#14 エミリー


 いつの間にか暗くなっていた町。

 住宅街を家に向かって、僕らは歩く。

「……もう落ち着いた?」

「うん。……ごめん、エミリー」

「いいのよ。……あたしも熱くなりすぎてたわ」

 見た目だけは可愛らしい金髪の美少女エミリーと、ただの醜い男子大学生の僕。二人が手をつないで歩く光景は、兄妹というよりも誘拐の現場というほうが近いだろうか。

 セミが鳴くにはまだ早い、初夏の夜。まだ肌寒さの残る空気。

 道端の自販機。ポケットから財布を取り出して、コインを入れる。

「……何か飲む?」

 自販機に向かって、ボタンを押しながら聞くと。

「コーヒー」

 そんな声が返ってくる。

 僕は何も言わず、微糖と書かれた缶コーヒーのボタンをもう一回押して、先に買った一つを投げ渡した。

「ありがと」

 少女の声に「いいや……お詫びだから」と言って返し。

 家の近くの小さな公園まで手をつないで、二人は同じベンチに座った。

「寒いわね」

「そうだな」

 缶を開ける音がさみしく響いた。

 季節はまだ春。春の夜はいまだ冬の気配が残る。

「……にーに、さっきはごめん」

「いいんだ。……エミリーは正しいことをしようとしていた」

「けど……にーにの気持ちもわかるから」

 静かな夜に二人きり。

 時々缶コーヒーが喉を鳴らす。風が木々を揺らし、砂埃を立てる。

 ただ沈黙が二人の間を埋める。

「おむつ、大丈夫か?」

 沈黙を破ったのは僕だった。

「……聞かないでよ。どーせわかってんでしょ」

 エミリーは顔を赤くして答えた。

 彼女は尿性癖であるからか、我慢できないことも多々ある。故に、普段はおむつを使っていることが多いのだ。

 普通にトイレにも行けるのにあえておむつにしていることも多いらしいが、特に不便などもないと彼女は言っていた。むしろ興奮するとか言っているあたり、彼女は魔法少女の鑑だ。

「帰ってから替えようか」

 言いながら、僕はベンチを立って。

「なに見てるのよ」

 ふと僕はエミリーの姿を見ていた。

 立ち上がって僕と向き合う彼女の揺れるセーラーワンピースを見て、胸がどきどきして。

「……着たいんでしょ」

 慌てて目を逸らした。

「ち、ちがうし」

「そんな真っ赤な顔で言われても説得力ないわよ」

「……」

 やはり僕も、変態だ。

 こんな時でさえ、僕は少女に興奮してしまう。……最低だ。

「どうせ、家にあたしの着替え置いてあるんでしょ? 着てもいいわよ。ひーらひら」

「スカートをひらひらさせるな! ……それに、物理的に着れないし」

「女の子になったら着れるでしょ?」

「……」

 確かにそうだった。ただ、自分の趣味ではなかったから着なかったけど……と思案し。

 僕は自分を殴った。普通の男は着たいなとすら思わねーよ。

「どうしたの!?」

 急な自傷行為に慌てるエミリーに、僕は拳跡のついた顔で笑って。

「いや、なんでもない。帰ろうか」

「逆に不安なんだけど!」

 どうにか誤魔化せたみたいだ。

「……どうせ、自分が変態だって思ったんでしょ」

 否、誤魔化せなかったようだ。

 黙りこくる僕に、エミリーは笑顔で言った。

「なに気にしてんのよ。変態はお互い様じゃない」

「そう、だけどさ」

 僕は突っぱねて、ため息を吐く。

「こんな、友達のピンチの時まで本能に抗えない自分がちょっと嫌になっちゃってさ」

「それ言っちゃったらあたしも似たようなものだし。常時発情中おしっこ垂れ流しの変態よ、あたし」

 胸を張って言うことでもない。おかげで、シリアスな空気が壊れて。

「ふふ……ははは」

 思わず僕は笑う。

 エミリーもつられて笑いだして。

 夜の公園に笑い声がふたつ。

「で、これからどうするの?」

 ふと、エミリーが口にした。

「……どうしようか」

 僕ははにかみながら額を抑えた。


「やっぱこれよこれ……んふーっ、きもちいい!」

 古めかしいアパートの一室。僕らはいた。

 数か月前、前にこの子が来たときに一緒に恥を忍び買いに行った夜用おむつのパッケージ。しかし、それを抱く少女は明らかに小学生、それも四年生にもなる女の子。

 おおよそ二~三歳くらいのパッケージガールとおそろいのピンク基調の幼く可愛らしいデザインを薄青のネグリジェの裾からのぞかせるその少女は、明らかにその対象年齢とは程遠いように見える。

「それでも似合ってるの、なんかすごいなぁ……」

「なによそれでもって! 素直にかわいいって言ってよ、にーに!」

「はいはいかわいいかわいい」

「なにそれ不満なんですけどー」

 そこには、おむつ姿のアンバランスな金髪美少女がいた。

「んぅ……さっきまで穿いてたやつより気持ちよくて……んっ……やっぱ日本のおむつは最高ね!」

 そう言っているエミリーのところから水音が聞こえて。

「……いまおもらししてるだろ」

「あふっ……ん、バレちゃったかしら?」

 恍惚とした顔で一瞬震えた彼女は、いたずらっぽい声で告げた。

 ものすごいいきいきしてるな……。やっぱり、日本に来られてよかったらしい。

「……替えとく? まだ穿いてから一分も経ってないけど」

「うん!」

 エミリーは僕のもとに、足音を立てないよう駆け寄った。


「気持ちいいかい?」

「うん。にーに、おむつ替えるのめっちゃうまいわ。大好きよ」

「はは……」

 未婚の男子でおむつ替えが上手いって……まあ、よくない道理はないが、複雑な心境だった。

 自分でも替えられるはずなのになんで僕に替えてもらいたがるのかはよくわからないけれど。

「……ねえ」

 微笑む僕に向かって、おもむろにエミリーが口を開いた。

「なに?」

 真面目な顔で僕を見上げる彼女。僕も一気に引き締まる。

「闇堕ちのこと。あの子、そんなに助けたいの?」

 僕はこくりと頷いた。

 ……助けたい。方法があるならば。

 けど、ないなら助けようがない。現実はそう、甘くはない。

 沈黙。先ほどとは打って変わって、重い空気が場を包み。

「……本当は絶対に教えるつもりはなかったんだけど」

 エミリーが前置きして、告げた。


「闇堕ちした魔法少女を助ける手段はないわけじゃないわ」


 僕は目を見開いた。

「それ、本当か?」

 希望に瞳を瞬かせる僕に、エミリーは告げる。

「ええ。でも、確実じゃない。下手すれば、自分まで……闇堕ちや暴走を引き起こしかねない。そもそも、伝え聞いただけで成功したのを見たためしもない」

 要するに、ハイリスク、ということ。成功する保証もないのに、リスクだけがただ高い。

「あたしはリスクを避けてきた。ミイラ取りがミイラになるなんて……きっと、あの子たちは望まなかっただろうから」

 あの子たち。自分が命を奪った子たち。助かるかもしれなかった少女たち。――見捨てた子供たち。

 罪悪感が口を封じ続けてきたのだろう。

 彼女の目には、涙がたまっていた。

「……にーににもいなくなってほしくないの。だから、教えたくない」

 涙目で僕を見つめる彼女。震える声で、振り絞るように、問いかけた。

「それでも、知りたい?」

 知ったらもう後戻りはできないだろう。けど――。

「……知りたい」

 彼女の欠けた日常は、きっとひどく味気なくて、空虚だから。

 そんな日々を過ごしたくはないから。


「ぼくは、歌恋ちゃんのいない日常は嫌だから――絶対に、取り戻したい」


「そう。にーにって思ったよりも子供なのね」

「失望した?」

「ううん。そんなにーにも……嫌いじゃ、ないわ」

 エミリーはどこか諦めたように微笑んだ。

「じゃあ、教えるわね」

 彼女は僕に近づき、耳打ちした。

 その方法を。代償を。全てを。

「なる、ほど」

 本当にできるか。いや、やるしかない。もう引き返せない。

 ……絶対に歌恋ちゃんを救い出す。

 僕は決意を固め――。

 ふと、腰にひしっと抱き着く感覚。

「……あたしにとっても……にーにのいない世界は嫌だから」

 エミリーは、静かな声で小指を差し出した。

「日本だと、確かユビキリっていうんだっけ。約束の儀式」

「儀式って程のものでもないけど……でも、そうだね」

「なら、ユビキリして。……絶対、いなくならないって」

 甘えっぽい声で言うエミリー。僕も小指を差し出して、彼女の小指に絡めて。

「わかった。ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼんのーます」

「指切るとか針千本とか、結構怖いね」

「確かにね」

 僕は微かに笑って。

 彼女はそれを見て、微笑んで。

『……ゆびきーった』

 二つの声が重なった。


    *


 目の前に、男がいる。

 彼の疲れ果てた目には、眼前にいるはずの巨大な犬――魔獣カマセイヌは見えていない。

 大口を開けてその男を丸呑みにする魔獣。しかし男はそれに気づかず、何事もなかったかのように通り抜けた。

 ――ただ一つ、夢や希望が抜き取られていることに、男は気付かない。何故なら忘れていたのだから。

 死んだ目になった男を見て、アタシは微かに笑った。

 ……こんなことして、何が楽しいんだろ。

 なにも楽しいわけじゃない。ただ、本能の赴くまま、惰性に。

「あはは、楽しい」

 口だけの言葉は、むなしく。

 生気を奪い取られたような人間たちを見ても、わたしは何も感じなかった。

 もっと、痛めつけたいのに。苦しめたいのに。

 あれ、なんでわたし魔法少女になったんだっけ。

 ――夢や希望を忘れたのは、もしかしたらわたしのほうなのかもしれない。

 渇いた微笑み。

 ふと、懐からバイブの音がした。

「……なに、これ」

 スマホの通知。メッセージアプリ。

 表示されるのは〈新着のメッセージ〉の表記。送り主は……ミカちゃん。

 目を見開いて、けれど押すのを躊躇う。

 今更、なんの用事だろう。……何だろうと、アタシには関係ないわ。

 強がりを口にしようとして。

 けれど、言えなくて。

 鼓動が指を、液晶に触れさせる。

 だめ。きっと何かの罠よ。

 そう叫ぶ自分がいた。けど、もう止めることは出来なかった。

 メッセージアプリのアイコンを押して。

 自分を心配するメッセージ群を無視して、一番上をタップした。


〈明日、橋の下に来て。君を助けたいから〉


 端的で、不器用なメッセージ。それはまるで、好きだったあの人のようで。

 脳が活性化したような感じがした。

 意識が叫ぶ。

 行かなきゃ。

 行って何が変わるの?

 冷静で冷ややかな「アタシ」の言葉を。

「……わかんない。けど、行かなきゃ……なにも、変わらない。そんな気がするから」

「わたし」は否定する。声に出して。

 寒空の下。わたしは立ち上がった。

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