069

 カジュアルな洋装でも欧米人の外観ならばよく似合う。

 そう思うのは俺だけだろうか。

 純和室にジーンズなんて外国人観光客ルックだけれども、補って余りある気品がある。

 背筋をぴんと伸ばし座布団に正座するさくらの姿に目を奪われた。

 黒の大きなリボンで結んだ長い銀髪も様になろうというものだ。


 スタイルと髪色は欧米人だけど、目鼻立ちは和風美人のさくら。

 これに対してレオンやソフィア嬢は顔つきからどう見ても欧米人。

 彼らの洋装はよりそのスタイリッシュさを強調する。

 日本人の中にいると美男子ながら目立たない結弦も、彼らと一緒にいるだけでその黒髪の姿が映える。


 要するに何が言いたいかというと。

 この客間で茶を飲んでいる4人は、誰も彼もが目を奪われる美男美女だということだ。

 さくらとソフィア嬢を外に放置するわけにもいかないので一緒に客間へ入った。

 落ち着くためにお茶を、と結弦が皆に配ったところだった。



「ありがとうございます。落ち着きます」


「このグリーンティーは学園で飲むものよりも香り高く甘いですわ。良い茶葉を使っているのかしら」



 俺たちの様子伺いをしていたであろうふたりは開き直って愉しんでいるようだった。

 レオンも結弦もいつもの雰囲気を感じているのかリラックスしている様子だ。



「結弦様、これから試験をお受けになるのですわよね」


「ええ、天然理心流の儀式です」


「わたくしもリヒテナウアー式剣術を修めた身。師からの認定が壁であることは承知しておりますわ。貴方がそのために日々、身を削りここに至ったことも」



 金髪縦ロールのソフィア嬢。

 さくらを見習ってぴんと背筋を伸ばしている姿はやはり美しい。



「努力は裏切りませんわ。わたくしたちと一緒に訓練したことも生きているはずですの」


「はい、身になっていると実感してます。皆さんもありがとうございます」

 

「ほほほ、結弦様。これだけ皆で応援差し上げたのですから、結果は期待しておりましてよ」



 微笑を浮かべながら皆が頷くと、結弦もその想いを受け取り頷いた。

 「応援」の意義があったな。このふたりが来たのも悪くなかった。

 俺がそう思ったときだった。

 縁側の障子に人影が映ったと思ったら、ばん、と少し乱暴に開かれた。



【兄貴、親父から死合の儀をするのは・・・】



 登場したのは嵐張。

 いきなり用件を話し始めたので何事かと皆で注目する。

 当の嵐張は予想外に人が増えていたので驚いているようだった。

 が、その丸い目をよりまん丸にして驚いていたのはさくらに目が留まってからだった。



【・・・あ、あ、貴女はもしかして、九条 さくらさん!?】


【は、はい】



 用件などそっちのけで、真剣な表情で彼女の前で正座する嵐張。

 目の前に迫られて動揺しているさくら。



【あ、貴女は僕の憧れです! もしよろしければこの後、街をご案内しますよ!】


【え・・・ええと・・・】



 どう返答して良いのかわからず、助けを求めるさくらの視線。

 で、なんで俺を見るの。結弦だろ、そこは。



【おい、嵐張だったか。いきなりは失礼だろ】


【なんだあんた、兄貴の友達か? 僕はこの人と話してるんだ、邪魔するな】


【その憧れの人が困ってるから俺が口を挟んでんだよ】


【え? さくらさん、困ってますか!? 大丈夫です、僕が何でも力になりますよ!】



 待て、空気読めお前。

 外見通りほんとうに脳筋なのかよ。



【ご、ごめんなさい。わたしは結弦さんを応援に来ましたので・・・】



 結弦の親族だろうと邪険にするのに躊躇しながらも、さくらは断った。

 すると目を輝かせて興奮気味だった嵐張の表情が一気に強張った。

 絶望的に悲しげな顔をしたかと思うと、立ち上がって眉根を寄せた。



【おいぼんくら! 僕への当てつけか!? さくらさんだけじゃなく、こんなに美男美女を連れ込んで!】



 そう怒鳴りながらぎっと鋭く結弦を睨む嵐張。

 さすがに度が過ぎると思ったのか結弦が口を挟んだ。



【嵐張、下がってくれ】



 怒っているのか悲しんでいるのか、いつも穏やかな結弦が表情を曇らせて立ち上がる。

 嵐張はぎっと結弦を睨むと、ばん、と乱暴に障子を開け締めして立ち去った。



「皆さん、ごめんなさい。また見苦しいところを・・・」



 反動で隙間を作った障子を閉めながら謝る結弦。

 皆は唖然としたままだ。そりゃそうだあんなの見せられたら。

 普段の穏やかな結弦からは想像もできないのだから。



「気にすんな、お前のせいじゃねえだろ。それよりさ、あとで『アトリット・ヤム』を案内してくれよ。折角、こっちまで来たんだし見てみたいんだ」



 大事な試験前だ。

 変なことに神経を使わせたくない。

 そう思った俺は、露骨と思いながらも話を変えた。

 


「え? 武さん興味があったんですか」


「あるぞ。俺は温故主義だからな、歴史を感じるもんとか好きなんだよ」


「そうなのですね! わたしも一緒に観たいです」


「あら、それならわたくしたちもご一緒ですわよね」



 皆、ノリが良かったのは結弦に気を遣ったのだろう。

 その気遣いも彼へのエールになる。

 こうして談笑を挟んでいるうちに皆伝の儀の時間が迫っていた。



 ◇

 


 無垢の厚い杉板を磨き上げたものが一面に敷き詰めてある。

 黒光りするそれに足を乗せるとしっかりとした感触と温かみを感じる。

 剣術道場の床板としては理想的なものだろう。

 杉の匂いが充満するそこは、まるで外界とは隔絶された空間かのようだった。


 俺は武術に関しては素人だ。

 でも凛花先輩をはじめ、武芸に達者な友人――主人公たちが周囲にいた。

 だから素人なりに剣技や闘技を垣間見たことがある。

 だけれども同じ流派の達人域の者たちが相対するのを見るのは初めてだった。


 床板のしなりが僅かな重心の移動を告げる。

 その音を皮切りに抜刀された模擬刀が俺とレオンの眼前で結び合う。



【ひとつ!】



 野太い声と同時に、かあん、と甲高い音が鳴り響く。

 水面を切り裂き水の板を作るかのような技。

 水平に、ほんとうに真っ直ぐに水平に繰り出した剣線がぴたりと重なり合った。

 一の型、飛水。

 結弦の繰り出した水平線と、彼の父、鋼玄が繰り出した水平線がぶつかった。

 その乾いた音は静かな空間を打ち鳴らした。


 俺の目には剣筋さえ映らない。

 基本にして最速の抜刀術。

 達人の本気は素人には捉えられないのだ。

 彼はその域に達している。

 積み重ねた修練だけが作り出せる世界だ。

 それは香がかつて到達したあの聖域に通ずるものがある。


 既に皆伝の儀は始まっていた。

 立会人は俺とレオン。

 さくらとソフィア嬢はさすがに参加させられないので客室で待機してもらっている。


 【先ずは合わせの儀。合わさねば刃が遊ぶ。八の刃に遊びがないことを見届けよ】

 彼の父、鋼玄に立会人が見るべき点を説明された。

 俺たちはそれだけのためにここにいる。



【ふたつ!】



 鋼玄の掛け声。

 結弦は全く同じ動作で身を屈める。

 視線を合わせ、飛水と同様の水平線を重ねる。

 かあん、と鳴り響く乾いた音。

 見事に合わさったその2本の木刀の上に現れるもう一太刀。

 模擬刀の鞘が重ねて振り抜かれる。

 があん。

 ふたたび鳴り響いた、少しくぐもった音が重なり合いを告げる。

 二の型、双撃。

 

 俺にはその重なり合った結果だけが見える。

 前に歓迎会で見た双撃よりも格段に速く、重くなっていた。

 実際にその技を受けた俺にはわかる。

 それだけ彼が努力したのだ。



【みっつ!】



 ふたりは大きく距離を取った。

 およそ10メートル。

 そこから地を這うように下段に構え、対峙する。

 三の型、滝登り。

 息を合わせて床を蹴る。

 滑るように剣閃を振り上げる。

 かあん、と切り上げる逆風の太刀が重なり合う。

 続けざまに、かあん、かあん、と2回。

 ふたりは飛び上がりながら左右の切上げる太刀を重ねた。

 そのまますっと音も無く床に降り立つふたり。


 彼の父、鋼玄は齢60を超える老体だ。

 白髪の長い髪を後ろで縛り、いつも厳つい白眉を寄せている。

 結弦よりも太い体躯が年齢を感じさせない剣筋を生み出している。


 歳の離れた親子だ。

 昭和時代なら恥かきっ子なんて言われるくらい。

 もしかしたら時代のおかげでこういう年齢差も珍しくないのかもしれない。



【よっつ!】



 ぐっと腰を落として溜める姿勢。

 視線が交錯したと思った時にはふたりの身体が入れ違った。

 かあん、という音を合図にふたりの身体が回転した。

 かあん。

 両者の首の裏。

 互いに鞘で後頭部への一撃を抑えていた。

 四の型、竜頭返し。

 歓迎会のときに見せてくれたあの技だ。

 打ち終えた残心が、その音をより深く響かせる。


 ここまでは順調に見える。

 師範たる鋼玄と結弦はまったく同じ剣筋で刃を重ねている。

 あの速さも重さも、入学してからの修練で得たものだろう。

 彼の仲間たちの力がそこにあった。


 少し間があった。

 鋼玄は構えを解いて結弦を見据えている。

 その表情は険しいままであるが、少しだけ口角が上っているようにも見えた。

 対する結弦は腰を落として構えたまま。

 緊張と集中のあまり額に汗が滲んでいる。

 そこから頬を伝って顎からぽたり、と杉板を濡らした。


 ふたたび鋼玄が腰を落とした。

 凛とした空気が張り詰める。



【いつつ!】



 かあん。

 抜刀からの逆袈裟斬り。そのままの勢いで身体を回転させ目にも留まらぬ左切上げ。

 かあん。

 その切上げで飛び上がり大上段の唐竹割り。

 かあん!

 渾身の一撃を加えた後に刃を返して右切上げ。

 かあん。

 またその勢いで回転し利き腕の力がもっとも入りやすい袈裟斬り。

 かあん。

 五の型、木枯らし。

 一連の流れるような動きが立て板に水のように。

 激しい動きにも関わらず太刀筋にまったくずれはない。

 大上段の一撃に押し負けることもない。

 鏡に映したかのようなその動きに息を飲んだ。


 

【むっつ!】



 たん、と床を蹴る音。

 かあん。

 右薙を結び合いながら、相手を軸に反時計周りに回転していく。

 かあん、かあん。

 身体は逆回転の右回り。逆袈裟、右切上げ。

 かあん、かあん、かあん。

 その回転を続けて1周。

 ふたたび右薙、逆袈裟、右切上げ。

 まるで惑星の公転と自転だ。

 六の型、五月雨。

 六方向から斬りつけて正面へ戻っていた。


 はぁ、はぁ、はぁ、と結弦の息が切れている。

 ぽたりぽたりと汗が床を濡らす。

 だが彼の瞳に宿る意志は前を向いたまま。

 鋼玄も手加減などしていない。



【ななつ!】



 だん、と床を蹴る。

 脚の速さも加えた抜刀術。

 かあん。

 右薙を結ぶと両手に持ち替え身体ごとさらに前へ。

 がっ!


 ・・・は!?

 剣先で剣先を止めた!?

 ふたりは剣を突き合わせて停止していた。


 七の型、残雪。

 右薙、突き、左薙、突き、右薙、突きと繰り返す突進技。

 2撃目の突きは剣先で剣先を抑えていた。

 あの速さ、あの威力で点を正確に突く。

 信じられない。

 互いの狙いは首の下、身体の中心、心臓だ。

 模擬刀といえど食らえば無事では済まない。


 もはや信頼という域ではなく・・・同じ世界で同じ剣筋を見ているとしか思えない。

 素人の俺には理解さえ及ばない正確さ、速さ、そして威力。

 いちど剣先を合わせるとふたりは後ろへ飛び退き、再度、右薙から突きへ。

 かあん、がっ!

 かあん、がっ!

 綺麗に3回繰り返し、ふたたび距離を取る。


 ・・・。

 すげぇ、なんて陳腐な言葉では言い表せない。

 鋼玄がこの道を極めているのは疑いようもない。

 愚直に60年、ずっと繰り返してきたのだから。

 人並み外れた結弦のすべてを受け、余裕さえある。


 片や結弦も緊張に飲まれているとはいえ、限界という様子もない。

 身体の成長に加え、日々の修練が如実にその実力を押し上げているのだ。

 主人公補正を抜きにしたって、よくここまで動けている。

 息を切らし黒い髪が汗で顔に張り付くのさえ、艶やかに彼の姿を強調しているように見えた。



 ◇



 「2度とも、突きの重ねで剣先がぶれました」

 蜜柑畑から帰るとき、ぽつりと彼が漏らした。

 かつて七の型で失敗したという話。

 それを聞いたレオンは無言で彼の肩を叩いた。

 振り返った結弦は緊張した面持ちだったが、心做しか嬉しそうにも見えた。

 さくらもソフィア嬢も、結弦と視線を交わして無言で頷いていた。


 彼らが共有したもの。

 修練における技術。

 ともに費やした時間。

 結弦の背中を後押しする気持ち。

 そこに生まれる絆。


 そういった高潔ささえも感じるものが確かにあったのだ。

 だから俺が口を挟む必要もない。

 直接、結弦と修練ができなかったことに疎外感があったほどだ。

 打算で動いている俺の胸中など、下水の汚泥と思えるくらいに。



 ◇



 かくして結弦は過去の自分を超えた。

 背中を見せる結弦の心中は喜びか、恐れか。


 残すは八の型、散華。

 ふたりが対峙する。

 これまで止まることのなかった両者が止まっている。

 気を高めているのか。

 その間が場の空気を否応なく固くしていく。


 硝子のような剣気に耐えられなくなった俺はレオンに視線を移した。

 彼もそのぴりぴりとした気迫に圧されているのか動揺しているように見えた。

 だが視線はふたりから離さない。

 俺のように落ち着きなく目配せなどしない。

 その気概が武器を手に持つ者との差異だと感じた。



【やっつ!】



 ぱしん。

 そう張り詰めた空気が弾けたような気がした。

 気付けばふたりは互いに飛び込んで右薙を重ねていた。

 かあん。

 切り結びながらそのまま右側を抜ける。

 たん、と着地した片脚がそのまま床を蹴る。

 かあん。

 振り向きざまに相手の左側へ飛び込みながら左薙。

 かあん。

 ふたたび振り向き右側へ飛びながら袈裟斬り。

 かあん。

 また左側へ飛んで逆袈裟斬り。

 かあん。

 さらに右側へ飛び右斬り上げ。

 かあん。

 左側へ飛び左斬り上げ。

 かあん。

 正面へ飛び込み唐竹割り。

 かあん。

 振り下ろした剣先を返し飛び上がる天地の縦斬り。

 かあん。

 踊るように目まぐるしく動いた。

 すべての異なる剣筋が花弁を描くかのようだ。

 飛び上がったその着地は距離を取り。

 両手に持ち替え9撃目、腰を落として渾身の突き。


 これが最後だ。

 俺の知る八の型は9連撃。

 この試練もこれで終わる。

 

 だん、と結弦が床を蹴った。

 鋼玄も床を蹴った。

 模擬刀と模擬刀が一本の直線になる。


 がっ!

 ばあん!


 一本になるはずの2本の模擬刀。

 役割の終わりを告げるかのように2本とも砕け散った。

 ・・・。


 残心の姿勢のまま。

 静まり返った早朝の湖面のように。

 明鏡止水を体現したその瞬間。

 彼らは佇んでいた。

 天然理心流の頂はそこにあったのだ。



【・・・見事】



 鋼玄のその言葉に結弦は残心を解き、静かに礼をした。

 厳かな聖域に触れた俺たちは、鋼玄がその場を離れるまで声を漏らすことができなかった。



 ◇



 肩で呼吸をして膝に手をつく。

 滴る汗で床に小さな水溜りができていた。

 精魂尽きたという様子ではないが消耗はしていた。


 小休止の後、死合の儀を行うと告げられた。

 鋼玄が場を後にして緊張の解けた結弦は倒れ込みそうになっていた。



「は、はは。まだ膝が笑っています。情けないですよね」


「自身に打ち勝ったのだろう。お前が掴んだ成果だ、胸を張れ」



 レオンが元気付けると結弦も少し笑顔を見せていた。

 震える腕に震える脚。

 あの正確さを体現するために、想像を絶するほど極限まで集中したのだ。

 身体に負担がかからないわけがない。

 

 積み重ねた先に超えた頂。

 石を穿つような血の滲む修行の果てにあるその場所。

 その高みを見上げるだけで、俺まで高揚してしまう。

 間近で達人が皆伝する瞬間を見ているのだ。

 しかも日本剣術。滅多にそんな機会などない。 

 ラリクエゲームだからということさえ忘れてしまっていた。



「お前ならこのまま皆伝を受けられるよ。その姿を見せてくれ」



 応援する側の願望が口を突いた。

 額の汗を拭いながら、結弦は微笑で応えた。

 うん、これならいける。

 そう期待した俺の期待を掻き消すようにその悲鳴が飛び込んできた。



【があああぁぁぁぁぁぁ!!】



 この野太い声は・・・!?

 俺が状況を把握する前にだっと、結弦が駆け出す。



「父さん!?」



 俺とレオンは互いに目配せする。

 レオンも間髪入れずに後に続いた。


 おいおいおい!

 順調だと思ったのに何が起こったんだよ!?

 頭の片隅でそう叫ぶ思考を自覚しないまま、俺はふたりに続いた。




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