第36話 【影承】(ダークハント)

 本当は、影があればそれですべては事足りる。

 先ほど触れた影には、ここ一週間程度の情報が蓄積されている。


 それは風であったり、水であったり、魔獣であったり、転送装置から街までの間を往復した人々であったり、と例を挙げれば枚挙にいとまがない。


 影は物から物。人から人へと触れて繋がるたびに、その情報を蓄積していく。

 キースのスキルは【影承】(ダークハント)。


 帰りに寄って投影された影は、真理を映す鏡と言われている。

【影承】を使うと、そこに蓄積されたある一定期間の情報を、任意に検索して読み取ることができるのだ。


 地上世界と異なり、地下迷宮の中ではありとあらゆる場所から、魔法の光があふれている。


 先行きを見通すことが困難な迷宮探索を行う上で、彼の能力は冒険者たちを生還させるために最も適しているといっても過言ではなかった。


「街まで二キロの距離だ。走破しましょう」

「危険はなかったのか?」


 岩山に戻り報告すると、先ほどの弓使いが確認をしてきた。

 今は大丈夫です、肩をすくめて見せる。


 それを見ると、彼は後ろで待機していた仲間たちに、出発の合図をした。


「案内人さん。予定はわかってるよな?」

「ええ、もちろん。ここで宿泊するんじゃなくて、そのまま下の階層に降りるんですよね」

「そうだ。食料とか水なんてものは半年分ぐらいは用意しているが……」


 と、後ろについて歩きながら、弓使いフォンが自分たちの腰のベルトに下がっている、お揃いの革ポーチを叩いた。


 それには簡易的な空間魔法が施されていて、中は見た目より数百倍広い空間になっている。


 その空間では魔素がほとんど動かないように設計されているらしい。

 魔素は世界の構成要素。


 動くことで時間が進み、動植物は進化し、食品や水は劣化する。

 そういった問題を劇的に変えたのがこの空間魔法を利用した、移動用貯蔵魔導具の開発だった。


 フォンたちの腰には、各人がそれぞれ必要とする半年間の食料や水、医療品や調理器具、武器、衣料、寝具などが揃っている。


 これは国から与えられたもので、地下迷宮最深部の攻略は、国のプロジェクトとして推進されていた。


 その一員として参加しているキースにも、もちろんその革ポーチは与えられている。


「時間は有限ですからね」

「そうなんだ。それに今回の旅には、治療に特化したメンバーが参加していなくてな」

「ああ、聖女様ですか」


 そうだ、と弓使いはうなずく。

 聖女と勇者アレクの婚約の噂は、ここ地下世界にまで降りてきていた。


 地上の王都にはたくさんの神々を奉る神殿がある。

 それらの中でいま、最も力のある神の代理人が勇者アレクと聖女オフィーリアだ。


「ちょっと前まで、魔王軍との戦いが続いていてな。オフィーリア様は、そちらの激戦地を、他の神殿の少女達と共に、いま巡回されている。ある程度戦後処理が終わったら戻ってくるはずだ」

「戦後処理ですか?」


 不思議だ。噂では休戦協定を結んだと聞いていた。


「戦争なんて誰もしたくないのさ」


 弓使いははっ、と鼻を鳴らす。

 後ろを歩いていた女魔導師が、話を続けた。


「王国ではこの休戦協定を機会に、迷宮の資源を最優先で活用しようって話になったの」

「それで勇者様たちが真っ先に、ダンジョンの最深部まで向かわれると」

「そうね。最深部とされる第五十四階層。初代国王様がたどり着いた以外、誰も足を踏み入れたことがないと言われている」

「今のところ、公式記録では三十八階層まで降りたっていう風になっているが」


 黙って話を聞いていた勇者が、会話に口を挟んだ。


「君達のパーティは、四十二階層まで降りたっていう話を聞いた。それは本当かい?」

「あ、いや。それは……」

 返答に戸惑っていると弓使いがキースの功績を称賛した。

「俺もその話を聞きましたよ。そんな場所から生還できるなんて、とんでもない腕だ」

「本当ね。あなたがそのパーティを案内していたっていう話も聞いたわ」


 それは本当は正しくないんだ。

 心の中で、死んでいった仲間の一人に謝罪する。


 彼の壁で他の七人は生還することができた。

 あの時の光景を脳裏に思い出し、頭を振ってそれを打ち消す。


「俺たちは、あの時。三十階層からいきなり四十二階まで、魔法で転送されたんです。直通の転送装置が設置されていて……。今ではその使い方がはっきり分かっているけど、当時は全くわからなかった。誰も知らなかったんです」

「そうだったのね。でも戻ってこれたんでしょ」

「……仲間の一人が、犠牲となって転送装置を作動してくれたから。あそこには俺たちにはかなわない、とんでもない化け物が待っていたんですよ」

「それはどんな魔獣だったんだい?」


 忘れたくても忘れられない因縁の魔獣。

 その姿を思い出して、握りしめた拳がぶるっと震えた。


 アルトボロス。

 腐蝕の巨大魔獣。第四十二階層で出くわし戦う暇もなくキースは仲間の一人を失った。

 黒曜石の肌と30メートルに巨躯。馬のような胴体と双蛇の尾。鷲によく似た顔は顔は丸い輪郭をした黒煙のたてがみをで覆われている。


 全身から毒性の霧を吹き出して、鉄ですらも腐蝕させあっという間に溶かしてしまう。

 キースにとっては因縁の相手だった。



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