後章 幽霊探し

第1話 エイプリルフールの嘘じゃ済まされない

 お花見イベントのあと、一日置いてどたばたに満ちた弥生がやっとこさ終わり、今日から出会いの期待と予感に満ちた卯月が始まる。ついたちは俗にいうエイプリルフールだ。でも、嘘でかつぐような相手もいなければ、そんなことを画策する心境にもなれない。


「楽しい時ってのは一瞬で過ぎ去っちゃうなあ。で、厄介ごとだけが吹き溜まると来たもんだ」


 満開の桜花に抱かれたお花見の余韻に浸る間もなく、昨日は一日中激しい西風が吹き荒れ、私たちを容赦なく日常に追い立てた。二人揃ってレンタルショップのバイトに出ている間に、満開の桜はあえなく桃色の吹雪になって霧散。路上に吹き溜まった花弁も、すぐに萎れて跡形もなくなるんだろう。

 ところがどっこい。厳しい現実はそうやすやすと消え去ってくれない。今私の目の前でこれでもかと威張りくさっているのは……たんまり溜まってしまったゴミの山だ。


「ううむむむ」


 ビニール袋の山を見てうなっているのは私だけじゃない。めーちゃんもうんざり顔。


「ねえ、ルイ。これって嘘や冗談じゃないよね」

「いくら今日がエイプリルフールだって言ってもないよ。ゴミがこれまでお世話になりましたって自主退場してくれるなら、最高の冗談だけどね」


 実際、ゴミ処理が待ったなしの状況になっている。シェアハウスで暮らし始めた最初の頃は外食とスーパーのお弁当で食事をまかなってたから、プラ系のゴミは出たけど生ゴミがなかったんだ。プラ容器なら、しっかり洗えば匂いが出ることもない。

 でも花見の時にユウちゃんと一緒に料理をしたから、生ゴミが出ちゃった。ほんの少しならビニール袋に入れて冷凍するっていう裏技が使えるけど、三人分の食材だったから結構多い。ユウちゃんが徹底して野菜を利用してくれなかったら、もっと凄まじいことになっていただろう。

 コンパクトな冷蔵庫で冷凍室が小さいから、そこを生ゴミで塞がれると冷食や作り置き料理の冷凍保存ができなくなっちゃう。死活問題だよ。


 もちろん、分別ゴミや不燃ゴミだってずっと積んどくわけにはいかない。スチロールトレイやプラ容器は、どんなに割ったり切ったりしてもかさばる。ランドリーラックが入っていた段ボール箱は潰してビニール紐でくくったけどしっかり場所を食ってる。私とめーちゃんの荷物を入れてある段ボール箱もそのうちゴミ参加するだろう。

 シェアハウス一番奥の共用荷物置き場にゴミばかりがずんずん積み上がっていくのは、どう考えてもヤバい。


「それでなくてもスペースが限られてるんだから、ゴミはまめに捨てていかないとなあ……」

「それなんだけどさ」

「うん」

「この辺りのゴミ置き場って、どこにあるの?」


 ふむ。一応めーちゃんも気にしてたってことか。


「岡田さんに聞いたんだけど、ここってすっごい厄介なの」

「ここ?」

「シェアハウスが、じゃないよ。荻野二丁目ってとこが」

「……どういう意味?」


 目を白黒させているめーちゃんに、岡田さんから聞かされた事情を説明する。自治会が崩壊していてゴミステーションの管理が不可能になり、二丁目のゴミステーションは不法投棄防止のために撤去されてしまったこと。賃貸の不届き者は、スーパーのゴミ箱にこっそり捨てに行ってること。ルールに従ってゴミを捨てるには五丁目のステーションまで行かないとならないってこと。


「ご、五丁目ぇ?」


 ぎょっとしてのけぞっためーちゃんの前に、でっかい溜息をぶっ転がす。


「はああっ! しゃれにならない。お花見の時に五丁目のゴミステーション前を通ったからわかると思うけど、ここからなら片道十五分はかかっちゃう」

「げ……」

「普通の可燃ゴミならいいけど、プラゴミとか大型ゴミはとても無理。それに五丁目の人たちからすれば、この地区の住人はそもそも部外者なんだろうし」

「ううう」


 お花見を終えて帰ってきてから岡田さんに電話して、車内でざっくり聞いた時以上の込み入った事情を確かめたんだ。


 二丁目に一番近いゴミステーションは五丁目じゃなくて四丁目。でも、四丁目は住人数が多いので自治会がまだしっかり機能してる。他地区の住人がゴミを捨てるのはご法度だから、立ち当番がゴミ袋の記名を確認するらしい。不法投棄対策だよね。つまり、二丁目の私たちは利用できそうにない。

 一丁目と三丁目は二丁目以上にゴーストタウン化してて居住者が少ないから、今は自治会が五丁目と同じ枠に入ってるそうな。二丁目だけ、住人数が多い割に誰も自治会を手伝わないから浮いてるってことなんだ。


「じゃあ、わたしたちはどこにもゴミを捨てられないってこと?」

「いや、五丁目の班長さんに事情を話して立ち当番やゴミステーションの掃除に参加すれば、捨てさせてくれるらしい。でもさあ、毎回あそこまで行くのは遠すぎるよー」

「可燃ゴミだけじゃなくて、資源ゴミとか大型ゴミもあるもんね」

「そう。ここらのすっとぼけ賃貸の人たちも、そこらへんどうしてるんだか」

「うー」


 口を富士山みたいにしてうなってるめーちゃんを見て、しばし和む。いやいや、それどころじゃないし。


「で、岡田さん情報によると」

「うんうん!」

「スーパーの駐車場抜けて中通りに入るところにクラシックなお屋敷があるでしょ?」

「うん。それが?」

「佐々山さんていう八十過ぎのおばあさんが一人で住んでるらしいんだけど、その人が二丁目の顔役らしいの」


 めーちゃんがすかさず警戒した。


「……怖い人?」

「どうなんだろ。私は会ったことがないからどんな人かはわからない。岡田さんが筋を通すタイプの人だよって言ってたから、マジメな店長みたいなイメージ?」

「なにそれ」


 めーちゃんが脳内で店長の性格パーツをばらして組み立て直してるけど、佐々山さんのイメージにはどうしても組み上がらないみたい。


「ううー。わからないー」

「私だってわからないよー。でも岡田さんの話だと、その佐々山さんが二丁目のゴミステーションを撤去させた張本人らしいの」

「へ? どして撤去?」

「だって、二丁目の自治会メンバーは佐々山さんだけなんだもの」

「おっけー。全て理解したわ」


 ちゃんとゴミ出しルールを守りなさいよっていう筋論者の佐々山さんが、すちゃらか賃貸住人のやりたい放題を許すわけがない。業を煮やしてゴミステーションそのものを撤去させちゃった、と。


「でも、そのおばあさんはゴミ出しどうしてるの?」

「個別収集なんだって。市はちゃんと筋を通す人優先なんでしょ」

「なるほどお」


 まるで探偵さんがするみたいに顎の下にひょいと拳を持っていっためーちゃんが、今後の展開を推理する。


「つーまーりー、佐々山さんと交渉すれば、わたしたちのゴミを一緒に出させてもらえるかもしれないのね」

「そういうこと」


 怖そうな人とゴミを天秤にかけるってのはなんだかヘンなんだけど、背に腹は換えられない。


「店長に言われたんだよね。そういうのがなくても、引っ越した時には隣近所に挨拶しといた方がええでって」

「ううー。アパートでも入居時には両隣に挨拶しておくものよって、ママに言われた」

「うちの両隣は空き家だけど、佐々山さんとこにだけは行っておこうよ」

「わかったー。すぐ出る?」

「いや、手ぶらはまずいでしょ。スーパーで何かお菓子を仕入れてく」

「じゃあ、準備するね」


 めーちゃんが、さっと自室に引っ込んだ。

 静かになったリビングで、もう一つエイプリルフールだからと笑えないことを思い返す。さすがにめーちゃんのいる前では口にできなかったんだよね。


「幽霊がいる。確かに」


 今までは感じなかった、何かの気配があるのがわかる。これまで、幽霊よりもっと厄介なリアルな人間関係に振り回されていて、いるのかどうかわからない幽霊のことなんか気にする暇はなかったんだ。でも、最初からどこかおかしいなとは思っていた。だって、そうでしょ。これまでの入居者が例外なく幽霊を見たと言って逃げ出しているのに、私たちだけが幽霊フリーでいられるわけはない。

 もし幽霊ってのがいるとしても、それには実体がないはず。見えていても何もできない連中なら、私たちが気にしなければいいだけだ。申し訳ないけど、私は感覚が超現実的にできてる。霊障がーとか祟りがーとかは、信じないんだ。あの超ヤバそうな岡田さんのベンツは別にして。


 でも、私が感じている気配は幽霊よりもずっと現実寄りなの。


「プリンを食って、朝シャワーを使う幽霊なんているものか!」


 そう。おかしいなと思ったのが、冷蔵庫の備蓄食の微妙な消費。三連プリンがいつの間にか一つ減ってる。それに、朝めーちゃんがシャワー使う前にバスルームの床が濡れてる。めーちゃんは、私が先にプリンを食べ、バスルームを使ってると考えてるはず。そんなことないよ。


「むうう」


 意思だけが残っていて、それが気配として感じられるっていうならポピュラーな幽霊なんだろうけど、生活臭もろ出しの幽霊なんてのはありえない。

 岡田さんに訴えたみたいに、それは明らかに人なんだ。でも、人ならば防犯カメラに必ず出入りの痕跡が残るはず。入居してこれまでの画像をチェックさせてもらったけど、丈二さん以外に怪しい人の気配はない。全く、ない。鍵も入居時に替えてもらってるから、これまで住んでいた人が合鍵でっていうのもありえない。


「どういうこと?」


 エイプリルフールでつけるウソっていうのは、やーい引っかかったーと笑い飛ばせる性質のもの。でも、私が直面している怪異現象は些細なことではあっても笑い飛ばせないんだ。

 考え込んでいるうちに、だんだん腹が立ってくる。私たちが何か祟られるような非道なことをしたか? 野越え山越え、万難を排しながら、ようやくここまでたどり着いて、新生活に向けて環境をひぃこら整えているんだ。実体のないくだらない幽霊に、バラ色の新生活を邪魔されるいわれはないっ!


「くそおっ! 絶対に祓ってやる!」

「なんのお金を払うってー?」


 そっちの「はらう」じゃないってば。思わず脱力してしまう。めーちゃんも、最初は幽霊が出るって聞いてすごく怯えていたはずなのになー。すっかり図太くなっちゃってさー……ってちょっと待て! 揃えたばかりの服でぴしっとキメためーちゃんを見て、大慌てしてしまった。


「ヤバ。このだらしない格好じゃ王女と道化になっちゃう。私も着替えてこなきゃ」

「ぎゃははははっ」


 めーちゃんが豪快に腹を抱えて笑ってる。その勢いで、くだらない幽霊も吹っ飛ばしてほしいけどなあ……。


◇ ◇ ◇


 自室で着替えながら、ふと気づいた。そうか。この部屋では気配を一切感じたことない。きっと、めーちゃんもそうじゃないかな。廊下を挟んで右側の領域にあるバスルームとリビング。そこに気配が集中しているんだ。今まで気にならなかったのは、私たちがほとんど二人でいたからだと思う。


 今は、実生活の充実に意識を多く割り振らなければならないから、どうしても幽霊探しは後回しになっちゃうけど。この件は、絶対にエイプリルフール一日の冗談では済まないだろう。ゴミ出し問題が前進したら、岡田さんと相談しながら対策を考えないとならないな。


「お花見のあとは幽霊探しかあ。順序が逆だよね。無粋だなあ」


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