056


 グリーン宅の裏庭には小さな金属製の小屋があった。

 煙はその小屋の煙突からもくもくと上がっている。

 何事かと扉に近づいたところで、中から初老の男性が出てきた。



「げほっ、げほっ、げほっ・・・」



 煙に巻かれて脱出してきたのは白髪交じりの白人男性。

 実験していましたと言わんばかりの白衣姿だった。



「大丈夫ですか!?」


「けほっ・・・おや、誰だ? こんな場所で世界語とは珍しい」


「すみません。通りがかりに音が聞こえてびっくりしたもので」


「ははは、ちょっと失敗しただけだ。よくあることだよ」



 どうやら事件ではないようでほっとする。

 けたけたと笑うその男性、よく見ればリアム君と同じ眼鏡をかけていた。

 見覚えがある。この人がバート・グリーンだ。



「あなたがプロフェッサー・バート?」


「いかにも。フェニックス大学で魔力実証研究をしている。可愛いお嬢さんはどこから来たのかな?」



 眼鏡をくい、と持ち上げて居住まいを正すバート教授。

 でも背後の小屋から煙が出ているので、正直、あまり格好がついていない。



「あたしはフランスのパリからバカンスに来たの。彼とグランドキャニオンを見たくて」


「おお、それは良い! ベガスを選ばずこちら側からとは若いのに目のつけどころも良い!」


「そうでしょ? 国立公園でスワローサボテンを観てきたの」


「うむうむ、あれを見ずしてアリゾナに来たと語る者は痴れ者だ」


「それで、プロフェッサーは何をやってるの?」


「よくぞ聞いてくれた! この中では――」



 ・・・。

 なんかすげえ。ジャンヌがスムーズに取り入っている。

 こいつ、諜報活動させられてただけあって知識や話術も相当に仕込まれたんだろな。

 上機嫌な教授は見ず知らずのはずのジャンヌに自分の研究を説明している。

 曰く、相反する魔力と科学を融合させるための実験をしているとか何とか。

 俺には理解が及ばなかったがジャンヌはふんふんと聞き入っている。

 警戒されない容姿なのもさすが主人公補正。



【dad! dad! You messed up, again!?】



 そうして教授が小屋へ俺たちを案内しようとしたところ。

 母屋のほうから大きな声を上げて抗議に来たリアム君。

 なんて訳すんだ・・・「お父さん、またやらかしたの!?」か。



「リアム、世界語で話しなさい」


【Why?】


「・・・はじめまして、お邪魔してるわ。お人形さんみたいな君」


「・・・僕、お人形じゃないよ!? 失礼だなぁ!」



 リアム君・・・俺とジャンヌがわからない!?

 ジャンヌも驚いているようだが顔には出さないよう頑張っている様子。



「ははは。リアム、彼女らは旅行者だ。せっかくの若者同士、休んでもらうついでに話をしてもらいなさい」


「うん、わかった。お姉さん、お名前は?」


「あたしはジャンヌ=ガルニエよ。フランスから来たの」


「俺は京極 武、日本からだな」


「わお! フランス人に東洋人だ! ね、お話聞かせて!」



 リアム君は目を輝かせて俺たちを見ている。



「ふふ、良いわ。お友達になれそうね」


「うん、こっちで話そう! お父さん、今日はもう実験しちゃ駄目だよ」


「ああ、片付けたらそちらへ行くよ」



 リアム君に引っ張られ、俺たちは屋内へ案内された。



 ◇



 外側は木造でも日常的に過ごす内側は近未来。

 調度品はレトロな意味で俺の馴染みがある革製ソファーなどを使っていたが、壁紙や家電製品などはやはり未来仕様。

 この世界で寮生活ばかりの俺にとって、他人の家はいつも新鮮に見える。

 俺たちはリビングのソファーに案内されていた。



「ちょっと古臭くてごめんね、お父さんの趣味なんだ」


「このアンティークなソファーと机のこと? 俺の親も古いもの好きだったから落ち着くよ」


「ほんと? 良かったぁ、変な家って思われちゃったらどうしようと思って」



 コーヒーを用意してくれているリアム君との雑談。

 なんか普通に大人な会話をしている。

 そう、このくらいなんだよ。リアム君のゲームでの年齢感。

 学園ではやっぱり幼く感じる。



「ね、日本の話を聞かせてよ! 僕、マウント・フジに登ってみたいんだ!」



 俺たちの前にカップを並べ、彼は対面に座った。



「富士山? あの山、簡単そうに見えて4000メートル近いからな。気軽に登ると後悔するぜ」


「そうなの? 僕、ツーソンのレモン山とか低いところしか登ったことがないから、高い山に登ってみたいんだ」


「そうか。日本に来たら案内してやるよ」


「うん! ジャンヌはモンブランに登ったことある?」


「あそこは登山家が登るところよ。フランスに来るならモン・ヴァントゥのような手軽に登れるところのほうがいいわ」



 楽しげに喋るリアム君。

 ずいぶんと生き生きしてんな。

 登山好きも知らなかった。

 戻ったら話を振ってみよう。


 山の話から食べ物の話、お花の話と、ご当地の話題に興味津々。

 どうしてこんな豊かな人間性が学園では見られなかったのだろう。

 話し込んでいたところでバート教授が入ってきた。



「ジャンヌ君に武君だったか。驚かせてしまったようですまない」


「いえ、こちらこそ勘違いしてしまって。ご自宅で研究だなんて熱心なんですね」


「ははは、大学ではどうも理解されなくてね、自前で研究設備まで整えてしまったのだ」



 あの小屋のことか。そう考えると本格的だよな。

 何やってんのか知らねぇけど。


 バート教授は横のソファーに座る。パイプ煙草に煙をつけた。

 ・・・パイプ煙草なんて、この時代だとレトロ通り越して骨董品だろ。



「魔法と科学の融合なんて、相反すると結論付けられてから廃れたと思っていたわ」


「そう、皆、勘違いしているのだよ! 相反ではないのだ、その逆なのだ!」


「逆? 融合するの?」


「聞いて驚くな! 魔力は相対論でいう四元ベクトル論に第五のベクトルを加えることで説明できるのだ!」


「もう、お父さん。そんな難しいお話、お客様が困ってしまうわ」


「あ、お姉ちゃん」



 バート教授が熱心に語りだしたところで、やわらかい声がそれをとどめた。

 奥の部屋からお姉さんがやってきたのだ。



「お邪魔しています」


「ごめんなさいね、こんな格好で。いつもより賑やかだから気になってしまって」


「こちらこそ、起こしてしまったかしら」


「私、サディよ。リアムとお話してくれてありがとうね」



 家着のお姉さん。さっきまで横になっていたのだろう。

 こちらの声が煩くて起きてしまったのかもしれない。


 リアム君と同じストレートで栗毛色の髪。

 見るからに優し気な空気を纏っている。

 その純朴な花のような笑顔がこの場にいる人たちを和ませていた。



「お姉さん、お邪魔してます。お身体は障りありませんか?」


「ええ、少し休んだから平気。それよりも賑やかなところで笑っていたほうが身体には良いの」


「お姉ちゃんお姉ちゃん! あのね、山のお話や食べ物の話を聞かせてもらったんだ!」


「ふふ、良いわね。どんなものを教えてもらったの?」



 お姉さんはリアム君の隣に座った。

 リアム君はお姉さんの顔を見て、目を輝かせて俺たちとの会話を語っている。

 俺たちとの会話は興味津々という調子だった。

 でもお姉さんとの会話は恋人がやって来たかのように、彼の顔が緩んでいた。


 お姉さんが加わってからの会話はより一層に弾んだ。

 彼女は理知的で話を広げるのがうまく、その雰囲気が皆を和ませた。

 リアム君はほんとうに幸せで楽しそうで。

 バート教授も頷きながら、温かくこちらを見守ってくれていた。



 ◇



 結局、そのまま夕方まで話し込んでしまった俺たちは、バート教授の勧めもあって泊まらせてもらうことになった。

 食事やシャワーが済み、俺とジャンヌはゲストルームでひと息ついた。

 流れとはいえ、ひとまずうまくアプローチできたことに安堵していた。



「良い家族ね、ほんとうに。あたしは両親も知らないから羨ましいわ」


「俺もそう思うぜ。あそこまで仲睦まじい家族は日本でも珍しいくらいだ」



 事実、リアム君の家族はとても仲が良い。

 お姉さんのあの和やかな雰囲気が周りを明るくしてくれている。

 客の立場だというのにとてもアットホームでハートフルな時間を過ごさせてもらったのだから。



「そんで。こっからどうすんだよ? あのリアムじゃ、こっちから話しかけてもなしのつぶてだ」


「わかってる。どうしたら良いのか・・・」


「高天原の話を振ってもわからないって言われて終わるだけだな」


「だからって無理やり連れて行ったところで戻りたいなんて言わないわよね」



 本人がこの精神空間で満足してしまっている現状。

 しかも戻る先のことは完全に忘れている。

 悪い奴がいて捕えられている、という話ならまだ解決のしようもあるのだが。



「・・・うん? おい、これを見ろ」


「なによ。あんたの貧相な身体なんて見たくもないわ」


「違ぇよ! さり気なくディスるんじゃねぇ! この時計だよ!」


「だからなによ、普通の時計じゃない」


「違う、日付! ほら!」


「・・・え? 2210年8月10日!? 今、未来!?」



 そう、日付は今年の8月10日だった。

 ダイブした日よりも20日は後だ。



「ジャンヌ、リアムはいつ、この精神空間に来たんだ?」


「昨日の朝からよ。一昨日、博士のところでシミュレーターをふたりで体験して、明日もやりたいってリアムが言うから」


「朝からって8時くらいだろ? 俺が行ったのが正午だから、実時間で28時間くらいか」


「そうね」


「てことは、200倍なんだから5600時間。・・・あいつ、半年以上ここにいるのか」



 彼はそれだけ長い時間、この中に浸っているというのか。



「もしかしたら、この世界のスタートは半年以上前だったのかもしれん」


「どういうこと?」


「お姉さんに会いたかったんだろう。高天原に入学しなけりゃ、実家にいるわけだから」


「高天原に進学しない道を選んだわけ?」


「それなら、今、アリゾナにいる理由も説明がつく」


「・・・そのあたりに答えがあるかもね」



 俺とジャンヌは顔を見合わせた。

 ともかく本人に話を聞かなければ。

 明日、改めて彼に話を聞くことに決めてこの日は大人しく就寝した。



 ◇



 翌日。

 俺たちはリアム君に話をしようと声をかけた。

 すると彼は父親の研究を見てほしいという。

 そうしてバート教授の実験室へ赴いた。



「ここ、すごいんだ! お父さんが作った変な機械でいっぱいだから!」


「おいおい、変な機械はないだろう」


「う~んと例えば、ほらこれ。何に使うものだと思う?」



 リアム君が棚から取り出したのは、白い球体に3本の円柱の脚がついた物体。

 スイッチもなければ脚が動くわけでもない。



「・・・電灯?」


「ううん、違うんだ」


「魔法の研究してんだから・・・魔力で色が変わる装置とか?」


「あ、惜しい!」



 リアム君はそう言うと脚の1本を持ち、集中して魔力をその装置に流し込む。

 ああ、学園に通っていなくても魔力操作できんのね、さすが主人公。

 しばらくするとその装置の色が茶色くなってくる。



「これね、魔力の受け渡しができる装置なんだ。ほら、武。そっちの脚を持って」


「こうか?」


「うん。僕の魔力が流れ込むからね」


「! ま、待て!? ぎゃああああぁぁぁぁ!?」


「タケシ!?」



 例により魔力が俺の身体を駆け巡り、全身が痺れ、意識を刈り取っていく。


 ちょっと待てええぇぇぇ!!

 こんな精神空間でも全く同じ現象が起きるんかいぃぃぃ!!

 流れで持っちまった俺の馬鹿さ加減よ!!


 叫びながらそんなことを考え。

 もう駄目だ、と思う頃に流れ込む魔力が止まった。



「随分と感受性が強いのだな、無事かね?」


「ぐっ・・・はぁ、はぁ、はぁ・・・ええ、何とか・・・」



 膝をつき地面に倒れ込む寸前。

 何とか意識を保つことができた。

 バート教授が心配そうに俺を見ていた。



「だ、大丈夫!?」


「驚かせてすまん、リアム。俺は魔力過敏なんだ、こういう魔力を流す装置に弱いだけだよ」


「ごめんなさい、そうと知らずに渡しちゃった」


「大丈夫よ。こいつ、こんなでも強いから」


「お前が言うんじゃねぇ!」



 ジャンヌに突っ込みながら立ち上がる。

 ああ、良かった。少量だったからそこまで影響はなかったようだ。



「ところでバート教授。お話ってなんですか?」



 リアム君に声をかけられたとき、話をしたいとの申し出があったのだ。



「うむ。実は君たちに頼みたいことがある。娘のサディのことだ」


「サディさんの?」


「昨日の様子のとおり彼女はずっと病気なんだ。どうにも先の見立ても良くない。だが治療法もわからず病院で過ごすならここで過ごしたほうが良いと思い、今は自宅にいる」



 ・・・。

 自然に話が流れているようだけど。

 これ、リアム君の帰省イベントと同じ展開だよ。

 まさかの精神空間で発生。



「なんて病気なの?」


「それが病名がついていない。原因がわからないからだ。いわゆる膠原病こうげんびょうの一種との見立てだが、それがわかったところで手の打ちようもない」


「う~ん。あたしは医療に詳しくないけれど。いちど、サディと話をさせてもらってもいい?」


「もちろんだとも。藁にも縋りたい心持ちなんだ。君たちが知っていること気付いたこと。なんでも良い、些細なことがあれば、それが有効かどうか検討させてもらいたいのだ」



 こうしてジャンヌの申し出により、あとでサディと話すことになった。

 もしかしたらこれ、リアム君イベントを攻略すりゃどうにかなるんじゃなかろうか。

 俺はそんな予感がした。






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