死神の表情
狛咲らき
帰り道の非日常
きっとこれはよくあること。
フィクションでは飽きるくらいに語られて、ウンザリするくらいに描かれた、日常的な非日常。
でもそんなマンネリを面白いって思えるのは、みんなこういうことが実際には起こらないって確信してるからだ。
非日常なんて何も起こらず、平和な日常が続くのだと。
そう、俺も思ってたんだ。
「ねぇ、今度のピアノの演奏会、私も観に行っていい?」
夕焼け空が広がる帰り道、不意に絢音がそう言った。
バイト帰りだった絢音が、俺がピアノのレッスンを終えるのを待っていてくれたので、一緒に帰ることになったのだ。
「別にいいけど、なんで急に?」
「だって次の演奏会って結構大きいんでしょ? 私もその日暇だし、こーくんのピアノまた聴きたいなー、って」
確かに、次の日曜日には割と大きなコンクールがある。全国大会出場を賭けた大事な日だ。
両親の方針で幼い頃からやらされ、初めは嫌々弾かされていたものの、段々とその魅力に嵌って高2になった今でも続けてきた甲斐があったというものだ。
毎年挑んでは破れて、今年遂に地区大会を勝ち抜くことができたので、今までにない最高のチャンスで最高の演奏ができるようにと、ここ数ヶ月毎日何時間も鍵盤を叩き続けている。
「と言っても、あんま面白くないと思うけどな。絢音、クラシックとか聴かないだろ?」
「そんなの関係ないよ、私はこーくんのピアノを聴きたいんだから。知ってるとか知らないとか別にどうでもいいの」
「そんなに言うなら別にいいけどよ……」
「やったー!楽しみにしてるね!」
そう言うと絢音はニッと笑って白い歯を見せる。
夕日に照らされるその顔に思わずドキリとして、俺は咄嗟に顔を逸らしてしまった。
まったく、いい加減こいつは自分の可愛さに気付くべきだ。
俺の知っているだけで10人は絢音に告白しようとしているのに、絢音ときたら、「私別にそんなに可愛くないよ」なんて謙遜をする。それも絢音の魅力ではあるが。
幼い頃から絢音はずっとそんな感じだった。決して自分を高く評価せず、けれどいつの間にか男女問わず人々の中心にいる。誰とでも分け隔てなく話す、明るくて、みんなを魅了するアイドル的存在。
俺はそんな絢音とは幼稚園から続く幼馴染であることが誇らしくもあり、同時にそれ以上の関係でないことが悔しくもあった。
だから。
「コンクール、絶対に成功させてやる」
「大丈夫、こーくんなら優勝? 金賞? 間違いなしだよ! 頑張って!」
意中の子からの応援というのは無限にやる気が湧いてくるものだ。
家に帰っても3時間、いや5時間はピアノを弾こう。
「じゃあね」
「あぁ、また明日な」
そんな思いを胸に、俺は絢音に別れを告げる。
とは言っても、俺と絢音は家が隣同士だからそこまで寂しいと思わない。
今は夏休みだから機会は少ないだろうが、これからも絢音と同じ道を歩み、行き帰りで談笑するのだ。
——そう、思っていたのに。
「……どうしたの?」
互いに家の門を開けた時、視界の隅にソレが映って体が硬直する。
何故、だ。
「こーくん? おーい、こーくんってば」
何故、お前がいる。
「聞いてますかー?」
そんなはずが、そんなことなんて。
「ちょっと、こーくん!」
「——あ、悪い。なんかぼーっとしてた。」
「どうしたの? 風邪? 熱でもある?」
「いや、本当にぼーっとしてただけだから。全然問題ないよ」
笑顔を作って適当に体を動かして見せるが、どうにも絢音の疑心は晴れないようだ。
「なんか隠してる感じがする。ちらちら後ろ見てるけど……別に何もないよね」
俺の視線が気になったからか絢音は振り返ったものの、当然彼女の目には何もない。ただ夕焼けに染まる住宅街があるだけだ。
だからこそ、絢音に伝えるわけにはいかない。
「演奏会近いんだし、ちゃんとしてよね」
「あ、あぁ。分かってる」
「……ほんとに大丈夫? 顔真っ青だよ」
「大丈夫だって。じゃあな」
言うより早く、俺は玄関の戸を開き、引き留めようとする絢音を無視して自宅に閉じこもった。
「なんで……」
まだ親の帰ってきていない時間。
ひとりきりの静寂な空間に、バクバクと早鐘を打つ心臓の鼓動の音が響き渡る。
「なんでアレがいんだよ」
どうしようもない絶望感が俺を襲う。
楽しい時間が嘘だったように、俺の身体は驚くほど冷え切り、手足は震えていた。
絢音の背後にいたのは黒い人型をした化物だった。
シルエットのように全身が闇に包まれていて、まるで影のよう。しかし目だけははっきりと見え、絢音を一瞬たりとも逃さぬと捉えていた。
そのことを絢音に伝えてはならない。
たとえ伝えても、きっと信じてくれないだろう。
「俺がなんとかしなきゃいけないんだ」
果たして、そんなこと可能なのだろうか。
回避することはできるのだろうか。
——絢音が、数日後に死ぬという未来を。
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