第9話 ダークエルフの少女

「おい、貴様! 何をする!」

「いやすまん、ついふらふらっと‥‥‥子供?」


 ふと我に戻って自分の足元に寝そべる彼女を上から下までじっくりと眺める。

 金髪。混じり気無しのブロンドだ。


 そんな感じの金髪が背中まで伸びている彼女は、こんな酒場にはふさわない恰好をしていた。


 ブルーグレーの薄手のワンピースの身にまといその上から黒のショールのようなものを羽織っている。


 瞳の色は感情を塗りつぶしたかのような黒。


 ズボンなどは履いておらず短めの丈のワンピースの裾からはすらりとした生足が見え隠れしていた。


 肌の色は赤銅に近い、黒。薄墨のような黒だ。そして耳は人間族よりも尖っている。


 ダークエルフ? どこかで聞いたような、キースの意識はもうろうとしたままだ。


「失礼なことを言うな! もうっ‥‥‥誰が子供だ!」


 あっけにとられているキースの下からさっさと這い出した彼女は、よいしょっと言いさっさと立ち上がる。


 その時、胸元の大きく開いたワンピースの裾から、その外見にしては豊かな胸元が露わになって見えた。


「子供、じゃない‥‥‥」

「警吏を呼ばれたいのか、もう! 酔っ払いめ!」


 そう言いながらも彼女は懲りずにまたさっきの椅子に座ろうとして、うんしょっ、うんしょと上り始めた。


 身長はキースの胸元くらい。

 普通なら十三歳か、十四歳の子供の背丈だ。


 ふと自分が普段から混じっている連中のことを思い出して、キースは頭が痛くなるのを感じた。


「どう見たって子供なんだから仕方ないだろ」

「こう見えても大人だ! お酒の飲める年齢なぞ‥‥‥ああ、もういい。充分だ」

「なにが充分なんだ?」

「私の知りたかった話はもう充分だと言っている」


 ああ、ということは。

 もうこれ以上、タダ酒は飲めなくなるのか。


 そう思うと、どこか寂しさが心に募る。

 自分も晴れて、この酒場にいるクズ野郎どもの仲間入りを果たした気がした。


 他人にせびって生きていく人生。

 最悪で、最低な生き方の、もう一つの道がそこにはあった。


「それは残念だ。俺のつまらない話が何かの役に立ったのならそれで嬉しいもんだ」

「……あなた、酔いすぎですよ。呑みすぎだと思われます」

「なんでだ? 世界は回ってるんだろう? いや違うか、この店が回転する椅子でも導入したのかな」


 素晴らしい経営努力だ。

 客はさぞ、満足して悪酔いすることだろう。


「どんないかがわしい店だと勘違いしているんだ……。しっかりしろ、話にあったように、毎晩こんなことをしていたら体に悪い」

「いいんだよ、小さな幸せだから」

「そんなちっぽけな幸せも、たった一晩で泡のように消えるのかもな」


 そう言うと何故か彼女は椅子から飛び降りて、床に散った何かを拾い集めていた。

 ああ、俺の小銭だ。財布もある、胸元に隠しておいた短剣まで落ちたらしい。


 こりゃ、相当酷く寄ってんな‥‥‥。

 キースの頭の中で、まだまともな意識を保っている部分がそういう風に分析する。


 彼女はその辺りにあった目ぼしいものを拾い集めると、キースの前のカウンターの上にそれらを置いた。


 礼を言って、元あったはずの場所に収納していく。

 二つ折りの財布が開いていて、数枚の紙幣しか残ってないのが目に入る。


 相手もそれを見ていたようで、バツが悪そうな顔をしてそちらを向くと、自分の財布から何枚か紙幣を抜き出して、そこに入れてくれた。


 ついでに、一枚の長方形の紙。

 手のひらサイズのもので、多分、名刺だ。


 それも、財布の中に入れられてから突っ返される。


「いいのかそれ」

「……こうされると気持ちがいいか?」

「見知らぬ女に金を融通されるのはちょっと恥ずかしいな」


 本来なら喜ぶべきところなんだろうけれど。先に恥ずかしさが立ってしまった。

 素直にそう言うと、彼女はくすくすと笑って、それからキースの額に手を当てた。


 柔らかい光がその手の中に満ち満ちて、キースは自分の中からアルコールが消えていくのを感じて、残念そうな思いに包まれてしまう。


 ああ、もったいない。

 目が覚めるまで、誰とも関わらなくていいこの世界であの悪夢から、逃げていたいのに。


 回復魔法でアルコールを無効化されたらしい。

 酔っていた感覚が、正常なそれに引き戻される。


「ああ……まともな人間になれる気がするよ」


 繊細で華奢な指先が、額を撫でていく。

 スベスベとしてひんやりとしていてそれでいて母親のように温もりを感じる。


 生まれてからこのかたそんなものにお目にかかったことはないが。


「それはそうと話がまだ残っているように思うが、あなたはその最後の学舎で何をする?」


 漆黒の瞳が真摯な光を灯して問いかけてきた。

 嘘をつけないそんな光だ。

 だから願っていることを伝えてしまった。


「一人でも多くの子どもたちがまともに合格して死ぬことのないように生還率の高いクエストを達成して欲しいと思ってる。その手助けをするために」

「するために?」

「なんでもない。つまらない養成塾の講師の話だ。夢だよ」


 ただその仕事も、みんななんかわかんねーけどな。

 それを告げられたのは、つい数時間前のことだ。



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