8月9日ー原爆が落とされた日ー
くじらのなみだ
閃光と爆音、熱風と黒い雲
僕は兵隊になるってそう思っていた
それは突然やってきた
8月9日いつものように僕らは野菜を作るために校庭を耕していた、
日本は今、戦争している、
毎朝おばあちゃんと聞いてるラジオで
昨日も日本の兵隊さんが敵国の戦艦を沈没させたと戦果を報告してくださっていた、
兵隊さんの偉い人は日本は絶対に勝つから
我慢してくれと言っていた、
だから僕達はお腹が空いても我慢出来る、
喉が渇いても外で畑を耕すし
立派な兵隊になるために訓練も頑張る
休みがなくたって平気なんだ、天皇様のために僕らは頑張れるから!
先生が畑作業を終わりだと言った、
これから授業だ、僕らは汗を拭いながら教室に戻る
いつからか紙が作れなくなったようで、新聞紙にノートをとるようになっていた、これがなんとも見にくくて大変だった、だけど立派な兵隊になるためには勉強も大事だと先生が言っていたから僕は頑張れる、
いつものように授業を受けていると
けたたましいサイレンがなった、空襲警報だ
敵の戦闘機が来たんだ!
ざわめく僕らに先生は言った
「お前ら!早く防空壕に走るんだ!早く!」
そう言って天皇様の写真を抱えて先生が僕たちを先導した、
夏の真っ盛りということもあり防空壕の中は蒸し暑かった、しかも狭いので全員が入る頃には僕らはおしくらまんじゅうのようになっていた
どれくらいの時間が経っただろう?
暑さでクラクラしてきた、この前は広島が空襲を食らって、火の海になったと聞いた、
おばあちゃんは長崎には造船所があるから危ないかもねと言っていた、もしかしたら長崎も火の海になると考えると怖くて気分が悪くなってきた、
「よしお前ら!教室に戻れ!」
外から帰ってきた先生が安全を確認したのか教室に戻ることを許可した、
それから僕らはいつものように授業に戻って行った、しばらく授業を受けているとまたサイレンがなった、先程と同じようにみんなは防空壕に走っていった、
僕は気分が優れず走る気力もなかったのでノロノロついて行ってると長崎の中心近くの空に戦闘機が見えた、立ち止まって凝視していると黒い玉を落としたのが見えた、
なんだろう?
真っ直ぐ落ちてくるそれは空の真ん中で炸裂した、
閃光
目が焼かれるかと思った、驚いて目を閉じた
爆音
腹の底に響くような轟音が遅れてやってきた
僕は慌てて地面に伏せて耳と目を塞いだ
熱風
防空壕の中とは比べ物にならないほどの熱風が吹いてきた、吹き飛ばされそうになるが必死にうずくまる、体の感覚がない、それから僕は気を失った。
痛みで目が覚める、身体中焼けるように痛い
目も開かない、我慢できずに泣いてしまう
誰かが気づいたのか僕の手を握ってくれた、
それからしばらくしておばあちゃんがやってきた、おばあちゃんは僕の身に何があったのか教えてくれた、
あの日敵の戦闘機が爆弾を落として長崎は壊滅したらしい、僕は身体中火傷しているらしい、そして僕は6日間も起きて泣きわめいては気絶するのを繰り返していたらしい。
ラジオから声が聞こえてきた、天皇様の声だ
「私は、世界の情勢とわが国の現状とを十分に考え合わせ、非常の手立てをもってこの事態を収拾しようと思い、私の忠義で善良な国民に告げる。
私は政府に対し、アメリカ、イギリス、中国、ソ連の4カ国に、四国共同宣言を受諾することを通告させた。
そもそもわが国民が健やかに、安らかに生活できるよう心がけ、世界の国々とともに栄えその喜びを共有することは、歴代天皇が手本として残してきた教えで、私も常に念じてきたところでもある。したがって、さきに、アメリカとイギリスの二国に宣戦布告した理由もまた実に、わが国の自存とアジアの安定を心から願ったためであって、他国の主権を押し除けたり、領土を侵したりするようなことは、もちろん私の意志とは異なる。しかしながら、この戦争が始まってすでに4年がたった。陸海軍の将兵は勇戦奮闘し、多くの役人たちも職務に励み、一億国民も各職域に奉公してきた。それぞれが最善を尽くしてきたが、戦局は必ずしも好転せず、世界の情勢もまた我々に不利である。そればかりでなく、敵は新たに残虐な爆弾を使用して、多くの罪なき人々を殺傷し、惨害がどこまで広がるかはかり知れない。なおも戦争を続けるなら、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも打ち壊すことになるであろう。そのような事態になれば、私はどうして我が子のような国民を保護し、歴代天皇のみたまにお詫びできようか。これこそ、私が政府に対し、ポツダム宣言に応じるようにさせた理由である。
私は、わが国とともに終始アジアの解放に協力した友好諸国に対し、遺憾の意を表明しないわけにはいかない。わが国民のうちで戦死し、職場で殉職し、不幸な運命で命を落とした人々やその遺族に思いをはせると、まことに悲しみに耐えない。また、戦争で傷を負い、戦禍に遭い、家業を失った人々の厚生を考えると深く心が痛む。思うに、これからわが国が受ける苦難は尋常ではないだろう。わが国民の心中も私はよくわかっている。しかし、時世の移り変わりはやむを得ないところで、耐えがたいことを耐えて、忍び難いことも忍んで、未来の平和を実現するために道を拓いていきたい。
私は今ここに、国体を護持し得て、忠良な国民の真心を信じ、常に国民とともにある。もし激情にかられて、みだりに問題を起こしたり、同胞が互いに相手をけなし、おとしいれたりして時局を混乱させ、そのために人間の行うべき大道を誤って世界から信義を失うようなことがあれば、それは私が最も戒めたいことだ。全国民が家族のように仲良く分かち合い、長く子孫に受け継ぎ、わが国が不滅であることを固く信じ、国の再建と繁栄への任務は重く、その道のりは遠いことを心に刻み、持てる力の全てを未来の建設のために注ごう。道義心を大切にし、志を強固にして、わが国の美点を発揮して、世界の進歩に遅れないよう努力しなければならない。わが国民よ、私の意のあるところを十分汲み取って身につけてほしい」
先生やおばあちゃんが泣く声が聞こえる
「おばあちゃん、天皇様はなんて言ったの?」
おばあちゃんが僕の手を取った、その手はとても震えていた
「日本はね、戦争に負けたんだ、終わったんだよ」
僕は理解が出来なかった、だってずっと日本の方が優勢だって、勝ちは確実だってラジオで言ってたじゃないか!
僕達はそう言っていたから勝つためにお腹すいたのも休みがないのも我慢していたのに!
なんだったんだ今までの苦労は!
プツンと何かが切れた音がした、そして僕は眠りに落ちた。
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8月6日は広島に原子爆弾が落とされた日
8月9日は長崎に原子爆弾が落とされた日
8月15日は日本が降伏した日
くじらのなみだは長崎にて生まれ長崎にて育ちました、長崎の小・中学校では平和や戦争に対する特別授業なものが設けられています
それによって夏休みにも登校日があります、
その授業の中で被爆者のお話を聞かせて頂いたり、原爆の被害にあった場所や人の写真を見たりしました、人が丸焦げになって倒れている写真や神社の鳥居が爆風によって半分吹き飛ばされて片足でたっている様子、小学校低学年の子が死んだ妹をおんぶしながら死んだ母親が火葬されるのを唇をかみ締めて見る男の子の写真もありました、
僕は真面目な生徒では決してなかったのですが幼い頃からこの授業の大切さがわかっていたのか、この授業だけは真面目に受けていました。
今回書いた小説を通して、少しでも戦争に対して興味を持って、自分から調べて見てくれる人がいたらいいなと思います、第二次世界大戦は決して遠くはない昔の話です、詳しくは触れませんが現代でも大きな戦争が起こっています、当時の人間たちは先生の言葉やラジオで聞く言葉が全てだったのです、だから日本は悪くない、絶対に勝てると盲信していました、しかし僕らはインターネットで調べられますTwitterやニュース、ネットニュースで流れてきた情報を真実と決めつけずに様々な情報を見比べて何が正しいのか自分で考えてみてください、それでもし間違っていても、あなたが戦争について、平和について考えた事実は残ります、その心がこれからの人生を豊かにしそれを広めて、あなたの人生だけでなく周りや世界を豊かにして行って欲しいです。
最後に僕は真面目でもなく優しくもなく、まともな人間では無いので、平和を願って何か行動などしたりはしませんが、
僕の知らない場所で起こった知らない戦争や僕の知っている戦争の全ての被害者にご冥福をお祈りします。
玉音放送(日本が負けたことを告げるラジオ)
の内容はこのサイトから引用させていただきました
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6102140fe4b0d1b96e621f96
8月9日ー原爆が落とされた日ー くじらのなみだ @Qujilatear
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