016

 天神駅から約1時間半、緑峰駅に到着した。

 改札を出ると見慣れた駅前が広がる。

 僅か1週間。それなのに懐かしさを感じてしまう。

 それだけ濃い1週間だったということか。


 通えない距離じゃないけど気軽に往復できる距離でなくなってしまった。

 時間的には東京から大阪と大差ない。

 この時間的距離が心理的距離に繋がってしまうのか。

 彼女との距離を広げてしまわないかと不安になった。

 その僅かな焦燥は待ち望んでいたその声に吹き飛ばされた。



【武! おかえり!】


【ただいま・・・うわっ!?】



 到着時間を伝えていたので待っていると思っていた。

 けれど死角から飛びついてくるなんて思いもしない。

 バランスを崩しそうになりながらも、何とか倒れずにすんだ。



【た~け~し~!!】


【ははは、俺も逢いたかったよ】



 香が後ろから首に腕を回して頬ずりしてくる。

 高々1週間、されど1週間。

 1番になってから待ち望んだ初めての時間だ。短いわけがない。

 その気持ちが十分に理解できたから俺もその抱擁に応える。



【ん~~!!】



 くるっと振り返って強く抱きしめて。

 軽く頬に口づけして。

 ひとまず満足したのか香は身体を離してくれた。



【あ~ナマ武だぁ! 嬉しいなぁ】


【その言い回し、なんか卑猥じゃない?】


【ん~? 君はナマ香が不満だというのか!】


【ごめんなさい、とっても嬉しいです!】



 傍目、バカップルの自信がある。

 けれど心地良すぎて止める気にもならない。

 腕に抱きついた彼女は満面の笑みだ。



【先に聞いておくね。何時に帰ればいいの?】


【えっと、門限は22時。緑峰駅を20時くらいに出れば間に合うよ】


【わかった。んふふ、それまでずっと一緒だね!】



 何度も彼女は頷いていた。

 俺も嬉しい。

 これだけ素直に気持ちを受け入れられるなんて不思議な感覚だった。



【ね、高天原のお話、聞かせて!】


【うん、俺も話したい。最初の1週間なのに色々ありすぎたよ】


【ふふ、環境が変わればね】



 香は俺の手をぐいぐいと引いて家路を急いだ。

 もう共鳴が始まっているのか腕が暖かい。

 そうして引っ張られるたびに笑みが溢れた。



 ◇



 彼女の家、お屋敷に到着して。

 執事さんに軽く挨拶をして、そのまま香の部屋に入った。

 前にここへ来たのはクリスマスだったか。

 数カ月ぶりだというのに、懐かしさより安心感が勝った。


 いつ見ても広い部屋だ。

 ホテルのスイートルームよろしく、リビング的な空間とベッド空間と。

 洗面所だけでなく流しやシャワーブースまであるからここだけで引き篭もれる。



【彼女の部屋だってのに緊張しねぇ。不思議だ】


【ん、ここが武のおうちだから。おかえり!】


【うわっ!?】



 待ってましたと言わんばかりに香がまた抱きついてきた。

 今度は正面からなので受け止めた。

 と思ったらぐいぐいと後ろへ押されてソファへ押しやられた。

 どさりと尻餅をつくかたちで座らされる。

 当然、彼女が俺の上にのしかかっている。



【どうしたの、まだ足りない?】


【ん、武分・・を補充してるの! しばらくかかります!】



 香はぐいぐいと俺の胸に顔を押し付けてくる。

 スンスンと俺の匂いを嗅いでいるようだ。

 告白したときに我慢しなくて良いって言ったけど、こんなにはち切れるのね。可愛い。

 照れよりも彼女の暑苦しいまでの想いが嬉しい。

 俺は彼女が満足するまで髪を撫でてやった。

 レゾナンスが悪さしてちょっと目が回ったけど我慢ができた。



【ぷはー! あはは、まずは前菜ー!】


【え? また後でやんの?】


【当たり前じゃん! 1週間分、補充しないと!】


【あー・・・それなんだけどさ。来週の日曜日はちょっと無理かも】


【ええ!? もう、私より大事なことができたの!?】



 とても不満! と言わんばかりに眉間に皺を寄せ頬を膨らませる香。

 罪悪感を煽られながらも説明をする。



【そうじゃなくて、ちょっと訓練しないとまずそうなんだ】


【訓練? え? 武、もう具現化の練習してるの?】


【ん、具現化の前段の魔力の操作かな。聞いてよ、酷い話があってさ・・・】



 俺は自分の状況を話した。

 主席となったためスピーチをして舞闘会に参加すること。

 そこで見せしめになりそうなこと。

 そのための訓練を始めたこと。

 闘技部で先輩に面倒を見てもらっていること。



【え〜! 主席っていきなりそんな大変になっちゃうの!?】


【遅かれ早かれ訓練をやることにはなると思ってた。急だから驚いてるだけだよ】


【ぶー! それで来週は私と逢えないじゃん!! 許すまじ生徒会!】



 不満たらたらの香。

 すっかり感情を隠さなくなったのが甘えてるんだなと思えて可愛い。



【ごめんって。その次の日曜日は空けとくから】


【約束だ! 私も絶対に空けておくから!】


【うん、約束】


【ん・・・!】



 俺は口を尖らせてる彼女の顎を掴み、軽く唇を重ねた。

 柔らかい感触とともに花のような甘い香りが広がった。



【・・・ん、今日は2週間ぶん、補充する!】



 そうして彼女は、にはり、と破顔した。

 頬を朱に染めながら納得してくれたようだ。



【お茶にしよっか。そのまま座ってて】



 香はようやく俺の上から退くと、お茶を淹れるため奥へ行った。

 少し落ち着いた俺は部屋を見渡した。

 前に来た時と同じ。

 変わらないようで、変わっていて。

 時間は経って香との関係も変わったけれど。

 今現在、実家もない根無し草である俺にとって、この空間が戻るべき場所と感じていた。



【ごめんね、お待たせ~】



 紅茶を淹れたティーセットをふたつと茶菓子。

 彼女はトレーに載せて上品に運んで来る。


 俺は改めてその姿を見た。

 射干玉ぬばたまのような黒髪のポニーテール。

 出会った頃よりも穏やかになった吊り目。長く揃った睫毛。黒い深みのある瞳。

 すっと通った鼻筋に整った顔つき。

 細身の身体で弓道をやっているから引き締まっている。

 胸は主張するようになったし、腰回りも艶を感じるようになった。

 すっかり大人の仲間入りをした扇情的にさえ見える姿だ。

 化粧をすれば誰もが振り向く美人になるだろう。



【ん? どうしたの、私に見惚れちゃった?】


【うん、綺麗だなって】


【ふぇっ!?】



 慌てて赤くなる。

 こういう何気ないひとことに彼女は弱い。

 そこがまた可愛いところでもある。



【あはは。愛しさが入ってるから尚更だ】


【なにそれ! 愛しさ補正がなかったら綺麗のランクが落ちるってこと!?】


【ううん。俺にとって香は誰よりも綺麗だよ】


【もう! そういうことにしといてあげる】



 香はトレーをテーブルの上に置いて俺の隣に座った。

 顔を俺の肩にあずけ、腕を抱えて甘えてくる。



【武だって、誰よりも格好良いんだから】



 ・・・ぐっ。

 どきりとした。

 その甘い声にいきなり体温が上がったのを感じる。



【ふふ、やっぱり可愛いなぁ】



 その様子をしっかり見られ、更に俺は赤くなってしまう。

 ああもう。俺も似たり寄ったりで弱いじゃないか。

 ・・・共鳴してるな。熱が全身を駆ける。

 そうか、心に響いてると共鳴しちゃうんだな。



【良いんだよ。私も貴方も、我慢もしないでいいし、隠さなくてもいい】


【・・・ん】



 貴方のぜんぶを受け止めるよ。私のぜんぶを受け止めて。

 そう彼女は言っている。


 彼女は先輩に想いを告白してから2年間頑張り、とうとう1番に成就できなかった。

 その後、俺を待って3年間我慢して、ようやく1番になれた。

 それだけの間、自分の気持ちを持て余して来たのだ。

 我慢する辛さも隠す辛さも、みんな知っている。

 それを知っているからこそ、俺はこの言葉に込められた強い意思を感じることができた。



【・・・】



 言葉を重ねる必要はない。

 そう思い俺の腕を持つ彼女の手に手を重ねた。

 そして共鳴によるくらくらで限界に近いことも分かっていた。



【・・・ごめん、そろそろ、限界】


【ふふ。いいよ、こっちにおいで】


【?】



 香は俺の身体を引き、そのまま膝枕になるように倒した。



【これならいつでも大丈夫!】


【ははは・・・】



 嬉し恥ずかしの状況だ。

 彼女の感情が流れ込んできている。

 嬉しい、愛おしい。もっとくっつきたい。

 俺も似たような意識だったから余計に理解できる。

 このまま熱に浮かされて昇天しそうだけど。



【疲れてるでしょ? いちど、休みなよ】


【え?】



 疑問に思う間も無く、彼女の顔が俺の顔を覆った。

 唇が重なる。

 柔らかさと、優しさと。

 それから甘い香りと、うなされる様な熱と。

 それらがすべて合わさって俺の中で弾けた。

 あ・・・・・・。



 ◇



 優しく髪を撫でる気持ちの良い感触。

 それが浅い眠りから俺の意識を掬い上げる。



【・・・ん・・・】


【ふふ。大好き】



 楽器の様な香の声。心をくすぐる言葉。

 膝枕のままだった。

 そっか、意識が飛んだのか。

 相変わらずな仕事をしてくれるレゾナンス効果。

 心の奥底まで響く満足感は半端ないんだけど、飛ばされるのはどうかと思う。



【ごめん、俺、飛んで・・・たね】


【ん、私の気持ちでそうなるんだよ? 愛しすぎる!】



 ぎゅうっと頭を柔らかい胸に抱きかかえられる。

 ああもう・・・!



【ちょっ、それ、ダメ!】


【あっはっは! や~めない!】



 頭を抱きかかえられるとバランスって取れなくなるよね?

 じたばた暴れるだけで何もできずに抱きしめられる俺。

 レゾナンス効果関係なく、恥ずかしくて真っ赤になってきた。



【ぶはっ!! 窒息しちゃうよ!!】


【え~? 嬉しいくせに~】



 何とか抜け出す。

 顔が赤いのは自覚済み。

 それを見てニタニタしてる香の顔も。


 ちらりと時間を見るとまだ昼前だった。

 意識が飛ぶと時間感覚が狂うから怖いんだよな。

 つか、俺、意識が飛ぶ回数多すぎだろ。この1週間で何回飛んだんだよ。



【ん~? 別のこと考えてるな~?】


【えっと】



 相変わらず鋭い彼女が突っついてくる。

 もう香が相手のときは考え込むより話したほうが良いか。

 誤魔化せないもんな。



【あのさ、ちょっと聞いておきたいことがあるんだ】


【うん】


【俺、AR値が92になったじゃない】


【うん。すごいよね】


【そう。それで意識が飛んだりするのは勘弁してほしいんだけど】


【え~? 嬉しそうだよ?】



 そっか、俺が飛ぶ時に感じてる感情は共鳴で彼女に伝わってるんだもんな。

 って、隣に座っている香がにじり寄ってくる。



【ちょ、待って待って。話してるから】


【ふふ。いいよ、続き話して】


【それでさ。俺、あんまし色恋とか詳しくなかったから1番とかよくわかってなかったんだよ】


【うん、知ってた】



 ・・・キレキレの香がいつぐらいから知ってたのか聞きたい。

 でもそれは今じゃなくてもいい。



【で、1番ってさ。その人の中で共鳴してる割合がいちばん大きい人のことじゃん】


【そうだね】


【香と俺って、ぜんぶ共鳴したとしても、70くらい余っちゃうから・・・】


【ああ、そのこと】



 ん? 考えてたって?

 そうか、そりゃ考えるか。

 逆だったら俺も考えて悶々としたろうな。



【えっとね。このへんは人によって価値観に差があるから。一般的な話じゃなくて、私の話】


【うん】


【私は、私のぜんぶが武と一緒になれるなら、それでいいの。私にとって武が1番だから】


【う、うん】



 素で聞いちゃってるけどもんのすごい嬉し恥ずかしだよ、これ。

 貴方だけに染まりたいって。

 やばいくらいドキドキする。心臓の音が煩い。



【ふふ、また赤くなってる。嬉し】


【ええ】


【あはは、ごめんごめん】


【・・・】


【それでね、自分が相手の1番じゃなきゃヤダって子も多いよ。私の周りでそう言って相手に怒ってる子もいた】


【そうなんだ】


【私は迷うことはないんだ。武が私の1番だし、そうなってくれると思ってるから】


【ん】



 にこっと、笑顔をくれる。

 さっきのドキドキに乗せてその愛情と信頼が俺の心に届く。

 ああ、共鳴、してますね。

 うん、ヤバい。

 眩暈が・・・ふらふらっと・・・。

 また飛ぶのはカンベン・・・!



【ほら、大丈夫?】



 共鳴すると彼女もわかるからか、俺を支えてくれる。

 近付くと悪化するんだけどね。



【ん、ごめ・・・ありがと】


【ふふ】



 くらくらが落ち着くまで待ってくれる。

 速い鼓動が煩いけど会話はできそうだ。



【俺はその、香の友達の怒ってる子の感覚に近いんだ。1番にしたい人の1番であってほしいと思うから】


【うん】


【だから香が今みたいに平気って言ってくれても俺がちょっと嫌なんだ】


【んん、やっぱり優しいなぁ。その気持だけで嬉しい】



 香が両手を頬に当ててうっとりとしている。

 その仕草と表情が可愛い。どきっとする。



【ここからが本題。俺のAR値が、ちょっとした事故でクラス中に知れ渡っちゃって】


【え?】


【それで、レゾナンス効果が具現化の効力に影響するからってターゲットにされちゃって】


【・・・】


【全員に狙われるのはダメだろうって、俺以外のAR値が高い奴らが、俺を囲おうって協定を結んだんだ】


【・・・なにそれ】



 低い声。思い切り不機嫌そうな声だよ!?

 いきなり真顔になったのも怖ぇ!

 とにかく先に話してしまおう。



【俺もどうかと思うんだ。その協定、SS協定って呼んでるんだけど、そのメンバー6人が普段は俺の付き添いをしてんだよ】


【そのふざけた名前の協定って、さくらも噛んでるでしょ】


【いえす】



 ぎゃあああぁぁ!

 やっぱ鋭すぎだよ!

 完全に怒ってるよ!

 支えてる腕の力が強くなってちょっと痛いよ!



【あの、それで。俺はそのつもりはないんだけど、そのメンバーと共鳴しちゃったら・・・】


【ダメ】


【ですよね!】



 ぐいっと、香に肩を掴まれて正面に向き合う。

 いつの間にか共鳴は収まっていた。

 香は真顔だ。真剣な話をするときの表情。

 話を聞こう。



【あのね。さくらがダメってわけじゃないの。今の状況ならさくらがいちばんマシ】


【えっと・・・?】


【私が貴方を大好きなのはわかるよね】


【うん】


【好きっていうのは流されることじゃない】


【うん】


【自分の中で相手への想いを確かめて、相手に何度も届けて、受け入れてもらって】


【・・・】


【返してもらった想いを温めて、届けて。そうやって繰り返して育てていくものなの】


【ん、そうだね】



 ひとめ惚れは例外としても、俺もその考え方だし、そう思う。

 俺が香を選んだのもそれだけの積み重ねがあったからだ。

 観覧車までの出来事だけで卒業してたとしたら選ばなかっただろう。



【貴方がどれだけ優れた人だとしても、それだけに釣られるなんて。お金があるところに群がる豚と同じ】


【・・・】


【豚にお金の価値なんてわかりはしない】



 辛辣な言葉を選びますね。

 それだけ許せないってことか。



【大事なのは心。状況や環境に流されるだけで作られたものは偽物】


【偽物・・・】


【そう。身体から始まる関係っていうのもあるかもしれないけど、その状況は駄目】


【・・・】


【もし貴方がそういうものに流されそうなら、私が全力で守るから】


【・・・】



 ふぅ、と香は溜息をついて、俺の肩から手を離した。

 すっかり冷めた紅茶を飲み干してソファから立ち上がる。

 うーん、と軽く伸びをして俺に向き合った。



【ちょうどね、今日はその話をしようと思っていたの】


【え?】


【でもその前に! もうお昼だからごはんにしようか!】


【あ、もうそんな時間?】



 見れば12時を過ぎていた。

 ソファに座ってお茶飲んで飛んだら数時間だよ。

 時間過ぎるの早すぎ。



【今日はおうちごはん。私の手作りなんだよ】


【え?】


【だから、期待しててね!】





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