センコウ

きむち

センコウ

「私ね、好きな人がいるの──」


彼女は、そう言った。


そして、


その答えは知っている。



「眠くて集中できない」


「いつも集中なんてしてないと思うけどなあ」


僕の隣に座る、神坂 美帆みほの言葉に僕はそう返した。


「うるさい……」


「……」


クーラーで涼しく冷やされた教室の中に、教師の声が響く。


換気のために開けられている窓の外は、どこまでも続く蒼い海があった。セミの声も聞こえてくる。


7月某日。夏の色が濃くなってきた季節。

高校生の僕達は、それぞれの思いがあるなか、授業を受けていた。


周りを見ると、多くの生徒が眠りに落ちていた。

教師もそれを分かっているけど、特に何も言わない。


「ねぇ、私、花火したい」


小声で美帆が再び話しかけてくる。


「どうした急に」


「思っただけ」


花火なんて、最後にやったのはいつだろう。

2年、いや、3年も前か。


そう、ちょうど隣にいる彼女と──


「俺もやりてぇなぁ」


こんな言葉を後ろから飛ばしてくる、柳 幸人ゆきとと、3人で。


美帆が少し驚いて後ろを振り向く。


「幸人、起きてたんだ」


「おう、俺は真面目だからな」


「どこがだ」


幸人の言葉に僕はそう返す。


「とりあえず、近いうちに花火しねぇ?北野浜キタハマでどうよ」


北野浜とは、僕たちの通うこの高校からも覗ける海の周辺のことだ。


それに対して、


「あり!」


小声で美帆は返す。

僕もそれに合わせて返事をした。


「賛成」


「んじゃ、また後で連絡するわ」



翌日、土曜の休日。


幸人から連絡があった。

内容は、学校の終業日に花火をしよう。というものだった。

高校3年の一学期も、休日を入れないで、残すところあと2日。

つまり、3日後に花火をするという訳だ。


それまでに僕は、そのためのをすることにした。



僕は、神坂 美帆が好きだ。


それは今始まったことでは無い。


僕と美帆、幸人は、保育園からの幼なじみだ。つまり、互いに支え合ってきた仲。ということだ。


そして僕は、小学校の頃に美帆のことが好きになった。そしてそれは今までずっと変わらない。


だから今までに、恋人という存在がいた事はない。


しかし、告白は何度かされたことがある。けど、その全てを跳ね除けてまで僕は、彼女のことが好きだった。


『急に悪い。魚が見たいんだ僕は』


訳の分からないメッセージを、彼女に送る。


返信はすぐに帰ってくる。


『水族館に行きたいってことね。行く?』


そして彼女も今までの付き合いがあるわけで。ノリよく返事が返ってくる。

僕と彼女は、よくどこかに出かけている。


『じゃあ2時に水族館集合で大丈夫?』


『ありがとう。これで僕の空腹が満たされる』


『魚食べないでよね』


現時刻は12時前。急いで支度をして家を出た。



水族館へ向かう途中で、スーパーに寄る。


目の前には、夏の花火セールと書かれた板。その下には大量の家庭用花火が、フックにかけられていた。


その1つを手に取る。


「ふたり用、か…ちょうどいいか」



「ごめん、まった?」


柱に寄りかかって俯いていると、前方から声が聞こえた。

その声の主は分かっているから、腰に手を当てて、俯いたまま返事をする。


「ああ、すっげぇ待った。待ちすぎて骨になるところだった」


「いつも骨みたいなもんじゃん」


彼女は僕の体を指して笑った。


「これは筋肉が圧縮されまくった結果なんだ。筋肉が無いわけじゃない」


「言い訳は見苦しいよ、ホネ」


「わあ、傷つくなあ」


ふふっと彼女はもう一度笑って、


「とりあえず、行こ」


僕の手を握って、ズカズカと進んで行った。


「いつも思うけど、こりゃカップルだよなあ…」


小声で呟いた。



暗くて青い空間の中を、僕達はゆっくりと進む。


度々、進める足がとまって、また進む。


彼女の足が水槽に近づけば、僕もそれに合わせる。


まず、小窓の中に泳ぐ色とりどりの魚を見た。

それに顔を近づける彼女を見た。


つぎに、イルカショーを見た。飼育係のお姉さんたちのショーは完璧だった。

それに合わせて手を叩く彼女を見た。


最後に、


「ねえ見て、クラゲ」


ふふ、可愛い。そう言って彼女は微笑む。


トンネルになっている、暗い水槽の中をクラゲが漂う。


一度、上を見た。


暗い暗い水槽に、柔らかな海月が舞う。


「──キレイだな、これは…」


無意識に、言葉が出ていた。


「うん、キレイ──」


彼女が呟く。


ふと、隣を見てしまった。


暗いなか、宙を見上げる彼女の横顔が、僕をダメにした。


「……美帆」


好きだ。その言葉は喉に引っかかった。


「ん?」


ダメだ。ダメなんだ。知ってる。僕は知ってるんだ。


彼女が好きなのは──



明明後日しあさってに花火やるのに、今日もやるの?」


「いいだろ、魚を食べれなかったんだから、僕は煙を食べる」


「むせるだけでしょ、ばか」


僕達は、水族館のすぐ近くにある砂浜に来ていた。


水族館の近くに広がる海と、その砂浜には、普段なら人が多くいるのだが、今は日が暮れているということもあり、多くの人はいなかった。


濃く、オレンジに染まる水面に、白い太陽が揺れる。

それをただ見つめて、砂浜に腰を下ろす。


「うおっ」


途端、ヒンヤリとした感覚が、僕の臀部、つまり尻を襲った。


ズボンに触ると、手が湿った。つまり、


「わるい、僕はこの年で漏らしたかもしれない」


「…………」


沈黙が続いた。

そしてそれを切り裂くように彼女が笑う。


「そこ、水溜まりがあったのに!おっかしー!漏らしたってバカみたい!」


クスクスなんてもんじゃない。ゲラゲラと笑っている。

そして僕は、腰を持ち上げ、その場所を見下ろす。

一部分が濡れていて、薄い水溜まりのようになっている。

どうやら誰かが、水を使って砂遊びをしていたらしい。砂の城でも作ろうとしたのだろうか。

そしてそれに僕は尻を突っ込んだ。


「笑え笑え」


僕は構わず再びそこに尻をつっこむ。


「イイ男は尻が濡れててもイイ男だからな」


「バカみたい」


そう言って彼女と目が合う。


途端、笑いが込上げる。そうして、笑った。2人で。



「なんだそれ、僕もやりたい」


虹色に輝く火花を飛ばす、彼女が持つ花火を見てそう言った。


「やーだ、これ全部私の」


「僕が買ってきたんだけどなあ」


「うるさい、アンタはそのショボイやつでもやってなよ」


「ショボイやつとか言うな。こいつはこう見えてやるやつなんだ」


そう言って僕は、見るからに火薬が少ない、やる気のなさそうな花火に火をつける。


激しくもなく弱くもない火花を散らせたそれは、あっという間に燃え尽きた。


「なんていうか、あれだな。ショボイな」


「アンタみたい」


「短命だな」


炎の揺れるロウソクに花火を近づける。


「やっぱり花火、楽しい」


「そうだな」


それが燃え尽きたら、また近づけて。


いつしか暗くなった宙に新しい星を流す。


「やっぱりこれが最後だよね」


「当然、だな」


そう言って彼女は包装の中から、ヘナヘナとした、たった2本の線香花火を取り出す。


「先に落ちたら負けね」


仄かな光が2つ灯る。


ゆっくりとゆっくりと、それは姿を大きくする。


聞こえるのは、くらい闇の向こうで波が寄せて返す音。白い月と、星々が、やっとの力で辺りを照らす。


淡くオレンジに火花を散らす。しかし僕はそんなものはどうでもよくて。


ただ、彼女を見て


「なあ、俺、美帆が好きだ」


「え……」


「……」


波が沈黙を際立たせる。


「それ、ほんと…?」


「僕はいつでも本気だ」


また、沈黙が続く。


「……」


「私ね、好きな人がいるの──」


彼女は、そう言った。


そして、


その答えは知っている。


「だから──」


「答えなくていい」


彼女の言葉を遮って、僕はそう言った。


「え……」


「答えなくていい。けど、その代わり」


ぽつり。と、光が落ちた。


僕のだか、彼女のだか。


「僕とこれからも友達でいてくれ」


「……うん、わかった──」


片方の光は落ちずに、萎んで小さくなって、やがて消えた。


聞いたことがあった。


「線香花火は、落ちなかったら恋が叶うらしいな」



終業日。夏を感じさせる暑い日だ。

ほとんどの生徒が長い休みを前にして、浮かれた声を上げる。


美帆と幸人と僕は、全員がひとまず家に帰る。それから夕方の6時に北野浜に各自で集合。


現時刻は5時。僕は家を出て駅に向かう。通学用に

使う私鉄に乗り、北野浜の最寄り駅に向かうためだ。


しかし、駅でばったり美帆と出くわした。


「一緒に行くか」


「うん」


そうして僕達は電車に乗り、隣合って座った。


和真かずま、ごめん」


彼女が僕の名前を呼ぶことは珍しい。いつもアンタとか言われてほとんど呼ばれないからだ。


「どうした急に。屁でもしたか?」


「うるさい。わかってるでしょ」


窓の向こうに、蒼く輝く海が見える。


「わかってる。けど、謝る必要なんてないだろ」


「でも私…」


「いいんだよ、僕は美帆に一生友達でいてもらうからな。マイフレンド」


「うん、それでいいなら、ずっといる」


「それでいいんじゃない。それがいいんだよ」


彼女も、蒼い海を見つめていた。



「よ、和真、それと美帆」


幸人が来たのは、約束の時間から遅れること30分。


「おい、遅いぞ」


「わりいわりい、俺の腹の虫が疼いてな」


「便秘か」


「いや下痢だ」


「2人とも汚い」


時間も時間で、空と海も茜色に染まってきている。


「んじゃ、やりますか」


幸人が、手に持つビニール袋から、大量の花火を取り出す。



「あっはは!和真!ほら!」


「うお、これ凄いな」


「きも!」


火をつけた黒い玉から、うにょうにょと細長い紐状の物体が伸び出る。

いわゆる、ヘビ玉ってやつだ。


「こいつも俺と同じ下痢気味だな」


「ずいぶん快便だなあ」


「2人とも汚い」


そうして、3人で笑う。

前から、なにも変わらない。


やがて時間が経って、空も暗くなってきた。


「んじゃ、最後はこれだな」


幸人が取り出したのは線香花火。


「当然だ」「よーし」


3本取りだして、


「んじゃ、最初に落ちたやつ負けな」


そうして揺れる光が3つ灯る。


暗闇の中で僕は彼女を見た。

しかし、彼女が自らの線香花火を見ることも、僕を見ることもなかった。


彼女の瞳に映るのは、ただひとり。


答えは知っている。


揺れる夏の闇の中、



ぽつり。光が落ちた。

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センコウ きむち @sirokurosekai

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