070
日本刀で斬りつけられると弾けた皮膚から血飛沫が飛ぶ。
そう知識で知っていても、時代劇の殺陣でそういったシーンを何度も見ていても。
こうして現実に斬られた現場を見ると衝撃を受ける。
畳や襖に飛び散った血糊が斬りつけが激しかったことを物語る。
「父さん!? 父さん!!」
躊躇わずにその血の海に飛び込んで倒れた鋼玄を抱いて起こす結弦。
右腕が落ちそうなくらい切り裂かれ、どくどくと血溜まりを作っている。
遅れて部屋に飛び込んだ俺は、未だに慣れない生々しい現場に気分を悪くしていた。
「武!
「・・・わかった!」
衝撃を受けて立ち止まった俺を気付けてくれるレオン。
そうだよ、助けなきゃ!
無我夢中で鋼玄の傍らに陣取り、彼の身体に手をつける。
くそ、どうすれば良いんだ!? そうだ、集魔法!
落ち着け! 集中しろ! すう、くら、とん!
何とか魔力が集まる感覚がした。
修練は緊張でも裏切らない!
・・・集まった白の魔力を腕から送り込む。
「満ちたる生の躍動をここに――
【う!? ぐ・・・!!】
苦悶の表情を浮かべる鋼玄。
腕の再生だ、相当な痛みに苛まれるはずだ。
それでも悲鳴をあげない。武門の人間ということか。
く、傷が深い! かなり魔力を注いでるけど1分以上かかってんぞ!?
爺さん、大丈夫か!?
出てしまった血液のぶんは戻らないけども身体の傷は治っていく。
落ちかかっていた腕も無事に接合した。
よし、これで生命に別条はないはずだ。
「ああ、父さん! 良かった! 武さん、ありがとうございます!」
【はぁ、はぁ、はぁ・・・ぐ・・・あやつめ・・・】
【父さん、無理しないで!】
さすがに息をあげている鋼玄。
無理に起きようとしているのを結弦が抑えていた。
・・・あの身体つき、体力だからこの失血でも気を失わずに済んでいるのだろう。
【父さん、何があったの!?】
【結弦・・・
【安綱を!?】
誰その戦国武将みたいな名前!?
鋼玄が必死に伝えるその言葉に、結弦の表情がより強張った。
「武さん! おふたりが・・・!」
「ふたり!? さくらとソフィアか!」
鋼玄を斬った『安綱』が、ふたりに!?
咄嗟に俺はレオンを見上げる。
頷いたレオンは踵を返し、だっと客間へ向かった。
「な、何を・・・あうぅ!!」
「きゃ!? あぐうぅぅぅ!!」
だがそれが間に合わなかったことを、客間のほうから聞こえたどかんばたんという音と悲鳴で悟る。
くそっ!? どうしたってんだよ!?
結弦に鋼玄を任せ俺も駆け出した。
あの悲鳴はさくらにソフィア嬢! あいつらが遅れを取るなんて!?
焦燥に駆られながら廊下を駆け抜け、平穏そうな庭園を横目に客間へ駆け込んだ。
客間に飛び込んだ俺の視界に入ったもの。
座卓が横倒しになり、障子は張り倒され破れて折れている。
「ソフィア!?」
部屋にソフィア嬢が倒れており、レオンが抱き起こしているところだった。
うえ、また血だよ! どこを斬られた!? 背中か!?
「うう、レオン様・・・」
「武、ソフィアを!」
「ああ!」
迷わずソフィア嬢の横に跪き手をかざす。
今度はすぐに集中することができた。
「満ちたる生の躍動をここに――
「あぐうぅぅぅ・・・!」
痛みに顔を歪めるソフィア嬢。
がんばれ! すぐに治してやる!
数十秒の苦悶の後、彼女の表情は穏やかになっていく。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・あ、ありがとうございます、武様」
「無事で良かった」
「ひどい有様だな。さくらはどうなったのだ?」
「そ、そうですわ! 武様、さくら様が、さくら様が攫われたのです!」
「なんだって!?」
さくらが!?
攫われただって!?
驚愕する俺たち。
ソフィア嬢も慌てている。
「は、はい、嵐張様が。嵐張様が当身をして気を失ったさくら様を抱えて・・・!」
「さくら・・・!!」
どくん。
心臓が跳ねた。
さくらを、どうしたってんだよ!?
そんなイベント無かったし!
嵐張、完全に悪役じゃねぇかよ!
どこへ行ったのか、と庭を見れば血が点々と落ちていた。
出入り口のほうへとその跡が伸びていた。
血・・・!!
さくらを・・・!!!
いつもの冷静さが嘘のように消え去るのを自覚した。
かっと熱が身体を駆け巡りアドレナリンが放出される。
身体の感覚が薄くなりとにかく行動するよう脳が命令する。
まるで据膳された性欲のように突き動かそうとする衝動。
大声で叫びそうになった。
俺は知っていた。
この感情に流されてはいけない。
我を見失って手痛い目に遭うやつだ。
落ち着け落ち着け落ち着け!!
魔力の暴走のときのように、暴れ出さんとする身体。
自分に強く言い聞かせる。
ならどうすれば良いとの自問には答えない。
能動的に深い呼吸をして理性の居座るスペースを作る。
落ち着け落ち着け落ち着け!
呼吸を能動的に深くしていく。
そうして立ち尽くす俺の耳に野太い声が届いた。
【己が欲に負け魅入られたのだ。お客人、息子の不始末を詫びさせてくれ】
結弦に肩を借りながら鋼玄がやって来た。
かなりの失血のはずだが意識を保てているその気力。
いや、それだけ伝えねばならないことがあるということか。
「皆さん、父から説明します。少しだけお時間をください」
◇
平安時代に
その後の所有者をことごとく不幸にしてきたという代物。
日本刀好きならばいちどは聞いたことのあるやつ。
で・・・。
かいつまんでいうと、その伝説は本物で手に持った者の悪意が増幅されるという。
欲望に支配されるってやつらしい。
そんな物騒な刀がどうして玄鉄家にあったのか、詳しい事情は時間がないので説明もなし。
とにかくそいつを嵐張が持ち、衝動的に鋼玄を斬り、さくらを攫ったという。
【あやつは儂の後を継げぬことを逆恨みしていた】
免許皆伝を受けたのに天然理心流の跡継ぎとなれないことに不満を抱いていた嵐張。
今回、結弦が失敗すれば跡継ぎになれると思っていた。
けれども結弦が皆伝の儀を半分、終わらせてしまった。
それを見た彼は衝動的に妖刀に手を伸ばした。
鋼玄を亡き者にすれば免許皆伝をしているのは嵐張ひとり。
自動的に後を継ぐ者は嵐張になる、ということらしい。
さくらを攫ったのは、つい先ほど彼女を手に入れたいと思っていたからだろう、と。
どくん。
その推測を聞いたとき、また理性が飛びそうになった。
さくらを・・・!!!
さくらのことを考えると身体が暴れ出しそうになる。
意識して呼吸をし、とにかく理性にしがみつく。
震えそうな腕を、拳を強く握って大人しくさせる。
皆に無様な姿を晒すわけにもいかない。
結弦が通訳をするとレオンもソフィア嬢も複雑な表情をしていた。
そうだろう、凶行に手を染めたとはいえ嵐張は一般人で結弦の身内だ。
その原因が妖刀であるならば、態度が悪かったとはいえ彼にそこまでの罪はない。
彼に手をかけることを考えると躊躇もするだろう。
「・・・事情はわかった。とにかくさくらが心配だ、急いで探そう」
「結弦さま。嵐張様が行きそうな場所はありますか?」
「あいつとはよく天竜川沿いの廃墟で遊びました。身を隠すならそのあたりです」
アトリット・ヤムか。
観光するぶんには良いけど、廃墟の探索なんてどんな世紀末だよ。
崩れそうで危険だから建物への侵入はおろか接近も禁止されているというのに。
【嵐張の持つ安綱は危険だ。儂が行く】
【駄目だ爺さん! あんたじゃ探してる途中で倒れるのがオチだ!】
【・・・父さん、彼らは高天原の級友で、オレよりも強い。心配要らないよ】
俺と結弦の言葉で鋼玄を座らせる。
少し目を閉じて逡巡すると結弦が言った。
「皆さん、これから嵐張を探してさくらさんを助けます。ですがあいつは父も狙っています。父はこのとおり無事ですからもういちどここに戻って来るかもしれません。言葉の問題もありますからオレが残ります」
震える声。ぎゅっと拳を握り締めていた。
「身内の恥を忍んでお願いします、どうかさくらさんを助けてください」
そうして立っていた縁側に正座し床に頭をつける。
土下座だ。
伏してまで俺たちの助力を頼んでいる。
・・・結弦は自分が飛び出て行きたいところだろう。
断腸の思いでのことだ。
断る由もない。
「わかった。では俺たちで探しに行くぞ」
「2度は遅れを取りませんわ」
レオンとソフィア嬢が立ち上がった。
うん。
残るならさっきの儀式で消耗している結弦に残ってもらったほうが良い。
「よし、俺も行く」
続いて俺も立ち上がった。
戦闘では役に立たないけれど回復はできる。
オリエンテーションの焼き直しだ、そう思い直して気を入れた。
何より身体が疼いて待てる気がしなかった。
◇
3人で蜜柑畑の丘陵を駆け下りていた。
雲行きが怪しい。
昼に見えていた黒い雲が近付いていた。
雨が降ると視界が狭くなる、早く探したい。
「それにしてもソフィア、お前が遅れを取るとは」
その言葉に彼女は悔しそうな表情をする。
「はい、嵐張様の持つ妖刀は、わたくしの
「なに!?」
「あまりの重さに受けきれず、遅れを取ってしまいましたの」
物理武器で
妖刀ってチートなのか!?
・・・いや。
精神を支配してんだろ? もしかしてブレイブ・ハートと同じ原理なのかも。
つまり妖刀に宿った魔力のおかげで
だから精神も侵食することができる。
そして
なるほど、この妖刀にまつわる事象に説明がつく。
・・・って、大惨事以前から魔力なんてあんの!?
無駄に思考を巡らし、自分で混乱に拍車をかける俺。
「武とソフィアは川の東側を探せ! 俺は西側を探す!」
「承知ですわ! 発見しましたらPEで連絡をしてくださいませ!」
丘の下、天竜川の土手。
廃墟の入り口にある橋で俺たちはふた手にわかれた。
◇
アトリット・ヤムの海底遺跡。
大昔、火山の爆発により津波で海に沈んだイスラエルの街。
この遠州の遺跡を誰がそう呼びだしたのかはよくわからない。
イスラエルのそれよりも広大な面積なのに。
でも廃墟があって人の生活していた跡が見られるところは同じ。
既に人の手が入っているので人骨があったりということはない。
だが呼吸せぬ人工物ほど不気味さを醸し出す。
そんな廃墟のビル群を俺たちは走っていた。
東京ほど高層ビルがないとはいえ、それなりの高さの建物が多い。
残っているのは鉄筋コンクリート造の丈夫なものばかりだからだ。
「武様! どうやって探しますの!?」
「どこか高いビルに登るぞ! それなら広範囲に
中級白魔法、
潜水艦でいうソナーの原理で人為的に魔力の波を打ち出し、返って来る魔力反応を探す魔法だ。
夏の間に聖女様に叩き込まれた魔法のひとつ。
曰く「遺跡探索で必須。魔物の位置を知らずして安全などない」そうで。
この魔法は魔物のように強い魔力を有しているものにしか反応しない。
人間ならAR値50くらいから反応する。
安綱はソフィア嬢の
それが強い魔力を宿している証左となる。
だからこの魔法でその位置がわかるはずだ。
「あのビルはいかがですの!?」
「・・・うん、あそこの屋上なら!」
しばらく先にタワー状の建物があった。
およそ15階建ての建造物。
周囲の建物よりも頭一つ抜けているから申し分ない。
非常階段だった箇所を見つけると駆け上がる。
階段に散乱した瓦礫を蹴散らしながら屋上を目指す。
体力をつけたとはいえ10階以上を一気に駆け上ると息が切れた。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・よし、始めるぞ」
「・・・さくら様・・・」
心配そうに呟くソフィア嬢。
暴漢と化した嵐張に襲われている可能性もある。
最悪の可能性を杞憂だと信じてとにかく探すしかねぇ!
遠州のアトリット・ヤムを屋上から見渡す。
四方八方、パノラマ状に広がる廃墟。
無数に隠れる場所があるとはいえ、さくらを担いで行ける範囲はそんなに広くないはずだ。
人もほぼ居ないこの場所で強く放てば見つかるだろう。
よし。いちどで見つけるぞ。
・・・集魔法で魔力を集積する。
そこから自身の魔力と精神の波を自覚して。
そこに外から加わる魔力の流れを波打たせて重ねていく。
自身の限界を超えた魔力を集める。
俺が
聖女様に言わせればそれでも広いらしい。
だが今はそれでは探索範囲が狭すぎる。
もっと広く探さねば見つからない。
先日、凛花先輩に教わった
あれならもっと広く探せるはず!
だから俺は魔力を集め続けた。
全身を駆け巡る熱が神経を焼いてくる。
まだだ、もっと!
神経が熱く痺れ、三半規管さえ熱を帯びる。
くらくらと視界が歪む。
うん・・・もう、限界・・・!
「た、武様・・・その魔力は・・・!?」
集まった魔力を魔法のかたちにまとめていく。
円環を描き、球状に立体感をもたせて。
俺を中心として弾け飛ばす準備を整える。
右手を上に掲げる。
自身に宿った魔力が迸り、ばちばちと音を立てていた。
「其の奔流の障壁となるを示せ――
「きゃっ!?」
ばしん、と魔力が弾ける音がした。
かっと周囲が白く強い光に照らされた。
自身が光ったのに太陽を見ているかのような明るさだった。
俺を中心としてその光の膜がすべてを突き抜けていく。
反動で尻もちをついたソフィア嬢。
一気に熱が抜け今度は枯渇に近い状態となりふらつく。
・・・ここで走れなくなるわけにはいかねえ。
強く意識して倒れ込まないようにする。
ぱきん、ぱきん。
ふたつの魔力の波が跳ね返ってきた。
ほぼ同時に強い反応がふたつだったことから、きっとさくらと安綱だ。
方角は・・・俺たちが走って来た方角にあるビルの最上階!
300メートルくらい先にある。
よし、あそこだ!
「ソフィア、見つけたぞ!」
「どちらですの!?」
「あそこだ、あのビルの最上階だ!」
ぱきん。遅れてもうひとつ。川向うだ。
これはきっとレオンの反応。
・・・どうする、彼を呼んでから行くか?
いや、それじゃ遅い。
俺とソフィア嬢でさくらの救出だ。
逃げられたときのためにレオンには橋に戻ってもらおう。
「行くぞ!」
「はい!」
ビルの階段を駆け下りる。
焦って瓦礫で足が取られないよう気を配りながら。
来た道を辿りながらPEで慣れない文字を入力した。
地上まで降りたところで顔に冷たいものが当たった。
「雨、ですわ」
返事に思考を割くのも惜しい気がしていた。
走りながらPEでメッセージを送信する。
俺たちの頬を叩く雨粒。
ぽつり、ぽつりと来たら直ぐに本降りになった。
ざあざあと周囲の視界を悪くしていく。
だが雨などに構っていられない。
喉が風邪をひいたときのようにがらがらする。
緊張で唾を飲んでも痛かった。
身体を冷やす水の流れに晒されながら、俺とソフィア嬢は走った。
そうして目的のビルにたどりついた。
この上に、嵐張が、さくらがいる。
「はぁ、はぁ、はぁ」
だがこのまま突入してよいのか。
奇襲などされはしまいか。
人質とされ脅されはしまいか。
息を切らした身体を少しだけ休めながら逡巡する。
「武様、参りましょう!」
「・・・ああ!」
迷わず踏み込んだソフィア嬢。
うん、どうせ俺に戦闘力はない。
彼女が戦えるならそれに頼るしかないんだ!
俺は勢いよく階段を昇る令嬢の後を追いかけた。
暗い階段室に、ふたりの足音が不気味に響き渡っていた。
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