1878
「剣の交叉」する音を聞いた。永遠に恢復することのない、荒涼とした決別の調べ。その日は、息の詰まるような灰色の曇天が、ドイツを支配していた。
偶然を装った奇跡によって、バイロイトを離れたニーチェの下に、とあるテキストが贈られてきた。几帳面に纏められたそれは、真新しい台本の一部だった。
このようなことをするのは、あの男しかいないだろう。ニーチェは静かに頭を抱えた。表紙を見ると、“Parsifal”の印字がある。何故、届いてしまったのだろうか。忘れてしまいたいのに。忘れてしまいたいのに……。
しかし、彼は見てしまった。テキストに添えられている、親友からの献辞を。
畏友Nietzsche Friedrichへ、教会長老Wilhelm Richard Wagnerより
――ニーチェは絶句した。「教会」という二文字が、何度も彼の眼を滑った。
「ふざけるな!!」
ニーチェは自身の怒りのままに、“Parsifal”を破り捨てた。それは美しい紙屑となって、初雪のように床に積もった。
「何が聖杯伝説だ!! 何が教会長老だ!! 貴方はいつから、信心深くなってしまったのだ!!」
最早、確信は憎悪となった。ワーグナーは偉大な音楽家でも、何でもない。例え全世界が彼を肯定しようと、ニーチェだけは永遠に、彼を批判し続けるだろう。
「貴方は私を裏切った!! 私を裏切った!! 裏切った――!!」
彼は全ての怒りをぶつけた。今まで信じていたものに向かって、あらゆる憤怒の意を示した。
ワーグナーの作品は、観客の手の届くところへ堕ちてしまった。ニーチェには、それがはっきりと分かった。
のちに、ニーチェは語った。ワーグナーは、典型的なデカダンであったと。
その言葉が愛憎に基づいていたことは、言うまでもない。
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