よくわかる現代ヤンデレ学

赤茄子橄

第1話 ようこそ、狂育学部へ!

「みなさん、はじめまして。私は本学部教授を拝命しております、今年の学生アドバイザーの狐狗狸奏愛こくりかなえです。学校での生活だけでなく、私生活なんかについても相談を受け付けていますので、お気軽に声をかけてくださいね。専門は薬学を基礎とした狂育きょういくです。よろしくおねがいします」



 ありきたりな自己紹介にわずかに退屈を感じて、周りを見渡してみる。

 大学にしてはこじんまりとした教室の中には私を含めて5名の女生徒。


 デスクの数は20くらいしかない部屋の前方で、白衣を纏ったオーラのある女性、狐狗狸先生が自己紹介から始める。


「さて、皆さん御存知の通り、我々が所属するこの狂育学部は、己の中にある普通ではない狂っていると言われてしまいがちな深い深〜い愛情を望ましい形で具現化し、パートナーとの異常で通常な愛を育む学問、狂育学を学び、解明する場所です」


 自己紹介に続いて、祝辞のようなものと一緒に私達にとっては今更でしかない、「狂育とは何か」を改めて語る先生。


 きっと経験に裏打ちされているのであろう自信と、大人の色気がむき出しのその姿は「カッコよくて美しい」と形容するのがふさわしい威厳をたたえていて、テンプレートとも言える挨拶の言葉にも引き込まれる凄みがある。

 おっとりした声なのに、威圧感まで感じさせるその様は、さすがは狂育学部の教員といったところだな。


狐狗狸先生は座席にいる学生を一通り見渡してから更に続ける。


「みなさんは、入学段階で高度な実戦経験を要求される厳しい要件と100倍を超える倍率の入試を乗り越えてきた恋愛上級者。言わば、すでにアマチュアの域にある将来有望な狂育学きょういくがく研究者の卵です」



えへへ、それほどでも......あるかな?


「私達がここで突き詰めていくことは、あなたたち自身のパートナーを逃さないための知恵となるだけでなく、世の中の狂愛を形にしきれない沢山の人を救う礎になるものです。ぜひとも精力的に学び、情熱をもって研究してくださいね?」







 狂育学きょういくがくという学問領域は、様々な分野の知見を統合的に扱うことが求められる領域横断的な研究分野である。


 この分野では、「意中の相手の心と身体の安全で健全な束縛と独占はどのように実現できるか?」という問いに答えるべく、日夜これに関わる方法論や技術の開発、原理の解明を目指している。


 そのために研究者たちは、典型的には法律学、経営学、臨床心理学、情報学、機械工学、薬学、医学といった複数の分野の知見を組み合わせて、パートナーの落とし方を模索している。


 狂育学の研究者や学生は、女性がその割合のほとんどを占めており、「安全で健全な束縛と独占」ということの解釈の幅もかなり広く、過激な束縛や調教も辞さない立場から、「ヤンデレ学」などと呼ばれることもある。

 あるいは、口語で発音するときに、一般的な「教育」とわけるために、狂育くるいくなんて呼んだりもする。


 その性質上、国や地域によってはその研究は禁忌ともされている場合もある。

 それゆえ、当然とも言うべきか、世界的にもまだまだ発展途上で分野自体も現在絶賛確立途中な未成熟な研究領域であり、研究者の数も多くない。


 ここに入学を許された私達にとって、今更聞く必要もないくらい当たり前の話。

 オリエンテーションとは言え、これほど当たり前の話を改めて聞かされるのは、どうしても面倒に感じてしまう。


 だけど、この学部は軍隊みたいなものだというのは有名な話。教員の話は一言一句逃さず聞く姿勢がないと、これからもやっていけない。


「さて、現代の研究者とは、研究費を取得して知識欲や自己の欲求を満たすためだけに知を突き詰める職業ではありません。自ら解き明かした知を社会に還元しようとする姿勢こそ、現代の職業研究者に求められる最低限の倫理観です。そうでなくてはただの趣味人でしかない。多くは市民の血税や企業の資金から得られる研究費を趣味に投入するなどということは許されないのです」



 まぁ、一般論としてそうなんだろうな。


「もしかすると、みなさんはこのことに苦しめられることがあるかもしれません。ここで研究したパートナーを逃さないための知識は、すべて他の人も利用できる形で外に公開しなければならないからです。言い換えれば、みなさんがここで学び究明することは、みなさん以外の人間が、みなさん自身のパートナーにそのワザを行使して奪い取ろうとする可能性を自らの手で生み出してしまうことに他なりません」



 なるほど、確かにそのことは重要なことなのかもしれない。


 私を含め、この教室にいる子たちは皆、少なからず私利私欲のためにこの学部に来ているところはあるはず。

 だから、本当なら研究した知識も独占して、自分の彼氏やお婿さんを縛り付けるのに使いたいのが普通だろう。

 それを社会還元しないといけないっていうのは、ある種のジレンマだ。


 だけど、私達はそのことも織り込み済みでここに来ている。それだけのメリットが、ここにはあるから。


「ですが、本学部に入学を果たした皆さんには知っての通り、こうした義務の代わりに多数の権利が与えられています」



うんうん。


「例えば、外の世界では禁止されているおクスリを自分のパートナーに投与したり新しく開発する権利。どこだろうと凶器を持ち歩くことが許される権利。パートナーの人権も尊厳もなんでも自由にして良い権利。自分のパートナーに粉をかけようとする子を排除するためのいかなる行動も許されています」



 そう。その権利こそ、私たちの多くがここで狂育学を修めることに価値があると判断した理由。

 私も、私の好きピが間違った道に踏み外してしまわないように、自分にできることを少しでも増やすことを目標に、ここにやってきたんだ。


「この常闇とこやみ大学のある地域であるここ常夜町とこよまちは............あぁ、今年の1回生は全員ここ出身だったかしら。だとしたら釈迦に説法かもしれないけれど、この街は世界的に見ても『愛故の行為全般』に特に寛容な地域です。多くの行為が許されるけど、命や人権に関わる部分では制限があることもあります。ですけど、みなさんは、ここでの在学中、もしくは学位を取得したあとには、ありとあらゆる行為が許されるのです」



 先生は一拍溜めてから、大事なことだと染み込ませるように、発した。


「それこそ、パートナーや邪魔者を廃人に追い込んだり、永遠に思い出の中の存在にすることさえも」



 愛のためであれば、ありとあらゆる行為が許される。

 パートナーや邪魔者を廃人に追い込んだり、永遠に思い出の中の存在にすることでさえも誰にも咎められることはない。


 本当に素晴らしい制度だと思う。

 名家出身の子なら、家のお金とかを使って色々と揉み消したりもできるかもしれないけど、私みたいな一般家庭出身の人間にとって、好きピを守るための力はどれだけあっても困ることはない。


「当然、権利には責任がつきものですから、そのあたりは注意しながら、くれぐれも制度を悪用しないよう、健全に愛を育んでくださいね?」


 もちろんです!

 制度も諸々わかっていて入学してるとはいえ、狐狗狸こくり先生の言葉にどうしようもなくワクワクが高まってしまう。


「何か質問はありますか?」



 たった5人しか学生がいない教室の中を、たっぷりと時間をかけて見渡していく先生。


 せっかくだから質問しておこうかな。


「はいっ!」

「おぉ、あなたは狐音朱都咲きつねあずささんですね? 早速質問ができるとは、良い積極性です! では狐音さん、どうぞ」



 まだ私の自己紹介はしてないのに私の名前を把握しているらしい。


 普通なら事前に確認したんだろうなって思うくらいのところだろうけど、私達にはわかる。

 自分と何かしら関係を持つことになる人間、すなわち、何かの拍子にパートナーとも接触する可能性がある人物の情報を予め把握しておくっていう狙いなんだろうな。


 さすがは狂育学部の教員、最低限のことは当然にやってくるんだね。


狐狗狸こくり先生はパートナーをどのように狂育されているのでしょうか?」



 私の質問に、他の4名の子たちも興味深そうに狐狗狸先生を見つめる。

 みんなの瞳はギラついていて、先達から少しでもパートナーを独占する術を学び取ろうとする意欲に溢れていることが伺える。


 ............いいね! ライバルもやる気満々で、これからの学生生活にすっごく期待値が高まるよ!



「はい、良い質問ですね、狐音さん。先程言ったように、私の専門は薬学。これまでの代表的な研究成果は、性欲増進剤ラブメイカーの開発です。当然、パパ............私の夫にも大量に投与してきました。最近は薬がなくても私の身体を求める以外の刺激に興味がない可愛いお人形さんみたいになりましたね」


「「「「「おぉ〜!」」」」」


 教室の少女5人から歓声が上がる。

 さすがにここに入学を許された選ばれた生徒たち、全員、当然、クスリのことは知っていたらしい。


 それにしても、この狐狗狸先生があのクスリの開発者だったのか!

 なんてこった、入学早々こんな凄い人に師事できるなんて、これは凄いぞ!


 ............だけど待って、狐狗狸先生はさっき、「性欲以外の刺激に興味がない可愛いお人形さんみたいになってる」って言った?

 それって、お互い愛し合ってるって言えるのかな?


 あんなに凄いクスリを作る先生と言っても、所詮はその程度の女ってこと?



「狐狗狸先生、質問いいでしょうか」

「はい、もちろんです」

「クスリで頭を狂わせてただのお人形さんみたいにしちゃったら、それは先生の愛した彼なのでしょうか。そんな状態の相手はただの木偶の坊で、そこに真の愛があるとは思えないのですが......」

「おぉ! 狐音さん、良い指摘です! その通りです。性欲にしか反応しない人形との関係を私は愛とは認めようとは思いません。ですから、私の最近の研究テーマの1つは『いかにパートナーの性的欲求と正常な意識での尽くしたい欲求のバランスを取るクスリの投与方法や新薬を作ることができるか』ということなんです!」



 なるほど。

 問題点はご理解されているということか......。

 けど実態はまだ......。


「そして、まだまだ研究途上ですが、その成果として、先程は「他の刺激に興味がない」と簡潔に言いましたが、私の夫は今、『私に愛を注ぎ尽くして2人で心身ともに快楽を得る方法を模索することにだけ興味を示す』状態になっています。それがまた、とっても可愛いんです! 具体的な方法なんかは実際に私の講義でお話しますので、詳しくはそこでしましょう」



 な、なんとっ、すでに問題は解決に向かっているのね!?

 さ、さすがは、かの有名なおクスリを作り出された先生だけあるっ!


 他の4人も、ウズウズとした表情を隠そうともしないで、お可愛いこと。

 私も人のことは言えないけど。



 あ〜っ、ますます早く講義を受けたくなってきたよぉ!

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