第23話 マッセンウムヴァンデロン
「さてと、ケモノ憑きの話をしてやろうかね」
フェルディナントが乱心した翌朝、稽古の時間にジルケは語りだす。
「ケモノ憑きという言葉自体は一般的だから、アルマも知ってるね?」
「ええ、勿論。だけど、
「そうだとも言えるし、そうではないとも言える。……今のお前には簡単すぎるだろうけど、一応、説明はしてやるさ。まず、ケモノ憑きって何だい?」
「正気を失って一時的に暴れたり、泣き
「ま、大体そうだね。何かのきっかけで精神が錯乱して起こるんじゃないかと言われている。そっちはまだ詳しく分かっていないが、それとは別にもう一つ、はっきりと分かっている原因があるんだよ。お前が経験していることなんだが、何だか分かるかい?」
「私が経験している……、ケモノ……、ああ」
「何か思いついたようだね。言ってごらん」
「心が無防備なときにケモノと目が合ったときの、あれでしょう? 心の中に入り込んでくるような」
「その通りだ。あれが進行すると心がケモノが支配されて正気を失い、或る者は破壊衝動に駆られ、或る者は無限の悲しみに囚われ、はたまた抵抗も出来ず死に至る。最悪、実体を失ってケモノに堕ちることもある」
「でも、
「それがな、
「つまり、
「そうなるね。だが、ここで一つ疑問が出てくる」
「ここ最近、屋敷でケモノを感知したことが無いのだから、父様と目が合ったケモノは一体どこから出てきたのか? と言いたいのですね」
「その通りだよ。お前も、そして私もケモノを
「そうなると、もし次もあるようでしたら、その後はしばらく監視する必要がありますね」
「そうだね。私もそれを考えていたところだ。そうなったら私が夜間を担当するとして、フェルディナントが目を覚ましたら、それとなく伝えなくちゃならないね。それから、あいつらにも念のため聞いておくとするか」
「
「おお、そうだった。私がいないときにケモノ憑きに対処する場合は、お前さんの
それから1カ月、2カ月と何事もなく過ぎたが、3カ月目の日中、再びフェルディナントが大暴れする事態となった。そのときもジルケが難なく事を収めたのだが、やはり事前にケモノを察知することはなかったのである。
そうしてフェルディナントの許可の元、日中はアルマの見える範囲で、夜間はジルケが近くの部屋に待機することにより観察することとなった。しかし、その後もケモノを感知することができないまま2,3カ月に一度のペースで、フェルディナントはケモノに憑かれた。
何の手掛かりもないままに、最初の発生からおよそ1年が経った或る日の夕刻、遂に動きがあった。
「
その日もジルケは夜の警備に備えて眠っていたのだが、アルマの尋常ならざる気配に予定時刻よりかなり早く起こされてしまう。
「どうしたんだい? アルマや」
寝起きのせいか、弟子を落ち着かせるためか、いつもよりも柔らかい雰囲気のジルケが問えば、アルマは実に切迫した様子で師匠を叩き起こさなければならなかった事の次第を話し始めた。
「屋敷の中が大変なの! 突然、ケモノが沢山!」
見ればアルマは既に
「……ほぼ狼か。大きいのはいないようだね。私は1階の残りを片付ける。お前は2階を頼む」
貴族のお屋敷とは言っても、
しかし、ケモノは通常
そしてすっかり太陽が沈んだ頃――
「
15体ほど滅したところでケモノの気配が屋敷から消え、1階のジルケと合流を果たす。訳も分からず、見えないケモノに襲われて怪我をした使用人が数名いたが、幸いにして深手を負った者はいなかった。ケモノ憑きになった者もおらず、滅獣は成功したのだが、二人の表情は未だ緊張感に満ちている。
「アルマ。気付いているだろうけど、まだ終わっちゃいない。さっき
「ええ、承知しております。しかも、こちらに向けて移動している様子」
「ふむ。これは非常にまずいね」
「ジルケさん、アルマ。さっきの儀式はもう終わったの?」
二人が同時に顔を向ければ、にこやかなブリギッテの姿がそこに在った。
「ああ、終了したよ。だが、
「そういうことなの。これから
「あらまぁ。こんなに暗いのに大変ねぇ。気を付けていくのよ? あ、そうそう。さっき、お外にベルタちゃんがいたのよ。
「あら、それはいい事を聞いたわ。母様、ありがとう。それじゃ、行ってくるわね」
「ええ、行ってらっしゃい」
ブリギッテに見送られて裏庭に出た二人。満月に照らされた林をランタンも付けずに歩けば、すぐに聞き慣れた声に呼び止められた。
「ジルケさん、あたし達もケモノ退治を手伝うよ」
声の主はベルタ・アルニム。ブリギッテの妹、教会の
「他に誰が来てるんだい?」
「ソフィア、それにエラとエリアスの
「200を下らないケモノ相手には、ちょいと人数が少ない気がするが、いずれも名のある
「ええ、勿論ですとも。それではあたしはこの辺で。取りこぼしが来るだろうから、アルマも頼んだよ」
「何をされるのか存じませんが、ケモノがこちらに来たら斬り捨てるようにいたします」
ベルタがにっこり微笑んで立ち去ったその少し後、常人には見えない6色の光柱が無数に林立し、辺り一面を覆いつくした。それは影すらも呑み込み、神の降臨を感じさせる静かで怖ろしい光景だとアルマは思った。
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