第2話

「……んん」

 目を覚ましてみれば、そとは夕焼け色に染まっていた。カラスの鳴く声が、人の少なくなった校舎にこだましているように思える。

 高校生なので門限なんてないようなもんだが、さすがに遅すぎると親に心配をかけそうだ。

「……おーい、最仲ー?」

「お、おおおはよう」

「おはようじゃないわ」

 どうやら椅子に座ったまま寝ていたらしく、自覚すると首がガチガチになっていた。

 ……と思えば、首にはチョコのドーナッツをあしらったクッションが巻かれていた。それに、膝にはもふもふのブランケットまで。

「よ、よく眠れたろう? テスト明けだから疲れていただろうし、君は一夜漬けタイプだからね……」

「よぉく知ってますねぇ……」

 おかげさんですっかり疲れは取れて……じゃない。

 わざわざ睡眠薬を盛る必要はあったかって話だ。それに寝るならベッドで寝たかった。

 なんて言ったら、最仲は泣いてしまいそうだな。

「ありがとな。おかげさんで疲れが取れたよ」

「よ、よよよかった。お、起き抜けのコーヒーはどうかな?」

「どっから出したんだ……」

「き、君のために持ってきたに決まってるだろう? ぼ、僕は君のためならなんでもしたい、から……」

 尻すぼみになって聞きづらかったが、なんだか嬉しいことを言ってくれている。

 まぁ、人のいれてくれるコーヒーなんてあまり飲まないし、いただいておこう。

「じゃ、じゃあほら。あーんするんだ」

「……いや、お前な」

 スプーンに救われた茶色の液体を俺に向けてくる。砂糖とミルクを入れてくれてありがたい……じゃなくて、全部スプーンで飲ませるつもりかよ。

「何分かかると思ってんだよ、これ」

「い、いいから飲まないか! 僕の淹れたものじゃ嫌か!?」

「それは嬉しいけどさ……」

「う、嬉しいのかい……」

 長ったるい髪をいじりながら、モジモジと顔を赤くしている。そういえば、精力剤を作っていたときに着てた白衣は脱いでいるらしい。俺は白衣を着てるところも好きだが、普通の制服姿も好きだ。

「スプーンで飲んでちゃ、せっかく淹れてくれたのに冷めるだろ?」

「さ、冷めたっていいじゃないか。美味しいものは、美味しい……」

 途中で何を思い出したか、ハッとした顔をした後にどんよりとした顔をしだした。

「……僕が淹れたんじゃ、美味しいものも不味いか……」

「また出たな」

 たまに……いや、頻繁にコイツは卑屈になる。

 元々引っ込み思案なところもあるが、小学生の頃から人と馴染めなくて、輪に入れなかったとかで。

 自分が変わり者だからとか言われたり、先生に普通にしろって言われたのがキツかったらしい。

「俺はお前が淹れてくれたものしか飲みたくないくらい、お前の淹れてくれたコーヒーが好きなんだけどな?」

「お、お世辞は社会人になってからいいなよ……」

 どういうツッコミだかわからんが、そうやってすぐに暗い顔をしないでほしい。

 コイツは目の下のクマがひどく、暗い顔をすると尚のこと根暗感が出てしまう。

「世辞でこんなこと言ってどうすんだよ……ああ、お前に好かれるなら世辞はいくらでも言ってもいいかもな」

「い、今までの褒め言葉は全部、お世辞だったんだね……」

「なわけないだろ。好きだし可愛いよ、最仲は」

「ふひふぇ!?」

 血色の悪い顔が、一気に血流のいい顔になっている。目はぐるぐる渦巻きで、いつもの科学部感あふれる知性は感じられなかった。

「毎日毎日、伝えてるはずだけどな?」

「そ、そそそれは……」

「好きだぞ」

「ひゅぅ……!」

 長い長い黒髪で、自分の顔を隠す。それでも目元までは隠しきれてなくて、可愛い目元はバッチリ、俺と視線を交わしていた。

「いい加減慣れないのか?」

「な、ななな慣れるわけないだろう! 僕は生まれてこの方、可愛いなんて言われたことないんだ!」

「こんなに可愛いのに?」

「い、いい加減にしろ!」

 そういってブランケットを俺の顔にぶん投げてきた。ふわりといい匂いがする……たぶん、最仲の匂い。

「そ、そうやって反省しておくんだ! 僕のことが、かかか可愛いだなんて……」

「最仲」

「な、ななななんだい! 反省したのかい!?」

 ブランケットで見えないが、たぶん腕組みしてぷんぷん怒ってるんだろう。

 そんなところを想像してみたら、ニヤける顔が抑えられるわけがなかった。

「最仲の可愛い顔が見たい」

「いい加減にしろぉ!」

「もぐぉ」

 ブランケットを顔に押さえつけられて、息ができない。モブモブいって抵抗しても、最仲は解放してくれない。このままじゃ本当に窒息死しそうだ。

 最仲の肩をトントン叩き、ギブアップの意思を伝える。

「……わっ、ごごごめん!」

「ぶはぁ」

 酸素が一気に流れ込んできて頭が痛い。

 ブランケットを取ると、目の前に心配そうな顔をした最仲がいた。

「く、苦しかったかい? ああ、酸素ボンベは確か……」

「大丈夫だ。それよか、こっち来てくれ」

「な、なんだい? 本当に大丈じょ……」

「隙ありっ」

 前のめりになった最仲をギュッと抱き寄せる。

 

「ふひゅ!? な、ななな何するんだぁ!」

「久しぶりにハグ」

「だ、だからって急はビックリするだろう……!」

 まぁ、俺はいつでもしたいんだけどな。

 なんて言えば、たぶん気絶でもしかねないだろう。とりあえずは抱き寄せたまま、最仲を引き留めておく。

「……ふ、フヒヒ」

「あったかいな」

「う、うん。あったかい……」

 自分が攻めに出ると調子付くくせに、自分が攻められると弱々しくなる。そんなところも可愛くて、愛おしい。

「ま、俺に薬持ったのは許さないけどな」

「そ、そそそれは……一緒にいたくて……」

「それならそう言えよ」

「ち、違うんだ。ずっとそばにいてほしいんだ」

 ……たぶん、不安だからいつだってそばにいて欲しいってことなんだろう。

 でも、まだ同棲なんてできるわけもない。そんな経済力があるわけもないし、親が許すわけがない。

 だから、こうして限られた時間を大切に。

「……ずっとそばにいる。俺は最仲が大好きだぞ」

「ぼ、僕もさ。だ、だだだ……だいすぅ……」

 最後まで言えていないのが可愛いな……。まぁ、照れている最仲を見るのも眼福だ。

「……でも、薬はダメだ」

「ど、どうしてだい!? 僕は君を愛して……!」

「愛してるんなら精力剤飲ませようとしたり、睡眠薬盛ったりしていいわけじゃないからな」

 サラッと愛してるとか言ってるけど、大丈夫なのか? あ、今更になって顔を赤くしてる。ほんとに可愛いことしかしないな、コイツ。

 

 ずっとこのままでいても良かったが、下校時間の鐘が鳴った。もうすっかり外も暗くなり、部活生の声も聞こえなくなっていた。

「ほら、帰ろう。送って行くからさ」

「……う、腕を組んでも?」

「いいよ。ていうか、してほしいくらいだ」

 そう返してやると、最仲は嬉しそうに腕に抱きついた。気の早いことで……まぁ、帰りたくないとぐずるよりはいいか。

「……帰ったら、電話もしよう」

「や、やった! き、君の声を耳元で聞けるんだ……!」

 言わんくてもいいことを言っているが、そんなことを言われたらちょっと自分の声が気になる。

 まぁ、普段通りにすればいい。カッコつけようが、見栄を張ろうが、何も変わらない。


 好きだって思いは、絶対に変わることはない。

 

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