第四十九話 三流商人の暗躍


 気安く名前を呼ぶのさえ憚れるボクの女神様と出会ってから一週間ほど。

 王国辺境にあるド田舎のランクルの街から少しばかり離れた都会にボクの姿はあった。


「ロガン様、このような何もない街にどんなご用が?」


 取り巻きの一人が恐る恐る話しかけてくる。


 まったく、コイツらときたらボクの機嫌を損ねないように毎日毎日ビクビクと震えるばかり。

 どいつもこいつもボンクラしかおらず、借金の返済もままならない役立たず共。

 ボクが商会の金を融通して助けてやらなければ今頃その辺で野垂れ死んでいたのは確実だろう。


 そもそも主の望むことぐらい察してもらいたいものだ。

 お前たちが使えないから父の配下に頼んでこの場所を調べさせたというのに気が利かない奴らだ。

 

「なんだ? ボクの行動に文句でもあるのか?」


「い、いえいえ! 文句なんてございませんとも。……ただ商会の御曹司であるロガン様がこんな治安の悪いところに赴くなど……危険ではないかと」


 失言を取り繕うように上目遣いでこっちの様子を探ってくる。

 気持ち悪い奴。


「問題ない。もしも暴漢に襲われた時はお前たちがボクの盾になるんだからな。せいぜいボクの逃げる時間ぐらい捻出しろ」


「そ、そんなぁ」


 さあここだ。

 情けない声を聞き流しながら特別に作らせた自慢の馬車から降り建付けの悪い扉を開ける。


 小悪党に相応しいチンケな酒場。

 しかし、相手がここを指定したのだから仕方ない。


 室内は薄暗く、棚には銘柄さえはっきりしない酒瓶。

 鼻をつくカビ臭さと何の汚れだかもわからない汚らしさが目立つ。

 普段のボクなら絶対に寄り付かないだろう底辺の店。


 客らしき者はいない。

 目指す場所はあそこだな。


 交渉の席と思わしきところにポツンと座っていたのは山のような大男。

 周りにはチンピラのような男共がワラワラと群れている。


 この大男、ガタイだけはいいな。

 コイツがボクの取り巻きの一人なら泊も付きそうなものだが……まあ今回の用事はそんなことではない。


 大男がチンピラに目配せするとこれまた小汚い椅子に座るよう促される。

 こんなところ座るのも嫌だがことが事だ、今回だけは特別に我慢してやる。


「……オマエが今回の話を持ってきたロガンか?」


 渋々椅子に座ると酒の入ったコップを傾けボソボソと尋ねてくる強面の大男。


 初対面の相手に敬称もつけない……やはり学がないな。

 ロガン様だ! 

 まったく交渉相手のことぐらい事前に調べておいて欲しいものだ。


「ああ、そうだ。お前の持つあるものを買い取りたいと思ってな」


「コイツッ……」


「お頭相手に『お前』だとぉ! なんて失礼な!」


 ボクが精一杯冷静に交渉してやろうというのに何故か突然騒ぎ出すチンピラ共。

 なんだ?

 こんな小汚い空間にいるだけでも不愉快なのに、何の前触れもなくキレだすとは教育がなっていないな。

 もっと栄養バランスに気を使え。


「……オマエらその程度のことでいちいち騒ぐな」


「お頭!」


「ですが、コイツお頭に……!」


 それでも大男の一言で即座に静かになる。

 ほぉ、やはりこの大男だけは多少は見込みがありそうだな。


 チンピラだろうと集団を束ねているだけあって、交渉相手であるこのボクがどれだけ大事な客かを判断する頭程度はあるようだ。


 視線がこちらに移る。

 値踏みするような鋭い目。


 だが、その程度で怯むボクじゃないぞ。

 なにせボクの女神様がこの件には関わっているのだから。


「ウチの若い奴がすまなかったな。コイツらは血気盛んなもんでね。オレが侮辱されたと感じてちっとばかり気が逸っちまったようだ」


「構わないさ。ボクは目的さえ達成できればそれでいい」


「……で? アンタはこいつが欲しいんだったか?」


 大男が取り出したのはペラペラとした一枚の紙。

 

 あれだ。

 あれこそボクと女神様とを繋ぐ希望。


 だが気持ちをグッと抑える。

 交渉相手に感情を悟られるようでは商人としては三流だからな。


「……」


「あ、コイツっ……」


 テーブルに広げられた紙をひったくり中身を確認する。

 チンピラ共がまた一段と五月蝿くなったがそんなことは関係ない。


 よし……間違いはないな。


「……事前に話した通りだ。こいつはオレたちにとっても大金の元。おいそれと譲る訳にはいかないな」


 凝視していた紙をさっと抜き取られる。

 簡単に渡す訳がないとその瞳は殊更に語っていた。


 だが……金なら幾らでもあるんだよ。

 この時のために父の商会の金を少しばかり預かってきた。

 許可ぁ?

 勿論取ってあるとも。

 ただしボクじゃなく父の配下が借りた体になっているがな。


「おい、お前ら」


 使えないボクの取り巻きを呼び寄せアレを持ってくるよう耳打ちする。

 ドカンと酒場の床を軋ませるほどの重さの木箱。


「……記された金額の倍払おう」


 蓋を開ければ薄暗い室内でもわかるほどの黄金色の輝き。


「「「おぉ!!」」」


 チンピラ共が途端に色めき立つ。

 それはそうだ。

 この輝きが嫌いな奴なんてこの世にいる訳がない。


「金貨九百八十二枚の倍……だと」


「ああ、だがキリが悪いからね。ここに金貨二千枚ある。端数ぐらいなら君たちに恵んであげようじゃないか。何なら手数料としていくらか余分に包んでもいい」


「……随分気前がいいんだな」


 警戒した目。

 だが、ボクにもわかるぞ。

 揺れているな。


「言っておくがこれは君たちへの敬意でもある。たかが街のチンピラ風情が大人しく交渉のテーブルについてくれるとは考えていなかったからね。その点君たちは交渉場所こそ貧相なものの、話のまったく通じないような頭脳の足りない奴らじゃなかった」


 こんなカビ臭い酒場などボクのような一流の商人には相応しくなかったが、場所はもう仕方ない。


 話の通じない奴はすぐ暴力に頼る。

 交渉とはもっとスマートなものなのにそれを理解しない奴らの多いこと、多いこと。

 大変嘆かわしいことだがコイツらにはまだ理性があるだけ随分とマシだ。


「それにボクはいまとても機嫌がいい。君たちにとってはただの一枚の紙でもボクにとってそれは女神様への架け橋」


「女神……?」


「それよりどうするんだい? ボクは君たちへ十分報いるつもりだが……返答は?」


「いいだろう……取り引き成立だ」


「ああ、いい取り引きだったよ」


 金貨のぎっしり詰まった木箱とたった一枚の紙を交換する。


 ハハハッ、これだ!

 これこそボクがどうしても手に入れたかったもの!


 証文の描かれた紙。

 連なるのは二つの名前のサイン。


 そう、これこそ金貨九百八十二枚の借用書。

 記された名にはかの女神様と同じシャノワールの文字。


 フハッ、女神様はきっとこのボクに感謝することになるだろう。

 両親の借金を返済するためにあんな小汚い廃屋でゴミ恩恵と同居する必要などどこにもない。


 これからはボクが女神様を支え、苦悩から解放してあげよう。


 なぜなら女神様はもうボクのモノなのだから。

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