ローウェン魔導技師の色彩の書
天宮時雨
プロローグ
魔導書作る者の朝は早い。
日が昇り始める前にベッドから体を起こし、毎朝同じ行動をとる。
――朝日が差し込み始める早朝、締め切った部屋に広がるインクの香りを新鮮な空気と入れ替えるためカーテンを開き窓を開け放つ。
閉ざされた暗い部屋に陽光が差し込み、春が訪れるにはまだ早いと少し冷え切った空気が部屋に流れ込む。その風によって部屋に吊るされた魔導書の紙が小さく
コーヒーを飲みながら靡いた紙を見て昨晩の仕事量の達成感、そして残りの作業内容を頭に入れる。
「……完成まであと少し」
そんなことを呟きながらカップに残ったコーヒーを飲み干し、しばらくして母親が作った朝食を食べて作業に戻る。
小さな変化。
充実した日々が終わりを迎える前兆をその日の朝は感じ取っていた。
毎日飲んでいるコーヒーの元が切れる。
いつもは買い置きをしてストックを必ずキープしているはずだが、作業に夢中で買い足す事を忘れていた。
「……はぁ」
小さなため息をつき、今日中に買いに行こうと予定を組む。
それだけならまだ良かった。
いつも通りの朝にならないが、窓を開け空気の入れ替えをしようとする。
普段は木製の窓枠が開く良い音がするのだが、今日は窓枠が開けない方がいいと言わんばかりに固く閉ざす。
そんな窓枠を強引に開けようとすると建付けの悪い窓を開ける異音が鳴った。
しばらくの沈黙の空気がその場を支配する。
自分の背中に嫌な汗が流れた。
絶対今日悪いことが起きる。
自分の脳内による警告が体を身震いさせる。
今日はいつもより一層、気を引き締めることにした。
母親に呼ばれ朝食を食べに行く。
部屋の中央にある暖かい朝食が並ぶテーブル。
いつものように向かい合うように座り朝食を食べ始める。
普段より母親の雰囲気が悪い気がするのは気のせいだろうか?
怒りという感情を具現化したような母親の長い赤髪。それが今黒いオーラを帯びているように見える。
そんな母親の視線が自分に鋭く刺さった。
何か悪いことをしてしまっただろうか?そんな考えが脳裏によぎる。
「……何?」
その視線に耐えかねた自分が母親に対して切り出す。
少しの沈黙の後、母親が閉ざしていた口を開く。
「ロー、ヴィテシア魔法学院に編入届出しておいたから、春から学校に通いなさい」
――学校。
その言葉を聞いた途端、脳の中が思考が停止した。
停止した脳は考えをまとめることはなく、母親と同じ言葉を放つ。
「……は?編入?」
戸惑いと困惑で出た言葉。それによって脳が思考を開始して言葉を放ち始める。
「この充実した忙しい毎日の中で学校に通えと?」
「あんた、友達いないでしょ」
事実を述べたつもりだったが、そのカウンターとして返ってきた言葉が心に深く突き刺さる。
母親の言っていることは事実である。
魔導書作りで部屋に閉じこもっていることが多いため、依頼者との交流はあっても友人と呼べる者は一人として存在しない。
「いやっ!でもお客さんとは接しているし、コミュニケーションに問題は」
「そうゆう問題じゃないから」
自分の言葉を遮るように放たれた低い声。それと同じくして、母親の目の前にある皿に乗せられた目玉焼きにフォークが刺さる。
その光景から母親の圧をものすごく感じた。
何も喋る事ができないまま二人の食事が進む。
――圧が落ち着き、呆れたように母親が話を再開する。
「作った魔導書がブランド品になることはさておき。毎日魔導書作りで部屋に閉じこもって、家族との会話は最小限。このままだとあんた友達ができないまま大人になるわ」
「うっ……」
全くもって反論ができない。
「これ決定事項だから、昼からそのことを説明しに学長が来るから話をしっかり聞いておきなさい」
「……はい」
母は強しとはよく言ったものだ。圧に負け、自分はただ委縮した返事しかできなかった。
「ちなみにその学長は私の”ゆうじん”だから」
さらに念を押されてしまう。
「これを期に、友人でもつくってみなさい。何なら恋人でもいいのよ」
最後の一言は余計である。
……話、聞くか。
あまり気乗りしないが、母親の決定事項であれば何を言っても無駄なのは分かっていた。
食事を終えた自分は自室に戻り、母親の友人を招き入れるように部屋の掃除を始めた。
午後になり自室のドアが丁寧にノックされる。
「……どうぞ」
午前中に部屋を片付け終え、人を入れても大丈夫なように掃除をしておいた。
その部屋の扉を開き入ってくる黒色をメインとした清楚な服を装った女性。服とは真逆な白い肌、綺麗に伸びたプラチナブロンドの長い髪が高貴な印象を与えてくる。
ヴィテシア魔法学院の学長は、母と同年代とは思えないほど若く見える。
「突然の訪問申し訳ございません。ヴィテシア魔法学院、学長のエリー・ワイヤットと申します」
そう言って上質な鞄を手に持ったまま、自分に対して深く一礼する。
「あっ、はい」
慣れない丁寧な言葉に無駄のない動作。どう対応すればいいのかわからず不躾な反応をしてしまった。
近くのソファアに座ってもらうように促し、自分は飲み物を用意し始める。
「紅茶でいいですか?」
「ありがとうございます」
コーヒーを切らしていた為、普段は飲まない紅茶を用意する。
二人分の紅茶を注いだ自分はソファアに座るエリー学長の傍にカップをそっと置く。もう一つのカップを持ち、自分は話を聞くため対面のソファアに腰かける。
お互いが話す態勢になったことを確認しエリー学長が話始める。
「それでは我が校、ヴィテシア魔法学院の編入の件についての話を始めたいと思います。ローウェン・グライト様、この度は編入をご希望ということで、誠にありがとうございます。魔導書の最高ブランド”グライトブランド”に携わられているご本人様が在学されるということは、我が校にとってとても嬉しく思います」
「……あのぉ」
挨拶が済んだところで自分は口をはさむ。
「そこまでかしこまらないでもらっていいですか?むずがゆくて。敬語とかいらないんで……自己紹介が遅れてすみません。ローウェン・グライトです。……ローで大丈夫です」
「わかりました。敬語などは苦手な感じですか?」
自分は丁寧な言葉遣いな人と関わることが少ないため敬語は苦手だ。
この人は自分の母親から話を聞いているのだろう、人見知りや引き籠りなどの事を……。
そんな事を知っていながらエリー学長は少し微笑みながら聞き返してくる。その笑みに思わずドキッと反応する。本当にこの人は40代なのか疑問に思えてくる。20代と言われても信じてしまいそうである。
「話がそれましたね、編入の件を……」
エリー学長は鞄の中から数枚の紙の資料を取り出し差し渡してきた。
「これが今回の編入に対する我が校の資料です。編入日と寮の部屋割りが書いてあります。生徒は一部の貴族の生徒を除き、寮で生活してもらうこと人なっています。ローさんは個人的作業もあると思ったので私権限で広い一人部屋を用意しました」
「あ、ありがとうございます」
……この人、さらっととんでもないことを言ったぞ?私権限とか初めて聞いたぞ?
気を利かせてもらったのを無下には出来ないと思い感謝の言葉を述べる。
貰った資料に素早く目を通す。文字数はそこまで多く無かった為、内容は簡単に頭の中に入ってきた。
全て見終わったときにエリー学長は質問がありますか?と聞いてきたが不要な情報が一切無く質問する事は無かった。
エリー学長は紅茶のカップに口付ける。
「ルイさんには資料にある大魔法祭で優勝してもらいたいと思います」
次に出た言葉はお願いだった。
――大魔法祭。
『隣国の魔法学院と共同で行う魔法競技祭』と資料には書いてあったがそこで疑問が浮上する。
「なんで自分なんですか?ヴィテシア魔法学院には優秀な生徒が多く存在する。ことはこの国の人なら誰でも知っていると思うのですが」
少し間をおいてエリー学長は答える。
「我が校は昔は輝かしい成績を残していましたが、ここ数年は隣国にあるアルバレア王立魔法学院に成績の上位を独占され目覚ましい成果を残せないでいます」
「それで自分に成果を出してほしいってことですか?自分にメリットが無くないですか?」
「……それではお互いの目的が同じになるように情報を共有しておきましょうか」
目的が同じになる情報を黙って聞き入る。
「今年の年初め、アルバレアの王都で召喚魔法が使用され、召喚された異世界の人間が生徒として学院に通い今年の大魔法祭に参加するということが一番の問題になります」
「あ゛?」
怒りによって素の自分が出てしまう。
一瞬で空気が張り詰め、締め切っていたはずの窓がその空気に耐え兼ね開け放たれる。
さすがのエリー学長も表情に余裕を持てないでいた。
”王都で召喚魔法が使用され異世界の人間が生徒として学院に通っている。”
魔導書を作る者がこの話を聞くと全員が怒りを感じるであろう。
魔導書を作る者は魔法に一番詳しいと言っても過言ではない。
魔法陣や魔法式、基本的な魔法属性から希少な魔法属性までを知り尽くし、その魔法に相殺魔法を作ることができるのが魔導書を作る者の前提条件である。
しかし、召喚魔法はおとぎ話の産物として語られていたため実在したことに対する驚きもあるが、その相殺魔法が確立されていないことが大問題であった。
今回は人を召喚したという事になるが、これが天使や悪魔や精霊を召喚できるとなればこの世界は終わってしまう。
そんなことも分からずに無責任な召喚魔法が使われた事に対して苛立ちを覚える。
それと同じくして頭に痛みがはしる。
……小さい頃に行方不明になったことがあった。
失った記憶が何かを思い出そうと頭の中が回る。
確かに大切な何かを無くした。その日から自身の体の中を廻る魔力が少なくなり、使える魔法が少なくなった。
必死にいろんな魔法を調べ始め、母親と一緒に魔導書作りを始めた。引き籠り気味になったのはその時からである。
大切な何かを思い出すことができないで今まで生きてきた。
あの日の事を思い出す切っ掛けが掴めれば……。
頭痛が落ち着き深く息を吸い込み、エリー学長に返答する。
「わかりました。自分が大魔法祭で優勝します。大丈夫です。何とかなります」
自分の言葉を聞いた途端、エリー学長は少し口を開け驚いていた。
「……本当にあの子にそっくり」
「……えっ」
ポツリとつぶやいた言葉の最後は、開かれた窓の外を飛び立つ鳥の羽ばたきによって聞き取ることができなかった。しんみりとしたマリー学長の姿に既視感を覚える。
そんな感覚が再び痛みに変わり頭の中に刺激を与える。次第に呼吸が速くなり心臓が早鐘を打つ。思わず額に手を当て痛みが治まるのを待つ。
「私はそろそろ別件があるので失礼いたします」
マリー学長がそう言って席を立つ。
聞きたいことがあるのに声が出ない。
そんな自分を少し不安そうに見ながら部屋を後にする。
一人になり静まり返った部屋。
「マ、マリー学長に聞かないと……」
身に覚えのない悲しみや懐かしさが込み上げ、理解できない感覚が自信を襲う。頭を抱えたまま時間だけだ過ぎていく。
……気持ちが悪い。
頭痛が収まった自分は、エリー学長の話を聞くため魔法学院に向けてゆっくり荷造りを始めていった。
ゆっくりとその扉を閉め、一息をつく。
そんな私に言葉が投げられる。
「話し終わったの?」
その言葉は、数少ない親友のエリスからだった。
「まぁ、ね」
「春からあの子の事お願いね」
学院の編入はエリスの案だった。
「それは良いけど、あの話は本当なの?」
私は問いただす。ここに来るまでに聞いたローウェン君の生い立ち。
行方不明になった日があったことを……。
その日から、目の色が変化した事を……。
「全部事実よ。あの子の眼を見たでしょ」
「……白い眼」
親友の一人であったあの子を連想させる。
唯一無二の眼を持っていたあの子。
怒るエリスに冷静な私そんな間を取り持つあの子。
「ローがふらふらとここに戻ってきた時、白い眼に変わっていて私に向かって「久しぶり、エリス」って」
我が子が戻ってきた事と行方不明になった私達親友の片鱗が垣間見えた事、複雑になった思いに涙を流すエリス。
私はそっとエリスの背中を摩る。
「あの子に関りがあるのかどうか、これから様子を見ていくから」
エリスは涙を拭いながら、
「……お願いね」
彼女はそう一言呟いた。
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