甘くて苦いものを恋と呼ぶ
コハラ
第1話 見覚えのある人
コーヒーを持ってカウンターに座った時、隣の女の人と目が合った。
丸顔で、薄化粧の二重の大きな目が印象的な顔。真っすぐな黒髪は肩ぐらいまで長さがある。
どこかで見た事のある顔だ。しかし、名前が出て来ない。
大学の同級生ではない。自分よりきっと年上の人だ。多分三十才ぐらい。
そんな年齢の人で知り合いは週四でバイトしてるスーパーのパートさんか?
バイト先の人だったら挨拶した方がいい。しかし、目が合った時にするべきだった。
名前がわからないから、なんて声をかけたらいいかわからない。
“こんにちは”でいいのか?
その後はどうする?話が続かなくて気まずくなるだけじゃないか。
しかも、女の人も僕もコーヒーを飲みだしたばかりだ。
バイトのない日曜日ぐらい、ゆっくりコーヒーを飲みながらカフェでぼんやり過ごしたい。
下手に話しかけて気まずい想いをするのは嫌だ。
で、結論。
声はかけない事にした。
しらをきってコーヒーを飲みながら、スマホをいじってると、スニーカーの先に何かを感じた。
足元を見ると、赤い軸のペンが落ちてた。
拾い上げ、何となく隣の女の人を見ると目が合う。
「ごめんなさい。それ、私のです」
右手に持ったペンを見て女の人が言った。
「どうぞ」女の人に差し出した。
「ありがとう」
女の人はじっとこっちを見た。
「何か?」
「どこかでお会いしてません?」
ハッとした。同じような事を思ってたんだ。
「僕もそんな気がしてたんです」
「でも、どこで会ったかわからない?」
女の人が言った。
「はい」
「同じ事思ってたのね」
女の人が笑った。
笑うと可愛い印象になる人だった。年上だけど。
「もしかして、この近くに住んでます?」
近所の人かと思って質問した。
「いえ、二駅先です」
「じゃあ、職場がこの辺とか?」
女の人が「そういう事ね」と頷いた。
先に答えがわかったようだ。
「何です?」
「いえ、なんか親しみのある人だなって思ったんですけど、似てますね」
「誰にですか?」
「のび太くん」
女の人が口の端を上げた。
ネコ型ロボットが出てくる藤子不二雄先生の有名な漫画が浮かんだ。
のび太君って、どんくさくて頼りないキャラだ。あんまり嬉しくない。
「ほら、藤子不二雄先生の『ドラえもん』に出てくる。いつもドラえもんを頼る子」
「それぐらい知ってますよ」
「怒った?」
「いえ」
「怒ってるでしょ?」
「怒ってません」
「素直じゃないな」
女の人がクスクスと控えめな声で笑った。
調子が狂う。なんなんだ。この人。
「学生さん?」
「なんで答えなきゃいけないんですか?」
「だって最初に聞いたのは君でしょ?家とか、職場とか。今度は私の番ね」
筋は通っている。
「大学四年生です」
仕方なく答えた。
「じゃあ、就職活動中?」
「決まりました」
「すごいねー。おめでとう。春から社会人だ」
女の人がパチパチと拍手した。
店にいる人たちの視線を感じる。
「やめて下さい。目立ちますから」
「目立つ事嫌いなの?」
「日本人ならそうなんじゃないんですか」
「確かに」
女の人が僕から興味を失ったようにカウンターの方を向いて、元のように読書を始めた。
え?いきなり放置?
なんなんだ、この人。
「私ね、そこのレンタルDVD屋で働いてるの。だから職場は近いよ」
本を読んだまま女の人が言った。
それで謎が解けた。
時々利用している店だ。だから見覚えがあったのか。
「ちなみに働いてる日は日曜日と水曜日」
文庫本から視線を上げた、女の人と目が合った。
好奇心に満ちたキラキラとした目だった。
胸がざわついた。
これから何かが始まってしまいそうな。そんな予感がした。
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