#8 それぞれの日常


 僕こと望月 朔は、普通の男子大学生である。大学生と名乗るからには、当然大学に通っている。

 都心から少し外れた、しかし郊外というにはまだ都心と近いような空港に近い下町。その中心駅のすぐそばにある大学で、僕は学んでいた。

 教室の真ん中の方、壁際の席。僕は講師のつまらない話にうつろうつろと船を漕ぐ。

 教科書と講師の話を照らし合わせ、板書を適当に要約しながらノートに書き記し。

 そのうち、昼休みになった。

 にわかにうるさくなる教室。僕はふらふらと外に出て、学食に向かう。

 一緒に食う相手がいないというのは、思いの外寂しいものだ。

 学食は、会話をする学生たちで教室以上に喧しい。そのなかで一人きりで黙食というのは、想像以上に気まずかった。

 大学に入りたてのころは本当に泣きそうになりながら食べていたのが懐かしい。すぐに慣れたけど。

 一番安いカレーライス。それをものの五分程度で食べきり、すぐに片付けてさっさと食堂を出る。

 時計代わりのスマホの画面を見ると、午後の授業開始までまだだいぶ時間があった。

 さて、どうやって時間を潰そう。駅前の百均にでも行くか、それとも商店街でもぶらつくか。それとも本屋にでも行こうか。駅ビル内の服屋でかわいい服を見て回るのもいいかもな。

 ふぅ、と息を吐き、ふと考えた。

 歌恋ちゃんたちはどんな学校生活を送っているのだろう。

 自分みたいな感じでなければいいんだけどな、なんて笑って。

 僕はひとまず、近くの駅前に出ることにした。


    *


「ふえぇ……」

「ちょっと男子、ユリちゃん怖がってるです。やめてください」

 昼休み。わたし、間宮 歌恋は、ユリちゃんこと御園 百合を背中に隠しながら、目の前の男子に告げる。

「でも……」

「でももだってもないです」

 きっと睨んでみると、男の子はバツが悪そうに俯いて。

「……近づいただけで泣き出すなんて思わねーよ……」

 内心、この男の子に同情した。さすがにユリちゃんの男嫌いは過剰な気がする。

 ユリちゃんは、魔法少女探し隊のときみたいに女の子と遊ぶときはむしろ男勝りでかっこいいんだけど、男が絡むとすぐこんな感じにしおれちゃう。

 だから学校生活は結構大変。わたしが守ってあげないと。

 外に遊びに出る男の子。

「女の子しかいない世界に行きたいよー……」

 それを横目にぼやくユリちゃん。頭を撫でると、彼女はまるでよく懐いた猫みたいにすり寄って、わたしにしがみつく。

「んー……女の子の匂い……ふあぁ……」

 幸せそうな顔で、彼女はわたしの腕の中で幸せそうに呼吸した。かわいい……。

「大丈夫です? ユリちゃん」

「うん! 元気になった!」

 わたしから離れてしゃきっとしたユリちゃんを見て、ほっと一安心。

「……御園と間宮って、なんというか綺麗だよな」

「わかる。……間に挟まりたい」

「バカこの野郎! 挟まるとかいうんじゃねぇ!」

「ギエッ!? カンチョーするなよぉ!」

 また男子がくだらない理由でくだらない喧嘩を始めたのを横目に、ユリちゃんは笑った。

「男子ともほんとは仲良くなりたいんだけどねー」

 笑う彼女の横顔には、わずかに陰りが見えて。

「……魔法少女、なりたいなぁ」

 やがて、陰のある微笑みで彼女はつぶやいた。

「魔法少女になってね、悪い人たちの悪い心をきれいにしたいな。それで……怖がったり悲しんだりする人を、少しでも減らしたい」

 いつもアホなユリちゃんにしては珍しく、その顔は愁いを帯びていて。

「なれる、かな」

 沈み込んだ落ち着いた口ぶり。

 元気づけたくて、わたしは彼女の背中に抱き着いた。

「なれますよ! きっと!」

 口をついて出た言葉。彼女はそれに驚いたように目を丸くして。

「そうかなぁ」

 照れくさそうに微笑んだ。

 開けた窓。風がわたしたちの頬を撫でて――。


 ――チャイムが鳴った。

「昼休み、終わっちゃった」

 さーて、次は音楽だー、なんて言って教室移動の準備をするユリちゃん。

 ……さっきの意味深な微笑みは、なんだったんだろう。

 美しくて見惚れそうになったなんて、口が裂けても言えない。わたしは朔先生一筋なんだもん!

 首を軽く振って雑念を振り払い。

「レンちゃん、早く早く! 置いてっちゃうよ!」

 その声にハッとして、わたしもランドセルの中から教科書を出して。

「急ごう、ユリちゃん!」

「うんっ」

 わたしたちは廊下をせわしく駆けていった。


    *


 大学の授業が終わった。急いで教室を出て、走って改札に飛び込む。

 そして、到着したばかりの列車に乗り込み、軽く息を切らす。

 始発駅ということもあって出発時刻にはまだ早く、まだ空いている車内の、一番端の席に腰を下ろすと。

「おっ、朔くん! どうしたの?」

 珍しく話しかけられた。

 どうしたんだ、と横を見ると、隣の席に美愛さん。

「……こんにちは、なんでもありません」

 と言って俯いてスマホをいじりだす僕に、美愛さんは喋り出す。

「お昼さっさとどっか行っちゃって心配したのよ? 一緒に食べようと思ったのにー」

「それはどうも」

「帰りもいつも一番乗りで帰っちゃうから、一緒になれなくてさー。よかったー」

 なにがよかったのだろう。隣に座った彼女の顔をまた一目見て、わずかにため息を吐く。

 彼女は成績こそさほど良くないものの、結構美人だ。しかも人柄がよく、友人も多い。自分とは対極にあるといえよう。

「……なんでそんな、自分なんかにかまうんですか?」

 僕は疑問を呈した。

「ふふ、なんでだと思う?」

「わからないから聞いてるんでしょう」

 もったいぶらないで教えてくれ。言外の意図に気付いたのか、彼女は微笑して。

「なんとなくよ」

 発車ベルが鳴り響いた。

「なんとなく、ですか」

「そう。なんとなく」

 ドアチャイムが鳴り。

「でも、それもまたいいでしょ」

 電車は発車した。

 ガタン、とわずかな衝動と共にゆっくりと静かに動き出すその鉄の塊。いつの間にか出来ていた人ごみの中で、僕らは少しだけ沈黙し。

「あと」

 美愛さんは口を開く。

「自分なんか、なんてあんまり言わないほうがいいわよ」

 さっき自分を卑下したことについてだろう。

「なんでですか」

 どうして彼女にそんなことを言われなければならないのか、という意味で言ったのだが、うまく彼女には伝わらず。

「君が好きなひとだっているからよ」

 そんな冗談を真面目な顔で繰り出す彼女に、僕は口を閉ざした。

 ――電車は数駅に停車し、やがて目的の駅へと滑り込む。

 さっきまでの話し相手に別れすら告げず、僕は席を立ってホームへと降り立つ。

 早歩きで改札を抜け、さっさと道を歩いて。

 やがて、自宅アパートに到着する。

 ばたんと閉める玄関ドア。息を切らしながら僕は周りに誰もいないことを確認して――当然誰もいないという事実にほっとしつつ、黒いパーカーのポケットの中から、男子大学生にはまるで似合わない、まるでおもちゃのようなピンク色のコンパクトミラーを取り出す。

 ……やっぱり、こういうかわいい物が好きなんだ。本当はいけないことのはずなのに。

 何度見てもその可愛らしさにぎゅっと胸が引き締まる。体が疼いて、ときめく。

 男なのに。醜い男なのに。

 そして、これからやることにもひどく興奮している自分がいた。

 ――こんな薄汚れた男が、かわいい女の子になる。そんな倒錯が、僕の呼吸を乱していた。

 ぱかりとコンパクトを開き、鏡面に自分の顔を映す。

 深呼吸して――呪文を唱えた。

「チェンジ・キュートガール」

 瞬間、鏡からあふれだした光が、僕を包む。

 僕の身体は光に溶けて、少女の姿に再構成され。

 やがて光が止んだとき、その部屋にはただ一人の少女だけが佇んでいた。

「んー、あー。よし」

 軽く声を出す。その甲高い、鈴の鳴るような可愛らしい声は、まさしく小学生の女の子のそれだった。

 ふう、と息をついて、今度は部屋の隅に置かれた姿見に自分の姿を映す。

 黒いパーカーを着た小学生の女の子。ズボンがずり落ちてぶかぶかのパーカーがワンピースみたいになっている。

 かわいい。けれど、自分の趣味じゃない。

 どんな服を着たいか、頭の中で妄想して――よし、決めた。

 そうして、また手に持ったコンパクトに集中して、目を閉じ。

 服装を変化させる魔法を行使した。

 目を開けると、そこには美少女がいた。

 幼げな顔に、ピンクのフリルがついたトレーナー。

 下は薄桃色の二段フリルスカートでとびきり甘いガーリーコーデに。

 靴下はリボンのワンポイントがついた白いシンプルなもの。それにピンク色の少し幼げな運動靴が映える。

 最後に長くなった髪を丁寧に漉いて、自前のハートのヘアピンを付け、飾りがついたヘアゴムで髪を二房に縛り。

 これで、かわいいミカちゃんの完成っ!

 くるりとスカートを翻す。我ながらカンペキでかわいい。……自信が持てる。

 小さめのリュックには財布とスマホを入れて。

「行ってきまーす」

 誰もいない部屋に手を振って、ぼくは走っていつもの公園へと向かった。

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