第12話 指導
帰りのホームルームが終わり、座っていたクラスメイト達が各々動き出す。
放課後の予定を話し合う者。すぐに部活のバッグを背負って出ていく者。のんびり話しながらリュックに荷物を詰めている者。色んな人達が動いている。
「じゃあね。蓮。絵の練習頑張って」
「ああ。紹介してくれてありがとな」
蒼は用事があるようで、すぐに出て行ってしまった。大翔もリュックを背負い手を振ってくる。
「ではまた明日だ。蓮」
「また明日」
「ああ、そうだ。秋口さんに優しくされたからって勘違いしないようにするのだぞ」
「そんなことで誰がするか」
女子の裏側なんて散々見てきたのだ。今更そんな馬鹿なことを考えたりしない。むしろ大翔の方が勘違いする気がする。
この前「落とし物拾ってもらった。これは俺に好意があるアプローチかもしれん」って真剣な顔で言ってた奴は誰だよ。
ジト目で見つめると、大翔は逃げるように去っていった。
ようやく自分のことに集中出来るようになる。机から手帳とシャーペン一本だけ持つ。
とりあえず今日はタブレットを持ってきていないので、アドバイスだけ聞くとしよう。
前方で5人の集団が楽しそうに話している。その中心にいる亜麻色の髪を揺らす女子が、これから絵を教えてもらう秋口だ。
大して仲良くもない男子の願いなので断られるかと思ったが、案外すんなり受け入れてもらえたのでびっくりだ。
蒼の頼みというのが効いたのだろうか?
絵を教えてもらうことにはなったが、まだ秋口の絵の実力を知らない。
教えてもらうならある程度描ける人でないと困るので、その辺りはこの後確認するとしよう。自信満々だったので大丈夫だと思うが。
「秋口、いいか?」
声をかけると5人全員がこちらを向いた。異性から一気に注目を浴びるというのは、どこか怖いものがある。
秋口は察したようで周りの友人達に両手を合わせる。
「ごめんね。この後黒瀬くんと少しやらなきゃいけないことあるから」
「あ、そうなんだ。じゃあまた明日ね」
秋口が色んな男子と交流があるおかげか、奇異な視線で見られることはなかった。よくあることなのだろう。あっさりとした態度で居なくなる。
教室から友人達が出ていくまで手を振り続け、猫のような瞳をこちらに向けた。
「待たせて悪かったわね」
「いや、全然」
「それじゃあ、始めましょうか。基本的に私がアドバイスして、それに沿って黒瀬くんがやるという形でいいかしら?」
「ああ、それで問題ない。けどその前に秋口がどのくらい描けるか分からないから、何か描いたものとかないか?」
「……そうよね。私の実力が高くないと信用出来ないものね」
ふむ、とシャープな顎に指で摘んで考え込む。スマホを取り出し、なにやらスワイプし始めた。
細い指先が何度も画面を往復する。指を止めると何度か確認するように画面を見て、一度大きく息を吐いた。
真剣な表情でこちらを見る。
「……絶対他言無用よ。分かったかしら?」
「あ、ああ」
別に人にぺらぺらと話すつもりはないが、そこまで念を押すことだろうか? 不思議に思いながらも秋口の眼差しに頷く。
「……これよ」
「っ!? これって!」
そこに表示されていた女の子は、あっと視線を奪われるほどに美しいものだった。そして、そのイラストは俺が知ってるものでもあった。
「秋口。おまえ、あの有名イラストレーターの猫ヤンキー先生だったのか?!」
「え?」
一瞬、ぽかんと間抜けな顔を晒す秋口。だが、すぐに「そ、そうよ。よく分かったわね」と頷く。
猫ヤンキー先生。ツイッタでフォロワー10万人を超える大先生である。タイムラインで流れてくることが多々あり、何度もハートを押したことがある。
「そ、そんなに有名かしら?」
「いやいや。フォロワー10万人もいるだろうが。謙遜も大概にしろ」
「そ、そうだったわね。そのぐらいいたわよね。ごめんなさい」
秋口は目を丸くしながら、わざとらしく何度も頷く。
そりゃあ、確かに他言無用と言いたくもなるか。
だが、本当に本物か? 正直信じられない。こんな身近にいると思えるわけがない。
「他にはないのか? 書きかけのやつとか。公開してないやつとか」
「それなら、これとか」
「おお……!」
一つはもう公開されてる絵のラフ画。荒い線と簡単な色付けだけがされたものだが、これだけでも十分魅力的だ。
もう一つは、まだ見たことがないイラストのラフ画。目の形や、構図に猫ヤンキー先生っぽさが出ている。
こ、これはもう本人と認めざるを得ない。まじか……!
いいのだろうか。こんな凄い人に教えてもらって。こんなの無敵すぎる。もう秋口についていくしかない。秋口の指導なら信用出来る。
「よろしく頼む。師匠」
「し、師匠!? まあ、分かってくれたみたいでよかったわ」
こうして大先生に教わることになった。やったぜ!
♦︎♦︎♦︎
あれから1週間が経った。放課後に秋口師匠から教わることは続いているが、それ以外の時間でも出来るだけ描く練習をしている。
昼休みの今の時間も、ご飯を食べ終えたのでタブレットで線画の練習をしていた。
俺の隣の席に座る蒼は、俺の手元のタブレットに視線を向けながらのほほんと呟く。
「毎日頑張ってるねー」
「上手くなるには練習するしかないからな」
「どう? 順調なの?」
「全然。ようやく線画が及第点になったくらいだ」
この1週間、全方向を向く顔の描き方と、様々な動きのついた身体全体の上手なバランスの練習をひたすら繰り返してきた。
初めて師匠から練習内容を聞かされた時、かなり地味だし、ネットにも書いてあることなので、正直拍子抜けだった。もっと特殊なやり方でも出してくるのかと。
だが師匠の言うことだ。間違いない。
信じて取り組んだお陰で、人物に関しては、線画でぎりぎり合格をやれるくらいのところまでは成長出来たと思う。あくまで基準はシュガー先生なので、まだまだだが。
「やっと、頭の中で思い描いた形で違和感がないくらいには描けるようになったくらいだな。正直まだまだ下手くそだ」
「そうかなー、十分上手な気がするけどなー」
蒼は不思議そうに首を傾げているが、納得いかないものはいかない。
自分に甘くなったら終わりだ。成長もなにも無くなってしまう。それは勉強で常々感じてきた。だからこそ、俺は一切手を抜かない。
一回、一回、丁寧に。集中して目の前の絵に取り組む。
「わぁ。凄い綺麗」
急に後ろから声をかけられ振り向く。すると白雪と仲の良い七海がいた。茶色のボブカットヘアを揺らしている。
「な、七海さん。きょ、今日もいい天気だね」
蒼はピンッと立ち上がって照れ笑う。おい、緊張しすぎだろ。
七海が不思議そうに首を傾げて「今日は曇りだよ?」と呟いているし。
「……白雪は一緒じゃないのか?」
「凛ちゃんは先生に呼ばれてるの。もうすぐ帰ってくると思うんだけど。ねえねえ、その絵、黒瀬くんが書いたの?」
「あ、ああ」
「上手だねー」
多分お世辞だろう。1週間練習したくらいでそんな上手くなるわけない。自分の絵なので、あまり甲乙が分かりにくいが。
「イラスト、ツイッタとかにあげてる?」
「いや、全然」
「え、もったいない。絶対あげた方がいいよ。みんな見てくれると思う」
自分がツイッタに投稿する、か。思いもしなかった。考えてみれば、絵を描く人がツイッタに投稿を始めることは多い。
少ないフォロワーでも反応を貰えたりするらしく、確かにモチベーションに繋がるだろう。
そう考えてみるとアリかもしれない。
「……考えとく」
「うん、そうして。始めたら絶対言ってね。フォローするから」
「分かった。でも、白雪には秘密にしておいてくれるか?」
「え? 分かった!」
理由を疑うことなく素直に七海は頷いてくれる。なんでも素直なところが七海らしい。
とりあえず白雪に絵のことをバレることはないだろう。そう安心していると、教室の後ろの入り口から白雪が戻ってきた。
白雪はきょろきょろと首を振り、こちらを向いて固まった。スタスタと急ぎ足で寄ってくる。
「ちょっと黒瀬さん。私に飽き足らず華までナンパするなんて最低ですね」
「誰がするか。七海から話しかけてきたんだよ」
こんな白昼堂々とクラスメイトをナンパする奴はいない。てか、なんで白雪までナンパしてることになってるのかな?
白雪は目をパチクリとさせて七海の方を見る。
「え? 本当ですか?」
「うん、ほんとだよー」
「そう、ですか。それは失礼しました」
白雪はこちらに頭を下げる。
まあ、いいんだけどさ。白雪の中で俺はすぐナンパする奴に見えてるのだろうか? 少し不安だ。
白雪は頭を上げると、ちらっとこっちを一瞥して華の両肩を掴む。
「いいですか、華。思春期の男子というのは頭の中が性欲7割と言っても過言ではありません」
「それは過言だぞ?」
思わずつっこんでみたが、白雪は何事もなかったかのように話を続ける。おい。
「そんな男子の頭の中では、女子は丸裸にされてしまうんです。そう、よくある薄い本みたいに」
「薄い本?」
「とにかく、男子には気をつけないとダメなんです。分かりました?」
「うん、分かった。気をつけて話せばいいんだね!」
満面の笑みで返事をする七海。うん、絶対これ分かってないな。
白雪も諦めたようで、小さく息を吐いている。
「……とりあえず、ここを離れて私の席で話しましょう」
そう言ってずるずると七海を引き摺っていく。七海は慣れているようで引き摺られたまま「またねー」と退場していった。
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