奇人との夏

@ta6676

奇人との夏

 羅刹の街。この街は、そう呼ばれている。僕はこの街へ逃げて来たのだ。素敵な女性から逃げるために。嘘ではない。その訳を聞いてほしい。大学卒業後、僕は建設資材会社の東京本社に勤めている。営業畑で、はや3年が過ぎた。

 1年前から、取引先の会社に勤める女性と付合い始めた。アナベル・カレラ、メキシコ人。日本に留学して、卒業後帰国せずに日本で就職している。僕が冗談を言うたびに、褐色の肌に白い歯がこぼれる笑顔がとても眩しく、メキシコの空には彼女のような太陽が輝いているのかと思った。大きな瞳に見つめられ、肉感的な唇からラテンの情熱的な言葉を聞くと、僕は彼女を食べたい衝動にかられた。僕は欲望を抑えるのに苦労した。

 そんな彼女から、

 「今度、両親に会ってもらいたいの。あなたの事は、ちゃんと両親にも話しているから、あなたに会っても驚かないわ。偏見なんか持ってないから大丈夫。あなたとのこと、きちんとしたい」と言われた。

 結婚、それも国際結婚。考えてもいなかった。突然、彼女から切り出されて、嬉しさよりも困惑した。二人の間に子供が生まれれば、世間でいうハーフ。日本で暮らすにしろ、メキシコで暮らすにしろ、僕や彼女の事で、子供は偏見に晒され、辛い思いをしないだろうか。

 子供の将来を考えて、いや、それは僕自身を誤魔化すためのずるい言い訳でしかない。彼女との結婚に立ちはだかる壁を乗り越えていく覚悟がなかったのだ。そんな時、この街にある我が社の営業所への転属希望者の募集があった。僕は、それに飛びついた。そう、彼女から逃げるために。

 暴力が満ち、死臭が漂う羅刹の街、飢餓九州市(きがきゅうしゅうし)。そんな忌み地の営業所に欠員が出たのだ。上司の高村課長に転属希望を伝えたところ、まさか自分の課から積極的な希望者が出るとは思っていなかったようで、自分の評価も上がると満面の笑みを浮かべ、僕に抱き着かんばかりに喜んだ。

 職場を去る日。

 「課長、前任者との引継ぎは如何なっていますか」

 「前任者が死亡したため、引継ぎはない」

 「えっ、死亡といいますと」

 「出勤途中、流れ弾に当たってなぁ。しかも、頭部直撃だ。まぁ、苦しまずに死ね  

たのが不幸中の幸いだ」

 「それが、幸いですか」

 「前々任者は、ロケットランチャーの流れ弾に当たって大変だった。後片付けが。それに比べれば」

 「ロケットランチャーなんて、どうやって手に入るのでしょうか」

 「普通に、売っているんだろう」

 「どんな街ですか、飢餓九州市は」

 「左右を確認して、気を付けて歩けば大丈夫太だ」

 そんな課長とのやり取りの後、職場の同僚一同からの餞別の品の贈呈があった。

 「先輩、これ、職場の皆からです」と後輩の吉川。ヘルメットだった。

 「中学時代の同級生が自衛隊にいまして、一つくすねてきてもらいました。先輩は、頭部さえ守れば、無敵ですから」

 後で、吉川をトイレに連れて行って一発殴ってやろうと思った。やけくそになった僕は、ヘルメットを被り、

 「鈴木二等兵、出撃します」と力強く挨拶し、敬礼した。

 涙で顔をグチャグチャに濡らして、敬礼をしている吉川を見ると殴る気も失せてしまった。同僚達の万歳三唱と課長の

 「また、戻ってこい、待っているぞ」の言葉を背にして職場を後にした。

 晩夏の週末。飢餓九州市の空港から、都心部の酷等鬼痴区(こくらきちく)で、JRに乗換え、営業所の独身寮がある我禍魔都区(わがまつく)に向かった。車窓の外を無機質な工場群が次から次へと流れていき、街を鈍色に染めていく。ともすれば、アナベルから逃げた罪悪感が頭をもたげ、胃から込み上げてくる苦汁を飲み込むことを繰り返していた。

 我禍魔都区には、渡船を利用しなければ行けない。なぜなら、市の真ん中を細長い亡怪湾(ぼうかいわん)が入り組んでいて、酷等鬼痴区の対岸にあるからだ。東京生まれの僕にとって九州でさえ充分辺境なのに。渡船を使わざるを得ない我禍魔都区は辺境の上塗りで、いよいよ気分が落ち込む。

 正午過ぎ、我禍魔都区の渡船場に到着。時間は、たっぷりあるのでブラブラと史跡なんかを巡りながら社員寮へ行くこととした。『ベルサイユ荘』と墨書された板が、集合ポストの横に貼り付けてある。木造二階建て。築50年以上のアパートが我が社員寮である。名前負けも甚だしい。いったい何連敗しているのだろう。万遍なく汚れた外壁に『幸荘』の文字が辛うじて読取れる。旧姓は『幸荘』なんだ。外付けの階段を上がる。赤錆に侵された鉄製の階段がギィギィ悲鳴を上げる。

 201号室。僕の部屋である。昨日のうちに搬入された引っ越しの荷物が、1DKの部屋を占拠している。僕は、タメ息を一つついて、明日から片付けを頑張ることに決定した。隣人には世話になるから真っ先に挨拶に行けと、課長から重々言われていたので、とるものもとりあえず挨拶に向かった。

 202号室。古い建物なのでチャイムなんてない。ノックをしようと腕を伸ばす。ガチャリ。いきなりドアが開く。

 「ウヲッ!!」

 僕も隣人もお互いに叫び声を上げる。僕は驚いた拍子に手に持っていた段ボール箱をドサリと落とす。

 コスプレ?否!特殊メイク?否!コスプレや特殊メイクの域を遥かに超えている。頭頂部の皿状のもの(SF映画に出てくる宇宙人のプレデターの頭頂部にそっくり)、ヌメヌメと光沢がある両生類のような緑色の薄い皮膚、白目の部分が金色に光り、猫のような細長い瞳がある眼、硬質ゴムの質感がある嘴(くちばし)。断言しよう。これは間違いなく、カッパです。カッパが目の前に立っている。しかも、アディダスのジャージを着て。カッパはひと言、

 「あー、びっくりした」

 それは、こちらのセリフだ。カッパは、屈んで僕が落とした段ボール箱を拾うと、

 「どうした、幽霊を見たような顔をして」

 いや、妖怪を見た顔ですけど。

 「君は、東京本社から転属になった人だろ。凄い奴が来るって、うちの営業所でも噂になっているよ。確かに、君は凄いな」

 アンタほどでもないよ。

 「立ち話もなんだし、上がっていけよ」

 「ぼ、僕を食べるのですか」

 「おいおい、俺に男の趣味はないよ。大の女好きさ。君こそ、僕を食べないでくれ。君の場合、噛むのもNGだから」と言ってウインクするカッパ。

 僕は、カッパに遭遇して、まず恐怖に襲われ、そして気さくな言動に困惑している。とにかく頭の中は、混乱の極みに達していた。

 「遠慮するなよ」とカッパが促すので、用心しつつ部屋に上がった。

 「まぁ、座って」勧められるままに座布団に座る。僕の強い視線に気づいたのか、

 「俺。ひどい顔だろ」

 「……」

 「昨日、飲み過ぎて顔がむくんでいるんだ」

 どんな酒を飲んだら二日酔いでカッパ顔になるんだ。

 「ところで、まだお互いに自己紹介が済んでいないな」

 「申し遅れました。東京本社営業第三課から転属になりました鈴木です」

 「俺は、営業所で庶務を担当している田中だ。よろしくな」

 「えっ、田中さんとおっしゃるのですか?」

 「どうした。東京では珍しい名前か?」

 「もっと発音が難しい名前かと」

 「ああ、イヴァノビッチとかクズネツォフとか。20代の頃にはよくロシア人に間違えられたものさ」

 絶対に嘘。

 「ところで、この段ボール箱は何だい」

 「引っ越しのご挨拶代わりの品です」

 「気を使ってもらって悪いね。中身は何だい」

 「キュウリです。上司から、田中さんが喜ぶから持っていけと重々言われていましたので」

 「その上司って、高村課長だろ。俺はベジタリアンではないと何回言っても分からないんだから。思い込みが激しくて困るよ」

 思い込むのが当然だろう。大正解だよ。

 「やはり、田中さんは、尻子玉が好物なんですか」

 「シリコンを胸に入れた女はダメだな」

 都合のいい聞き違いをしているな。

 「じゃあ、川魚とかですか」

 「あの生臭さがダメ。寄生虫もいたりするから。それから、青魚はアレルギー反応が出るからダメなんだ」

 「何が好物なんですか」

 「俺は、スウィーツ系男子だからな。炭酸飲料と共に食べるスウィーツが好き。炭酸が強ければ強いほど、スウィーツが美味くなるんだ。ボトルのキャプを開けただけでゲップが出てしまう強炭酸なんか最高だな」

 そんな炭酸ないだろう。

 「ところで、田中さんは何世紀の生まれですか?」

 「おいおい、俺を何歳だと思っているんだ。こう見えても平成7年生まれさ」

 ケケケと笑う田中さん。意外と若いのだ。

 「見ての通り俺は若ハゲだろう。だかに、老けて見られるんだ。オヤジもジイさんもハゲていたしな。遺伝だから仕方がないといえば仕方がない」

 頭の皿を強引にハゲに持っていった。

 「田中さん、最近体がなまっているんで、ジムに通って泳ごうと思うんですけど、今度泳ぎを教えてください」

 「俺、泳ぎが苦手。息継ぎが下手なんだ。子供の頃、川で遊んでいて溺れたのがトラウマになっていて」

 カッパの川流れって本当にあるんだ。使えないカッパだな。

 「でも、何で俺が、水泳が得意と思ったんだい」

 「いえ、あの……。田中さんの手なんですが、オリンピック水泳の代表選手みたいに指の間に、水搔きみたいなものがあるんで」

 「これ。生まれた時からこうなっていてね。お釈迦様の手にも水掻きがあって、手足指縵網相と言われるんだけど知っているかい。周りの大人達からはお釈迦様の生まれ変わりではないかと言われていたよ」

厚かましいことを言い出した。

 「もしかしたら、田中さんは前世では孫悟空と一緒に天竺に行っていたりして」

 「おう、前世は三蔵法師かも」

 そっちじゃねぇよ。

 「我禍魔都区では、ジャズが盛んだと聞きましたが、田中さんも音楽とかやってませんか。例えば、トランペットの演奏とか」

 「このおちょぼ口だろ、うまく息を吹き込めなくてトランペットは無理だよ」

 嘴をおちょぼ口と言い張っている。

 「じゃあ、暇なときは何をしているんですか?」

 「よくぞ訊いてくれた。実は『ミステリー検証委員会』というホームページを運営しているよ。UFO、心霊現象、それからUMAと幅広くやっているよ。意外だろ」

 ド真ん中、ストライクですけど。

 「オフ会なんか、すごい盛り上がりでね。いつも、俺を女の子がキャーキャーと歓声で迎えてくれるよ」

 それは悲鳴だろ。

 「俺と視線が合っただけで失神する娘(こ)もいれば、やたらと俺の身体を触ってくる積極的な娘もいてね。そういえば、俺を見て失禁した兄ちゃんは永久に出禁にしたよ。ハゲでもモテる。俺はそう確信したよ。君もオフ会に来ないか。君なら参加資格は十分あるよ。俺ほどではないが、君もモテるよ、きっと」

 間違えてないか、その自信。そもそも、田中さんは、カッパという自覚がないのだろうか。そういえば、渡船場から、こちらに向かう途中、『カッパ奉じ』の地蔵というものがあった。案内板によれば、その昔、毎年水害に苦しむ農民達を哀れに思った地蔵が、治水に役立てるようにと領主にカッパを奉じた。カッパの働きにより水害はなくなり、喜んだ農民達が『カッパ奉じの地蔵』を祀(まつ)るようになったそうだ。

 そんな昔からの付き合いで、この街は人間とカッパの境界や偏見がないのかもしれない。そんなことを考えながら部屋を見回す。どこにでもある独身男性の部屋だ。テーブルの上の空になったカップ麺、カーテンレールに吊るしてあるスーツ、台所の流しに積み重なった汚れた食器、ベランダに干してある洗濯物、ベッドの上の脱ぎっぱなしの甲羅。甲羅――ッ!取り外しが効くものなのか。外骨格みたいなので骨のような質感と勝手に思い込んでいたが、軽金属のような質感で濃緑色のメタリックな鈍い光沢がある。しかも、地味に交通安全のお守りもぶら下っている。碁盤目状に走る溝に水苔が生えている渋い感じの甲羅を想像していたが、裏切られた。

 「た、田中さん、この甲羅……」

 「あぁ、窮屈なんで家では脱いでいる。夏場は蒸れてアセモができるから着けないね。もちろん出勤時にも脱いでいるよ。うちの営業所は服装に厳しいから、鈴木君も気を付けた方がいいよ。営業所で甲羅を着けている奴は一人もいないよ」

 一人もいないなんて、他にカッパがいるのか。どんな求人広告を出したらカッパが応募してくるんだよ。ここは、思い切って、

 「田中さん、営業所には何人カッパが働いているのですか?」と訊いてみよう。

 「あのう、た…田中さん…」

 「鈴木君、気を悪くしないで聞いてもらいたい」

 突然、田中さんが大声を出した。一瞬、外でカナカナと喧(やかま)しく鳴いていたヒグラシが沈黙する。

 「東京本社には、君のようなゾンビが何人働いているんだい?玄関で君を見た時から気になって仕方がなかったんだ」

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