夢と理想と現実と

うすたーそーす

一部始終

今までずっと思ってた。何故私には誰かから注がれる愛情も、誰かに注ぐ愛情もないのだろうと。その解は、私に人としての魅力がないからだった。自分を愛せず、他人も愛せない人に注ぐ愛などどこにもなく、愛情を注ぐに値する容姿でも無ければ、愛想の振りまき方さえ覚えていない。そんな人間に愛を注いでくれる人などどこにいようか。私は自分も、他人にも、ほとほと愛想を尽かし、尽かされてしまったのだ。

人を愛せなくなったのは小学校六年生の頃。私がとある人に想いをよせたが故に散々な仕打ちを受けてからだ。当時私は奴と同じ部活に所属しており、奴の優しさに触れてしまったのが、恋に落ちた原因だった。そこで奴に思いを打ち明けず、そのままにしておけばここまで恋愛観を拗らせることはなかったのだろう。しかし恋愛脳炸裂の真っ盛りで頭足らずの小学六年生にそこまでたどり着ける思考力はなく、奴へ思いを打ち明けてしまった。優しかった奴は感謝とともに「秘密にするなら」と言い私と付き合うことを承諾してくれた。ここまでならハッピーエンドだと言えるだろう。そう。ここまでなら。

その日から、私と奴は恋仲になった……そう私は考えていた。しかし奴は違った。その証拠に、一日経とうと、二日経とうと、1週間が経とうと、ハグはおろか、手を繋ぐこと、恋人同士のようにお喋りに時間を費やすことさえなかった。本当に付き合っているのか不安になった2週間後、奴から話したいことがあると言われ、いつか告白した場所へと連れられた。やっと話せると期待に胸を躍らせていた私に告げられたのは、冷酷な別れ話だった。

それだけだったらまだ私も許せただろう。問題なのはここからだ。奴は自分から「秘密にするなら」と言い放ったにもかかわらず、別れを告げるのに友達を三、四人連れてきて、口々に私に「こいつと別れてくれ」と言ってきた。戸惑う私に1人がこう言った。「そもそもお前がストーカーだったが悪いんだろ」と。口々に私を罵る彼らの表情は、まるで雛鳥で遊ぶ猫のような、無邪気で残酷な笑顔だった。

私はストーカーまがいなことをした覚えは無いし、なぜ私が悪いことになっているのか見当すらつかない。一部は私が正当化している部分もあるだろう。もしかしたらストーカーまがいなことをしていたかもしれない。しかし、たった2週間だなんて。そんな短期間で別れるのは如何なものか。私はそんな考えに取り憑かれ、いつの間にか奴を敵対視していた。同じ部活に所属をしていたにもかかわらず、だ。それ故部の空気は悪化し、険悪化してしまった。

そんな環境を作ってしまった私をみかねた友達は、「結局別れたのにはそっちにも非があるんじゃないの?」と私を言いくるめた。心がズキリとした。けれども信頼していた友達からそう言われたのだ。私は少しやりすぎたのかもしれない、と反省した。今思えば全くする必要のない反省だったが。そうして友達に誘導されて反省をした私は、奴に謝罪をした。奴は気にもとめてなかった。安堵した私はこれまでと同じように、奴と会話をし、部活動に励んだ。

さて、ここまで読んで君たちには疑問が生じたことだろう。「なぜお前はこの男をこんなにも恨み、嫌っているのか」と。それにはきっと君たちも奴を嫌う程の深い深い事情があるのだ。

奴を嫌っていたことすら忘れた1年後の中学一年生の時、奴と私は同じクラスだった。私と彼とはごく普通の男女の友達だった。しかし、梅雨が少しづつ香ってきた5月半ば、あの時の真相を知ってしまった。あの時奴は「そもそも2週間も付き合う予定などなかった」のだ。別に私のことを好きでも何でもなく、ただひたすらにどうでもよかったのだが、ただ純粋に私を哀れに思った奴は「一日だけ付き合うなら」と一日だけ恋仲になることを承諾したのだ。

それだけの話なら奴がただ単純に腑抜けなチキンで、私の物語の養分にされるだけだったのだが、あろうことか奴は私と別れるためだけに「恋仲である私にストーカー行為をされた」と私との共通の友人に虚言をかました。そう。ストーカー行為は全くのでっち上げだったのだ。そんな冷酷で倫理観の終わった事実を私に知らせたのは、私と同じ部活動に所属しており、以前私を上手く言いくるめ、一部始終全てを理解し、俯瞰していたあの友達だった。今となってはこの話すら虚偽のものな気もするが、そこは友達を信頼しているということにしておこう。

当然、そんな人の想いを踏みにじるような行為だったと知って黙っていられるほど私はできた人間じゃない。無論恨みを晴らす為に行動しようとした。奴の悪意ある行動を広めようとしたのだ。しかし、私は今奴にとって1人のクラスメイトでしかない。しかも、生徒という立場で行動をしても、痴情の縺れによる喧嘩だと判断されかねない。裁判にすらかけるほど大事ではないにしろ、奴のせいで恋愛観も自分や他人への愛が枯れきったことには変わりない。その事実をどう周囲に伝えたら良いか、それが分からなかった。

そんなことを考えながら過ごしていたある日、私の知人の1人に執筆のためのノートが晒された。当時、私は小説を書くのにハマり始め、短く拙いながらも作品を書くことに時間を費やしていた。しかしそのどれもが絵空事であった。そのノートを見た友人は「表現はいいけど現実味ないし嫌い」と一言言い放った。嫌味として言ったのだろうが、私からしてみればそれは大いなるヒントであった。そうだ。現実味がないなら、実際に起こった出来事を描けばいいではないか。そう考えた私は、現実に起こった出来事全てを書き出し、どれが執筆するに値するかを見定めた。取っかえ引っ変えしていた友人の恋愛事情、大好きな部活動、励みに励んだ勉学…しかし、どれもピンと来ない。確かに全て大切で、愛らしい物語たちだ。今でも脳裏に焼き付いて離れない。目を閉じれば容易に想像できるほどだ。なのに、全く文が浮かばない。おそらく一つ一つの物語が短かったからだろう。その上要点をまとめて話をまとめようとする小説向きでは無い性格も災いし、文が浮かんできても情報量が多くなってしまうのだ。

学校での休み時間、どうにかできないか…と頭を抱えていた時、「大丈夫?」と奴が声をかけてきた。どうやら頭を抱えていた私がいつもの頭痛に悩まされていると勘違いしたらしい。「大丈夫」と言うために頭を上げた私は、奴の顔を見てとんでもない発想に至った。そうか。こいつとの話を書けばいいんだ。奴との悲恋の物語を書けば状況の整理と晒すことによる奴のイメージダウンが同時に可能だ。どうして今までこんな簡単なことを思いつかなかったのだろう。

突然頭を上げ目を見開いた私を不審に思ったらしく、奴は訝しげな顔をした。私はその顔で現実へと意識を戻し「大丈夫。心配ありがとう」とだけ言い、奴を元の席に戻るよう促した。その後そこら辺に放っておいたノートに出来事、時系列、心情などを書き出し、そのまま放置した。その後、そのノートが提出されるものと知り、絶望したのはまた別の話。

ノートに落書きがされていたことでこってりと絞られ帰宅した私は、それに対しての文句を言いながら書き出したものを整理し、ガリガリと書き出した。あれだけきちんと整理したのに、いざ書くとなると全く思い通りにいかなかった。時系列こそきちんとしているが、あの出来事にショックを受けていたというのもあって心情が優先的に描かれてしまう。膨れ上がった悲哀だけが独り歩きし、事実など置き去りにしてしまう。結局、出来上がったのは「主人公が何をされ、何をしたのかがぼんやりしたまま終わるお話」だった。こんなもの、人には見せられない。

私は何度も、何日も、何ヶ月も書き直し、その度に冷静に俯瞰した。あの時私はどう思い、何がしたかったのか。奴だけでない周辺人物に何を感じていたのか。考えるうちに段々と理解ができてきた。奴の思考も、他の人の思考も、私には分からない。けれど公平に、公正にあの話を見ることで、分からないなりに想像はついた。その時にはもう、奴への怒りなど薄れていた。

作品を描き始めてから1年、ようやく私の納得のいく作品が出来上がった。「奴への恋情を募らせた私が告白して付き合い、振られた後に怒りに任せてあることないこと吹き込んだ」という内容だった。後半は事実でないにしろ、実際にしたかったことなので内容に組み込んだ。心情と事実とのバランスを綿密に考え、やっとの思いで出来上がった私の最高傑作だった。

そこまで書いて、私は考えた。本当にこれを晒しあげて、虚しくならないだろうか。確かに私の傑作を晒しあげれば確実に奴の株は暴落する。人と絡むことすらままならないだろう。だからといって、私の胸の内が晴れることは無い。それは書き始める前から重々承知していた。ここまで書いてしまったんだ。ここまで来たら、晒しあげるしかないだろう。そうして私は最高傑作を晒し上げた。数日もしないうちに、彼の株は大暴落。最高の終わり方をしたわけだ。しかし、心は晴れない。それどころか、虚無感に苛まれ、晒しあげたことを後悔するまでに至った。そう。本当は、奴に復讐したいわけでも、奴を貶めたい訳でもなかった。ただ、奴からの謝罪が欲しかっただけ。そのことに気付くには、あまりに遅すぎた。怒り、妬み、喪失感が私の中で渦巻き、思考を、恋愛観をここまで捻じ曲げてしまったが故の過ちだった。

あれから5年。未だに私は恋愛という恋愛をしていない。誰かを好きになれないのだ。誰かを好きになろうとする度、誰かに愛されたいと願う度に、あの時の奴の顔が目に浮かぶ。そしてねじ曲がった恋愛観が再起して、また裏切られたら、また嫌われたら、と一歩踏み出すのが怖くなってしまう。本当はわかってる。奴が特殊だっただけなのだと。けれど恐怖に駆られて踏み込むことを拒否し、人と距離を取り続けた私に、それを受け入れるだけの勇気はなかった。当然、距離を取られれば人は私を好きになり得ない。それなのに誰かに愛されようとされるし、誰かを愛そうとする。都合のいいことばかり並べ、自分のことは棚に上げる。

私は、そんな自分が、大嫌いだ。

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