第23話 マッセンウムヴァンデロン

「さてと、ケモノ憑きの話をしてやろうかね」


 フェルディナントが乱心した翌朝、稽古の時間にジルケは語りだす。


「ケモノ憑きという言葉自体は一般的だから、アルマも知ってるね?」


「ええ、勿論。だけど、小母おば様の言うケモノ憑きはそれではないのでしょう?」


「そうだとも言えるし、そうではないとも言える。……今のお前には簡単すぎるだろうけど、一応、説明はしてやるさ。まず、ケモノ憑きって何だい?」


「正気を失って一時的に暴れたり、泣きわめいたりすることでしょう?」


「ま、大体そうだね。何かのきっかけで精神が錯乱して起こるんじゃないかと言われている。そっちはまだ詳しく分かっていないが、それとは別にもう一つ、はっきりと分かっている原因があるんだよ。お前が経験していることなんだが、何だか分かるかい?」


「私が経験している……、ケモノ……、ああ」


「何か思いついたようだね。言ってごらん」


「心が無防備なときにケモノと目が合ったときの、あれでしょう? 心の中に入り込んでくるような」


「その通りだ。あれが進行すると心がケモノが支配されて正気を失い、或る者は破壊衝動に駆られ、或る者は無限の悲しみに囚われ、はたまた抵抗も出来ず死に至る。最悪、実体を失ってケモノに堕ちることもある」


「でも、小母おば様。それってケモノがえる人にだけ起こるのではないですか? 父様とうさまえないのだから、目も合わないでしょう?」


「それがな、えない者でも合うんだよ。実に不可解なことだが、イビガ・フリーデ秘匿滅獣機関では、ケモノに憑かれた本人からの証言がいくつも得られている。意識を失う瞬間、大きな目が迫ってくるような感覚があったと」


「つまり、えない人の視線の先にケモノがいると、目が合う可能性があると。そういうことかしら?」


「そうなるね。だが、ここで一つ疑問が出てくる」


「ここ最近、屋敷でケモノを感知したことが無いのだから、父様と目が合ったケモノは一体どこから出てきたのか? と言いたいのですね」


「その通りだよ。お前も、そして私もケモノをていない。滅獣の理でフェルディナントが大人しくなったんだから、ケモノと目が合ったことは間違いないんだが、そいつがどこから出てきたのかさっぱり分からない状況だ」


「そうなると、もし次もあるようでしたら、その後はしばらく監視する必要がありますね」


「そうだね。私もそれを考えていたところだ。そうなったら私が夜間を担当するとして、フェルディナントが目を覚ましたら、それとなく伝えなくちゃならないね。それから、あいつらにも念のため聞いておくとするか」


小母おば様、それで私は……」


「おお、そうだった。私がいないときにケモノ憑きに対処する場合は、お前さんの還魄器シクロではどうにも傷つけてしまうから、アウグストとロルフを呼んで3人で対処しな。木剣を使えば打撲で済むだろうよ。滅獣の理は、還魄器シクロを可能な限り小さく出しておいて、動きが鈍ったところで使えばいいさ」


 それから1カ月、2カ月と何事もなく過ぎたが、3カ月目の日中、再びフェルディナントが大暴れする事態となった。そのときもジルケが難なく事を収めたのだが、やはり事前にケモノを察知することはなかったのである。

 そうしてフェルディナントの許可の元、日中はアルマの見える範囲で、夜間はジルケが近くの部屋に待機することにより観察することとなった。しかし、その後もケモノを感知することができないまま2,3カ月に一度のペースで、フェルディナントはケモノに憑かれた。

 何の手掛かりもないままに、最初の発生からおよそ1年が経った或る日の夕刻、遂に動きがあった。


小母おば様、大変よ! 起きて!」


 その日もジルケは夜の警備に備えて眠っていたのだが、アルマの尋常ならざる気配に予定時刻よりかなり早く起こされてしまう。


「どうしたんだい? アルマや」


 寝起きのせいか、弟子を落ち着かせるためか、いつもよりも柔らかい雰囲気のジルケが問えば、アルマは実に切迫した様子で師匠を叩き起こさなければならなかった事の次第を話し始めた。


「屋敷の中が大変なの! 突然、ケモノが沢山!」


 見ればアルマは既に還魄器シクロを握りしめている。それは、ジルケの部屋に至るまでにケモノと遭遇したことを匂わせた。そしてジルケが目を閉じ、周囲の気配を探ること数秒。


「……ほぼ狼か。大きいのはいないようだね。私は1階の残りを片付ける。お前は2階を頼む」


 貴族のお屋敷とは言っても、クニヒト騎士のものは然程さほど広くはない。アルマが全力で走れば、5分もたずに端から端の部屋の内部まで一通り確認できる。そして彼女たちにはオイレン・アウゲン梟の瞳があった。目を閉じているときには周囲1キロメートル前後は感知できる能力だが、目を開けている状態であっても、最大で周囲300メートルほども感知できるのだ。それは、屋敷内に存在する全てのケモノを把握するのに十分な距離。アルマは流れるようなステップで次々とケモノを斬り伏せていった。

 しかし、ケモノは通常えないものである。多くの使用人、そして家族には、奇妙な剣を両手に構えて屋敷の中で舞うという危険な行為にしか映らず、その都度、「ケモノ憑きの原因をはらう為のまじない」であるとの説明を余儀なくされた。

 そしてすっかり太陽が沈んだ頃――


小母おば様、2階は終わりました」


 15体ほど滅したところでケモノの気配が屋敷から消え、1階のジルケと合流を果たす。訳も分からず、見えないケモノに襲われて怪我をした使用人が数名いたが、幸いにして深手を負った者はいなかった。ケモノ憑きになった者もおらず、滅獣は成功したのだが、二人の表情は未だ緊張感に満ちている。


「アルマ。気付いているだろうけど、まだ終わっちゃいない。さっきた限りではここから北北西、およそ800メートルの付近におびただしい数のケモノがいる」


「ええ、承知しております。しかも、こちらに向けて移動している様子」


「ふむ。これは非常にまずいね」


「ジルケさん、アルマ。さっきの儀式はもう終わったの?」


 二人が同時に顔を向ければ、にこやかなブリギッテの姿がそこに在った。


「ああ、終了したよ。だが、大元おおもとと思われる場所が見つかったから、今度はそっちに行こうという話をしてたところさ」


「そういうことなの。これから小母おば様と二人で裏の林に行ってくるから、母様は心配しないで待っててね」


「あらまぁ。こんなに暗いのに大変ねぇ。気を付けていくのよ? あ、そうそう。さっき、お外にベルタちゃんがいたのよ。人手ひとでが必要だったらあの子も扱き使こきつかっていいのよ? あの子、とても強いんだから」


「あら、それはいい事を聞いたわ。母様、ありがとう。それじゃ、行ってくるわね」


「ええ、行ってらっしゃい」


 ブリギッテに見送られて裏庭に出た二人。満月に照らされた林をランタンも付けずに歩けば、すぐに聞き慣れた声に呼び止められた。


「ジルケさん、あたし達もケモノ退治を手伝うよ」


 声の主はベルタ・アルニム。ブリギッテの妹、教会のイビガ・フリーデ秘匿滅獣機関の幹部、ジルケの弟子。そしてヒト型からアルマを救出した者であった。久しぶりの挨拶もそこそこにジルケは問う。


「他に誰が来てるんだい?」


「ソフィア、それにエラとエリアスの姉弟ふたごだね」


「200を下らないケモノ相手には、ちょいと人数が少ない気がするが、いずれも名のある滅獣師ヴェヒターじゃないか。良く集められたもんだ。感謝するよ。それに、双生法師がいるってことはあれをやるんだろう?」


「ええ、勿論ですとも。それではあたしはこの辺で。取りこぼしが来るだろうから、アルマも頼んだよ」


「何をされるのか存じませんが、ケモノがこちらに来たら斬り捨てるようにいたします」


 ベルタがにっこり微笑んで立ち去ったその少し後、常人には見えない6色の光柱が無数に林立し、辺り一面を覆いつくした。それは影すらも呑み込み、神の降臨を感じさせる静かで怖ろしい光景だとアルマは思った。

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