第7話 ニジノタビビトの記憶とキラの考え


「そうだなあ。とはいえ何を聞けばいいのか、私自身もあまり思いついていなかったりするんだ」


 ニジノタビビトは少し間伸びした喋り方をしながら、横に並んだキラの方は向かずに前を向いたまま少しだけ空を見上げて言った。それを受けてキラは先ほど翡翠の渦について話したときのニジノタビビトの反応を思い出していた。


「あの、記憶喪失というお話だったんですが、さっき翡翠の渦の話をしたとき聞いたことがある気がするといっていたのはどうしてでしょう。あの現象は今のところ惑星メカニカでしか観測されていないはずなんです」


 ニジノタビビトは相変わらず視線を少し上に上げたまま両手を後ろに回して軽く組むと、話し始めた。


「自分が、記憶喪失であるという自覚を持ってから、“翡翠の渦”というものを聞いた覚えがない。宇宙を旅しているから、今起こっている現象について、例えば第六四九系の近くでブラックホールが多く発生しているらしいみたいなのはきちんと調べているんだけど……」


 キラはその話を聞いて、もしかするとニジノタビビトが記憶喪失になる前に翡翠の渦について聞いた覚えがあるのではないかという考えに至った。そして自分が持つ知識と、不幸な体験がこの人の記憶を呼び起こすきっかけのになり得るのではないかと考えついていた。


「あの、僕の翡翠の渦に関する知識と体験とがタビビトさんの利益にはならないでしょうか。つまり、翡翠の渦や誰かと会話していくことが記憶を取り戻すきっかけになるんじゃないかと思うんです。もちろん、自分にできることならタビビトさんの旅? のお手伝いもします」


 キラはニジノタビビトがどうして一人で宇宙船なんかに乗っているのかを知らなかったが、便宜上“ニジノタビビト”と名乗っているからにはきっと旅をしているのだろうとあたりをつけていた。ニジノタビビトは少しだけ歩く速度を緩めると、すぐに立ち止まって俯いた。


「なるほど、そうきたか。確かに私は記憶がなくて、でも思い出さなくてはならない何かがある気がしている」


 ニジノタビビトは大きく息を吸い込んで吐き出すと、空を見上げて少しの間黙った。キラは、雰囲気の変わってしまったニジノタビビトに、何かこの人の琴線に触れてしまったのではないかと内心冷や汗をかきながら、それでも何も言えずに背中をじっと見つめて、再び話し出すのを待つしかなかった。


「よし、私の利益となる点は合格ラインかな。あとは体力と君自身の人柄についてだ」


 キラの方を振り返ったニジノタビビトは笑みをたたえてそう言った。キラは不自然に眉を歪ませながら、肩の力を抜いた。


 キラは翡翠の渦について一般程度かそれ以上の知識を持っていた。気になって詳しく調べたことがあったからだった。この時ばかりは受験生時代に身につけていた、自分の気になったものを調べられるとき調べる癖に感謝した。

 そして、翡翠の渦に巻き込まれてしまったからこのような目に遭っているのに、翡翠の渦に巻き込まれてしまったから故郷に帰れる可能性があるということになんとも言えない思いを抱いた。


「そうだね、それじゃあ翡翠の渦について聞いてみてもいいかい。その名前を聞いたとき、どうしてだか知っているような気がしたんだ。もちろん今後の取引材料に関わってくるだろうから、調べたら出てくることぐらいで構わないよ」


 キラの微妙な思いに気が付くこともなく、ニジノタビビトは翡翠の渦についてキラに尋ねた。キラは今度はニジノタビビトの真横に並んで共に歩き始めた。


 ニジノタビビトに一つ合格をもらったキラは、余裕ができたのかすっかり自分の調子を取り戻していた。たくましく、冷静で明るい彼は、もしかしたらこの知識によってニジノタビビトの記憶を取り戻すことが、自分を宇宙船に乗せるだけの意味になっている重要な取引材料ということを十二分に理解していた。

 しかし今のところ自分を助けてくれているこの人の力になりたいという思いもあって調べられる範囲内でも出来るだけ詳しく、丁寧に、悲しいことに自分の体験談をほんの少しだけ交えながら“翡翠の渦”について話し始めた。

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