第5話 父 捨ててください
ガーランド公爵には、優秀な長男と美しい娘に恵まれた。
特に金髪で、美しい緑瞳のアニータは妖精のような神秘的な美貌を持つ娘だった。
ガーランド公爵は、娘が世界で一番可愛いと思った。
眼の中に入れてもいいくらい娘を溺愛した。
娘が18歳になった時に、ガーランド公爵に衝撃が走る。
アニータが、珍しく執務室を訪れたので、公爵は喜んでアニータを出迎えた。
頬をピンク色に染め、ウットリと何かを思い出している美しい娘に、公爵は思わず見とれた。
美しいアニータが言った。
「お父様。私、愛する人ができました。ロビン様と結婚させてください。」
ガーランド公爵は愕然とする。
「えっ、、、なんだと、、、、結婚。」
アニータは微笑んで言った。
「ええ、グリセンコフ侯爵家嫡男のロビン様です。とても素晴らしい人です。」
ガーランド公爵は言う。
「まってくれ、アニータ。まだ結婚だなんてお前には早いだろ。」
アニータは不思議そうに返答した。
「まあ、お父様。私のお友達はすでに結婚された方が何人もおられますわ。お母様もそろそろ相手を決めるようにおっしゃっていましたから。」
ガーランド公爵は、ロビン・グリセンコフ侯爵子息をよく知っている。ガーランド公爵家とグリセンコフ侯爵家で進めている輸入共同事業は、ロビン・グリセンコフ侯爵子息が主導している。銀髪碧眼のロビン・グリセンコフは、4か国語を話し、交渉能力に優れていた。特に女性からの人気が高く、輸入事業の要になっていた。
ガーランド公爵は言う。
「ロビン・グリセンコフは、アニータにはあわな、、、、、。」
ガーランド公爵の言葉を遮りアニータは言う。
「初めてお会いした時に、私が躓いて倒れそうになった所を支えていただいたのです。体格がよくて、とても力が強くて素敵でした。こんなにドキドキした事は初めてです。ロビン様に、貴方の男らしい所に惹かれたと告白したら、嬉しそうに了承してくださいました。こんな素敵な出会いがあるなんて。お父様ありがとうございます。お父様が、開催した輸入共同事業パーティで私は運命の人と出会えました。」
ガーランド公爵は娘が父親を心から尊敬する眼差しを久しぶりに見た。
年頃の娘は、ここ数年父であるガーランド公爵を避けるようになっていた。
父親と話をしてもつまらない。鬱陶しいと言うのだ。
こんな娘を見るのは、久しぶりだった。
もし、ここで強固に反対したのなら、以前の娘に戻ってしまうとガーランド公爵は気が付いた。
ガーランド公爵は震えながら、なんとか言葉を絞り出した。
「アニータ。おめでとう。素晴らしい相手と出会えたな。」
アニータは満面の笑みで告げた。
「はい。お父様。」
最近いつも冷たかったアニータが、久しぶりに父に微笑みかけてくれている。
そうだ、一度認めるだけだ。あの女性にいつも囲まれているロビン・グリセンコフと娘が続くはずがない。
アニータは、大事な私の娘だ。
渡してたまるか!
ガーランド公爵は、ロビン・グリセンコフを徹底的に調べる事に決めた。
ロビン・グリセンコフは、その見た目と行動に反して清廉潔白な人物だった。どうやら、パーティや交渉の場で女性達に愛想良くしているが、今まで深く付き合った女性はいないらしい。
唯一、学生時代にクリスティーナという没落した貴族令嬢と交際していた噂があったみたいだが、学院の外で会う事はなく、調べさせた者によるとクリスティーナが一方的に付き纏っていたようだと言っていた。
外見がよく、多国語にも通じ、仕事もできる。
女性関係も問題なく、最近はアニータと会う度にアニータへの贈り物だけでなく、家族へのプレゼントも持参しており、妻までロビン・グリセンコフを好意的に思っているようだ。
ガーランド公爵は、一人きりになった執務室で机を思いっきり叩いた。
くそ!
このままだと、アニータは結婚してしまう。
私のアニータが、、、
妖精のようなアニータが、、、
ガーランド公爵はどうしても納得できなかった。妻やアニータがロビン・グリセンコフに笑いかけている事が、とても気になった。
娘にしても妻にしても、あんな笑顔を私に向けてくれる事は、多くて年に数回だ。だがロビン・グリセンコフには会う度に、嬉しそうに微笑みかけている。
このまま、あの若造に取られてもいいのか!
こうなったら、、、
ガーランド公爵は、一枚の誓約書を持参してグリセンコフ侯爵家を、単身訪ねて行った。
ロビン・グリセンコフ侯爵子息が応対した。
ロビンは笑みを浮かべ、ガーランド公爵へ言った。
「ガーランド公爵様。お越しいただいてありがとうございます。」
ロビンの甘いマスクは、仕事仲間として、とても重宝してきた。だが、妻と娘に向けられるとなると話は変わってくる。
ガーランド公爵は言った。
「娘が君とすぐにでも結婚したいと言っている。君はどう思っている?」
ロビンは真剣な表情で言った。
「私もアニータ嬢の事を愛しています。必ず幸せにします。だから、認めてください。」
頭を下げるロビンを見下ろしながら、ガーランド公爵は言う。
「いいだろう。結婚を認めよう。だが、条件がある。これにサインをしてくれ。」
ガーランド公爵が提示したのは、結婚生活に関する誓約書だった。
『ロビン・グリセンコフは、アニータ・ガーランドに対して結婚後3年子供ができるような行為を行わない。この誓約については、アニータを含め誰にも話してはならない。』
それを見たロビンは、驚いて公爵へ尋ねる。
「これはどういう事ですか?」
ガーランド公爵は言った。
「娘は、君に比べとても小柄だ。まだ若い娘が妊娠して子供を産む事は体の負担になるだろう。私は心配なのだ。君はとても女性達に人気がある。これから沢山の女性との出会いも多い。3年子供がいなかったら婚姻無効を申請する事もできる。正直、結婚については了承するつもりだが、私は君がアニータに相応しいか確信が持てない。アニータには、他国の王族からの結婚の申し込みも何件か来ているのだよ。」
ロビンは言った。
「ですが、この条件はあまりにも、、、」
ガーランド公爵は言う。
「本当に愛しているなら3年くらい我慢できるはずだ。そうだろう。この誓約書にサインできないなら、結婚を認める事はできない!」
結局ロビン・グリセンコフは了承した。
真面目なロビンは約束通り結婚後もアニータに手を出さなかったらしい。
パーティでアニータとロビンが仲睦まじい姿を見る度に、アニータはもう帰ってこないのではないかと不安に感じていたが、遂に娘が帰ってきた。
窶れてしまったが、妖精のような娘はとても美しい。
妻もしばらく、娘にゆっくりするように言っている。
屋敷にいる娘を慰めて距離を縮め、また笑いかけて貰うのだ。
だが、その前にガーランド公爵にはやらなければいけない事があった。
ガーランド公爵は、グリセンコフ侯爵邸を尋ねた。
クリスティーナという名の娘はすでに屋敷から追い出されているようだった。
屋敷は、侯爵夫人が出ていった事により通夜のような重苦しい気配に包まれていた。
応対するロビンに対して、ガーランド公爵は言った。
「ロビン。私は君の事を信頼している。
仕事のパートナーとして君程有能な人物を知らない。
だが、娘の結婚相手としては別だ。
今日は離婚届けを持ってきた。
私が手続きをしておこう。
それから、
あの誓約書を、
捨ててください。」
ロビン・グリセンコフ侯爵子息は、諦めたように離婚届に記入した。
ロビンは、鍵がかかった引き出しから誓約書を出してきて、ガーランド公爵に見せた後に、暖炉へ投げ捨てた。
誓約書には、
『ロビン・グリセンコフは、アニータ・ガーランドに対して結婚後3年子供ができるような行為を行わない。この誓約については、アニータを含め誰にも話してはならない。』
という文面と共に、ロビンとガーランド公爵のサインがはっきりと書かれていた。
一瞬で燃え消えた誓約書をみて、ガーランド公爵は満足そうに笑い、グリセンコフ侯爵邸を後にした。
残されたロビン・グリセンコフは何か思い詰めた表情をして暖炉の炎を見つめていた。
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