「寄り道」売ります

紬こと菜

寄り道屋さんとの遭逢

「おーい、そこのお嬢さん」


 日差しがあまりに眩しすぎて、日焼け止めが無意味なんじゃないかと不安になるような夏真っ只中、彼は平然と立っていた。

 軽そうな金髪は、まるで鏡のように綺麗に太陽の光を映している。この猛暑日に日傘もささず、帽子も被らず、夏場に女の人がよく着ているような半袖の白いブラウスに、黒ジーンズなんて出で立ちをしていた。

 私は周りを見渡して、ようやく私が呼ばれていることに気がついた。生まれてこの方『お嬢さん』だなんて呼ばれたことはなかったんじゃなかろうか。

 見た感じは、私よりいくつか年上くらいの青年といったところ。高一の私と比べたらさすがに年上だろうが、未成年ではあるかもしれない。


「はい……」


 一体何事だろうと足を止めてしまった。早く日陰に入りたい。でもなぜか、あからさまに無視をするのもいけないような気がしてしまって、まあ一応返事をしてみた。

 ここは堤防のすぐそばだ。真昼間、いつもは上から車の走行音が聞こえるのに、今は全く車通りがない。あれ、さっきは何台か、走っていたような……。この暑さだから他に歩いている人もいないし、車が堤防の上を走っていないとなると、彼の声はよく聞こえる。


「どうも、こんにちは。はじめまして」

「は、はじめまして」

「ちょっと寄り道していかないか?」


 涼しいぞー、とあからさまに人参をぶら下げられた。猛暑日にそれは吊られざるを得ない。

 いや、これは言い訳になってしまうけれど、いつもなら高校生として、こんな怪しい誘いには乗らないのだ。しかしどうしてか、暑さで頭が麻痺してしまったか、人体が冷えを欲していたか、はたまた彼という存在に惹かれたか。とにかく彼が不審者には見えず、寄り道に何の抵抗もありはしなかったのである。


 彼は人当たりのいい笑顔を浮かべ、てくてくと歩いていく。私はぼうっとついて行った。

 やっぱり暑い。麦わら帽子を被っているので、頭に直接日差しが当たるのは避けられているけれど、それでも暑い。日焼け防止のためのアームカバーに汗が滲んだ。

「着いたぞ。いらっしゃい」

 暑さで参りそうになりながらも、よろよろと見上げる。

「『寄り道屋さん』……」

 看板にはそう記されていた。三角の屋根。バラの花が咲き誇り、その蔦がドアやらに絡みついている。建物自体はこぢんまりとしているが、ドアの上、看板の横の狭いスペースに設置されている、ローマ数字で示された大きな時計が、建物自体の存在感を強めていた。木製のドアは少し傷んでいる。ドアノブをよく見るとぐりっとねじれていた。すうっと空気を吸い込むと、同時にバラの華やかな香りが押し寄せてくる。

 静かな雰囲気だ。バラや時計が派手さを醸し出しているはずなのに、全然目立つ感じがしない。風景に溶け込んでいる。

「さあ、入ってくれ」

 ねじ曲がったドアノブを彼は引く。

 呆然としていた矢先に冷気が襲ってきた。心地いい冷たさで、今の私にはまるで天国である。

 店内は簡素だ。瓶が並ぶ棚、バーのようなカウンター。それから軽く物が広げられそうな丸テーブルと、そのテーブルのそばの二脚の椅子。全体的に照明は暗めで、開け放したままの入り口から差し込む外の光で、うちの照明と同じくらいの明るさになる。見た感じエアコンはない。

 彼はドアを閉め、アイスティーを運んできてくれた。私はシロップをたっぷり入れる。私に椅子の片方に座るよう促すと、自らも足を組んで腰掛けた。組んだ上に体重をかけるような姿勢だ。一瞬見えたつま先は私の方を向いていた。

「じゃあお嬢さん、お名前は?」

 そう聞いた直後、彼はハッとして「あ、違う違う」と首を振った。

「俺から名乗らないといけないな。俺は明道あけみち調しらべ。どうぞ下の名前で呼んでくれ」

 しらべ……さん、と私は頷いた。年上らしき初対面の青年に君付けはさすがに憚られる。

「名前だが、別に言いたくなかったら言わなくても構わない。無理しなくていいぞ」

「いえ……大丈夫です。一色いっしきうたです。詩と書いてうた」

「綺麗な名前。えーと、詩さん」

 フルネームを素直に名乗ってしまってから、これはまずかったのでは……とようやく気づく。調さんが全然警戒心を抱かせてくれないからだ。

 調さんは組んでいた足を戻して地につけ、机に少し身を乗り出す。

「看板見ただろ?ここは『寄り道屋さん』。俺はここの店主で唯一の従業員ってこと」

 寄り道屋さん、という聞き慣れない見慣れないワードにハテナが浮かぶ。

「まずは説明しないとな。その名の通り、ここは寄り道を取り扱う店だ」

 その名の通りと言われても……と苦笑いをすると、調さんは続ける。

「早く帰らなければならない理由があったり、行かなければいけない場所があったり、目指すべき未来があったりしても、ついつい寄り道をしてしまうことも、寄り道せざるを得ない状況に陥ることもあるはずだ。で、俺はその『気持ち』を買う」

「気持ちを?」

「ああ。まあでも、買うより譲り受けるの方が正しいかな……。俺はただの仲介人で、利益も損失も何もないから。売る、買うって言葉を使ってはいるが、それはあくまで便宜上の言い方って感じ」

 理解できたような、できていないような。たぶん調さん、私に全部わかってもらおうとはしていないんじゃないだろうか。

「詩さんには寄り道を買ってほしいと思ってる。寄り道をもらってくれないか?」

 さらっと軽い調子で言われ、思わず承諾しかける。

「寄り道の売買はギブアンドテイク。お代はいらない」

 何を言っているんだかさっぱりなのに、どうしてかそれを受け入れている自分に驚く。

「実際に体験してもらった方が早いな!」

 ……ん?

「どの瓶がいい?」

 満面の笑みを浮かべて調さんは立ち上がる。棚の前まで歩いて行って、両腕を大きく広げた。

 キラキラ、キラキラ、瓶はよく見ると色鮮やかに輝いている。あの瓶、まるで夕焼けを閉じ込めたかのような橙。あっちは、さざなみの音が聞こえそうな壮大な海の色。

 調さんの勢いに押されて、私もふらっと瓶に近寄る。

「あ、これ……」

 瓶は細くて小さいのに、精巧すぎるスノードームであろうか、中には清廉な景色が広がっている。

 私が目を奪われた瓶には『神社』が詰め込まれていた。一部塗装が剥がれた朱色の鳥居。雑木林の中にある?

「お、いいな。見る目ある」

 その瓶を持たせてくれた。そして、瓶の蓋を回すように示される。

 え、え、え、と困惑しつつ、その蓋を一気に開けた。


 神社だ。

 セミの鳴き声。そびえ立つ鳥居。その奥には、賽銭箱。社殿。決して壮大な造りではないのに、ハッと意識が持っていかれそうになる。

「この寄り道を売ってくれたのは、神社の近くに住んでいて、いつも賽銭を入れる少女だ。本当はお参りしたいのに、今はその時間すら惜しいんだな」

 木漏れ日が鳥居に降り注ぎ、美しい。

「詩さん、寄り道なんてしたことないだろ」

「……はい。うちはお姉ちゃんが優秀で、お母さんはお医者さんで、私も頑張って勉強して、もっと成績を上げないといけないから……、さっきは気晴らしになるかと思って図書館に本を読みに行ったけど、勉強のことが気になっちゃって、すぐ帰ってきてしまって……」

 寄り道をしようなんて考えたこともなかった。穏やかに神社を見つめたり、お正月でもないのに参拝したりなんて、思いつきもしなかった。

「建造物を見るのはいいぞ。神社は神様にも触れられる、ほら、こんなに近くに」

 調さんがいろいろ話してくださっているけれど、私の耳には入らない。

 今だけ勉強のことも忘れて、他の人のことも忘れて、神社の世界に浸っていたかった。

 どれだけ時が経っただろうか。私はお財布から五円玉を取り出して、賽銭箱に投げ入れた。ちゃりん、と音がした。

 二礼二拍手一礼の後、目を開けると、調さんは待っていてくれていた。

「これも立派な寄り道だ。どうだった?」

「……わからないけど、すごく、好きでした」

 調さんは満足げに語る。

「また寄り道したくなったら、ぜひ来てくれ。ここで売ってる寄り道はどこかへ行くことだけじゃないぞ。夢に向かう途中、ちょっと道を逸れてもいいんだ。詩さんが寄り道が苦手で、息苦しくなったら、息をするのを手伝うよ」

 そっと調さんは微笑み、私の手をその両手で包んだ。安心する。

「ありがとうございました」

 深々とお辞儀をすると、「こちらこそ、一緒に寄り道できて楽しかった」と優しく返してくれた。

「あの、どう帰れば……?」

「ほら、あっちに詩さんが歩いていた道があるのはわかるか?」

 指さされて見てみれば、確かにそうだ。やっぱり空間感覚が変になってしまっていて、ん?と疑問はあったけれど、こういうものなんだと割り切ることにしてしまおう。

「さようなら、調さん」

「おう、またいつか」

 足を踏み出し、何歩か進んだ。


「またのご来店をお待ちしております」


 もう一度頭を下げようと振り向いたが、既に調さんはいなかった。

 あの目立つ金髪も、何もかも、影ひとつ残ってはいない。調さんは忽然と消えてしまった。

 私がいるのはあの道である。さっきの、草が生い茂る道だ。たった数歩しか歩いていないはずなのに、もうこの場所。


「調さん……?」


 私は恐る恐る声を出してみた。もちろん返事はない。

 ふと思い立って腕時計を確認すると、調さんに話しかけられた時から30分ほど時が進んでいた。もっと経っていたような、いや、もっと一瞬だったような、よくわからない感覚に襲われる。

 寄り道なんて初めてしたから知らないけれど……、楽しい寄り道って、ああいうものなんだろうか。


「帰るかぁ」


 家に帰れば勉強が、お姉ちゃんが、お母さんが、待っている。だけど今の私の家はそこで、私は帰らなければいけない。

 ほんのちょっとだけいつもより体が軽いのは、寄り道をしたから?

 何ひとつ状況は変わっていないのに、暑くて暑くて茹だりそうなのに、なんで笑みが溢れてくるんだろうか。

 大きく伸びをして上を見て、太陽の眩しさにびっくりした。

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「寄り道」売ります 紬こと菜 @england

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