前編 葬送

プロローグ

第一話 慟哭

 その夜、とあるセレモニーホールではすすり泣く声が聞こえていた。参列者の大半は中学生や高校生で、学校関係者も参列に来ていた。

 ホールの中央には一人の女の子の写真が飾られている。そして、その前で一際大きな泣き声を漏らしている金髪の女の子がいた。遺体が納められている棺の前で崩れ落ちるように号泣している。そのそばには同じ制服を着て眼鏡をかけた女の子がその金髪の女の子を支えるようにしていた。

 金髪の女の子――牧田まきた恵花けいかは唇を震わせ、遺体の女の子の顔を見て泣き叫んでいた。

 麻世まよちゃん――どうして――恵花の泣き叫ぶ声が、一層に参列者の涙を誘う。


「カーチャさん……」


 恵花のそばにいた女の子――彼女の親友で、天女目あまのめ翠妃さつきといった――が彼女を立たせようとしていが、恵花は泣き崩れてとても立ち上がることができなかった。


「カーチャ……」


 もう一人同じ制服を着た女の子――白峰しらみねかえでがそばにやってきて、二人で恵花を立たせた。


「なんで……どうして……うああ…………」


 恵花は大粒の涙をぼろぼろと流しながら泣いていた。


「麻世ちゃん……麻世ちゃん………」


 途中でひざまずいてしまい、泣き続けていた。


「……」


 翠妃もかえでも涙を流して泣いていた。


「白峰……氷樹かずきは?」


 かえでに声をかけたのは同じ学校で同じ部活の木下きのした祐輔ゆうすけだった。氷樹、とは、彼らの同級生で、今葬儀が行われている桐原きりはら麻世の兄だった。氷樹とは中学以来の友人だった。

 

「……まだ見かけないの」


 かえでは目を真っ赤にしながら言った。


「そうか……」


 祐輔はまだ泣き叫んでいる恵花を痛ましそうに見ていた。



 ◇ ◇ ◇



 一人の男の子が電気もつけていないある部屋で座り込んでいた。ただじっと何もない場所を見つめていた。その表情には全く生気が感じられない、ただ空虚に満ちていた。


「……氷樹くん」


 薄暗い部屋に光が差し込む。一人の女の子――奥平おくだいら紗香さやかは男の子――氷樹に語りかけた。


「氷樹くん……」


 紗香はすすり泣きながら氷樹に寄り添った。彼女は氷樹の幼馴染だった。


「どうしてなの……? どうしてこんな……」


 しかし氷樹の瞳は全く動く様子もなく、ただ変わらずに生気のない瞳で宙を見つめていた。

 今執り行われている葬儀は氷樹の妹、麻世の通夜だった。享年十四歳。自宅で手首を切り、命を絶った。

 母親が最初に発見し、氷樹が部屋に入った時にはもう手遅れだった。絶命してから少なくとも八時間以上経っていたと後の救命医から説明された。

 麻世はとても聡明で容姿端麗な女の子だった。小学校時代は全国の学校で一番の名門と言われている紹蓮しょうれん女子に通い、中学生になると国立の名門、霧ヶ谷きりがや大附属に通っていた。しかし二学期からは氷樹の通う星蹟せいせき学院に転入していた。

 学校をそこまで転々としていたのには深い理由があった。

 麻世は実の兄である氷樹を愛していた――小学校時代から氷樹のことを一人の男性として見ており、やがてその愛情は盲目的なものになった。氷樹の周りの女の子に異常な敵対心を燃やし、彼女が中学二年生になる前、氷樹に愛の告白をし、両親にも伝えた。

 しかし氷樹には付き合っていた女の子がいた。その女の子は麻世と同い年で、同じく星蹟学院に通っている。

 かつて二人は親友のように仲良くしていたが、麻世がその女の子が氷樹と付き合うことを知ると、一転して彼女のことを攻撃、絶縁した。

 その後は兄である氷樹に愛情を求め続け、二人だけの世界を築こうとしていたが、氷樹が自分のことを異性として愛してはくれないこと、兄妹というこの世で最も近い存在が故に氷樹を愛することができなかったことに絶望し、命を絶ったのだった。



 ◇ ◇ ◇



 恵花はまだ震えて泣いていた。麻世の死を知ったのは彼女が命を絶った翌日だった。

 麻世が命を絶つ直前には彼女が恵花の家を訪れていた。そして、自分に対して感謝の言葉まで言ってくれていた。

 また新しい生活が始まると信じていた。けどその翌日、麻世は来なかった。ずっと待っていたが来なかった。氷樹にも連絡したが電話も繋がらなかった。とても不安で不安でたまらなかった。

 そして受けた電話が氷樹の父親からで、麻世が亡くなったという連絡だった。その瞬間、全てが真っ白になった。

 恵花は麻世のことを実の妹のようにとても可愛がっていた。麻世も恵花のことをとても気に入っていて、恵花の十六歳の誕生日にはバースデイ・パーティーも企画してくれた。

 そんな彼女が命を絶ってしまうなんて――氷樹を愛することも恵花は理解を示してずっと麻世の味方だった。


「麻世ちゃんを……救うことができなかった……」


 恵花は震える涙声でそう漏らした。


「あの日……麻世ちゃんは私の家に来た。氷樹のことを愛している……けど……それが叶うことはないって……」

「カーチャさん……」

「わ、私は……その時嫌な予感がしていたんだ……なんだかもう――麻世ちゃんが遠くに行ってしまう……そんな予感がしたんだ……」

「……」

「私が――私がもっと気にかけていれば……こ、こんなこと……こんなことにならずに……ううっ」


 恵花は再び呻くように泣いた。


「カーチャさんのせいじゃありません!」


 翠妃も涙を流しながら言った。


「カーチャさんが一番――一番麻世さんのことを思っていたんです! それは麻世さんが一番わかっていたはずです!! だから最後にカーチャさんのところに行ったんですよ」

「……」

「そうよカーチャ。麻世ちゃんは貴方のことが一番好きだった。最後まで心を開いていたのは貴方にだけだった」


 かえでも恵花の肩に手を置いて優しく言った。


「麻世ちゃんは私のことをお姉さんだって言ってくれた……それなのに……何もできなかった――!」


 恵花は一層に泣き声を上げて号泣した。

 すると、紗香がやってきた。


「紗香……氷樹くんは?」


 翠妃が訊いた。翠妃と紗香は中学時代の同級生だった。


「……今は一人でそっとしてあげて」


 紗香は首を振りながら言った。


「こんなことに……なるなんて……」

「…………」


 恵花はその後も泣き続けていたが、やがて麻世と氷樹の両親がやってきた。恵花は立ち上がって涙をぬぐった。泣きはらした目をして真っ赤だった。


「カーチャさん。貴方にお礼を言いに来たの」


 麻世の母親が言った。


「え……?」


 すると麻世の父親が、


「麻世のことをとても大切に思ってくれていたんだってね。氷樹やみんなからそう聞いていたよ」

「……」

「麻世は貴方のことをとっても気に入っていたわ。貴方の話をするとき、とっても楽しそうだったから――」


 すると恵花はわなわなと唇を震わせ、再びその琥珀色の瞳から大粒の涙を流した。


「そんな――私は……私……」


 恵花は顔をゆがめて泣いた。


「すみません――私より……ご両親の方がずっと……なのに……私――」


 何とか涙を止めようとしても止まらなかった。


「いいのよ、カーチャさん」


 母親が優しく言った。


「本当にあの子のことを、大切にしてくれたんだもの」

「……」


 恵花は肩を震わせて泣いた。こんなはずじゃなかった。自分なんかよりずっと悲しみ、泣きたいのはご両親の方なのに――



 ◇ ◇ ◇



 通夜もそろそろ終わろうとする時間で、ようやく恵花も落ち着いてきていた。


「……すまない、天女目もかえでも……」

「そんなことないわ」

「ええ、そうです」

「……」


 恵花は氷樹の姿が未だに見られないことが気になった。


「氷樹は……」

「紗香がそうっとしてあげてって……」


 翠妃が答えた。


「……」


 すると、一人の女の子がやってきた。


麻矢まやちゃん……」


 女の子――立花たちばな麻矢は三人の前に来ると、言った。


「全部、私のせいなんです――」

「え?」

「私の……私のせいで麻世ちゃんは――」


 突然麻矢が泣き崩れた。


「待って、話が見えないわ」


 かえでが麻矢を支えて言った。


「私が……麻世ちゃんを追い詰めたんです」


 麻矢は泣いていた。


「麻矢ちゃん、落ち着いて」

「何が、あったんだ?」


 すると、麻矢はしゃくり上げながら話し始めた。


「麻世ちゃんが亡くなる前の日に……麻世ちゃんを屋上に呼んだんです。わ、私は――氷樹先輩のことがとても……可哀想だった。だ、だから――麻世ちゃんに言ったんです。氷樹先輩を……か――解放してほしいと――」

「……」

「その日に氷樹先輩と会ったとき……氷樹先輩がとても悩んでいて……だ、だから――私――それで……」


 麻矢は再び泣き声を漏らした。


「私のせい――私が麻世ちゃんを追い込んだ――」

「麻矢ちゃん、それは違うわ」


 かえでは何とか麻矢をなだめようとしたが、「私が……私が……」と言って麻矢は泣き崩れた。


「そうか……それで麻世ちゃんは私の家に来たんだな……」


 泣き叫ぶ麻矢を見ながら恵花が悲しげに言った。


「全部、私のせいなんです――」


 そう言うと今度は氷樹の両親のもとに駆け込んだ。


「ごめんなさい――本当にごめんなさい――」


 突然号泣しながら謝る麻矢に麻世の両親は戸惑った。


「麻矢ちゃん――どうしたの」

「私のせいなんです――麻世ちゃんが……全部私が……」


 恵花たちも麻矢のもとに駆け付けた。


「……前日に麻世ちゃんと会ったらしいんです。それで……麻世ちゃんが亡くなったのは……麻矢ちゃんが自分のせいだと……」

「何を言っている――麻矢ちゃんは麻世の友達だったのだろう?」


 父親はかがんで麻矢を慰めた。しかし麻矢は首を振りながら、


「私が……麻世ちゃんに氷樹先輩を自由にしてあげてって……それで私は……麻世ちゃんを追い込んだ……私が――」

「麻矢ちゃん――君のせいだなんてことは決してない。絶対に。だから、自分を責めないで」


 父親ははっきりと言った。


「さあ、顔を拭いて」


 ハンカチを取り出して父親は麻矢の涙を拭いてあげた。


「君は麻世と一番仲良くしてくれたお友達だろう? ありがとう」

「……」


 麻矢はずっと泣き続けていた。


「誰も悪くないのに……」


 恵花はそう呟くと、再び悲しみが込み上げてきた。



 ◇ ◇ ◇



 結局その日、恵花は氷樹と会うことができなかった。彼の心中を思うと胸が張り裂けそうになる――自分自身も麻世が亡くなったという事実が心をえぐり、とても立ち直れそうになかった。

 そんな恵花を見てかえではセレモニーホールからの帰り、家の車の中で自分の家に泊まるように言った。


「着替えなどは全部用意できるから……」

「……すまない、かえで。何から何まで……」

「いいの。だってカーチャは一人暮らしだから……」

「正直私は今、独りではいられない……とても……」


 恵花は肩を震わせた。


「今でも……どうにかできなかったのかと悔やんでいる。あの時、麻世ちゃんは助けを求めていたんだ」

「カーチャ……」

「麻世ちゃんにもう会えなくなる気がした。私がもう少し麻世ちゃんのことを……」

「もうやめて。自分を責めないで」


 かえでも涙を流しながら恵花の肩を抱いた。

 かえでの家に到着し、家の中に入った。そしてかえでは両親と妹に恵花を紹介した。


「話には聞いているよ。辛かったね。遠慮なくうちにいてくれていいんだからね」


 かえでの父親は優しく恵花を迎えた。


「すみません……本当に……」


 恵花は泣きはらした顔で言った。


「さあ、部屋を案内するわ」


 かえでは恵花を連れて自分の部屋に案内した。


「寝るときも私の部屋で……」

「うん……そうさせてほしい。私一人では耐えられない」

「ええ……でもその前にカーチャ、何も食べていないでしょう? 少し遅いけど……夕食にしましょう」


 恵花を連れて食事部屋に行った。


「……」


 二人とも食事の間は言葉をほとんど交わさなかった。

 夕食の後はお風呂に入って寝巻に着替えると、かえでは自分のベッドではなく、恵花と並んで布団を敷いてその中に入った。


「本当にありがとう、かえで。独りだったら私は耐えられなかった――」

「ううん、私も同じだから……」

「……」

「麻世ちゃんも……苦しんでいたのよね……」

「……」

「自分の好きな人と結ばれないって……どんなに辛かったか……」

「麻世ちゃんは本当に氷樹のことが好きだった。心から――兄妹だからだめだ、なんてあまりに酷だ――」

「他の女の子を敵対視していたんじゃなかった。麻世ちゃんはただただ必死だったのね……きっと。氷樹くんを思う気持ち……本当に痛いほど伝わってた」


 かえではかつて自分を敵視していた頃の麻世を思い出していた。


「もう一度……麻世ちゃんを抱きしめてあげたい――麻世ちゃん……」


 恵花は再び泣きながら言った。


「カーチャ……」


 かえでは恵花のことも可哀想に思っていた。恵花は特に麻世のことが気に入っていたからだ。


「さっきも言ったけど……麻世ちゃんにとってカーチャは特別だったのよ。本当にカーチャのことが好きで、心の拠り所だった」

「……」

「そしてカーチャは麻世ちゃんのことをとっても可愛がっていたものね……」

「本当は――私がこんなじゃ――だめなんだ――一番つらいのは氷樹やご両親の方なのに私は……私は……」


 恵花は呻き声を上げた。


「カーチャ」


 かえでは思わず起き上がって恵花の布団に入り、そっと抱きしめてあげた。小さな彼女の身体は震えていた。

 恵花はかえでの胸の中で泣いた。そしていつしか、二人とも寝息を立てていた。

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