邪神

「さあ、皆さん、今こそ邪神様に祈りを捧げるのです」


 神父が声を張り上げる。

 神父の周りにはグルリと円を描くように信者が並んでいた。彼らの様子は尋常ではなく、何かにとりつかれているようであった。

 彼らが集まっている薄暗い空間には点々と燭台が並び、蝋燭の火が僅かな光源だった。

 そんな場所に大勢が集まっている光景はまさに異様であり、異常だった。


「「「邪神様に祈りを」」」


 信者が一斉に唱えると、神父は興奮した調子で告げる。


「今こそ邪神様を降臨させるとき!」


               *     *     *


「はあはあ」


 もつれそうになりながらも、懸命に足を動かす。

 そういえば家を出たっきり、ずっと走りっぱなしだ。


 エヴァンスと別れたのはおよそ一時間前。

 話を終えたエヴァンスはすぐに僕の家を出発した。なんでもこれからエリーゼを救うために教団を叩きにいくらしい。

 僕は彼に止められたので、家に留まっていたが、やはり、居ても立ってもいられず、家を飛び出していた。


「……いた。おーい!」


 前の背中に声をかけると、エヴァンスが振り返った。


「どうしてあなたがここに?」


 その視線はやはり、責め苛むものだったが、僕は臆さず話した。


「別にお前を信じていないわけじゃない。でも、僕も一緒に彼女を助けたいんだ。だから協力させて欲しい」

「……はあ、なるほど、そういうことですか」


 逡巡した後、エヴァンスは呆れ混じりに言った。


「こんなところまでついてきてしまったのなら、仕方がありません。一緒に向かいましょう」

「よっしゃ」

「ですが、くれぐれも私の指示通りにしてください。さもなければ、あなたの命の保証はありません」

「……あ、ああ、分かった」


 脅し文句を言われたが、僕は思わず胸を撫で下ろした。

 僕達が今いる場所は街の外れにある区画で、住民の姿はなく、寂れた家屋だけが並んでいる。

 その中をエヴァンス、その後ろに僕がついて歩いていく。

 間もなく前方に教会が迫ってきた。

 長年、使われてない教会は、周りの草も生え放題になり、壁の至るところが剥がれ落ちていて、尖塔の十字架は欠けていた。


「怪しいな」


 そう呟き、エヴァンスは教会の敷地に歩みを進める。

 僕も後を追って、侵入する。

 教会の中は予想するまでもなく、ボロボロで、綺麗の対極であった。


「本当にここに教団がいるのか?」


 割れたステンドグラスが散らばった絨毯の上を歩きながらたずねると、エヴァンスは絨毯をひっくり返し始めた。


「おい、何してるんだよ?」

「何って調べているに決まってるじゃありませんか」

「だけど、勝手にそんなことしていいのか?」

「別にもう使われてないから関係ないと思いますが?」


 こいつはこういうところがすごく適当だと思う。

 エヴァンスが絨毯を調べ始めると、程なく地下室への扉が見つかった。


「嘘だろ? 本当に見つかるなんて」

「いいえ、別に驚くことじゃありません。私は過去・・に教団が地下で集会を行っていたことを聞き及んだことがありまして」


 少しだけ悲しそうにエヴァンスは笑った。


「そうなのか? それは頼もしいな」

「では、早速、向かいましょう。あまり時間がありません」


 僅かに抵抗感が生じたが、これもエリーゼのためだと思えば、苦はなかった。

 扉の先は下に続く螺旋階段だった。等間隔に並んだ蝋燭の火はどれも弱々しく、どよんとした湿った空気が充満していて、不快だった。

 僕よりも先を進んでいたエヴァンスだったが、その足音が途絶えた。どうやら階段が終わったらしい。


「なんなんだよ、これは?」


 地階に辿り着いた僕はとてつもない衝撃に頭を揺さぶられた。

 その場所は地下とは考えられないほど広い空間で、数えきれない人間が寄り集まっていた。

 しかも全員がひどく衰弱しきっている。ギリギリ生きているといった感じだ。


「おやおや……」

「おいおい、どういうことだよ、これは?」


 詰め寄ると、エヴァンスは前方に指の先を向けた。


「それは私ではなくあの方が説明してくれるはずです」

「……」


 地下の人間は皆、弱っていたが、なんと一人だけ真っ直ぐに立っている男がいた。

 神父の格好をした男は、固まった様子で、目をぱちくりさせていた。


「……どうしてここが分かった?」

「ええ、私の知識と経験がこの場所まで導いてくれたのです」

「……そういうことか」


 低く、嗄れた声で返した神父は機嫌が悪くなったのか、肩を震わせ、眉間に深い皺を刻んでいた。


「貴様、さては異端審問所の人間だな」

「ご存知でしたか。その通り、私はあなたたちを追っているジャッジです」

「くっ、道理でこの場所が分かるわけだ」


 苦虫を噛み潰したような表情をする神父。


「とはいえ、ばれてしまっては仕方がない——」


 神父が懐に手を伸ばすと、一発の銃声が鳴り響いた。


「ぐああああ」


 そのすぐ後に神父が膝から崩れ落ちた。よく見ると、手の甲には小さな穴が存在し、血が止めどなく溢れていた。どうやら撃たれたらしい。

 撃った張本人であるエヴァンスは『復讐するは我にあり』という文字が彫られた銀色の銃を構えて、言い放った。


「させませんよ」

「くっ、小僧め……」


 そのとき、ふと、視界にエリーゼの姿を発見し、僕は急いで駆け寄った。


「エリーゼ!」


 倒れている彼女を抱き寄せる。

 息はしているが、とても苦しそうで、顔には大量の汗が浮かんでいた。


「少しお待ち下さい」


 後ろからエヴァンスがやってきて、ポケットから粉入り瓶を取り出し、中の粉を彼女に振りかける。

 そうすると、彼女は心なしか、穏やかな表情になった。


「『魔の書』の魔力を解除する薬です」

「そうか、どうもありがとう」

「いえいえ、それより彼女も含めてここにいる人間を早く移動させないと」

「ああ、その通りだ」


 僕たちが倒れている人を運び出そうとすると、奥の神父がいきなり笑い始めた。


「ハッハッハッハッハッ」

「なんだ、突然?」


 神父は撃たれた方の腕をだらんと垂らして、立ち上がる。


「残念ですが、そうはいきません。あなたたち二人もここにいる彼らと同じように死ぬ運命を辿ってもらいます」


 神父の目は充血していて、とても普通の状態ではなかった。

 一方、隣のエヴァンスは焦りの表情を浮かべていた。


「まさか……」

「ええ、そのまさかです」

「どうやら間に合わなかったようですね」

「おい、間に合わないって、何がだよ?」


 話についていけず、質問すると、エヴァンスは顔をしかめた。


「我々は邪神の創造を防ぐことが出来なかった」

「おっしゃる通り。魔力は十分に採取出来ました。儀式の成功には申し分ないほどに」


 神父は狂気じみた笑いを浮かべ、天を仰いだ。


「さあ、創造されよ。邪神 《アンリマン》」

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