き合い始めてもう五ヶ月だ。意外と上手くやっていけている。ただ一つを除いて。私達の関係には鉄の掟がある。


 キスをしてはいけない。彼女からの提案だった。不思議に思ったが、潔癖を告白されて納得した。けれど、壁のようなものが目の前からずっと消えない。彼女は俺のことをどう思っているのだろうか。不安定なシーソーに座っているようだ。そんな中、国見から一通のメールが届いた。[急にごめん。さすがに大丈夫だと思うけど、天野ちゃん今日だよね?]。全く心当たりがなかった。


 私がこの病気をもらった時、真っ先に誰かに移したいと思った。誰かとキスをすれば、私は解放されるから。元カレのことが本当に憎くて彼の近くで爆発する未来も考えたけど、彼との心中は死んでも嫌だった。でも結局死んじゃうっすけどね。ヨホホホホ。...私が死ぬのは先輩が悪い。先輩のことを好きになっちゃったから、他の人とのキスなんて考えたくなくなった。でも、先輩にこの病気を背負わせるわけにもいかない。だから、私は死を選ぶ。同情は優しさじゃないなんて叫んでおいて、情けないっすね。でも、本当に大切だから。同情じゃないっす。本当っす。


 走った。いつぶりだろうか。息がもう切れてきた。bom-2、自分の人生に関わることはないものだと思っていた。けれど違った。それに、俺にも責任がある。彼女の嘘を見抜けなかった。一人にしてはいけなかった。町中を走った。どこにもいない。遅かったか?いや、もっと遠くなのか?LINEの既読はつかない。どこだ。必死に考えた。赤信号がチカチカと点滅する。...まさか、あそこか?一つだけ、心当たりがあった。花火を見た、山の近くの神社だ。もう何も考えない。走れ。信号機がタイミングよく青になる。急げ。


 もう恋なんてしないなんて、言わないよぜったい。帽子を顔に置いて日差しから守り、寝転んで好きな曲を聴く。木陰に守られる古いベンチ。いろいろと思い出す。あそこの階段で告白したんだっけ。懐かしい。でも、戻れない。先輩、ごめん。行くね。起き上がり、帽子を深く被った。心臓が強く鳴る。予定では、今日の19時。あと15分か。落ち着かない。コンビニでこっそり買ったお酒のプルタブを勢いよく押し込んだ。泡が弾け、シュカッと音を立てる。ああ、私死ぬんだ。心残りは山のようにある。体が熱くなってきた。頭も回らない。お酒のせいか、ガスのせいか。立つのもしんどくなってきた。でも、行かないと。山の上の方へと歩いた。思い出の場所を置き去りにして。そうか、死ぬんだ。現実味を帯びてきた。今まで色んな人に迷惑をかけて来た。私が死んだらみんな許してくれるかな。あ...そう言えば。先輩にさよならって伝えていない。私死ぬのに。私、死ぬんだ...。いやだ。いやだよ...。歩くのをやめた。正確には歩けなくなった。もう、いいか。何も考えが出てこないのに、涙が自然とボロボロと落ちる。泣かないつもりだったのに...。


「みつけた!」


聞き覚えのある幻聴、先輩の声だ。もし本人なら、巻き込んでしまう。離れ...なきゃ。頑張って歩いた。


「来ちゃ、だめっす」


「待てって!」


息を切らしながら走る先輩にすぐに追いつかれて後ろの錆びたフェンスに体を押し付けられる。逃げ道を塞がれたかと思うと、優しく抱きしめられた。


「たのむ、動かずに、じっとしていてくれ」

 

夕陽が二人を赤く照らし、できた影が交わるように一つになる。スーッと心が楽になっていくのが分かる。震えて涙が止まらない私を先輩はずっと抱きしめていた。服から香る先輩の優しい柔軟剤の匂い。


温かい。あったかいよ。


「気づかなくてごめん。ほんとごめん。明は俺の大切な人だ。頼りないかもしれないけどさ、まだ俺と生きてくれないか」


「あり...がと。約束、だよ」


泣きすぎて声が震えていた。改めて彼を強く抱き締め返す。生きててよかった。蝶と桜が舞い踊る、静かな春。そよ風がこのはを揺らす音が音楽のように鳴り続けていた。

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