第9話 準惑星アイルニムの市場
「ふむ、記録上五人目、というのは、翡翠の渦に巻き込まれた人間がいるかどうかを目撃し、証言してくれる人物がいなければ翡翠の渦に巻き込まれたのか、ただ失踪したのかが分からないから、ということかい」
「そうです。行方不明者というのは毎年何名か出てしまうものでしたが、それが翡翠の渦に巻き込まれてなのか、他に原因があるのかどうかは目撃者がいなければ分かりませんから。だから、翡翠の渦の被害者はもっといるという見解を示している研究者も少なくないそうです」
キラの場合も昼間の街中であったため、周りに人がいたから目撃者はいただろうしなんなら悲鳴のようなものも聞こえていたので“記録上”五人目という言葉成り立つだろう。
ひとまずこれくらいでしょうかと言ったキラに、ニジノタビビトは顎に手を添えながら神妙そうに頷いてみせた。
「そうだね。だいぶ詳しく話してもらった気もするけど、よくそんなに知っていたね」
「まあ、そうですね。よくニュースで取り上げられますし、学校とかでも定期的に注意喚起とかされたりするんですよ」
キラは初めて翡翠の渦が観測されてから、学校で何度も絶対に触れてはいけないということをそれこそ耳にタコができるくらい八年間にわたって聞かされてきていた。これだけ詳しい説明ができたのはひとえにその性分というか癖から詳しく調べたためであったが、今回話した内容くらいであれば知っている人は少なくなかった。それでもまあ発生場所にいたっていうのは本当にどうにもならないなあと口をへの字に曲げながら少しだけ不貞腐れた。
「さあ、ついたよ。市場だ」
話しているうちにいつの間にかついていたらしい。ニジノタビビトの声に顔を上げると、露店が並んだあまり大きくはなくとも人で賑わう市場があった。
市場には生鮮食品だけでなく、すぐに口にできる食べ歩きに向いた串焼きや片手で持てるいろいろな味の餡を生地で包んで焼いたり蒸したりしたものも売っていた。それを見てキラは混乱と緊張とで忘れていた空腹感を思い出し始めていた。
「この星、アイルニムに寄ったのは、両替と食料補給のためだよ。でも両替したら先に何か軽くつまもうか」
ニジノタビビトは無意識のうちに軽くお腹をさすっていたキラに気がついてそう言った。しかしキラはこの星の金銭はおろか、あまり持ち合わせがなかった。両替に行くとは言っていたが、この星がアイルニムということすら今初めて知った自分に改めて不安になっていた。
緊張がほぐれてきたからか、空腹からか、表情が豊かになったキラは抱えている不安を顕著に顔に出していた。それを見たニジノタビビトは目をパチクリとさせて微笑みながら言った。
「大丈夫、ここは私が出すよ。そうだね、まだ宇宙船に乗るのが正式に決まっているわけではないから、食料を宇宙船まで一緒に運んでくれる駄賃、ということでどうかな?」
キラはニジノタビビトが自分を気遣ってくれていることがわかったが、空腹なのも懐具合に不安があるのも確かなので眉を少し寄せてもどかしい思いを抱きながらニジノタビビトの目を見て笑って言った。
「タビビトさん、ありがとうございます。さっきも言った通り体力には自信がありますからね、任せてください!」
二人が市場の中に入ってまず向かったのは両替所であった。同じ恒星の周りを回る惑星は基本的にどの星も交流がもたれているため、あまり大きくはない市場にも両替所が常設されていたりする。恒星が変わると大きな街に行かなければ両替は難しくなるが、どの惑星にも一ヶ所は必ずさまざまな金銭と両替が可能な両替所が存在していることが暗黙の了解となっていた。また、異なる恒星の周りを回る惑星同士でも、その距離によっては比較的に簡単に両替ができるというところも少なくはなかった。
「目的の星までがあまり遠い星だと持っている通貨の両替が大変になるだろう? だから出発した星と目的の星までの間いくつかを中継地点として両替をしていくんだ。出発した星の通貨を中間地点の星で両替、また次の中間地点の星で両替というのを繰り返して最後に目的の星で両替をする。それに何より食料補給も必要だからね。それでこの星に寄ったんだ。」
ニジノタビビトが両替と食料補給のために降り立った星であり、キラが翡翠の渦によって飛ばされてしまったこの星、準惑星アイルニムは小さな星だが、自然が豊かで食べ物が豊富な星であった。キラはもちろん知らなかったが、近隣の星々では準惑星アイルニムの市場をいくつか巡る食べることを主軸にした観光ツアーが組まれるほどであった。
「キラ、君は何か苦手な食べ物とか、アレルギーはあるかな」
「あーっと、基本的になんでも食べるんですが、その、強いていうならネットリした食感の食べ物が苦手、ですかね……」
「なるほど、じゃあ、あれはどうだろうか」
ニジノタビビトが指差した屋台では、この星でよく食べられているガウニの肉を使った包み焼きが売られていた。ガウニとは、体長一メートルほどの偶蹄類で、比較的おとなしい草食動物である。この星では家畜としてたくさんのガウニが飼育され、特産品の一つとなっている。
この屋台では、強力粉と水と塩と酵母を入れてこね、発酵させた生地にガウニを荒めのミンチにして胡椒やクミンなどの香辛料と少しの刻んだ根菜とを一緒に練って作った餡を包み、一度蒸してから多めの油で外側を揚げ焼きにした、片手サイズの食べ歩きに適した食べ物として売っていた。
キラはその屋台を見て、思わず腹の虫を鳴らしてしまった。キラは顔を赤くして恥ずかしがったが、ニジノタビビトはそれを見て笑うとキラの手をとって、屋台の方へ引っ張っていった。
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