地理オタ美少女“伊能忠敬ちゃん”と行く、全国測量(という名の旅行記というかイチャイチャ記)

熊倉恋太郎

出会い編

第0−1話〈運命の出会い〉

「おばちゃーん、また色々書いたから買い取ってよ」


「はいはい。ちょっとまってるんだよ」


 江戸の城下町にある、小さな書店。


 茹でたエビみたいに反った腰をさすりながら、馴染みの書店員のおばちゃんがやって来てくれる。


 おばちゃんに、『大崎栄』と自分の署名が入った本を数冊渡す。おおさきさかえ、ではなくて、おおさき『えい』と読む。よく間違えられるから、この機会に覚えていってほしい。


 ありがたいことに、この書店は買取もやってくれているから、俺はこうやって本を売って生計を立てている。


「こっちは漢文のほんやく。こっちは……算術かい。はぁ〜、アンタまだ十代なのに、よくこんなもんだいを作れるねぇ」


「まあ、それくらいしか取り柄がないから」


 歯抜けで変な喋り方をしながら、ぱらぱら頁をめくるおばちゃん。感心したように首を縦横に振りつつ、次の本に手を伸ばした。


 しかし、その本を見たおばちゃんの顔が曇った。


「こりずに城の絵かい。全く売れないから、その分ほんやくなり算術なりしたほうがいいでしょうに」


「あはは……」


 ちらっと中身を覗いたおばちゃん。しかし、流し見ですらなく頁の間にゴミが挟まっていないかを確認しているだけらしい。


 ……やっぱり、理想と現実は違うよな。


「そいじゃ、これも含めて買い取るよ。奥からだいきんを持ってくるから、またまっていておくれ」


 よたよたと歩いていくおばちゃん。


 この間にどんな本が陳列されているかをぼーっと眺めておく。


 物語、算術、物語、物語、料理、物語…………


 やっぱり、物語系の作品が多くあるな。見ている限り、好色一代男や江戸生艶気樺焼のように性的な内容を扱った物語が流行っているらしい。


 料理本だと、豆腐百珍や蒟蒻百珍のような、いわゆる“百珍”系の本が多く並んでいる。1人で百も料理法を考えられるとは、とんでもない才能だと思う。


 たまに並んでいる算術や漢文の本も、どれも読んだら勉強になりそうだ。貸本屋が回ってきたときにでも、持っているか聞いてみるか。


 そんなことを考えていると、店主のおばちゃんが帰ってきた。


「はいよ、今回のおだい。おまけでちょっと多く入れてあるから、またひいきにしておくれよ」


「はいはい、ありがとう。また来るよ」


 袋に詰められたお金を懐にしまい、書店から一歩外へ出る。


「いや、今日もいい天気だ」


 4月も半ばを過ぎた頃。空は青く澄んでおり、小鳥が楽しげに空を飛んでいる。


「今日も、江戸の町は平和だね」


 俺が見つめる先には、江戸城が建っている。


 最近改築されて、巨大な電信塔が刺さっている、通称『シン・江戸城』だ。


『本日の天気は……晴れ……晴れ……』


 江戸城に設置された巨大拡声器から、今日の天気予報が流れる。


「はい、ちょっとどいて〜!」


 書店が面している狭い路地を、原動機付き自転車が慌てて通っていく。


「キャーッ! 痴漢ーッ!」


「クソッ、電撃機かよ! イテテテテ!」


 痴漢に遭った女性が、懐に忍ばせていた電撃機で痺れさせている。


「……はあ、平和だな」


 ここ20年前後で、世界は大きく様変わりしたらしい。


 長崎の出島で、外国から『エレキテル』が伝来した。


 電気という新しい燃料を生み出すことができるそれを、平賀源内という男が完全に解明したらしい。


 海外から電気という概念を学び、陰陽道や仏教では説明しきれない『物理学』という分野に踏み込んだ。


 その原理を利用してエレキテルを修復、そしてこれを元に発展させた『蓄電池』がこの地の技術で誕生したことで、全国に電気が広まった。


 声を電気信号に変換して大音量を出す『拡声器』、

 電気を推進力に変換して高速で進む『原付』、

 電気を放射して攻撃力に変換する『電撃機』などなど。


 街並みは大きく変わっていないものの、人々が電気を手にする機会は多くなった。


 短期間に様々な研究が進んだ結果、幕府がこの技術を普及させることに決めたらしい。研究の第一人者である平賀源内を囲い込み、海外から物理学についての教本を仕入れ、多数の技術者に学ばせている。


 近い将来、一棟単位で電気が送られてくることになるだろう、とこの手に詳しい人は語っている。鎖国が解除されるのも、時間の問題かもしれない。


 この地は様変わりするだろう。たった20年で人の手には電気がやってきたのだから。


「だからこそ、俺は昔ながらの城が好きなんだけどな」


 誰にでもなく、独り言を飛ばす。


 原付という小さい二輪車が今の主流ではあるが、今後はもっと大型化する。それに合わせて道幅を広げるべく、江戸城を中心に早くも工事が始まっている。


 昔ながらの建物を取り壊し、送電にも耐えられる素材でできた近代的な家に生まれ変わっているそうだ。


 まだ江戸城周辺より外は工事が行われていないが、いずれ始まる。そんな時に、昔から残されていて今は機能していない城はどうなってしまうんだろう?


「きっと、取り壊されて住宅地になるんだろうな」


 懐の重みを確かめながら、書具屋に向かって歩く。新しい本を書くための墨を買い足すからだ。


 ……取り壊されて更地になるとわかっていても、俺には何もすることはできない。


 ごく普通に昔からその場にあるんだから、地域の人間もそのありがたみを失ってしまっている。


 海外には、この国とは違う城が建っているらしい。


 この国の文化を、後世に残したい。


 そのために、城を絵に描いて保存する。


 それが、俺の夢だ。


「でも、何かをしようにも何をどうしたらいいんだか……」


 干物や大工道具、ちょっと怪しい薬屋までなんでも揃っている商店街を、ちらちら冷やかしながら歩く。


 いい天気だからと店先に干している魚が臭いを発している。その正面では米問屋がせっせと売り込みをしている。うかうかしていると今日の晩飯に決めてしまいそうだ。


「ちょっ、なんなのよ!」


 と、珍しく測量道具を専門に扱っている店から声が聞こえた。


 女の子の声だ。慌てているものの、そこまで大きくはない声だ。


「慌てるな。なに、役所からお呼びなだけだ」


「嫌だって言ってるのよ!」


 好奇心に負けて店の中を覗くと、明らかに役所の人間とわかる男2人に腕を掴まれている女の子の姿があった。


 そして影から覗いている俺は、その女の子に思わず見惚れてしまった。


 最近は女性の体つきが豊満になってきて、そしてそれを隠そうとしない風潮になってきている。だがそれと逆行するように、その少女は背が低く、また体つきも平坦であった。


 耳の下あたりで切り揃えられた髪は、外からさす光を反射して美しい茶色に輝いている。抵抗するために体を振っているから、髪も一緒にキラキラと舞っていて目を奪われてしまう。


 吸い込まれそうなほど深い黒曜の瞳が、困惑したように忙しなく動く。どういう状況かよくわからないが、不謹慎ながらもっと見ていたいと思ってしまう。


 服の大きさが体に合っていないのか、男たちが腕を掴んでいるが強く拘束はできていないらしい。その中で服が乱れてしまい、あられもない姿を晒している。


「もう……! 離すのよ!」


 怒りと困惑で歪んでいる顔は、それでも人を惹きつける魅力を感じられる。きっと、普通にしていたら周りを男に囲まれてしまうほどの美貌だろう。


「……でも、こうやって覗いてるのも良くないか」


 どっちが悪人かわからないけど、役所の人に逆らうのは恐ろしい。島流しで済めばまだ良いが、死罪になったりしたら目も当てられない。


 そっと測量道具屋に背を向け、この場を離れようとする。


「わたしは、全国を歩いて測量する夢があるのよ!」


 ——その言葉に、俺は思わず足を止めてしまった。


「全国測量……そんな小さな体一つで、どうやってそれを達成しようってんだ?」


「だっ、だから『これ』に目をつけたのよ! あんたたちこそ、どうしてわたしを捕まえようとするのよ!」


「オレ達はそういう仕事だからだ。大人しくついてこい!」


 全国を、歩いて測量する。


 未だかつて、そんな大層なことを成し遂げた人はいない。やろうとした人はいたかもしれないが、話を聞かないということは志半ばで倒れているんだろう。


 叶う保証のない夢を、堂々と語る。


 さっきの俺にはできなかったことだ。


「ほら、さっさと歩くんだ!」


「嫌よ!」


 女の子が強く抵抗した時、俺の体は勝手に動いていた。


 建物の影から飛び出した俺は、女の子の手を掴み、引き寄せた。


「なっ……!」


「む、お前も仲間か。では、共に来てもらおうか!」


 無手のまま、俺たちを捕まえようとする役人。


 俺はそんな彼らに背を向けて、女の子の手を引きながら走り出した。


「な、誰……! なんなのよ一体!」


「その、ごめん。勝手に話を聞いちゃってた」


 魚が臭う通りを、手を引いて駆け抜けていく。


「おこがましいかもしれないけど、俺は君の夢を応援したいと思ったんだ。君が悪人なのかはわからない。でも、全国を歩いて測量したいと言っていたのは、本心だと感じた」


「……っ!」


 女の子が驚いたような、声にならない声を出す。


「そう思ったら、体が勝手に動いていたんだ。だから、その……勝手に連れ出してしまって、ごめん」


 言いたいことが散らかってしまったが、伝えたいことは伝えた。


 俺はこの少女に、夢を叶えてもらいたい。全国を測量する夢を。


 俺には達成できない、全国の姿を残す夢を。


「…………伊能、忠敬」


「……え?」


 走って息を絶えさせながら、少女が口を開いた。


 驚いて、少女の顔を見る。


「私の、名前よ! 伊能忠敬! それで、あんたの名前は?」


 やはり飲み込まれてしまいそうな黒い目だが、その奥には意志の光を感じる。強くて美しい、俺の好きな目だ。


「俺の名前は、大崎栄。栄えるって書いて、エイって読むんだ。よろしくね、伊能ちゃん」


 互いに自己紹介も済んだところで、商店街を抜けた。


「いたぞ! 例の少女と協力者だ!」


「待ち伏せされてたっ!」


 そして俺たちは、あっさりと捕まってしまった。

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