こんこんと、昏々と

揺蕩う人形

第1話 プロローグ:儀式と演技

「近頃、おかしな事件が頻発している」

 薄闇をそのまま切り抜いたように奥行きの知れない生地が、何となく、神聖さというよりも、妖艶な近寄り難さを演出する。黒を基調とした浴衣。覗き込めば深淵が見えるようで、けれどもはぐらかされてしまうような。有耶無耶な暗闇には、蒼の蘭や朱の彼岸華なんかの花柄が染められている。

 帯は生々しい赤黒一色で、血液で染め上げたようだった。

最近ではあまり見ない装い……つまり彼女は古風だった。そして古風なくせに今風でもあるのだから、どうにも定まらない。全体的に見て、彼女——奇常はどうにも不安定だった。

 アンバランスだった。

 どこを取っても均衡がとれていない感じ。

 頭髪は金色でロング。それを簪で纏めるわけでもなく、横に流していた。そして何より、彼女には《獣の耳》がある。

 付け耳とか。

 コスプレとか。

 そういうわけではなく。

 それはそれとして、きちんと耳としての機能を持つ、歴記とした《耳》。触り心地の良さそうな焦げ茶の短毛に覆われた《耳》は、僕の視線の先でぴょこぴょこ動いた。

 ……和むなぁ。

 しかも、同色の尻尾がゆらりゆらりと、腰のあたりで彼女の歩行に従い揺れている。

 ケモナーには堪らない光景だろう。

 自然と頬が緩む景色……けれども、奇常の声色は、背筋に冷や汗が垂れるほど冷えていた。それはそうだろう。なんてったって、このちょっと背の足りない化け狐は最強なのだから。安っぽい称号かもしれないけれど、確かに彼女は、この場に集った万の妖怪が束になってかかろうが左腕一本で消し飛ばせるくらい範疇外の強者なのだから。——真剣の、鍛え抜かれた刀身がうなじに触れるような錯覚を覚えて、僕は身震いをする。

「おかしな事件?」

「うむ。不可解で不可思議な、事故のような事件じゃよ。数日前、川辺で河童が干乾びておった。川がすぐ真横を流れておったのにも拘らず、奴はカラカラに……乾いておった」

「ミイラ化してたってわけか……でもさ、それはもしかしたら、そこで力尽きただけなのかもしれないだろ? 事件と言い切るには根拠が足りない」

「首筋に手形があった」

 瞬間。

 思考回路を切り替える。

 普段用から、次期当主としての思考へ。ただの学生から、守護者としての脳へシフトさせる。背後で「ひっ」と、小さな悲鳴が上がった。

 下級の妖怪のものだろう。

「絞め殺されたか。それとも押さえつけられ、そのまま為す術もなく徐々に乾燥していったか。どちらにせよ他殺じゃ。この事態、鞘山としてどう見る? 埋未よ」

 前を行く奇常はチラリとこちらを振り返ると、挑戦的に口角を上げた。

 三日月形になった唇の隙間から、異様に鋭い牙がのぞいた。

 縦長の眼が面白がるように僕を見る。深い緑の瞳に映った僕は、一体どんな顔をしているのだろう。考えて、首を振った。

「どうした?」

「いいや、考えるまでもない、と思ってね」

「ほほう。そりゃあ逞しい……では、答を聞かせてもらおうかのう」

 にやり。

 僕もまた彼女の真似をして口元を歪める。そうしてから、山道の両脇にずらりと並び、一様に、地べたに額を擦り付けた妖達に、僕達の道としての役割に徹する妖達に、はっきり聞こえるよう、声を張り上げる。

「鞘山家はこの地に害を為す無法者に、慈悲を与えない。我々は徹底的に奪い尽くすのみだ。抗う四肢があれば容赦なく切り落とそう。助けを乞う口があるならば、首を刎ねてしまおう。この鞘山の地は、平穏を望む者達の唯一の生存圏、桃源郷だ。それを穢そうというのなら、僕はこの身を返り血と流血に浸して刀を振るう」

 人外の為に刃を振るい、いざというときは死を受け入れよう。

 それが僕等、鞘山家の使命である。

 たとえ相手が僕と同じ人間だろうと、そうでなかろうと、この地に生きる妖への加害は、そのまま鞘山家への宣戦布告となる。勝ち戦だろうが負け戦だろうが、勝敗の見えない戦であろうが、僕はこの土地の為だけに戦い、死ぬ。

 言うと、奇常は満足げに、しかしどこか悲しげに頷くと、再び前を向いた。

「良かろう。儂は正直、この山から一切の生命が消えようとどうでもよい。じゃが、お主の心意気は天晴じゃ……うむ、儂はお主に仕えよう。儂は、鞘山埋未の行く末を見てみよう」

 じっくりと、噛み締めるように言うと。

 彼女は「ふふん」と鼻を鳴らして、尻尾を右へ左へ、気だるそうに揺らした。

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