その2 シックス・オクロック!

「っ──!?」


 ぐいっと首を曲げる。ベルトが邪魔でよく見えない。ならば、と自動操縦を切って、少しピッチを上げて上昇する。風つかみの感覚が、操縦桿を通して手に戻る。それで少し落ち着いた。

 思えば森の上だ。夜行性の猛禽類は珍しくないし、蝙蝠こうもりかもしれない。もしくは大きな蛾か……それはちょっと怖いな。

 風つかみの後部が下がり、真後ろの視界が開ける。

 影があった。ふくろうでも蝙蝠でもない。人影が風つかみを追いかけていた。


「うわっ!」


 スロットル全開。速度計の針がぐりりと回る。

 三つ数えてフットバーを右に踏み込み、操縦桿をめいいっぱい左へ。

 風つかみが右へするする滑る。失速しないようにスロットルを調整しつつ、失速ギリギリまで急激に速度を落とす。

 狙い通り、影が風つかみを追い抜いていく。

 バタバタバタと、黒い何かが横を掠めた。

 今のうちに逃げる!

 当て舵で風つかみを真っ直ぐに戻して、降下して速度を増やす。モーターの推力も相まって、風つかみはさっきの倍の速度で夜を駆け降りていく。

 少し翼を傾けて、さっきの影を一瞥。たぶん姿勢を立て直して追っかけてきているだろうけど、あのロスを挽回するのは無理だろう。追いつかれることはあるまい──。


 そんなことはなかった。


 影はぴたりと止まっていて、その場でくるりとこちらを向いた。それからぎゅん、と急加速。もちろん僕に向かって、それも風つかみには到底出せないほどの速い速度で。

「……嘘だろ」

 逃げなければと思う反面、僕は固まったままだった。恐怖からではない。

 風つかみでは逃げられない、そう理解したことによる諦めからだった。

 あんな常識を逸脱した動きをするのは人ではない。動物でもない。有り得るのはこの世のものではない何かか化け物だ。

 父さん、母さん、ごめんなさい。僕の旅は一週間で終わります。願わくば、あなたたちが幸せに暮らし続けられますように──。

 風つかみが揺れた。うるさいくらいに、バタバタ音が聞こえる。真横からだった。

 どうせ死ぬなら、最後に一番近くで見てやろう。なんなら挨拶もしてやるか。

 死ぬことを受け入れると大胆になるものだと、僕はこのとき実感した。

 意を決して真横に首をひん曲げる。

 黒い皮のようなものをなびかせて、どす黒い塊がそこにいた。やっぱり、どうみても人ではなさそうだ。


「こんばんは、月が綺麗な夜ですね!」


 やけくそになって笑顔を貼り付けて、僕は影に向かって叫んだ。


「……こんばんは」


 閉じかけた口がぴたっと止まる。

 ──返事が返ってきた。





(その3へつづく)

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