クソゲー過ぎんだろ

 子どもの頃から、俺の視界は他とは違うらしかった。


 道を歩く中で、たまに見る真っ黒い影の人間。

 ソレは前を歩く人をずっと見つめながら付いて行って、まるで不審者のようだった。


「ねぇ、ママ。あのひとってなんでずっとあのおじいさんのことをみてるの?」


「うん? あの人ってどの人?」


「あのひとだよ。めのまえの、あのまっくろいひと」


「……? 誰の事?」


 結局、母にはソレを理解してもらえなかった。否、母だけでなく、父も、祖父母も、友達も、ソレに見られている人にさえ理解されることはなかった。初めは、みんな嘘をついてるんじゃないかと子どもながらに思ったのだが、どうやら本気で見えていないらしかった。


 とはいえソレがすることといえばただ「見つめる」こと。言ってしまえばそれだけのことなのだ。触ろうとしても触れないし、俺が何かしても一切反応を示さないものだから、初めは不気味で恐怖を抱いていたソレに、俺もいつしか気にならなくなっていた。



 小学5年生の冬の頃だ。


 友達と公園で遊んでいると、ソレを連れた少年がいた。

 確か小2くらいの、髪の短い子だったと思う。その子は他の子と一緒に楽しそうにサッカーで遊んでいた。


 でもある時、友達と思しき子が蹴ったボールの勢いが強くて、公園の外まで転がっていってしまったことがあった。


 少年はボールを追いかけ、公園の外まで駆けていく。


 俺は、ソレと少年の距離が今までに見たものよりもやけに近いことが気になって、一部始終を見続けていた。


 だから、その目でしかと視てしまったのだ。


 道路に出た少年の肩を、ソレがぽんと叩いたことを。

 次の瞬間、真っ白な車が少年を突き飛ばした光景を。


 茫然と見ることしかできなかった中で、近くの人が救急車を呼んだのか、すぐに少年は病院に運ばれていったけれども、結局彼は助からなかった。


 あまりに残酷で、まだ幼い子どもだった俺や同級生達にとっては一生忘れられないトラウマとなる出来事。その場にいた友達のほとんどが翌日の学校を休み、一部は精神科を受診したほど大きな事件だったが、俺の中では負の記憶が刻み付けられると共に、あるひとつの真実を理解せざるを得なかった。


 ソレは死神なのだ。死期が近づいてきた人間の背後に徐々に近づいていき、触れることで対象を死に追いやる。


 残酷で、胸糞悪い、俺にしか知覚できない死神。人の死の瞬間を見たのはあれきりだが、間違いなくそうなのだという奇妙な確信があった。




 だから、このまま放置すれば、絢音は間違いなく死んでしまうのだ。




 ——どうする……どうすればいい!


 ピアノ教室でコンクールのための練習をしながら、俺は必死に彼女を救う方法を考えていた。


 昨日見た時はそこまで近くはなかった。多分期限は今週の日曜から来週の月曜辺りだろう。

 それまでになんとかして彼女から奴を引き剝がさなければならないのだが……。


「ちょっと、立鹿りつしか君! 全然ダメじゃない。どうしちゃったのよ」


 一連の演奏を終えた俺に、先生が心配そうな表情を浮かべて言った。


「すみません」


「コンクールが近くなってきたから緊張してるの? 大丈夫よ、あなたなら絶対全国に行けるわ」


「はい」


「……ちょっと休憩しましょう。外の空気でも吸ってきなさい」


 珍しく先生が早めの休憩時間を取らせてくれた。余程俺の様子がおかしいらしい。


 でもそうだよな。大切な人の死がすぐそばまで迫って来ているって分かってて、平然とできる人なんていないだろうな。


 俺だって本当はもっとピアノの練習をしたいよ。絢音に良いところを見せたいよ。


 でもさ、今はそんなことどうでもいいんだよ。


「畜生」


 先生に言われた通り外に出て、近くの公園のベンチに腰掛けた。


 セミが喧しく鳴き喚く炎天下だ。一応木陰の中のベンチを選んだのだが、蒸し暑さに5分と経たずに汗が噴き出してくる。


 なんとも、なんとも息苦しい。


 昨日から悩みに悩んで、必死に解決策を探しているものの、これといったものが思いつかない。それもそうだ。俺が分かるのは人の死期だけ。死因が分かればまだ何とかなるかもしれないのに、そうでない以上対策の仕様がないのだから。


 早い話、絢音の死因が心臓麻痺みたいな突然死の可能性だって有り得るのだ。


 それにたとえ死因が分かったとして、完全に回避なんかできるのだろうか。猛スピードで走る車から絢音を守ったと思った矢先、殺人鬼に刺し殺されたりするかもしれない。そいつをなんとか返り討ちにしたとしても、今度は家のベランダから鉢植えが落ちてくるかもしれない。そしてそれを防いだとしてもそれこそ絢音が心臓麻痺でも発症したらゲームオーバーだ。


 1回だけ守ればまだイケるかもしれない。本気で周囲を警戒して、絢音に病院に行かせてどこも異常がないか診てもらえれば。

 でももしかするとそうじゃないかもしれない。それどころか俺の余計な行動のせいで絢音の死期がさらに短くなってしまうかもしれない。何が条件でソレがいなくなるのかが分からない以上、ソレが急接近するようなきっかけだってあるかもしれないのだから。


 つまり、俺が今やろうとしていることは。


「クソゲー過ぎんだろ……」


 絢音のために何ができる? 何をするのが正解なんだ?


 最適解を選ばないといけないのに、無数に存在する選択肢の先がどれも暗闇に覆われていて何も見えない。この世界がたとえばゲームとかで、俺がタイムリーパー的な力を持ってたらそれぞれの顛末が分かるのに、ここは紛れもない現実で、そこで生きる俺は非力で無力でちっぽけな存在でしかない。

 絢音のもとに『死』という最悪な顛末が来ることしか分からない哀れな存在でしかないのだ。


 思考が頭の中で渦を巻く。首筋に嫌な汗がだらりと流れるが、タオルがないので手で拭き取る。

 しかし汗は止まらず流れ出る。拭き取り、拭き取り、拭き取って——。


「——なーにやってんの?」


 突然頭にタオルが降ってきた。


 ピンク色でほんのりと柔軟剤の香りがする。見上げるとペットボトルのお茶を飲む絢音がいた。


「こんな暑い日に外にいるとか、修行でもしてるの?」


「……先生が外の空気吸ってこいって」


「いや、それにしてもやりすぎじゃない? 汗で服がビショビショだよ」


 そう言われて服に目を落としてみると、なるほど確かに、水をぶっかけられたように服全体に黒みがかったシミができている。嗅いでみると嫌な臭いがして思わず鼻をすぼめた。


「制汗剤、いる? もう遅いかもだけど」


「欲しい、かな」


 制汗剤を受け取りながら、俺は懐から携帯を取り出した。どうやら教室を出てから1時間以上経っていたらしい。体感では10分くらいだと思っていたのだが。


「で、なんで外に? ピアノあんまり調子良くないの?」


「あ、あぁ。ちょっとな。そういう絢音はなんでここに? バイトじゃなかったか?」


「今日はお昼で上がりなの。んで、ちょうどこの道通って帰るからさ、たまたまこーくんを見つけたってわけ」


「あー、そういうことね」


 タオルで汗を拭いて、首筋や脇に制汗剤のスプレーをかけつつ、俺は平常を装いながら頷いた。



 ……未だに、奴が絢音を背後から睨んでいる。



 まだ少し距離はあるが、明らかに昨日よりも近くなっている。見間違いであって欲しかったが、残念ながらそうもいかないらしい。


「……クソが」


「ん? なんか言った?」


「いや。それよりほら制汗剤返すよ。ありがとう」


「んー」


「本当に助かった。絢音がいなかったら熱中症で倒れてたかもしれない」


「あ、そう? 私ってもしかして命の恩人?」


「そうだよ。命の恩人様だ」


 絢音が嬉しそうにふふんと鼻を鳴らした。


 実際、絢音が来なかったら俺はずっと考え込んでたかもしれない。水筒は持ってきたけど飲むことすらも忘れてたし、改めて考えるとかなりイカれたことしてたんだな、俺。


 そんな俺に、絢音は調子良くなったようで、


「ということは、ですよ。こーくんは命の恩人の私に何かお礼をしなくちゃいけないわけだ」


「う、うん? まぁそうなるけど」


「じゃあさ、じゃあさ! 私のお願いを聞いてくれる?」


「何、お願いって?」


「これこれ」


 絢音は鞄から財布を取り出し、中にあった2枚の紙切れを取り出した。その紙切れに書かれた文字を読んでみる。


「『ディスティニースペシャルジャパン』ペアチケット?」


「そう! バイト先の友達から貰ったの。期限がもう短くて行く予定がないからって。凄くない?」


「凄い、凄いかぁ?」


 ディスティニースペシャルジャパン、略してDSJは日本でも最大級の遊園地だ。昔何回か行ったことがあるが、アトラクションの種類が豊富でかなり楽しかった記憶がある。


「凄いって言ったら凄いの。……でさぁ、こーくん。次の月曜に一緒に行かない?」


「えっ」


「ほら、日曜にピアノあるでしょ? それのお疲れ様でした会的な感じでさ!」


 驚き、思わず俺はチケットから目を離した。

 目を合わせた絢音ははにかみながら微笑んでいる。


 ——まさか、絢音が俺を誘ってくれるなんて。


 ペアチケットってことはふたりきり、ってことでいいんだよな? 絢音とふたりでDSJ……。


 やばい、どうしよう。制汗剤って汗止める物じゃなかったっけ!?


「ふたり、きり」


 そこで俺ははっと我に返った。


 ふたりではないのだ。他に友達を呼ばなくても、家族と一緒でなくても、絶対に俺と絢音はふたりきりにはなれない。


 何故ならば、現状俺が頭を抱えている対象がいるのだから。


 それにその日は月曜日。こいつが絢音を殺すかもしれない日だ。人通りが多くてあまり知らない場所で脅威を掻い潜るのはリスクが高過ぎる。ただでさえ難易度が高いのにそれを自らで釣り上げる必要なんてないだろう。


 だから。


「……あー、申し訳ないけどその日はちょっと無理そうなんだよな」


「えー、そんなぁ……」


 絢音には悪いが、これも彼女のためだ。


 もし死を回避できたら、一日中回って、家に帰ったらすぐに布団に倒れ込むくらい遊び尽くそう。

 そうは思いつつも、そんな未来が果たしてやってくるのかという不安が、俺の心の大部分を占めていた。


「ちなみに、なんでダメなの?」


「あー、えーっと、ちょっと親の手伝いをしなくちゃいけなく——」


 それに気付いた時の反応を絢音の前に出さなかったのは、我ながら称賛に値すると思う。


 言葉を失った俺を不思議そうな顔で見る絢音。その背後にいる影がこちらを睨んでいる。



 絢音ではなく、『俺』を睨んでいるのだ。



「どうしたの、こーくん?」


「…………いや、ワンチャン行けるかもしれない」


「え、そうなの!?」


 絢音が嬉しそうに声を上げた。


「どうして?」


「もしかしたら俺の記憶違いで別の日だったかも、って思ってな」


「あーね。じゃあまだ分からないんだ」


 少し残念そうな表情で絢音は言った。


 コロコロと変わる絢音の表情を眺めながら影を見やると、影は何事もなかったかのように絢音の方を睨んでいた。


 これってつまり、そういうことか?


 なんでだ? なんでそうなるんだ……?


「夜とかには分かりそう? まだ日はあるし、別に急かすつもりはないけどさ」


「そう、かな。まぁ近い内に連絡するよ」


「分かった。……そういえばさ、時間大丈夫なの? もう結構ここにいると思うけど」


 そう言ってもらえて救われる思いだよ。

 今はちょっと、考える時間が欲しい。


 俺は慌てたような演技でベンチから立ち上がった。


「あっ、あーそうだわ。やばい。先生に怒られる!」


「ふふっ。じゃあね。バイバイ」


「おー。タオルこれ、明日洗って返すから。本当にありがとな!」


 公園を抜けて教室まで走る。振り返ると絢音は俺に手を振っていた。



 ——影は絢音を睨んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る