センコウ
きむち
センコウ
「私ね、好きな人がいるの──」
彼女は、そう言った。
そして、
その答えは知っている。
✤
「眠くて集中できない」
「いつも集中なんてしてないと思うけどなあ」
僕の隣に座る、神坂
「うるさい……」
「……」
クーラーで涼しく冷やされた教室の中に、教師の声が響く。
換気のために開けられている窓の外は、どこまでも続く蒼い海があった。セミの声も聞こえてくる。
7月某日。夏の色が濃くなってきた季節。
高校生の僕達は、それぞれの思いがあるなか、授業を受けていた。
周りを見ると、多くの生徒が眠りに落ちていた。
教師もそれを分かっているけど、特に何も言わない。
「ねぇ、私、花火したい」
小声で美帆が再び話しかけてくる。
「どうした急に」
「思っただけ」
花火なんて、最後にやったのはいつだろう。
2年、いや、3年も前か。
そう、ちょうど隣にいる彼女と──
「俺もやりてぇなぁ」
こんな言葉を後ろから飛ばしてくる、柳
美帆が少し驚いて後ろを振り向く。
「幸人、起きてたんだ」
「おう、俺は真面目だからな」
「どこがだ」
幸人の言葉に僕はそう返す。
「とりあえず、近いうちに花火しねぇ?
北野浜とは、僕たちの通うこの高校からも覗ける海の周辺のことだ。
それに対して、
「あり!」
小声で美帆は返す。
僕もそれに合わせて返事をした。
「賛成」
「んじゃ、また後で連絡するわ」
✤
翌日、土曜の休日。
幸人から連絡があった。
内容は、学校の終業日に花火をしよう。というものだった。
高校3年の一学期も、休日を入れないで、残すところあと2日。
つまり、3日後に花火をするという訳だ。
それまでに僕は、そのための準備をすることにした。
✤
僕は、神坂 美帆が好きだ。
それは今始まったことでは無い。
僕と美帆、幸人は、保育園からの幼なじみだ。つまり、互いに支え合ってきた仲。ということだ。
そして僕は、小学校の頃に美帆のことが好きになった。そしてそれは今までずっと変わらない。
だから今までに、恋人という存在がいた事はない。
しかし、告白は何度かされたことがある。けど、その全てを跳ね除けてまで僕は、彼女のことが好きだった。
『急に悪い。魚が見たいんだ僕は』
訳の分からないメッセージを、彼女に送る。
返信はすぐに帰ってくる。
『水族館に行きたいってことね。行く?』
そして彼女も今までの付き合いがあるわけで。ノリよく返事が返ってくる。
僕と彼女は、友達としてよくどこかに出かけている。
『じゃあ2時に水族館集合で大丈夫?』
『ありがとう。これで僕の空腹が満たされる』
『魚食べないでよね』
現時刻は12時前。急いで支度をして家を出た。
✤
水族館へ向かう途中で、スーパーに寄る。
目の前には、夏の花火セールと書かれた板。その下には大量の家庭用花火が、フックにかけられていた。
その1つを手に取る。
「ふたり用、か…ちょうどいいか」
✤
「ごめん、まった?」
柱に寄りかかって俯いていると、前方から声が聞こえた。
その声の主は分かっているから、腰に手を当てて、俯いたまま返事をする。
「ああ、すっげぇ待った。待ちすぎて骨になるところだった」
「いつも骨みたいなもんじゃん」
彼女は僕の体を指して笑った。
「これは筋肉が圧縮されまくった結果なんだ。筋肉が無いわけじゃない」
「言い訳は見苦しいよ、ホネ」
「わあ、傷つくなあ」
ふふっと彼女はもう一度笑って、
「とりあえず、行こ」
僕の手を握って、ズカズカと進んで行った。
「いつも思うけど、こりゃカップルだよなあ…」
小声で呟いた。
✤
暗くて青い空間の中を、僕達はゆっくりと進む。
度々、進める足がとまって、また進む。
彼女の足が水槽に近づけば、僕もそれに合わせる。
まず、小窓の中に泳ぐ色とりどりの魚を見た。
それに顔を近づける彼女を見た。
つぎに、イルカショーを見た。飼育係のお姉さんたちのショーは完璧だった。
それに合わせて手を叩く彼女を見た。
最後に、
「ねえ見て、クラゲ」
ふふ、可愛い。そう言って彼女は微笑む。
トンネルになっている、暗い水槽の中をクラゲが漂う。
一度、上を見た。
暗い暗い
「──キレイだな、これは…」
無意識に、言葉が出ていた。
「うん、キレイ──」
彼女が呟く。
ふと、隣を見てしまった。
暗いなか、宙を見上げる彼女の横顔が、僕をダメにした。
「……美帆」
好きだ。その言葉は喉に引っかかった。
「ん?」
ダメだ。ダメなんだ。知ってる。僕は知ってるんだ。
彼女が好きなのは──
✤
「
「いいだろ、魚を食べれなかったんだから、僕は煙を食べる」
「むせるだけでしょ、ばか」
僕達は、水族館のすぐ近くにある砂浜に来ていた。
水族館の近くに広がる海と、その砂浜には、普段なら人が多くいるのだが、今は日が暮れているということもあり、多くの人はいなかった。
濃く、オレンジに染まる水面に、白い太陽が揺れる。
それをただ見つめて、砂浜に腰を下ろす。
「うおっ」
途端、ヒンヤリとした感覚が、僕の臀部、つまり尻を襲った。
ズボンに触ると、手が湿った。つまり、
「わるい、僕はこの年で漏らしたかもしれない」
「…………」
沈黙が続いた。
そしてそれを切り裂くように彼女が笑う。
「そこ、水溜まりがあったのに!おっかしー!漏らしたってバカみたい!」
クスクスなんてもんじゃない。ゲラゲラと笑っている。
そして僕は、腰を持ち上げ、その場所を見下ろす。
一部分が濡れていて、薄い水溜まりのようになっている。
どうやら誰かが、水を使って砂遊びをしていたらしい。砂の城でも作ろうとしたのだろうか。
そしてそれに僕は尻を突っ込んだ。
「笑え笑え」
僕は構わず再びそこに尻をつっこむ。
「イイ男は尻が濡れててもイイ男だからな」
「バカみたい」
そう言って彼女と目が合う。
途端、笑いが込上げる。そうして、笑った。2人で。
✤
「なんだそれ、僕もやりたい」
虹色に輝く火花を飛ばす、彼女が持つ花火を見てそう言った。
「やーだ、これ全部私の」
「僕が買ってきたんだけどなあ」
「うるさい、アンタはそのショボイやつでもやってなよ」
「ショボイやつとか言うな。こいつはこう見えてやるやつなんだ」
そう言って僕は、見るからに火薬が少ない、やる気のなさそうな花火に火をつける。
激しくもなく弱くもない火花を散らせたそれは、あっという間に燃え尽きた。
「なんていうか、あれだな。ショボイな」
「アンタみたい」
「短命だな」
炎の揺れるロウソクに花火を近づける。
「やっぱり花火、楽しい」
「そうだな」
それが燃え尽きたら、また近づけて。
いつしか暗くなった宙に新しい星を流す。
「やっぱりこれが最後だよね」
「当然、だな」
そう言って彼女は包装の中から、ヘナヘナとした、たった2本の線香花火を取り出す。
「先に落ちたら負けね」
仄かな光が2つ灯る。
ゆっくりとゆっくりと、それは姿を大きくする。
聞こえるのは、くらい闇の向こうで波が寄せて返す音。白い月と、星々が、やっとの力で辺りを照らす。
淡くオレンジに火花を散らす。しかし僕はそんなものはどうでもよくて。
ただ、彼女を見て
「なあ、俺、美帆が好きだ」
「え……」
「……」
波が沈黙を際立たせる。
「それ、ほんと…?」
「僕はいつでも本気だ」
また、沈黙が続く。
「……」
「私ね、好きな人がいるの──」
彼女は、そう言った。
そして、
その答えは知っている。
「だから──」
「答えなくていい」
彼女の言葉を遮って、僕はそう言った。
「え……」
「答えなくていい。けど、その代わり」
ぽつり。と、光が落ちた。
僕のだか、彼女のだか。
「僕とこれからも友達でいてくれ」
「……うん、わかった──」
片方の光は落ちずに、萎んで小さくなって、やがて消えた。
聞いたことがあった。
「線香花火は、落ちなかったら恋が叶うらしいな」
✤
終業日。夏を感じさせる暑い日だ。
ほとんどの生徒が長い休みを前にして、浮かれた声を上げる。
美帆と幸人と僕は、全員がひとまず家に帰る。それから夕方の6時に北野浜に各自で集合。
現時刻は5時。僕は家を出て駅に向かう。通学用に
使う私鉄に乗り、北野浜の最寄り駅に向かうためだ。
しかし、駅でばったり美帆と出くわした。
「一緒に行くか」
「うん」
そうして僕達は電車に乗り、隣合って座った。
「
彼女が僕の名前を呼ぶことは珍しい。いつもアンタとか言われてほとんど呼ばれないからだ。
「どうした急に。屁でもしたか?」
「うるさい。わかってるでしょ」
窓の向こうに、蒼く輝く海が見える。
「わかってる。けど、謝る必要なんてないだろ」
「でも私…」
「いいんだよ、僕は美帆に一生友達でいてもらうからな。マイフレンド」
「うん、それでいいなら、ずっといる」
「それでいいんじゃない。それがいいんだよ」
彼女も、蒼い海を見つめていた。
✤
「よ、和真、それと美帆」
幸人が来たのは、約束の時間から遅れること30分。
「おい、遅いぞ」
「わりいわりい、俺の腹の虫が疼いてな」
「便秘か」
「いや下痢だ」
「2人とも汚い」
時間も時間で、空と海も茜色に染まってきている。
「んじゃ、やりますか」
幸人が、手に持つビニール袋から、大量の花火を取り出す。
✤
「あっはは!和真!ほら!」
「うお、これ凄いな」
「きも!」
火をつけた黒い玉から、うにょうにょと細長い紐状の物体が伸び出る。
いわゆる、ヘビ玉ってやつだ。
「こいつも俺と同じ下痢気味だな」
「ずいぶん快便だなあ」
「2人とも汚い」
そうして、3人で笑う。
前から、なにも変わらない。
やがて時間が経って、空も暗くなってきた。
「んじゃ、最後はこれだな」
幸人が取り出したのは線香花火。
「当然だ」「よーし」
3本取りだして、
「んじゃ、最初に落ちたやつ負けな」
そうして揺れる光が3つ灯る。
暗闇の中で僕は彼女を見た。
しかし、彼女が自らの線香花火を見ることも、僕を見ることもなかった。
彼女の瞳に映るのは、ただひとり。
答えは知っている。
揺れる夏の闇の中、
ぽつり。光が落ちた。
センコウ きむち @sirokurosekai
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