　料理とは誰を思うかだ。教卓で腕を組む先生がありきたりなポエムを語る。どおりで。今までのように行かないわけだ。ここ一週間、ずっとスランプなのだ。今までは美味しそうに食べる国見を思って料理をしていた。帰りが遅くなると、彼女の家に行って夕飯を作ったり、学校にチャリで弁当を渡しに行ったり。俺がお節介すると、彼女は決まって「こういうのは普通彼女がするのに」と、悔しがっていた。彼女は頭が良くて、テニス部のキャプテンで、親が金持ちで、すっげー美人。昔からの腐れ縁で、小学校からの幼馴染だった。将来はこの人と結婚するのだろうとキモい妄想もしていた。高校が離れても、俺たちの関係は崩れなかったのに。なんだよ、サークルの先輩なんて。イケメンで、運動も勉強もできて。…勝てるわけねーじゃん。俺は玉ねぎを切った。薄く、丁寧に。目に染みる熱い痛み。玉ねぎを嫌いになりそうだった。

「え！武田（たけだ）先輩別れちゃったんすか！？」

大きな声だ。女の子とは思えない。バイト先の子ギャル、天野（あまの）　明（あかり）が休憩室で奇声を上げた。俺は横でエプロンに着替え、念入りに手を洗う。

「フラれちゃったって、国見さんも意外っすね」

「他に好きな人ができたんだと」

「はい！？それは許せないっす！先輩は国見さんのために朝早く起きてお弁当作ったり、同居するために高校生の時から毎日バイトに出て貯金を！」

「勘弁してくれ」

「さっせん！」

ブロンドボブの髪をピンで止め、天野も横で手を洗い始めた。彼女は前髪を一体どこに忘れてきたのだろうか。いつも見当たらない。

「武田先輩は未練とかはないんすか？」

「...ない。…少し」

「じゃあこのまま諦めちゃダメでしょ！」

「だけどなあ」

「国見さんだって事情があったのかもしれんっすよ！不治の病だったとか、誰かに脅されているとか」

「インスタに二人で花火の投稿があった」

「容赦ないすっね」

「不治の病だなんてドラマだったら、俺も諦めなかったよ。でも、現実は甘くない。別れなんてこんなもんだよ」

「世知辛いっすね」

「大学ごと爆発しないかな」

「よっしゃ！ドギャン！」

天野が手に溜めた水をロッカーに向けて撃った。俺のカバンが濡れた。この女も爆発しろと思った。

　今日は予約もなくて暇らしい。キッチンではシェフが新商品の開発に勤しみ、俺と天野は掃き掃除を任された。

「新しい人は見つかったんすか？」

「まだ無理だろ」

「じゃあ好きなタイプはどんな人です？」

イメージ通りに話した。

「品のある歳上美人で、茶髪のロングヘアが似合う人」

「元カノじゃないっすか」

「...。」

花瓶から赤い花を取り出した。茎の先が黒くなっており、花びらもところどころにシワが目立つ。

「このバラも替えどきだな」

「それ、キクっすよ。もしかして赤い花は全部バラだと思ってます？」

「男は花の価値も名前も分からないから、いいんだよ」

「赤いキクはオシャレなんすよー。店長の趣味のよさが分かってないなー」

「知ろうとするつもりもないよ」

「そうっすかー。私は店長にこの花もらえないか聞いてきまーす」

天野は小走りに厨房へ入って行った。俺も疲れたし、少し休憩にしよう。ウッドデッキに並べられた席に座り、携帯を出した。朱色の空で唄う烏。ぼーっと、無意識にインスタを見た。みんなは今年から大学生。バーベキューや花火のストーリーが羨ましいと思ったことはなかったのに。心に空いた穴が余裕を無くすのだろう。すぐに携帯をしまって、机に伏せた。日が首を熱し、鼻に香るかすかなヒノキ。ダメだな、俺は。

「せんぱーい！今日は早く上がって飯行こうですってー！店長の奢りっす！」

最近やけに羽振りがいい。ちょうど腹も空いてきた。寿司がいいな。机と椅子を片付けて、ドアにぶら下がるプレートをcloseにした。

「中華料理行きやしょ！エビチリ！エビチリ！」

余計なことを言うな。重いエプロンを脱いでいると、ズボンのポケットに振動が起きた。誰かからメールが届いたのだろう。俺は寿司が食べたい。それだけを伝えて、LINEを開いた。

"明日の夜、時間ある？"

国見からのメールだった。