第2話 ハナ
うだるような暑さの続く7月、東中学3年の放課後の教室、ハナはぼんやりと外を眺めているトキに話しかけた。
「進路どうするの。」
「ああ、工業系の高校に行こうと思ってる。」
「私は担任と班長ママとの三者面談で普通科のA高校を目指すことにしたわ。」
「ハナは勉強できるもんな。A高校は進学校だし、いいんじゃない。」
「トキは手先が器用だからものづくりが学べる学校がお似合いかもね。話は変わるけど、トキ。本当の親を知りたくない。」
「別に。班長ママとパパで困ってないし。面倒くさいじゃん。」
JBは15年前に始まり、3期に分けられている。最初の5年間を第1世代と言い、政府が里親としてある島に子どもを集めて育て始めた。次の5年間を第2世代と言い、政府がはっきりとJAPAN BABYとして国が育てることを宣言し、本格的に全国に収容所が作られ、次第に預けられる子どもが増えていった。そして5年前には中絶禁止法が施行され、年々JBが増加している。この世代を第3世代と言う。
ハナとトキは第1世代であり、人数もそう多くない。二人は5才まで島で育てられ、その後伊丹市の収容所に移され共同生活をしながら、現在を迎えている。
今では全国に400人規模の収容所が1000以上作られている。各収容所はできるだけ年齢の異なった20人単位の班に分けられ、1つのグループで1つの家族が作られる。グループには、班長パパと班長ママがいる。また、収容所には、ドクターもナースもカウンセラーもおり、快適な収容所生活が営まれている。
「最近JBが40万人を超えたってニュースで言ってたわ。」
「へー年々僕たちのような子どもが増えているんだなぁ。」
「心強いわね。少し前までは親のいない変な子ってイメージだったけど、変わってきたわね。JBも市民権を得た感じ。」
「僕もいじめられることや嫌がらせされることはなくなったな。」
「うん。でもみんなみたいな家族とは違うし、産んでくれた本当の両親に会いたいなって最近思うようになってきたのよ。」
「韓国ドラマの見過ぎじゃないの。」
「それもあるかもね。でも、どこかで暮らしている両親に、ちゃんと大きくなりましたよって言ってやりたくない。」
「やりたくない。」
「ちぇ。つまんないの。」
「僕今から部活だから行くね。サッカー部は隣町まで行かなきゃなんないので。」
中学では学校中心の部活動がなくなり、地域のクラブチームなどで活動するようになって10年が経とうとしていた。
「いいわ。私一人で親を見つけてやるんだから。」
ハナはつぶやいた。しかし、どうしてよいか分かる道理はなかった。
「とりあえず、班長ママとパパを責めてみるか。」
ハナは、鞄を持って、教室から走って飛び出した。
「ただいま。班長パパいる。」
「いないよ。今日は会議の日って言ってたよ。」
小学校6年生のメイサが答えた。
「班長ママは。」
「奥の部屋で小さい子たちと遊んでる。」
「ありがと。」
5階建の収容所は20のブロックに分けられ、各班で広いマンションに住んでいるようなものだ。
「班長ママ、ちょっと話を聞いてくれない。」
「おかえり。ちょっと待ってね。チビ達を今寝かしつけてるから。」
班長ママとパパは各班にそれぞれ2人ずついて、交代で勤務し、親の役割を果たしていた。大体3日半一緒に子ども達と生活し、残りはオフである。本当の夫婦で働いている場合もあり、結構給料は良い。20人の面倒を見るのは大変なようだが、年上の子が小さい子の世話を手伝うように教育されているので、どの班も上手くやっているようだ。
ハナは毎年兄弟が増えていくことが自然なことと受け止めていた。というか、これが家族であると思っていた。なぜなら、近所もみな同じような班で構成されていたからである。
「班長ママ、実は聞きたいことがあるの。」
「なあに。」
「私の本当の、じゃない、私を生んだ両親のこと分かる。」
「うーん、それを知りたくなったのね。」
「うん。」
「残念だけど、それは無理なことよ。ハナは生まれた時から日本国の子どもとして育てられているの。生んだ親のデータは全て消されているのよ。」
「そうなの。」
「実は、こんなこと言うのは初めてだけど、私も子ども一人をJBとして国に預けた経験があるの。」
「へー。」
「若くして結婚し、なんとか子ども2人を産んで育ててきたけど、3人目を妊娠した時に、この子を育てるのをどうしようと夫婦で相談し、自分たちで育てるのは無理だと判断し、国に預けることにしたの。産んだ後にもちろん後悔したわ。泣いたわ。でも自分たちでこの子を育てて大学まで行かせるのは、経済的に無理だったのよ。その後何年も悩んだわ。けれど、今のあなた達の暮らしを見て、本当に心からあれで良かったんだと思うわ。」
「それはなぜ。」
「だってあなた達の暮らしは、普通に育てられている子たちと変わらないどころか十分すぎる環境だもの。衣食住、教育に至るまで不安はないし、大家族で育ち、人間関係やコミュニケーション力も育まれているわ。強いて言えば両親や祖父母に甘えることができないことぐらいかしら。それも私たちが本当の子どものように接しているから、普通の子ども達とそんなに変わらないと思うわ。」
「私も今の生活が嫌で生みの親に会いたい訳じゃないの。こうして立派に成長したよって見せたいだけなの。」
半泣きのハナを班長ママは抱き寄せて言った。
「そうねえ。気持ちは分かるわ。でも多分無理なの。私の場合も全てのデータは消して、関係は消滅しますと何度も念を押されたの。わたしが今この仕事をしているのも、預けた子どもに対する罪滅ぼしの気持ちがないわけではないわ。でもこの仕事は愛情をもって育てるという充実感が得られ、十分なお給料がいただける素晴らしい仕事よ。他の人もそう思ってるはずよ。」
ハナは無言で頷いた。
しばらく経ってハナは言った。
「正直まだすっきりしない部分はあるけど、いろいろ真剣に聞いてくれてありがと。班長ママ大好き。」
班長ママはいずれこの質問をされることをシミュレーションしていた。相手を納得させるためには、話すテクニックではなく自分を語ることが必要だと考えていた。そして今回それが通じたと感じた。
ハナは自分の部屋に戻り、ベッドに横になり呟いた。
「やはり、班長レベルではダメね、所長レベル、いやそれ以上の人に聞いてみなければ。」
生みの親に自己を誇りたいというのは嘘ではない。しかし、ハナは違う意味で生みの親に会いたいと思っていた。それは憎悪である。
数日前に級友のミドリの家に遊びに行った。ミドリは普通の家で育ち、専業主婦の母親があたたかく迎え入れてくれた。ミドリの部屋で楽しく会話していると、ミドリの母がケーキと紅茶を持ってきてくれた。ハナの生活のことなどをいろいろ話すとミドリとミドリの母は驚いた。そしてミドリの母が言った。
「素敵な暮らしをしているのね。でも、心配してくれるお母さんがいないのはさびしいね。」
ハナはこの言葉に深く傷ついた。自分は寂しくなんかはない。けれど、他人にハナ自身が寂しいと思っていると思われることが非常に辛かった。
「みんな私たちが本当の親がいなくて寂しいのだろう。かわいそうに、と思っているんだ。なぜこんなにみじめな思いになるのだろう。そうだ、これは私を産んだ親が育てるのを放棄したからだ。私は貧乏でもかまわない。本当の両親の元で育てられたかった。」
という思いがふつふつと湧いてきたのである。
「生みの親に会ってこう言ってやる。この人でなしと。」
この思いは頭から離れなかった。そこでトキを誘って生みの親探しをしようと試みたのである。しかし見事に断られ、班長ママにも軽くあしらわれてしまった。ハナは考えた。
「そうだ、夏休みにあの島に行ってみよう。何か手がかりがあるかも知れない。」
部屋の奥ではBill EVANSのWaltz for Debbyが流れていた。
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