魔術師テルとエルフのお姫さま
山彦八里
プロローグ
暮れなずむ戦場があった。
大地は血の海に沈み、積み上げられた死体という陸地ばかりが風に吹かれる、悲惨と悲嘆に塗れた惨たらしい戦場だった。
生きている者はただふたり。
巨大な魔獣の死体を背に座り込んだふたりだけ。
「……終わったな」
「そうだね」
ふたりのうち騎士の装いをした男が疲労の滲む声を舌に載せる。
隣に座るもうひとり――魔術師然とした青年は頷き、それから杖を支えにのろのろと立ち上がった。
「……テル」
去り行く背に騎士が声をかけた。
咄嗟に伸ばした手は肘から先がない。魔獣に食い千切られた際にテルが焼いて塞いだからだ。
「本当に王国に残る気はないのか。これだけの戦果だ。地位も褒美も思うままだぞ」
「地位に興味はないし、参戦料は前払いで貰ってる。僕は代金に見合う性能を発揮した。それだけだよ、エリク」
「……それだけ、か」
騎士エリクの声に苦渋が滲む。
突如として起こった万を超える魔獣の侵攻。
隣国との戦争に注力していた王国にこれを撃退する戦力は残されていない……はずだった。
だが、滅亡必至の魔獣の進撃はわずか三百の兵とひとりの魔術師によって殲滅された。
その戦果を思えば、王国がテルに払ったという参戦料こそ「それだけ」だろう。
もっと対価を積んでいれば、礼を尽くしていれば、あるいはこの魔術師は王国に残ったのだろうか。
今となっては確かめる術のない問いだった。
それでも、去り行く背を惜しむように騎士エリクは再び言葉を紡いだ。
「これからどうするんだ?」
「さてね。どこか適当な田舎に引っ込んで作曲の続きでもするよ」
「それはやめろ」
「なんでさ!?」
勢いよく振り向いた魔術師は、万の魔獣を前にしても眉ひとつ動かさなかった表情を驚きに染め上げていた。
「僕の作曲のなにが問題なんだい!?」
「近所迷惑だ」
「……………………ソンナコトナイヨ」
「魔術師が言葉を弄すな」
「あーあー聞こえない!! いいですよーだ!! こうなったら人里離れた山奥に引きこもってやるからな!! 困ったことがあっても物理的に助けられないから覚悟しとけよ戦友!!」
「ああ。さらばだ、戦友」
先ほどとは打って変わって大股でズンズンと去っていく魔術師を、騎士は苦笑交じりの笑みで見送る。
惜しかったはずの友との離別が、今は快い。
これでいい、とそう思えた。
誰よりも強い魔術師が誰よりも自由に生きる。そのなんと快いことか。
「願わくば、次は酒杯を交わしたいものだ」
死ぬほど疲れていたが、そう思えばまだ生きたいと思えるから不思議なものだった。
彼が作った曲を聞くのは勘弁願いたいが。
エリクは立ち上がり、魔獣の背を超えていく。
向かう先はテルとは真逆。
互いに背を向け、戦場を後にする。
ダークブルーの空と昇りかけの月だけが、離れていくふたりを見送っていた。
――後に魔獣争乱と呼ばれる惨事はこうして幕を閉じた。
生き残りはただふたり。
後に義腕将軍として名を馳せ、王国の守護者として名高きエリク・アーネスト。
そして、由緒の知れぬ魔術師テル。
武家に生まれ、史書にも名を記されたエリクと異なり、魔術師テルはその生い立ちも明らかではない。
わかっていることはただふたつ。
魔術学院を首席で卒業するも在野に下り、冒険者の一党となっていたこと。
そして、後に世界中に名を轟かせる最強の魔術師であること。
それだけだ。
『魔術師テルとエルフのお姫さま』
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