その愛、迷惑です!
瀬尾優梨
本編
1 望まない寵愛
エステルは、王国の下級貴族であるマードッグ男爵家の令嬢として生まれた。
腰までの長さの明るい茶色の髪とぱっちりとした青色の目を持っており、家族構成は両親と兄と弟が一人ずつ。おいしいものや花が好きで、特技はお茶淹れ。
エステルの祖父は平民出身の騎士に過ぎなかったが、半世紀ほど前に勃発した国境戦において指揮官をよく助けた勲功として、男爵位を与えられた。領地もないし資産もそれほどでもないが、平民としては大出世と言える。
エステルの兄弟はどちらも、十代前半の頃から騎士団に入っていた。マードッグ男爵家は武勲により爵位を得たため、健康な男子は積極的に騎士になることで男爵家の面子を保つ必要があったのだ。
さすがに女性であるエステルが騎士団に入ることはなかったが、一日中遊んで暮らせるほど余裕があるわけでもない。そういうことでエステルは十六歳の成人を迎えた一ヶ月後に、行儀見習いのために働きに出ることになった。
彼女を採用してくれたのは、王国内でも屈指の名家であるハリソン伯爵家。当主は代替わりしたばかりで、ランドルフ・ハリソンという二十二歳の青年だった。
エステルはメイドとして採用されたが、男爵令嬢に野菜の皮むきや洗濯掃除などをさせることはできないため、接客やお茶汲み、代筆などを任される上級使用人扱いとなった。
いずれ親の決めた男性のもとに嫁ぐのだろうから、それまでにしっかり作法を教わりしっかり稼ごうと、エステルは仕事を頑張った。
働き始めて二年ほど経った頃から、エステルはあることに気づくようになった。
「エステル、旦那様があなたをお茶係にご指名よ」
「かしこまりました」
家政婦からの指示を受けたエステルは、どきどきしながらも平静を装い茶器の載ったらゴンを押す。
(最近、旦那様がよく私を指名してくださるようになった……!)
伯爵邸ともなると雇用している使用人の数もかなりのものになり、エステルと同じ立場の女性使用人も数名いる。だが最近、旦那様こと伯爵はお茶汲みなどにエステルを指名するようになったのだ。
流れるような銀髪に緑色の怜悧な目を持つ若き伯爵・ランドルフは、屋敷中の女性の憧れの的だ。結ばれることは絶対にないので、その美貌を遠くから眺めるだけで十分だが、伯爵からのご指名は飛び上がりそうなほど嬉しい。
(これは、来月のお給金も期待できそうね!)
うきうきしながら茶を持っていくと、執事と一緒に書類仕事をしていたランドルフが顔を上げた。
(ああ……やっぱりいつ見ても旦那様は素敵ね!)
とはいえそんな気持ちはおくびにも出さず、黙って茶を淹れて提供する。ランドルフはエステルが差し出した茶をすぐに飲み、「うまいな」とつぶやいた。
彼はいつも無表情なのだが、エステルが茶を淹れたときだけはふんわりと笑ってくれるのがまた、エステルは嬉しかった。
(ふふ、今日も得しちゃった!)
ランドルフには、婚約者がいる。ジョージアナというその令嬢は子爵家の娘で、もうしばらくすると結婚することになっている。だからといって、嫉妬したりなんかはしない。
エステルにとってのランドルフは、きらきらまぶしい高嶺の花。彼のお手つきになることなんかはちっとも考えていなくて、ご指名によりお給金を上げてもらえることがエステルの喜びだった。
ワゴンを返した後、屋敷の廊下に飾る用の花を集めるよう言われたエステルは籠を持って庭に出て、庭師を探した。柔らかな陽光が差す春の庭は気持ちよくて、ランドルフからご指名された直後ということもあり気分がとてもいい。
探している人は、すぐに見つかった。
「こんにちは、アーサー。廊下に飾るためのお花、もらっていくわね」
「……エステルか。うん、どうぞ」
日除けの帽子を被ってそう言ったのは、若い青年。年齢はエステルより一つ上だが、長年伯爵家に仕えた庭師が老年を理由に少し前に引退して代わりに入ってきたため、エステルの方が先輩だった。
柔らかい金髪に藍色の目を持つアーサーは、決して口数は多くない。最初は「旦那様ほどではないけれど、庭師にするのはもったいないくらいの美貌」と女性使用人仲間たちが黄色い声を上げていたものだが、彼女らが誘ってもお茶会などには参加しなくて、一人で黙々と土いじりをしていることが多い。
そんなアーサーなのでだがわりとエステルとはおしゃべりをしており、仲がいい方だった。彼の丁寧な仕事ぶりには目を見張るものがあるし、王国外出身で修行のためにやってきたのだという彼の話を聞くのも好きだった。
エステルが花を選ぶと、アーサーは慣れた手つきでそれらを切り、茎の処理もしてくれた。
「エステル、嬉しそう。何かあったのか?」
「……え? あ、分かっちゃった?」
アーサーに問われたので、エステルはえへへ、と笑ってみせた。
「実は今日も、旦那様にご指名されたのよ」
「ふうん。よかったね。特別手当が入るんでしょ?」
エステルがランドルフに恋をしているわけではないと分かっているアーサーに言われて、エステルは大きくうなずいた。
「ええ! それにあのご尊顔を間近で見られるのだから、役得だわ!」
「そっか。……はい、できたよ」
「ありがとう! ……あら、これは?」
これ、というのはアーサーが束ねてくれたものとは別の、一輪だけの白い小さな花。
彼は帽子のつばを少し下げて顔を隠すと、束と一緒にそれもエステルの籠に入れた。
「これは、僕から君に。部屋にでも飾りなよ」
「え、いいの? 後でお代を請求されたりしない?」
「しないよ。……ほら、行きな」
「う、うん。ありがとう、アーサー!」
そう声をかけるが、アーサーは帽子のつばを下ろしたままなので顔は見えなかった。
いつの頃からだろうか。
少しずつ、ランドルフの様子がおかしくなってきた。
最初の頃はエステルをご指名するくらいだったのだが、やがて「一緒に食事をしよう」「寝る前に話をしよう」「これをあげよう」と、誘ったりものをくれたりするようになった。
さしものエステルもそこまでしてもらうのは、恐縮したのだがランドルフは強情で、最後には半ば命令されるような形で彼にお付き合いしたり贈り物をもらったりするようになった。
これはおかしい、と思っていたし使用人仲間たちもさすがにエステルに不審な目を向けてきたのだが――事態は、エステルが思ってもいなかった方向に向かっていた。
ある日、ランドルフが帰宅してから彼と執事が言いあう声が聞こえてきた。
先代伯爵時代からよく伯爵家に仕えていた執事がこんな大声を上げるなんて、と皆が戦々恐々とする中、ランドルフがエステルがいた使用人談話室に突撃してきて、言った。
「私たちの結婚が、受理された。今日からエステル、君はハリソン伯爵夫人だ」と。
まさに、寝耳に水の情報。
使用人仲間たちが「どういうこと!?」「あんた、いつの間に!?」と大騒ぎするが、そんなのエステルだって分からない。
ランドルフは、いつも笑顔でお茶を淹れて自分の話を聞いてくれるエステルに、愛情を注いでいた。
だがそれは雇い主がお気に入りの使用人を贔屓するという度を超えており、エステルを逃がしたくないと思ったランドルフは勝手に結婚宣誓書を準備して、教会に提出してしまったのだ。無論、エステルのサインは偽造されている。
嫌です、こんなの望んでいません、とエステルが大声で主張して暴れても、ランドルフはにこにこ笑うだけ。
そしてエステルを無理矢理寝室に連れ込み、「もう、離さないよ」とうっとりと笑って言ったのだった。
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