AI

Slick

第1話 平和からの来訪者

 ピチピチとさえずる鳥の高い声が、のどかな公園に響いた。

 私はベンチに座ったまま、公園に生える木を見上げると、鳴いた鳥の姿を見付けてにっこりと笑いかけた。

 温かい休日の午後の微風が、私の頬を軽く撫ぜる。風で耳に掛かった長い髪を、片手でゆっくりと掻き戻した。

 道路では、ゆっくりと進む車がノロノロと行き交っている。

 今日も、世界は平和だ。

 現在、26■■年。

 世界はまさに、泰平だった。

 ......だがただ一つ、この世に存在しないものがある。

 それはAI、所謂「人工知能」だ。

 まぁ勿論、遠い昔の時代には、そんな物が存在していたとは知っている。 

 知ってはいるが、正直言って信じられなかった。

 だってそんな物、今の時代にはありえないもの。


 ふとのどかな公園の前を、黒いコート姿の男が通りかかった。

 この手の姿の人間は、近所でもたまに見かけることがある。

 彼らは、政府直属の機関の手の者たちだ。

 目的は一つ、「人工知能AI規制法」違反者の捜索。

 この「人工知能AI規制法」とは読んで字の如く、無許可でのAIの開発や使用、技術やそれを用いた製品の販売を禁じる法律だ。AI、というものの明確な定義は私にもよく分からないが、この国だけでなく世界各国にも類似の法律があるし、確か国際法にも似たような規定が存在したはずだ。

 そうでなくてもAI、人工知能は既にこの世から消え去った、過去の技術となっていた。

 とはいえ、それに取って代わる別の新技術が発見された訳などではない。

 言ってしまえば、人類はただただAIを規制――実質的に禁止――しただけなのだ。

 必然的に、法の制定当時、生活の便利さはそれまでと比べて格段に落ちたらしい。今の私達の生活水準だって、1900年代の前半頃と大して変わらない。

 とはいえ世界は平和で、誰からも不満は出なかった。

 この法律が制定されて、もう一世紀以上になる。

 議会で改正案が出たことは、今まで一度もなかった。


 その黒コートの調査員はこの町でもよく見かけることがあったが、今日は何となく、目にする回数が多いように感じた。

 「人工知能AI規制法」は今や憲法の次に重要と考えられている法律だが、物好きによる個人でのAI秘密開発は後を絶たないらしく、黒コートの彼らはその取り締まりにあちこち飛び回っているそうだ。

 別にいつも黒コートでなくても良いのに、と思うが、その印象的な姿は、政府の「人工知能AI規制法」違反者に対する断固とした処罰を表しているらしい。

 私は、目の前を通り過ぎるその調査員に対し、ベンチに座ったまま軽く会釈した。

 ふと、その調査員が私の前で足を止めた。

 私の見上げた上で、黒コートの男は一瞬、私をジッと見つめた。

 ......そしてこれまた急に、フイッと顔を戻して歩み去っていった。

 ............何? 今の一体、何だったのかしら......?

 まさか、私が指名手配中の誰かと似ていた、とか?

 ......まぁ、いいか。私が政府機関である彼らの厄介になる日など、一生来ないでしょうから。

 これでも私は今まで25年の人生で、きっちり法令を遵守して生きてきた平和的な一市民だ。

 まさかこの時、彼らがどこへ向かっていたかなんて、知る由もなかった。

 この時は。



 買い物をして、ちょっと寄り道をして、ブラブラと家に帰る。

 極めて一般的かつ、平和な生活。

 一人暮らしでまだ独身だったが、良い職には就いていたし、生活に不満はなかった。

 陽が傾き始めた頃、私は特に急ぐまでもなく、安アパートの自宅へと戻った。

 古びた鍵を鍵穴に差し込んで回し、自宅のドアを開けようとして――

 ドアは、開かなかった。

 ......いや違う、今確かに鍵はガチャリと回った。ということは......

 元々が開いていた、ということだ。

 そして私は、外出時には鍵をかけるのを絶対に忘れない。

 平和な世界では奇妙にさえ思われることだったが、これは私の無意識の習慣だった。

 でも今、帰ってきたときに扉は開いていた。つまり......。

 私の留守中に誰かが鍵を開け――、そしてもしかしたら、家に入ってきたんだ。

 私はもう一度鍵を回した。予想通り、鍵は何の問題もなく開いた。

 ドアをそっと細く押し開け、中の様子に耳を澄ませる。

 ――微かではあるが、家の奥に人の気配がした。

 それも、複数の。

 泥棒か、それともストーカーだろうか?

 だがそんなことは、ありえない。

 今の世の中においては、そんな低級な犯罪など起きるほうが珍しい。先述したどちらも、黒コートの彼らが街を巡回するようになる以前から、遠い昔のものだった。

 だとしたら、中にいる人間は、自ずと知れる。

 私は家に入り靴を脱ぐと――私以外の靴はそこにはなかった――、そのまま奥に進んで居間に入った。

 そこには、三人の黒コートがいた。

 全員が、土足で部屋に上がり込んでいた。

 一人は窓の外を見ていたのをクルリと振り返り――

 一人は無言で家具を物色していたのをやめ――

 そして最後の一人は、テーブル前の椅子から今まさに立ち上がった所だった。

 つい先程、公園で私を見つめてきた黒コート、その人だった。

 その彼が、私に近づいてきた。ほかの二人の様子を見るに、彼が三人の中でリーダーらしい。男の刺すような視線が、私を鋭く射抜いた。

 「我々が、誰だか分かるか?」

 リーダーの男が、そう問いかけてきた。

 

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